『王立研究所』の所長
二人並んで屋敷へ引っ込み、真面目に今日の分の勉強ノルマをこなしながら、イレインに文句を一つ。
「お前、俺のこと巻き込んだだろ」
先ほどの『王立研究所』の件だ。
場合によっては迎えを出してくれそうだったのに、わざわざ俺を巻き込んできたの忘れてないぞ。
「お前こそ、私に助け舟一つ出さなかっただろ」
うん、ちょっと面白かったから。
というのは冗談としても、言い訳はある。
だって俺はイレインと『王立研究所』の関係に詳しくないのだ。
割り込むのに躊躇するのは当たり前だろ。
昔イレインから聞いてたはなしだと、確かに『疲れた』とか、『無茶苦茶だ』とか文句を言っていたけど、何か楽しそうではあったからなぁ。
それに、王国にイレインの後ろ盾が一つ増えると思えば悪い関係ではない。
面倒くさいを差し置いても、学園の近くに逃げ込める場所があるって大事だろ。
「その話は置いとくとして、母上がアングラな調査に許可を出してくれるかは心配だな」
俺から先に仕掛けた戦いだったらしいので、いつまでも引きずるのはやめよう。
もしかしたら俺にとっても『王立研究所』とのつながりは役に立つ日が来るかもしれないし。
「ゾーイ様が上手いこと説得するんじゃないのか」
「かなり変な人っぽかったしどうだかな」
「……お前もさっき説得されてただろ。変な人だけどあの『王立研究所』の所長だぞ」
「あ、所長なんだ」
王様の妹となればそれもそうか。
「あの人が所長をしているのは、陛下の妹だからじゃないからな。あの人とディベートして勝てる人が『王立研究所』にいなかったからだ」
心を読むのやめろ。
頭いい奴はこれだから困る。
「『変人窟』の所長ってそんな風に決まるの?」
「そうだ」
「お前も負けたの?」
「棄権した」
「なんだよ、勝って牛耳ってやればよかったじゃん」
手を動かしながら適当に返事をしていたら、イレインが黙り込む。
ちらっと横目で見ると、無言で睨んできていた。
「お前考えて物言えよ。万が一勝ったら、あの『変人窟』をまとめ上げなきゃいけなくなるんだぞ。絶対嫌だ」
「……イレインって賢いよな」
「馬鹿にしてる?」
「いや、まじで」
俺だったら面白がってちょっとチャレンジしちゃうかもしれない。
ここで俺はぴたりと雑談を止めて、テーブルをコツコツと叩いてイレインにも合図を送った。
離れた場所から小さな足音が聞こえてきたことに気づいてのことだ。
一応家族のことは気にして喋ってるんだよな。
エヴァにはもうばれているからともかく、ルークがこの喋り方のイレインを見たら、びっくりして寝込んでしまいそうだし。
部屋の外からひょっこりとルークが顔を覗かせた。
俺たちが真面目にテーブルに向かっているのを見て、しばし悩んだようだが、結局とてとてとメイドさんを後ろに連れて寄ってくる。
あまり音を立てないようにそーっと来ているのは、俺たちを気づかってのことだろう。かわいらしいので気付いてないふりをしてやる。
「おっと」
すぐ近くまでやってきたとき、ルークは何もないところに躓いた。
ちゃんと見ておいてよかった。ぎりぎりのところで腕を差し込み掬い上げることができた。お、ちょっと体重が増えてきたな。
「ありがとうございます……っ! ルーサー様」
「いいえ、僕の弟ですからね」
メイドさんも怒られずに済んで良かったねぇ。
ま、子供なんて走り回って転ぶものだから、ちょっと転んだ程度で怒ることもないと思うけどね。
一応形式上『ちゃんと見てなさい』くらいは言われるはずだ。
間に合わなくておでこでも怪我したら、俺が治癒魔法で治してやればいい話だけどさ。
そのまま抱き上げて膝の上に乗せてやると、ルークは「ほー……」と何が何やらわからなそうな声を出していた。
転ぶ前になく準備をしていたルークの目じりには涙が浮かんでいたようで、ぱちぱちと瞬きをするうちにポロリと一粒だけしずくがこぼれる。
「ルーク、足元には気をつけましょうね」
「あい!」
「よし、いい子です」
褒めてやるとルークががしっと俺の胸ぐらをつかむ。
おお、なんだなんだ。
「にーちゃ、すごいねぇ!」
「そうですか?」
「うん!!」
「るーくも、にーちゃになる!」
「そうですね、きっとなれますよ」
興奮してバタバタしているルークの脇に手を差し込んで、ゆっくりと床に下ろしてやる。
宙に浮いて楽しいのか、それだけでキャッキャと笑うルークはやっぱりかわいい。
こうして突然の襲来があるので、部屋にはマットが敷かれてクッションがいくつか用意してある。メイドさんに手を引かれて素直に移動したルークは、お尻をマットにうずめてプラプラと足を動かしながら勉強する俺たちを観察していた。
一緒にやってこないということは、多分エヴァも今はお勉強中なのだろう。
構ってもらえず屋敷の中をうろうろしていたに違いない。
一時間ほどかけて随分と先まで進んだ予習をすませる。
分からない部分はイレインに尋ねれば大体正答が返ってくるので、先生なんかは特に必要がない。
俺があちこちに行ったり、外で訓練している間、イレインは暇つぶしに勉強ばかりしているんだそうだ。
あまりおしゃべりをたくさんしてぼろを出すのも困る、って理由らしいけど、なんというか灰色の青春だなぁって感じがする。ま、もてても嬉しくないんだろうけど。
寮に入ってからはマリヴェルに勉強を教えることもあって、多少は充実しているようだけど。
俺たちはアイコンタクトをとってから勉強を切り上げる。
ゾーイ様のところそろそろ行かないとなぁって感じの諦めアイコンタクトだ。
俺たちが立ち上がると、ルークも待ってましたとばかりに立ち上がる。
かわいい。
「母上のところへ行きましょうか。お客様がいるのでしーっ、ですよ」
「うん!」
一緒に何かができることだけで十分楽しいらしい。
あー、やっぱり学校始まってからも適度に帰ってこよう。
夏休み明けからは必ずそうしよう。
手を繋いだだけで嬉しそうなルークを見ながら、俺たちはなるべくのんびりとゾーイ様の元へ向かうのだった。