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ミッドナイト喰らい夢 ~夢喰い姫は見目麗しい殿方を鑑賞したい~  作者: 柏井猫好


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12.  聖カタリナの祝宴【2】【バルバラ視点】

 広間を抜けて廊下に出たバルバラは、周囲に人目がないことを確認すると、そっと柱の陰に身を隠した。ヘンドリックには用を足しに行くと言ったが、目的は別にあった。


 以前にも人間たちの饗宴に参加したことはあるが、このように大規模なものは初めてだ。流石は王家主催のものとあって、供される食事や余興も贅沢だが、出席している賓客も教会の重鎮や国運を担う重役など、錚々たる顔ぶれだ。先ほどから料理やラムズ・シードの匂いに混じって、美味そうな精気の匂いが広間に充満して、涎を堪えるに苦労した。


(嫉妬、優越感、欲望……。皆さま笑顔を貼り付けていらっしゃいますけれど、お腹の中は真っ黒ですわね。素晴らしいわ!)


 人間の食事は夢魔であるバルバラにとっては興味深いが、食したところで飢えが満たされることがない。そろそろ本日の最大の目的である人間くさい精気の食べ放題といきたいところだ。


 先ほどヘンドリックと踊りながらも広間に集った獲物を見定めていたのだ。

 一方向だけではなく、廻りながら四方八方に視線を巡らせることができたのは、バルバラにとって実に都合が良かった。夢魔は一度でも見たことのある相手であれば対象が何処にいても夢に出入りすることができるが、初回に侵入する際は対象の姿を目視する必要があるからだ。


(さて、先ほど見つけた美味しそうな殿方は……。いらっしゃいましたわ! んまあっ、丁度いかがわしい妄想に耽っている最中じゃございませんか!)


 バルバラは、広間で壁にもたれながら踊っているご婦人たちを眺めている青年に目をつけた。すらりと背の高い優男で、亡き黒子が絶妙な色気を放っている。手入れの行き届いた頭髪や、身に纏っている衣装からも彼が中級貴族の子息であることが見て取れた。


 彼の視線の先には艶っぽい雰囲気の妙齢の女性がいる。豊かな胸が男性の劣情を刺激するようで、この男も彼女と色事に耽る様子を思い浮かべて鼻の下を伸ばしている。


(毎度のことながら、殿方たちの何ともまあ妄想逞しいこと! あなたの欲望、遠慮なくいただきますわ!)


 バルバラは今一度周囲を警戒してから彼の白昼夢の中に入り、頬が落ちそうになるくらい美味な精気を堪能した。


 その後三人ほど外見が好みな青年たちの白昼夢で精気をいただき、満腹になったところで再び廊下に出現し、素知らぬ顔で柱の陰から広間の方へ歩き出した。


 あと少しで広間の入口という所で、横から伸びてきた手に腕を掴まれたたらを踏む。振り向く暇もなく柱の陰に引き込まれた。

 小さく悲鳴を上げそうになったバルバラの口を肉厚の手が覆った。唇に何やらひんやりと金属の感触もする。


「お静かに願えますかな、ご令嬢」


 ねっとりとした声が鼓膜を揺さぶる。拘束はそれほど強くなかったため首を巡らせると、背後にふくよかな男が立っていた。身に纏っているダルマティカとミトラ(帽子)には見覚えがある。先ほど食前の祈りを捧げていた司教のクピドスだった。


 クピドスはバルバラが抵抗する様子がないことを見て取ると、ゆっくりと手を離した。


「……これは司教様。あたくしに何かご用でしょうか?」


 彼はバルバラを頭のてっぺんから足の先まで眺めまわすと、肉付きの良い顔に下卑た笑みを浮かべた。


「いやはや、実に可憐なご令嬢だ。本日はセラリアン卿に同伴されていたようですが、彼はあなたの婚約者でいらっしゃるのかな?」


「セラリアン卿は遠縁の方ですの」


 バルバラは予めヘンドリックと考えていた設定を述べる。


 笑みを深めたクピドスはむっちりとした手で顎を摩りながら「遠縁、ねえ」と呟いた。彼の丸太のような身体から古びた脂のような匂いと共に、濃厚な悪意の香りが漂ってきて、バルバラは思わず喉を鳴らした。


 それを緊張と勘違いしたのか、クピドスは身体を屈めてバルバラの耳元で囁いた。


「お前、以前夜更けに娼館の近くにいたであろう?」


 バルバラは一瞬眉を顰めた。クピドスをしげしげと見つめて、彼の指にはめられた指輪に既視感を覚える。


(あの夜の――!)


 高級娼館のそばを馬車で通りがかり、親友のカサンドラを連れて夜の闇に消えて行った男の姿が頭を過る。


(まあ、司教の身でありながら娼館通いなど。やはり堕落しきっていらっしゃるわ)


 バルバラは余裕しゃくしゃくと口の両端を吊り上げた。


「あらぁ、何のことかさっぱり分かりませんわ。人違いではございませんこと?」


「誤魔化そうとしても無駄だぞ。娼婦風情が騎士団長に取り入ってこのような場までしゃしゃり出てくるとは。他人にこのことを知られれば、セラリアン卿もただでは済まされまい」


 クピドスはレーズンのような小さな目を三日月形に歪めた。じっとりと汗ばんだ指でバルバラの小さな顎を掴むと上を向かせ、鼻と鼻が触れ合いそうな位置まで顔を近づけてくる。


「このことを黙っていてほしくば、私と一緒に休憩室まで来い。……意味は理解できておるだろう?」


 ――黙っていてほしければ身体を差し出せということだ。


 湿った温かい吐息が頬を撫でる。不快感に首の後ろが粟立った。


 長年人間が同士が劣情を向け合う様を観察し、精気を堪能してきたバルバラだが、その興味の矛先が自分に向けられることは不愉快極まりない。人間に言わせれば何とも身勝手なのだろうが、本来夢魔とは人の不幸を愉しむ「性悪な」生き物である。

 バルバラは人間の倫理観に近いものを持ち合わせているが故に、自分から他人を不幸にしようとは思わないが、所詮は人間を糧に生きる魔に属する者。


「ふふ。面白いことを仰いますこと」


 バルバラはそっとクピドスの肩を押し返した。


「このあたくしに、あなたごときの相手をせよと?」

「私ごときだと!?」

「シーッ」


 クピドスは顔を真っ赤にして憤った。バルバラは人差し指を立てると彼の唇に触れて黙らせる。


「ええ、『あなたごとき』ですわ。申し訳ございませんけれども、あたくし殿方の好みは煩いんですの。欲に塗れて堕落しきった方は美味しくいただくものであって、心と身体を捧げる対象ではございません」


 クピドスは苛立たし気にバルバラの手首を掴んだ。


「セラリアン卿がどうなっても構わないと言うのだな!?」

「構いませんわ」

「なっ!?」


 あっけらかんと宣ったバルバラに、クピドスは面食らったように一歩後退る。


「あたくしとセラリアン卿はお友達という訳でもございませんし、ここに連れてきていただくために協力関係を結んだに過ぎませんので」


「何とも自分本位で情のない娘だ! この毒婦が!」


「ご自分を棚に上げてらっしゃいますけれども、あなたの方がよほど自分本位じゃございませんか」


「何だと!?」


 バルバラはクピドスの手を払いのけた。


 この男は腐っても司教であり、人間社会においてはかなりの高位に位置している。バルバラの顔を覚えている以上、このまま放っておくと今後の狩りに支障が出る可能性が高い。


「彼とのお約束を破ることになりますけれども、致し方ありませんわね」


 バルバラは小さく肩を竦めると、飛び掛からん勢いでこちらを睨みつけているクピドスに向き直った。


「あなたの白昼夢、少々切り取らせていただきますわ」


 にっこりと微笑むと、バルバラはクピドスの白昼夢へ飛び込んだ。本人は意識を向けないとこの領域に入ることはできないが、夢魔であるバルバラは、本人の意識が現実に向けられている最中でも容易く侵入することができる。


 バルバラは廊下で自分と接触している最中のクピドスの白昼夢をバッサリと切り取った。こうされると、人間はよほどの精神力がない限り前後の記憶が酷くあいまいになったり、部分的に記憶を失ったりする。ヘンドリックは清廉潔白で頑固一徹な性格故に夢を切り取った後もバルバラと出会ったことを覚えていたが、クピドスの性質を考えるに、すんなりと記憶を失ってくれるだろう。


(こんなラードの塊の白昼夢はコレクションに入れたくありませんから、後で道端にでも捨てておきましょう)


 バルバラは現に戻ると、虚無を見上げながらポカンと呆けているクピドスを尻目に広間へと戻った。


 ヘンドリックは壁際でワインを片手にダンスに興じる人々を眺めていた。

 背が高く、日々の鍛錬により鍛えられた体躯は上質なプールポワン(上着)の上からでもはっきりと見て取ることができる。手入れのされたダークブロンドの髪は後頭部で結われ、しっかりとした顎のラインが男性特有の色香を滲ませている。こうして外見だけみれば非常に見目麗しくバルバラの好みであるというのに、精気が不味いのが非常に残念である。


「お待たせいたしました」

「遅かったな……いや、なんだその……おかえり」


 用を足しに行った女性に対して遅かったと言ってしまうところが馬鹿正直であるし、そんな己の失態に気付いて気まずそうにする辺りに彼の真面目な性格が表れていると思う。


 そんなヘンドリックの様子が妙に微笑ましく感じて、バルバラは知らず知らずのうちに頬を緩ませていた。


「この後は外で最後の余興をやるらしい」


 聖カタリナの祝宴は火の奇術師が作り出す松明の輪と、車輪の形をした爆竹を打ち鳴らして締めくくるのが習わしだ。


「まあ、それは是非観に行きませんと!」


 ヘンドリックはおずおずと手を差し出す。バルバラはくすりと笑ってそれに自らの手を重ねた。


(何だか、不器用で可愛らしいこと……)


 見た目だけは自分より年上で身体も大きな男性にそんなことを思うなんて、どうかしている。


 何やらくすぐったいような気持ちを胸に秘めつつ、二人は庭に出て奇術師たちが松明を振り廻す様を観賞したのだった。

誤字脱字は見つけ次第修正していきます。

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