レーガン先生その2
私は教会の治癒魔法使いに頼ろうとしながらも、それほど信心深い方ではなかった。それでも幾度となく教会に通うことで、その教えを耳にする機会はある。
『悪魔は相手を油断させる姿でやってくる』
なるほど、整った顔立ちで笑顔を浮かべた優等生。
これが悪魔と言われれば私は信じてもいない教会の言葉に少しばかり納得してしまうかもしれない。
これ以上状況が悪くなる前に白状しよう。
賢い彼らのことだから、白状したうえでなお、私がすべて悪いと言えばその様に取り計らってくれることだろう。
先生方を信じるしかない。
私は欲にまみれた汚い裏切り者かもしれないが、彼らが正しく教育者であることを信じるしかないのだ。
「教会から持ち掛けられた、できる限りアルフレッドの願いをかなえてほしいという取引に応じました。協力した条件は、私の足を治癒魔法で完治させることです。ああ、勘違いしないでいただきたいのは、今回のダンジョンに入り込んだ件は、私からアルフレッドに話をもちかけたという点ですね。協力の成果によっては早めに治癒魔法を受けられそうだったので」
「レーガン先生は、私たちの目を節穴とでも思っているのかな? だとすれば大変遺憾だが」
学年主任のベッツ先生は自他ともに厳しいことで有名な方だ。
私の嘘が許せないのだろう。
空気が張り詰める中、驚いたことにまたも子供であるルーサーが口を開いた。
「レーガン先生、アルフレッド君が命を救ってくれたあなたに感謝を伝えたいと言っていました。先生がいなければ自分は死んでいたと」
明らかに私を庇うための発言であった。
私は裏切り者であることは前提として、それでも大切な生徒を命をかけて守ったのだぞと、やって当たり前のことを、さも成果のように、先生方に理解されるように披露してみせた。
結局アルフレッドを助けたのも、私の命をつなぎとめたのも自分であるはずなのに、そのことを一切誇りもせずに私を擁護した。
「助け船かね?」
「……ただ自分の足を大事にするだけの人ならば、命をかけてアルフレッド君を助けるとは思えません。見捨てて逃げ帰っても誰にも見つからないかもしれないのですから」
なおもルーサーは私を守ろうとする。
いや、私の心の片隅にしがみついていた誇りのような何かを守ろうとする。
もはや自分ですら捨てかけていた私の一部を、さも大事なものであるかのように守ろうとする。
恐ろしい形相を浮かべたベッツ先生に、学園の生徒の何人が反論することができるだろうか。
ベッツ先生は厳しい視線のまま、感心したように鼻を鳴らした。
「そもそも私はレーガン先生を生徒を見捨てて逃げるような屑であるとは一片たりとも疑っていない。教師たるもの命をかけて生徒を守ることなど当然の話なのだ。私たちが問題にしているのは、私欲のために規則を破り、生徒を危険にさらしたことだ」
こう見えて生徒思いのベッツ先生だ。見どころのある生徒として、自分の意見を一部ひるがえしてでも、ルーサーの心意気を守ることにしたのだろう。
「……失礼いたしました」
ルーサーはベッツ先生の意見を翻させたことを、やはり誇りもしなければ調子に乗るようなことも一切なかった。
いつの間にやら、初めにあったはずの緊迫した空気が随分とほぐれていた。
私は当然学園を去ることになるだろう。
しかし、先生方は私が最後の矜持だけは捨てていなかったことを、評価の一つとして意識してくださったようだった。教師として当然の、人として当然の、評価すべきことですらないことを、評価してくださったようであった。
話は穏やかに進み、私は退職することとなった。
身の振り方を考えなければならない。
足の調子は以前よりも悪い。
体を支えるためにはいっそ、完全に切断をして義足に付け替えたほうがまだましだろう。
当然騎士には戻れない。
足さえ治ればと考えていたが、いつの間にやらどんなに手を伸ばしても届かぬ夢へとなってしまった。
公的な仕事に就くことも難しいだろう。
生きていくためには、クルーブ先生を見習って探索者にでもなったら良いのかもしれない。
話を聞けないものかと視線を送るが、ツンとして顔を逸らされてしまった。
子供の様なかわいらしい態度だ。
クルーブ先生はずっと私に対して不機嫌を崩さないけれど、それだけ彼が子供を大事にしているという証拠でもある。
見た目ばかり立派な私なんかよりも、よっぽど立派な教育者だ。
ドアがノックされて、再びルーサーが部屋へ入ってくる。
今度はあのウォーレン家の長女であるイレインを連れてやってきていた。
彼女もまた、ルーサーに負けず劣らず優秀な生徒だ。
立場が危ういにもかかわらず、他の生徒とつかず離れず、常に周囲の様子を観察しながら微妙なバランスを維持して毎日を過ごしている。
実技も同年代に比べれば秀でており、学業は言わずもがなである。
美男美女としてお似合いの二人であるが、大人の世界の都合を鑑みると何かと苦労をすることだろう。
ルーサーは部屋へ入るなり、クルーブ先生と仲良さげに話を始める。
そういえばこの二人は師弟関係にあると聞いている。そのやり取りにはまるで兄弟のような親しさがあった。
こんな風に相談できる相手がいれば、自分も違ったのだろうかと考えてしまう。
……いや、騎士の中にはそんな相手もいたが、自分がみじめになっていつの間にやら疎遠になってしまっただけだった。ただの自業自得でしかない。
ルーサーは私の今後の展望を聞いたのち、何やら権力関係の複雑な話をし始める。
私も勇者や聖女の存在と役割を認知していたが、教会の権力とそこまで直結しているとは聞いていなかった。
どの面を下げてという話ではあるが、アルフレッドの生い立ちを聞いた私は、酷く腹を立てていた。そんな奴らに協力してしまったことにもだ。
私はアルフレッドをもっと正しい道に導いてやらなければならなかったのだ。
失敗をした。
そして今、その尻拭いをルーサーという年端のいかぬ少年にさせているようであった。
そんな事実を知ってなお、ルーサーは私のことを一定以上に評価している。
甘い甘い罠に吸い込まれていくようだった。
「…………なるほど、自分勝手で子供を危険にさらした罰が当たったか。忠告感謝する」
それではいけないと、自分を律し、どこかでこの身が果てることを覚悟して言葉を吐き出す。しかしそんな私にルーサーはうっすらと笑みを浮かべる。
「確かにレーガン先生は悪いことをしたのでしょう。……しかし僕は、レーガン先生の実力も人柄も、高く評価しています。先生、道をもう一つ示しましょう」
まるで本当に私のことを信頼しているかのように。
「セラーズ家へ来て、僕の騎士になりませんか?」
「何を……」
抗いがたい誘惑だった。
騎士。
もはや手の届かぬ夢となり果てたものの名前。
守護と正義と強さの象徴。私の憧れ。
「アルフレッド君から聞きました。ひたすら強くなりたかったんでしょう? 足の怪我さえなければと願ったのでしょう? ……僕なら、その足も治すことができます。教会の手を取ったのに、僕の手を取らない理由がありますか?」
小さな手が差し出される。
まるで本当にこの手を取れば救われてしまうかのような。
「聞かせてくれ」
「なんです?」
絞り出した言葉にルーサーは平然と言葉を返す。
声がかすれなかったのは奇跡だろう。
「どうしてリスクを飲んで私を引き入れようとする。教会に睨まれるぞ。知られれば貴族からの評判だって下がる」
言葉を聞けば聞くほど捕らわれそうな気がした。
自分が逃げようとしているのか、捕まろうとしているのかもはやわからなかった。
全てを手のひらの上で転がされているような気すらした。
「万全な状態の先生が気になりました。知らないところで死んでしまうには、あまりに惜しいじゃないですか。…………それにほら、セラーズ家はご存じの通り悪評がありますから、先生程の人物を雇い入れる機会は見過ごせないでしょう?」
ルーサーがくすりと笑う。
笑っている少年の正体は、悪魔か、天使か。
グラグラと気持ちが揺れ動く。
振れ幅は、明らかにルーサーの方へと傾いていた。
「本当に、足を治せるのか?」
「はい」
また戦えるのか。
しかしそれは、教会と同じく悪事に利用するための嘘なのではないか。
私は焦りを抑えながら、一段一段階段を上るように質問を繰り返す。
いや、そうではない。
実のところは転ばぬように次々と足を前に出しているだけなのだ。もはや自分では制御することもできずに口が動いていた。
私は昇っているのではない。階下で手を広げて待っているルーサーの下へ転げ落ちていっているのだ。
「私はまた、騎士になれるのか」
「ええ、最強の騎士になって、僕と、僕の大事な人たちを守ってくれませんか?」
体が自然とベッドから崩れ落ちる。
自分の体すら支えられなくなっていた私を、ルーサーが、いや、ルーサー様が、両手を広げて支えてくれた。
「私は君の騎士になろう。夢の続きが見られるのなら」
こっしょり宣伝なのですが、実は本作の1巻が昨年末に発売されていたりします。
良かったらお手に取って、購入サイトなどでレビューいただけますと非常に助かりますです、はい。