10. 招待状
バルバラの領域を訪れてからしばらく経ったある日、ヘンドリックは王城で開催される聖カタリナの日を祝う宴への招待状を受け取った。
騎士団長としての仕事を終えて自室に戻り、見苦しくない程度の楽な服装に着替えてから寝台に腰かける。事前に言われていた通り、目を閉じてバルバラに招待状を手渡す自分を頭に思い浮かべた。
「これはセラリアン卿。ごきげんよう」
無骨な男所帯に似つかわしくない柔らかな声が耳朶を打った。
反射的に目を開くとの目の前にバルバラが立っていた。細身のコットの上に脇が大きく開いたシュールコートゥベールという上着を着ている。緩やかな曲線を描く紫色の髪は背中に垂らされている。
彼女は恭しく腰を落として淑女の礼をし、にっこりと微笑んだ。
「舞踏会へ招待されたのですね!」
「一体、何処から入った!?」
ヘンドリックは思わずベッドから立ち上がって室内を見渡した。窓もきっちり閉められているし、戸にもしっかり閂がかけてある。
「あたくしは夢魔ですもの。人々の夢や白昼夢を伝って移動し、現に出てくることなど造作もありませんわ」
バルバラは肩を竦めて事も無げに言う。詳しく教えてくれる気はないようなので詳細な原理は不明だが、彼女の領域からヘンドリックの白昼夢を伝ってやって来たということだろう。要するに、彼女たちは好きな時に好きな所へ侵入できるということではないか。覗き見、窃盗、殺人など犯罪を犯そうと思えばいくらでもできるはずだ。
――無邪気な娘のように振舞っているが、その気になれば寝首を掻かれる可能性も十分にあるわけで。
今更ながら、自分がとんでもなく恐ろしい存在と対峙していることに思い至る。ヘンドリックは自らの行いを省みて戦慄した。
バルバラは人間相手にも比較的礼を尽くそうとするが、矜持が高い故に、自分の存在を軽んじられたり、無礼な扱いを受けると激怒する。にも拘らず、ヘンドリックは以前彼女を「お前」呼ばわりした挙句に剣を突きつけた。自分の首と胴体が繋がっているのは偏に彼女の気まぐれによるもので、相手が別の夢魔であったなら既に殺されていた可能性が高い。
(反撃手段がない以上、気を引き締めなくてはならんな)
ヘンドリックは動揺を悟られまいと、無表情を装って紳士の礼をした。
「こんばんは、コンティーヌ嬢。ようこそおいでくださいました。しかし、ここは女性の立ち入りは禁止されているので、できれば夢の中に招いていただきたかった」
「相変わらず堅苦しくていらっしゃるのねえ。あなたの目を盗んで下女に手を出して愉しんでいらっしゃる方もいらっしゃるのですけれど」
「何だと? どこのどいつだ、けしからん!」
ヘンドリックの反応に、バルバラは余計なことを言ったといわんばかりに目線を泳がせ、小さく舌を出した。
「まあまあ、今はよろしいじゃございませんか。それより、舞踏会にはあたくしを連れて行っていただけるんでしょう? いつ開催されますの?」
「舞踏会というか、聖カタリナの日を祝う宴なのだが、余興の中にダンスもある」
ヘンドリックは持っていた招待状をバルバラに渡した。彼女はそれを矯めつ眇めつ眺めると口の両端を吊り上げた。ぶっくりとした柔らかそうな唇に、思わずドキリとしてしまう。
(ヘンドリックよ、お前は何を動揺しているのだ! 相手はどうみても十歳は年下の娘だぞ! おまけに人間ではなく夢魔だ! その恐ろしさは先ほど理解しただろう、しっかりしろ!!)
平静を装いつつ自分を戒める。
そんなヘンドリックの心境を微塵も察知しない様子で、バルバラは嬉しそうに両手を合わせる。
「ああ、楽しみですわ!」
「当日は何処に迎えに行けばいいのだろうか?」
「それでしたら、あたくしが蒐集した美術品を保管している邸が現にございますので、そちらへお願いしますわ」
蒐集と聞いて、ヘンドリックは思わず眉を顰めた。
「まさか、美青年の持ち物などを盗んで集めているのではなかろうな?」
「失礼な! あたくしは何も、見目麗しい殿方だけを愛でているわけではございません!」
バルバラは形のいい眉を吊り上げた。何でも、彼女は人間が作り出す絵画や装飾品、彫刻といった美術品に目がないそうで、以前からかなりの数を集めているそうだ。
「言っておきますけれど、きちんと対価を支払って購入していますからね!」
「そうだったのか……。それは、すまん。てっきり、夢魔は人間の倫理観を持ち合わせていないものかと思っていた」
「仰る通り、生粋の夢魔に人間の倫理観を期待しても無駄でございますけれども、あたくしは人間だった父親の影響が色濃くでておりますので、感覚も人間に近いと自負しておりますのよ」
「あなたの父親は人間だったのか!?」
バルバラは以前、夢魔は夢の中で人間を孕ませることがないと言っていたが、反対に人間の男が夢魔を孕ませるのは可能なのだろうか。
そう問おうとして、ヘンドリックは躊躇した。いくら夢魔とはいえ、若い令嬢に男女の色事について訊くのは憚られる。
そんな彼の心内を察したのか、バルバラは自ら進んで教えてくれた。
「以前も申しましたけれど、夢魔は夢の中で孕んだり、相手を孕ませたりすることはできません。夢の中で得ることができるのは快楽だけです」
バルバラはヘンドリックに付け入る隙を許さないとばかりに、淫夢は夢魔が一方的に見せているわけではなく、人間の抑圧された欲求が夢に反映される場合の方が多いのだと付け加えた。何でも夢魔のせいにするなと言いたいらしい。
「実際に人間との間に子供を作る場合は現に降りてきて、実体同士で行為に及ぶ必要があります。もっとも、夢魔は夢魔の女性からしか生まれませんので、人間の女性が夢魔の男性の子を産んでも、その子に夢魔の特性は一切出ませんけれど」
「なるほど。では、あなたの父親は人間だったが、母親が夢魔だったので、あなたも夢魔として生まれたということだな」
「その通りでございます。あたくしの父は神聖ローマ帝国の貴族だったのですけれども、随分と前に亡くなりましたわ」
「そうだったのか。……ご母堂も亡くなられているのか?」
「いいえ。母は夢魔ですから長命ですし、自由気ままなのです。今は、ついこの間オスマン帝国に陥落されたコンスタンティノープルで楽しく暮らしていますわ」
夢魔は人間の欲や負の感情を好むというから、戦後間もない混沌とした社会には彼女にとって格好の獲物が溢れかえっているのだろう。何とも不謹慎だと思う反面、それが夢魔という生き物なのだから仕方がないと納得してしまっている自分がいる。
「それは……。あなたの母上がお元気そうで何よりだ」
「ありがとうございます。さて、あなたも連日の業務や訓練でお疲れでございましょうし、あたくしはそろそろ失礼いたしますわ。祝宴当日に迎えに来ていただく場所は、後ほど夢の中でお知らせいたします」
「承知した。それでは、コンティーヌ嬢。良い夜をお過ごしください」
「あなたにも素敵な夢の訪れをお祈り申し上げますわ、セラリアン卿」
深々と礼をすると、バルバラの姿は煙が風にまかれるようにして掻き消えた。
ひんやりした室内に彼女の甘い花のような匂いが残され、ヘンドリックは何とも落ち着かない気分で夜を過ごした。
その翌日以降、騎士団宿舎で風紀の乱れが厳しく取り締まられるようになったという。
資料が届くまで時間がかかってしまい、更新が遅れてしまいました。汗
次回はやっとバルバラが宴に参加します。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




