母親
「気を付けて、怪我のないように。イレインちゃんもしっかり守ってあげるんですよ」
「はい、十分気をつけます」
母上の下へつくと、二人は楽しそうにおしゃべりをしていた。
その上あっさりと送り出されることになってびっくりだ。
まぁ、しばらく学校でしっかり暮らして来たし、俺は他の街で探索者をしていた経験だってある。母上の俺に対する信頼度が上がったってことなのかもしれないよな。
決して会わない間に母上の愛情が下がったとかそういうことではないはずだ。
そうだよね、母上?
門から出て再び街へ向かう。
護衛のノクトゥラさんは俺たちのすぐ後ろに、足音もなくぴたりとついてきている。達人だよなぁ、この動き。
格好がびしっと決まりすぎているせいで、どうしても目立つけど。
緩めのお金持ちのお嬢様、みたいな恰好をしているゾーイ様とセットだとなお目立つ。
少し屋敷から距離を取ったところで、ゾーイ様が「しかし……」と話し始めた。
「君のお母様は随分としっかりしていらっしゃるね。私は身分を告げた上で、あんなにはっきりと人にお断りをされたのは久々だよ?」
「あの、何かありましたか?」
「いやね、君たちを調査に連れていくと言ったら、ニコニコ笑ったまま『お断りいたします』と言われたのだよ」
「……母が失礼しました」
「いや、息子たちの心配をするのは当たり前のことさ」
だったらそこで連れていくのを諦めたらよいのでは?
どうして俺は今、ゾーイ様と一緒に街へと向かっているんだろうか。
あと母上はやっぱり俺の母上だった。伊達に俺のために長年父上と冷戦を繰り広げたりしていない。
あ、思い出したらなんか心臓がきゅっとなってきた。
父上、母上、今後とも仲良く暮らしてください。
「どうやって説得したんです?」
「うん、まずこのノクトゥラの優秀さを伝えてみた」
なるほど、優秀な護衛がいるから大丈夫って話か。
「すると、『それだけ強い護衛がいるのであれば、うちの子は連れていく必要がありませんね』と言われた。なかなか手ごわい」
まぁ、実際そうだ。
そのくらいのことでごまかされる母上ではない。
母上は俺たち家の子供には優しいし、ほんわかした妖精みたいな雰囲気を持っているけれど、あれでなかなか頑固なのだ。
「次に身分のあるものを助けるために必要だと伝えたところ、しかるべき機関に連絡をして協力を仰ぐよう言われた。まったく、そのしかるべき機関が相手にしてくれないから困っているというのにね」
やれやれではない。
『王立研究所』の人たちが常日頃から変なことばかりしているのが悪い。
「では、どうやって納得させたんです?」
「どうやったと思う?」
知らねぇよ。
クイズ形式にするなら、イレインにパスしよう。
横目でアイコンタクトをすると、ため息とともに回答権が移動する。
「……『王立研究所』からの、正式な依頼であると権力を使ったのでは」
「私がそんな横暴な真似すると思うかな?」
「……ありえなくはないかと」
「どうやらしばらく会わないうちに、認識に齟齬が生まれたのかな。今度じっくり話し合う必要がありそうだね」
嫌みを言ったせいで藪に潜んでいた蛇をつついたようだ。
しかしイレインもただ意味もなく嫌味を言うタイプではないから、ゾーイ様というのはそういうことも平気でこなす人なのだろう。
これまで話してきた限り交渉事が得意そうだし、さもありなんって感じだ。
「ではなんと説得したんでしょうか?」
「うん。イレインが『王立研究所』で仲良くしていた人が困っている。それを聞いたイレインが、どうしても自分で助けに行きたいと言うから、万全を期して連れていくことにしたと」
うわ、この人かなり悪いぞ。
「ゾーイ様」
「なにかな?」
「後でアイリス様の誤解を解いてください。必ずです」
ほら、イレインだって怒ってるじゃん。
こいつこれでも結構義理堅いところがあって、うちの家族に対して迷惑をかけるのとかめっちゃ気にするんだ。俺以外にはだけど。
ゾーイ様は足を止めて何度か瞬きをすると「なるほど」と呟やき、また歩き出した。
「うん、ルーサー君。私はもしかして結構不味いことをしたかな? イレインがこんなに感情をむき出しにしたところを見るのは、実は初めてなのだけれど」
「ええ、そうですね」
あー、イレインって多分、『王立研究所』でも家のこととかあまり話さなかったんだな。うちに居候しているってことは知っていたのだろうけれど、関係値まではわからなかったんだろう。
それに、俺も含めて普段から仮面をかぶって生活している奴って、どこが逆鱗なのか分かりにくいもんなぁ。
しかしまぁ、これに関しては俺もイレインも共通だ。
俺たちは多分、家族に関して余計なことをされることが結構許せない。
「そうか。イレイン、悪かったよ。君がそんなに嫌がるとは思わなかったんだ、反省している。二度としないし、彼女には後できちんと説明をするよ」
「お願いします」
「でもさ、彼女は喜んでいたよ。イレインにもそんな風に思える友人がいるんだということに。本当に誤解を解いていいのかな?」
「………………やっぱり、説明しなくていいです」
あ、うん、そうだね。
説明をすれば母上は納得するかもしれないけれど、同時に多少なりともがっかりすることだろう。
イレインは俺と同じく、母上が『そう、でも無事でよかったわ』なんて言って、少しだけ悲しそうにするのを想像してしまったに違いない。
「いや、しかしな、確かに噓は良くない」
「いえ、説明しないでください、お願いします」
悩むゾーイ様に向けてイレインはもう一度念押しをして、大きなため息をついた。





