11. 聖カタリナの祝宴【1】
聖カタリナの日の正午、ヘンドリックは王都デセバルの一角にあるバルバラの美術品保管用の邸に迎えに行った。規模としては小さいものの、建物も庭もきちんと手入れが行き届いている。門の前に馬車を停めて警備に当たっていた者に訪いを告げると、エントランスホールに招き入れられた。
「これは……」
室内の至る所に配置された美術品を見て、ヘンドリックは思わず感嘆の息を漏らした。とりわけ彼の目を引いたのが壁に掛けられたタペストリーだった。森の中で佇む一角獣と乙女を中心に、精緻な柄が織り込まれた背景が広がっている。
息を呑むほどの美しさに見入っていると、背後で鈴を転がすような笑い声がした。
ハッと意識を引き戻されて振り返ると、大層気合の入った衣装に身を包んだバルバラが立っていた。黄色のコタルディは朱色の糸で豪奢な刺繍が施され、広く開いた襟と裾は茶色い毛皮で縁取られている。今は茶色にした髪を結い上げて円錐型の帽子を被っていた。
腰に巻かれた幅広の帯には聖カタリナを象徴する車輪を模った飾りがつけられている。その帯が彼女の身体の細さを強調し、あどけない顔立ちと相まって庇護欲を掻き立てられた。
ヘンドリックが紳士の礼をすると、バルバラはふっくらした頬を緩めて優雅な礼を返す。
「ごきげんよう、セラリアン卿。そのタペストリーがお気に召しまして?」
「こんにちは、コンティーヌ嬢。ああ、とても美しいものだな」
「数年前に入手したフランス製のものですの」
バルバラは邸の中の美術品を簡単に紹介してくれたが、作成された年代も国もバラバラで、彼女が文化や宗教の枠に囚われず、自分の趣味に合う美術品を蒐集していることが見て取れた。
邸の中にはまだ案内されていない部屋にも多数の作品が展示されているそうだが、生憎と祝宴の時間が迫っていたため、ヘンドリックはバルバラを馬車に乗せると邸を後にした。
聖カタリナの日とは、エジプトのアレクサンドリア出身の女性カタリナの殉職が元になった祝日である。307年頃、カタリナはローマ皇帝の前で五十人の学者たちを論破してキリスト教を擁護したが、皇帝の怒りに触れて車裂きの刑に処されることになった。しかし刑の執行中に車輪が壊れてしまったため、結局は斬首刑に処されたとされている。
そのため、聖カタリナの祝宴では至る所に車輪を模した装飾や余興が催されるのだ。
薄暗い王城の広間、奇術師たちが両手に持った松明を廻して円を描く中、招待客が列になってゆっくりと進んで行く。客人たちが自分たちに割り振られた席に着くとファンファーレが鳴り響き、銀の脚飾りをつけた軽業師が登場して空中に跳び上がって回転して車輪を表現していく。
天井からは馬車の車輪を模した金属製のシャンデリアがいくつも吊るされている。シャンデリアには贅沢にもたくさんの蝋燭が使われていて、ここにも王家の権力と豊かさを垣間見ることができた。
広間にずらりと並べられたテーブルの上には白いテーブルクロスがかけられ、そこに次々と色鮮やかな宮廷料理が運び込まれてくると、たちまち広間中に様々な匂いが立ち込めた。中でもとりわけ香りが強いのがスパイスをふんだんに使って調理されたものだろうか。
料理が揃うとクピドス司教が主賓席の前に進み出てきて、神に食前の祈りを捧げた。
「これは何ですの? 何やら白いクリームとリンゴが浮いていますけれども」
ヘンドリックの左側に座っていたバルバラは目の前に置かれたゴブレットを興味津々といった様子で覗き込んだ。
「これはラムズ・ウールといって、スパイスを効かせたサイダーだ。主賓席に飾りをつけた大きな杯があるだろう? あれはカタリナの杯といって、同じものが入っているのだが、祝宴が終わる前にあの杯からひと口飲む決まりになっているので、忘れないようにな」
バルバラは「へえ」と目を瞬いた。次いで目の前にドンと置かれた大皿に視線を移す。
「それでは、これは?」
「それは去勢した雄鶏を甘く味付けしたものだ」
バルバラの前に置かれた硬く焼いた板状のパンの上に一切れそれを載せてやると、バルバラはしげしげと肉を見つめていたが、思い切ったように手で掴んで口に入れた。
ヘンドリックは落ち着かない気分でバルバラが肉を咀嚼し、フィンガーボウルで指を洗う様子を見つめていた。
――夢魔は夢の中で人間の精気を喰う生き物だが、果たして人間と同じように食事をしても身体に害はないのだろうか。
「まあ、お肉が甘いなんて、何とも不思議ですこと」
当のバルバラはけろりとしている。次に魚のパイ包みを試して「これも甘いですわ」と小首をかしげている。車輪を模ったカタリナ・ケーキを食べた時は鼻の頭に皺を寄せて黙り込んだので、思わずヒヤリとしたが、どうやら濃厚で強烈な甘さが口に合わなかっただけらしい。
祝宴の合間にも普段は列になって楽曲を奏でている楽団も、この日ばかりは半円形になって演奏している。
食事が終わるとテーブルが片付けられて、広間の中央の床の上に一本の太い蝋燭が固定され、客人たちは順番にそれを跳び越えていく。倒したり火を消したりせずに跳べた人には幸運が訪れるといわれている。ヘンドリックもバルバラも無事に跳び越すことができた。
キャンドルジャンプが終わるとダンスの時間になった。
「ああ! あたくし、これを楽しみにしておりましたのよ!!」
バルバラはヘンドリックを引きずるようにして広間の中央に連れて行き、輪舞に加わった。あまりダンスに思い入れのないヘンドリックだったが、渋々バルバラに手を差し伸べる。意気揚々と差し出された手のあまりの小ささと華奢さに心臓が跳ねた。
参加者の準備ができたところを見計らって、楽団がサルタレロを奏で始めた。陽気な音楽の乗って、男女一組になったペアたちが集まって広間を回りながら踊る輪舞だ。
二人は曲に合わせて手を打ち鳴らしたり、その場で交互に回転したり、交互に片足を跳ね上げたりして踊った。
バルバラは頬をバラ色に上気させ、とても生き生きと踊っていた。今は琥珀色にしている瞳が蝋燭の光を受けてキラキラ輝くのを見て、思わず息を呑む。鼓動が不自然に速まって、ヘンドリックは二人の周囲だけ時が止まったような錯覚に陥った。
――叶うなら、彼女とずっとこうして踊っていたい。
ふとそんなことを考えている自分に気付いた。
(なっ、私は何を……!)
これではまるで、バルバラを女性として好ましく思っているようではないか。
ヘンドリックは小さく頭を振って、踊りに集中した。
曲の途中で輪舞の参加者全員で中央に寄っていき、くるりと回転して元の位置に戻って行く。膝を曲げたり伸ばしたりしながら他のペアたちと会場を廻り、最後は曲調がとても速くなったところで、全員と手をつないで輪になって旋回し、ダンスは終了となった。
バルバラは乱れた息を整えながら、ヘンドリックを見上げて大輪の花が綻ぶような笑顔を見せた。
ヘンドリックは思わずドキンと高鳴った胸を押さえつけながら、頭の中で必死に己に言い聞かせた。
(ヘンドリックよ! 先日から一体どうしたのだ! 相手は夢魔だ。いいか、夢魔なのだ! 人間ではない)
バルバラはそんな彼の葛藤にも全く気付く様子はない。ふうと満足げに嘆息した。
「ああ、楽しかった! ちょっと休憩いたしませんこと? お花を摘みに行きたいのですけれども」
「ああ、それなら、あの壁際に控えている者に案内を頼むといい」
精気を喰って生きる夢魔でも排泄するのだろうかと不思議に思ったが、ご令嬢にこんな場所でそれを問うのは躊躇われて、ヘンドリックは素直に頷いた。
「すぐに戻って参りますわ!」
バルバラは軽く手を振ると、踵を返して歩いて行った。
聖カタリナの日に関する出典:「ヨーロッパの祝祭典 中世の宴とグルメたち」マドレーヌ・P・コズマン著 原書房
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