エル先輩の提案
新学期、って言い方が正しいのかわからないけど、夏休みが明けてから数日が経ったある日の休日。
先輩方も用事、クルーブも仕事、ヒューズをはじめ殿下親衛隊もみんな何かしら用事がある、ってことで、たまにはゆっくり本でも読むかと学校の図書室へ行くことにした。
ぽつりぽつりとしか人がいない図書室は、結構な穴場で、本を読むにはもってこいだ。
勉強するためにいい場所なのだが、なにぶん窓を閉め切っていることも多く、少々埃臭いところもある。その上生徒の大半は元からちゃんと勉強する習慣があるので、みんなで集まってわいわい、なんてのもあまりいない。
『もっと青春したら?』、ともちょっと思う。
もともと読書がめちゃくちゃ好きってわけでもなかったのだけれど、この世界に来てから知識を得るためにとにかく読み漁っているうちに、なんとなく本を開いていると落ち着くようになってしまった。
しばらくのんびりとした休息日を過ごしていると、視界の端に動く人影が映った。
人が少ないというだけでいないわけではないので、本を取りに行く人が動くようなことは当然ある。
しかしその人物は、わざわざ俺の正面にやってきてイスを引いて腰を下ろした。
ここにいりゃあ何となく現れるんじゃないかと思っていたら、案の定だ。
「久しぶりですね、エル先輩」
「久しぶりだね。元気そうだ」
「本、戻してきます」
「もう読書の時間は終わり?」
「話があるんじゃないんですか?」
「んーん、本を読みに来ただけだね。でも君が飽きたというのなら外へ出てもいいね」
相変わらず胡散臭い顔をしてんなぁ。
あくまで俺との会話は、狙ってやったと思われたくないのかもしれない。
俺は「そうでしたか」とだけ返事をすると本を両手で抱えて元の場所へ戻していく。
五冊ほど手元に置いていたので、全て戻すために席へ戻ると、糸目先輩もすでに本を棚へ戻しているところだった。
チラリと見えたタイトルは『パルス大予言』。
うっさんくさ。
神に仕えている糸目先輩にこんなこと言うのはなんだが、この先輩、神様とか予言とか信じていなさそうな雰囲気あるんだよな。
光臨教が出してる本には見えないし、隠すつもりなのだとしたら、せめてもうちょっとましなチョイスをした方がいい。
図書室を出て人の少ない外を散歩して歩く。
夏ももう終わるけれど、太陽の光はまだ少し厳しい。
「それで、先輩のご用件は何ですか」
「だから本を読みに行ったら君がいただけだよ」
「『パルス大予言』をですか?」
「よく見てるね」
そりゃあ疑ってるんだからそれくらい見るだろ。
糸目先輩は頬をかいてとぼけた顔をしながら、風に揺れる緑色の木の葉を眺めながら続ける。
「勇者候補の子たちと仲良くしてるみたいだね」
あー、まぁ、隠れてはいるけど見かける奴はいるよな。
学園には光臨教の関係者がどれだけ潜んでいるかわからない。
いや、本人たちとしては潜むつもりもなく、普通に通ってるだけだからこそ誰が熱心な信者かなんてわかったもんじゃない。
枢機卿の息子に何かを聞かれりゃぽろっと漏らすくらいするだろう。
「良い訓練相手になるので」
「どうせならルーサー君も勇者候補になって三人仲良く切磋琢磨してる、ってことにしない?」
「一度お断りしませんでしたか?」
しつこいなぁ、この人。
俺には俺の立場ってものがあるんだよ。
ウォーレン王が光臨教をバックにつけてる以上、光臨教と深くかかわると国内でのセラーズ家の立場が悪くなる可能性がある。
父上が信頼を取り戻すべく地道に努力しているのに、俺が足を引っ張るわけにいかないだろうが。
「あまり悪い方にばかり考えることはないと思うんだけどね」
「どういうことです」
こいつどこまでこっちの事情を理解して話してるんだ。
マジで得体が知れないんだよな。
「ウォーレン王国は独立をしたけど、今はプロネウス王国と敵対していない。ウォーレン王国の王女を聖女、プロネウス王国の四大伯爵家の嫡男が勇者とし、聖教国の仲裁で末永く同盟国としてやっていく。君たちは昔、ウォーレン王国の嫡男であるサフサール殿下と仲が良かったそうだね。君たちの代になる頃には、より良い関係が築けるとは思えない?」
「……エル先輩、何言ってるか分かってます?」
話があまりに大きすぎる。
っていうか貴族でもないのに国のことに口出すのってやばいだろ。
いや、むしろ貴族がこんなこと言ってたらもっとやばいか。
本当にどこまでの事情を知ってて、どこから知らないのかわからなくなってきた。
ただ、俺を説得するために理想論を語っているというより、明確に何かが見えているような語り口だ。
それが現実的に起こりうる未来なのか、夢物語なのか、はたまた悪魔のささやきなのかが俺には理解できない。
頭がいい奴って言うのはこれだから嫌なんだ。
「うん、何の権力も持たない一学生の戯言を話しているだけだよ」
「でも先輩には勇者候補を選ぶ権利がある」
「それしかない」
「目的が分かりません」
「この辺りの地域の平和さ」
「胡散臭いですね」
「調子が出てきたね。怒りっぽいところがあるというのは本当かな?」
「手が出るのが早いから気をつけろ、とかアウダス先輩に忠告されてませんか?」
「余計なことを言って困らせるな、とは」
「ではその忠告を守ることをお勧めします、では」
回れ右して帰ろうとすると、その場にとどまったエル先輩から背中に声をかけられる。
「よく考えたほうがいい。これから起こりうることの可能性を」
「御忠告ありがとうございます、さようなら」
「いつでも相談を待ってるよ」
無視だ無視。
ったく、訳知り顔でめんどくさい先輩だよ。