世間知らずの研究員
駆けだした女性は、路地裏に入って少しするといきなり「もうだめ!」と言って、放り投げられていた木箱の上に座り込んだ。汗こそかいていないものの、肩で息をしている。
あまりに体力がなさすぎる。
足を痛めたようで、体をたたんでふくらはぎをしきりにさすっていた。
追ってくる人がいないからいいけど、しつこい相手だったら絶対に追いつかれてる。まぁ、大丈夫だと踏んで逃げだしたのかもしれないけど。
大人しくイレインが連れていかれていたから、黙ってついてきたけど結局この人誰なんだ?
息が整うのを待っていると、やがて彼女は顔をあげる。
「ひ、さしぶり、、イレイン。元気してた、かな」
髪をかき上げて格好つけて言ってきたけど、未だに息が乱れているので台無しだ。普段から運動しないんだろうなぁ、この人。
「お久しぶりです、ゾーイ様」
「王都に戻って来たのに顔も出さないのだから。別れも突然だったし、ずっと心配していたのだよ? ここで会えたのは幸運だった」
「国を違えたものの娘です。私から訪ねるわけにもいかないでしょう」
ああ、やっぱり知り合いなんだな。
王都から離れる前の知り合いってことは、学校関係者ではない。
それでいてイレインが様をつけて呼ぶようなこの国の重要人物といえば、心当たりは一つだけ。
〈王立研究所〉、別名〈変人窟〉の住人だ。
ああ、思い出した。
この女性、昔イレインを〈王立研究所〉に誘った女性だ。さっきやっていたボードゲームの生みの親であり、なんと現王陛下の腹違いの妹にあたる人だ。
そりゃあイレインも改まるわ。
っていうか、そんな人がこんなところをふらふら出歩かないでほしい。
……あまり人のこと言えないけど。
「皆さんはお元気ですか?」
「元気に変なことをしている」
「それで、ゾーイ様はこのようなところで何を」
「うん、調査をね」
ずり落ちたメガネを元の位置に戻しながらの得意げな表情は、なんだか妙に子供っぽい。さてはこの人、黙っていればタイプだな。
「何のですか……」
イレインの問いかけも恐る恐るといった感じだ。
この人が突拍子もないことをするのはいつものことなのだろう。
「いやぁ、最近研究者の一人の行方が知れなくてねぇ。確率についての研究などを主にしている者なんだけれど。そいつがもう二週間ほど顔を見せていないのだよ」
「……大事では? ゾーイ様が調査をしている場合ではないと思うのですが」
「いやぁ、あの人は侯爵家から疎まれて追い出された変人だからなぁ。死んでくれた方が助かるくらいに思われていそうだ。〈王立研究所〉って金はたくさんあるのだけれど、政治的にはあまり守られていないのだよ。普段からほっつき歩いている者も多いせいで、あまりまともに相手にしてもらえないというのもあるかな」
「そうですか……」
うーん、確かにあそこの人たちって変人で有名だからなぁ。
イレインが納得しているところを見ると、数日くらい姿を見せないなんて当たり前のことなのだろう。
何人そんな研究者がいるか知らないが、いちいち調査をしていては国の兵士たちだって仕事にならない。
「一応調査のお願いはしたのだよ。あと十日は様子を見ましょうと言われたがね。確かにあの人はひと月ふた月姿をくらますこともあるから、そう言われるのも無理はないのだよ。……ただ今回は翌日の約束をすっぽかしているのが気がかりでね」
「……もうずいぶんと探しているのでしょうか?」
「いや、調査自体は昨日から開始した。そういえば帰ってきてないなと思ったら気になったものでね」
「あ、そうですか」
ああ、そういう感じかぁ。
仲間内でもそんな感じじゃ、兵士があと十日様子を見ようというのも無理ないわ。
俺が兵士だったとしても言うもん。
「うん。ところでイレインは外で何を? そちらはもしかして噂に聞くセラーズ家嫡男のルーサー君だろうか? 君も天才と言われていたね。興味は前々からあったのだよ。イレインが君はそういうタイプじゃないというから押しかけるのは控えていたのだが、これも何かの縁だ。今から〈王立研究所〉へ一緒に行ってみないかい?」
うわ、めちゃくちゃ距離を詰めてきた。
この人可愛らしい顔をしているけれど、〈変人窟〉にふさわしい雰囲気を纏っているから何もときめかないんだよなぁ。
しかも現王様の妹君だから、失礼があっても良くない。
め、めんどくせぇ……。
「初めまして、ゾーイ様。ルーサー=セラーズと申します。お誘いありがたいのですが、今は行方不明の方の調査が優先ではないでしょうか?」
「あ、そうだった」
そうだったじゃないんだよなぁ。
その人が今ひどい目にあってるかもしれないのに、あまりにも反応が軽すぎる。
そんなだから兵士さんも動いてくれないんだと思うよ、俺は。
「ああ、ちょうどいい。君たち、ちょっと調査に協力してもらえないかな? 私の予想だと、あの人はこの街で最近開催されていると聞く賭博場にいるのではないかと思うのだよ。あそこで賭け事をしていたのも、そこへの案内を手に入れるためでね」
人助け、になるかどうかも分からない依頼だ。
はっきり言って今の俺の気分はあと十日待ってみましょう、といった兵士さんと同じような感じである。どうせあの人とやらも、賭博場で元気に過ごしているんじゃないかなぁって気がしている。
「どうだい、手伝ってくれるかい?」
どうするんだよ、とチラリとイレインを見る。
イレインは申し訳なさそうに俺からスーッと視線を逸らした。
ああ、はいはい、分かったよ。
「出来る範囲でしたら」
「そうか、ありがとう!」
なんかこの人も世間知らずっぽくて心配だし、イレインが見てやるべきだと思うのなら、それくらいは暇つぶしにお付き合いしますよ。





