つんつんお嬢様
魔法の理論とはいっても、イレインに渡した本は魔力の動かし方や系統が説明されてるくらいの初歩的なものだ。
赤子の頃に本を読まずに魔法を知った俺は、気合で魔力を操作し始めたから、後々この本を見たときも。へーそうなんだ、くらいにしか思わなかった。臍の下あたりで魔力を練って、みたいなことが書いてある。
お互いに何を話すこともなく文字を追いかけていると、一緒にいるという感覚もだんだんとなくなってくる。
きりのいいところまで読み進めてふと顔を上げると、イレインが両手で腹を抑えて難しい顔をしていた。床に広げられた本は、魔力を練るためのページが開かれている。
あー、やっぱ魔法って見たら使いたくなるよなぁ。
俺も最初に魔力っぽいものを放出できた時感動したもん。
つんつんと肩をつつかれてそちらを見ると、ミーシャが腰をかがめて顔を寄せてきている。
「なに?」
「イレインお嬢様、魔力を練っていらっしゃいませんか?」
「うん。魔法って知ったらやっぱり使って見たくなるよな」
「万が一うまくいってしまい、魔力枯渇されてはまずいのではないかと……」
……やべ。
それで気絶でもして後遺症が残ろうものなら、大問題になるぞ。
ありがとうミーシャ、流石ミーシャ。
「イレイン嬢、魔法が気になりますか?」
とりあえず集中力乱してやれ。
魔力を感じて動かすのって、最初のうちしばらくはめっちゃ集中力使うから、会話しながらできるようなことではない。
邪魔されたせいで若干むすっとした表情になったイレイン嬢は、開いていたページを閉じて俺の方を向いた。感情を爆発させて怒り出さないあたりかなり偉い。
俺小さいときに母親にゲーム邪魔されて怒鳴った記憶あるからね。
コンセント抜かれてぶっ叩かれたけど。
今思えばあれは、ご飯に呼ばれたのに生返事を繰り返してた俺が悪い。
「……ルーサー様は魔法を使えますか?」
「はい、先生に習っています」
初めて名前呼ばれたな。
野生の動物が警戒しながら近寄ってきてくれたみたいでちょっと嬉しい。
「私も魔法を使ってみたいので、魔力の練り方を教えてください」
「……すみません。魔力は使いすぎると枯渇して意識を失うことがあります。何かあってはウォーレン伯爵閣下に顔向けできません」
せっかく頼ってくれたところ悪いけど、これは断るしかないや。
俺と同じように魔力枯渇して、親に迷惑をかけるような状況にはなってほしくない。
というか、魔法の存在を教えるのまずかったんじゃないだろうか。
貴族だし、当たり前に使われているものだから、イレインだって知っていると思ってたんだけど……。
この様子だと魔法の存在自体よく知らなかった可能性がある。
これ、戻ったらウォーレン伯爵に伝えておいた方が良さそうだな……。
イレインは難しい顔をして本の表紙をじっと見てから、その表情のままもう一度俺の方を見てため息をついた。
「……無理を言ってごめんなさい。ならいいです」
「いえ、こちらこそ」
気まずいって。
というか、理性的すぎるだろこの子。
自分の要望が通らないのに文句言うどころか、こっちの事情を察して謝ってきたぞ。
仲良くなれるかは別として、マジで頭いいな。
……これ、もしかして俺と同じ転生者だったりしないか?
しかも、妙に俺と距離をおこうとする感じ、まさかこの世界をあらかじめ知ってる系の転生者って可能性もあるんじゃないか?
どうすっかなー……。
俺、すでに原作と違う動きしてたりしそうだけど……。もし俺が元からその作品に出てくるキャラクターだったとしたら、想像している通り悪役である可能性が高い。
魔法が使えるかって質問は、まさか探りを入れられていたのか?
今はまた本に目を落としておとなしく文字を追いかけているけれど、これ、すでに何かしくじってるんじゃないのか。
「……なんですか」
俺のページをめくる手が止まって自分の方を見ているの気づいたのか、イレインがいぶかしげな表情を浮かべている。
「いえ、なんでも。気に入った本があって良かったなと」
笑顔笑顔、何にも気づいていないふり。
目つきを余計険しくするのやめてくれない? 普通に傷つくけど。
まあいいや。どうせわからないのなら、俺は貴族の嫡男らしく振舞うことしかできないんだ。
もしイレインがこの世界の未来を知っているのだとしたら、いつか変な行動をしている俺に向けてアクションを起こしてくる可能性もあるだろう。
でも、警戒だけはしておかないとな。
もし俺が悪役ムーブしないことで彼女に不利益がある場合、陥れるべく動き始める可能性だってある。
女性って怖いんだぜ。
俺たくさんお腹刺されて死んだから知ってるんだ。
お陰様でメイクばっちり系の女性にちょっと恐怖心あるからね。
イレインのお母さまは美人でばっちりお化粧してるから、正直ちょっと怖い。
あーあ、俺もともとそういう人タイプだったのになぁ……。
それはともかくとして、イレインにこれ以上俺の情報を与えるのは良くないかもしれないな。魔力を練り始めないようにだけ気を付けながら、俺も読書に集中することにしよう。
西日が斜めに差し込んでくるまで、俺たちの間には会話らしい会話はなかった。
イレインが他の本を探しに行くことの許可を求め、俺が笑顔で承認したくらいか。
ミーシャが途中で心配になったのか肩を何度か突っついてきたけれど、俺は小声で「大丈夫だから」と答えるだけにとどめておいた。何が大丈夫かは俺も知らない。
屋敷で働くメイドが食堂に集まるように伝言を届けてくれたことで、俺はようやくこの息の詰まるような空間から離脱することができることになった。
書庫を出るときも笑顔で手を差し出したつもりだが、イレイン嬢はちらりとそれを見て「大丈夫です」と言って歩き出す。
何が大丈夫かはやっぱり俺にはわからなかった。
わかるのは俺の笑顔が若干ひきつったことくらいだろうか。
あのなぁ、男の子って結構繊細なんだからな。
俺が本当に5歳児だったら、これトラウマになってるからな。