『愛が揺れるお嬢さん妻』8◇愚行
8
◇愚行
七夕祭のメインは昨日で、七夕の翌日は朝のうちにプール遊びした後
皆で昼食会をして解散という予定になっていた。
あるグループの仲良し3人組のうちのひとり、中沢が大林だけに
『一緒に食べませんか』と誘ってきた。
近くで聞いていた苺佳は
『あー、アタックされてるぅ~、瑤ちゃんどうやって断るんだろう』
そう思いながら運んできたプレートの前に子供たちを座らせた。
そして自分も座り、間もなく座るであろう大林を待っていた。
待ち人大林……は、苺佳の側までやって来たかと思うと
『誘われたからちょっと行ってくるわ』
と言うや否や、自分のプレートをテーブルから持ち上げたかと思うと
比奈にも声を掛けず、苺佳の顔もろくすっぽ見ずに中沢たちの席へと
行ってしまった。
-
『どういうこと?』
瑤らしくない言動に苺佳は戸惑いを隠せなかった。
苺佳はハッとして比奈の方を見た。
眞奈と自分がいるからか、それほど動揺している風ではない。
そっかぁ~、一番動揺しているのは自分なのかぁ~。
私ったら。
瑤ちゃんらしくない行動、何か理由があるのか、ないのか。
あるとするなら今の自分にはまったくわからないことになる。
だんだん心細い気持ちになって、どんどん悲しくなっていくものだから、
折角園が出してくれたビーフカレーも美味しく味わえずに終わりそうだ。
とにかく全身の細胞から吹き出て来る失望感と寂寥感が半端ない。
大人の事情など何も知らない子供たちは無邪気にいつも通り仲良く
おしゃべりしながら美味しそうにカレーを食べている。
それなのに情けないけど、私は早く家に帰りたくてたまらなかった。
私は仲間外れにされたことも吐きそうなくらい気持ち悪かったし、
そんな状況なのに私を置いてきぼりにした瑤ちゃんにも大きく失望した。
中沢さんたちと一緒の瑤ちゃんのいる席……私はそちらの方向を見まいと、その一方方向へは首どころか視線さえ動かさなかった。
不愉快極まりない状況下で負けたくないと思った。
瑤ちゃんに対して拗ねたりはもちろんのこと怒ったりもしない。
自分からは絶対話題に出さないしスルーしてやる、と決めた。
◇ ◇ ◇ ◇
私は瑤ちゃんにテレパシーを送った。
『今後、笑顔でいることもやさしくすることもないから。
そんなことできるわけない、分かった?』
-
テレパシーなんて力、私にはない。
だけど悔しいから念を飛ばしてみる。
いや違う、やはりテレパシーにしとこう。
強く思って相手に思うのみ。
念は負のイメージがあるから、やり過ぎだよね。
別に瑤ちゃんに悪いことが起きてほしいわけじゃないし。
心中穏やかでいられず、味気なく砂を噛むように最後のカレーをスプーンですくって口に入れた頃、瑤ちゃんが私たちの席へと戻って来た。
◇ ◇ ◇ ◇
『楽しかった?』なーんて聞いてやらない。
『さぞかし楽しかったんでしょうね』とは口から出かかったけれど。
「おかえりぃ~」
「あぁ……うん。女が3人も寄ると姦しいわ」
「4人の間違いよ~」
「わたしは姦しくないから数に入れなくていいんだよ」
「ふーん、そっか」
◇ ◇ ◇ ◇
私は適当に話を合わせ、片付ける為に席を離れた。
もう駄目だった。
給食室にトレイを運び器を取り出して置くと、一目散にトイレに向かう。
決壊寸前。
あ~ぁ、防波堤を越えて米粒大の水滴が頬を伝う。
やだぁ~、私ったらぁ~。
タオルハンカチでそっと涙を拭う。
そこへちょうど子供連れで楽しそうにしている中沢さんが入って来た。
「今日のカレーおいしかったわね」と私に話し掛けてきた。
私は少しにこやかに小首をかしげて彼女を見た後、無言で視線を下ろし
その場を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇
『私は味なんて分かんなかったわ、あなたのせいで』
-
今日の自分の取った行動に一番驚いているのは自分かもしれない。
苺佳が荷物を持たせた旦那に送られてきた様子を見て、仲睦まじさを
見せつけられたような気がして嫉妬心に火が付いてしまった。
◇ ◇ ◇ ◇
言い寄ってくる3人組の母親たちと親し気に振舞って苺佳に見せつける
という意地悪をしてしまった。
いろんな人と交流を持つことはいいことなんだからと、嫉妬心を原動力に
して意地悪をするという……瑤は完全に幼稚園児脳でおバカになりさがって
しまった。
それほどこの時の瑤は嫉妬心を抑えられなかったのである。
-
これくらいなら……ちょっとしたこと……って思いつつも、席に戻ったら
言い訳くらいはして、そのついでに『一人にしてごめん』って言うつもり
だったのに。
口から出たのは『女が3人も寄ると姦しいわ』だよ。
怒ってる風ではなかったけど、心なしか苺佳の反応がそっけなかったな。
ろくすっぽ話もしないで片付けに席を離れてしまったし、あれから今日は
ほとんど会話してない。
比奈のこともまかせっきりで。
しみじみ、自分の至らなさを実感する。
そんな風に反省する瑤はまだ子供たちとテーブルにいた。
そして苺佳が早く戻って来ないかと出入り口になっている教室の開け
放たれた引き戸に続く廊下に目をやるも、彼女の姿は見えなかった。
お水を飲み干し、子供たちを促して給食室にトレイを運ぶ為席を
立とうとした時、比奈に言われた。
「瑤ちゃん、なんで他所のおばちゃんたちのところでカレー食べたの?
苺佳ちゃん寂しそうだったよ、ねぇ眞奈ちゃん」
そう言われた眞奈は小首をかしげてる。
眞奈の方は苺佳のことをあまり気に掛けていなかったようだな。
-
「そっか、わるいことしちゃったな」
「瑤ちゃん、謝っといたほうがよくない?」
なんか、おしゃまで口達者な比奈を見ていて可笑しくなったけれど……
確かに。
比奈のアドバイスを謹んで受けようと思う。
「比奈、比奈の言う通り苺佳に謝るよ。
後で謝るから少し話す時間くれるかなぁ。
ほらっ、駐車場の近くにある場所で眞奈と遊んでてくれる?」
「うん、いいよ。ね、眞奈ちゃん?」「うんっ」
◇ ◇ ◇ ◇
いつも車を止めてる駐車場の中にはブランコと砂場があって木や植物も
あり、遊んだり散策できる場所がある。
苺佳は先生の挨拶が始まる直前に自分の席に戻った。
皆で片付けをし、先生からの話が終わったところで
七夕祭りは終了となった。
-
瑤ちゃんの後を付いて部屋から出て行く時も中沢さんたち以下、
今度じっくりといつ瑤ちゃんに会えるか分からないというのもあって?
おかあさんたちの瑤ちゃんに向けられる視線ビームがとんでもないことに
なっていた。
中沢さんがお別れの言葉を何か言いたそうにしているのは私の目にも分かるほどなのに、無慈悲にも? 気付かない振りで華麗にスルー、
いつものごとく颯爽と背筋を伸ばしキリっとした風情で瑤ちゃんが出て行く。
後から続けて出て行く私には皆の視線が何故か背中に痛かった。
◇ ◇ ◇ ◇
駐車場までの道すがら、ぽっと比奈の水着のことが頭に浮かんだので
苺佳に話を振った。
「今月ブール始まるよね」
「うん、そうだね」
「実は比奈、水着がないんだよねー。どこで買うかなぁ~」
「福屋さんで買えるよ」
「福屋さんって?」
「制服買ったお店」
「あっそっか、助かったー。
ずっと、どうしようって結構悩んでたんだ」
「瑤ちゃんでも悩むことあるんだね」
苺佳の物言いに、普段ならここでおちゃらけて怒るところなんだけど
今日は自分に負い目があって、つい言葉に詰まってしまい微妙な雰囲気に
してしまった。
案外ヘタレな自分を呪うしかない。
微妙な雰囲気になったところで駐車場に着いた為『比奈』と声を掛けて
目くばせしたら、比奈が分かってるって、と頷いてサインを送ってくれた。
頼もしい比奈、サンキュー。
「苺佳、ちょっと話があるんだ」
「ン? なぁ~に」
「今日は1人にしてごめん。反省してる」
「分からないよ、瑤ちゃんって人が分からなくなっちゃった。だめぽー」
「だめぽーって何かな?」
言葉尻の掠れた瑤のいつものらしくない弱気な物言いが続いた。
「瑤ちゃんのことが理解できなくなりましたー。無理になりましたー。
無理無理無理ぃ~ってこと……かな」
◇ ◇ ◇ ◇
今まで見たことのない表情の見えない顔で苺佳からそんな風に言葉を返され、
瑤は絶句した。
やさしい苺佳だから、
『えー、そんなこと気にしてないよー、大丈夫だよ』
って返事が返ってくると能天気に考えていたのだ。
「えっ、それって……」
まさか、もしかして、絶縁されそうってことか?
私のことを『無理』ってことなんだろ。ヤァバァイ。
そっ、それは困る。
◇ ◇ ◇ ◇
「待って、ちゃんと理由を説明す(るから)」と続けて話そうとしたのに
そんな私の顔を凝視していた苺佳の表情が見る見るうちに泣き顔に崩れた。
『えっ、まじ、本当にどんどんヤバイ状況になっていってるよ。
今日のところは何も言わずにいたほうがよかったのかもしれない』
と瑤は思った。
自分は藪をつついてしまったのかもしれないと、この時気付いたのだったが
時すでに遅し。
苺佳が瑤の目の前に立ち、瑤の腕や胸に……手を握り締め作った左右の拳で
交互にどんどん叩き始めた。
-
「なんなの、なんなの、なんなのよぉ~。
瑤ちゃんがそんな人だったなんて、友達をつま弾きにするような人だった
なんて、軽蔑する、け・い・べ・つするぅ~。うっうっ」
涙をボロボロ零しながら、なりふり構わず気持ちをぶつけて来た。
どうしようもなくて、どうすれば正解なのかもわからず、瑤は
『ごめんな、悪かった、許して』
を何度も繰り返しながら苺佳に叩かれながら、両手で彼女を抱き締め続けた。
そして、しばらくして苺佳の激情が少し納まった頃合いを見計らって
瑤は苺佳に尋ねた。
「な、どうしたら許してくれる?」
「許さないよ」
-
「許してくれないかなぁ~。せめて理由だけでも聞いてくんないかなぁ~」
弱弱しい声でお願いしたのが功を奏したのか、苺佳が許さないとは言わず
黙り込んだ。
……ので、ここはチャンスとばかりに瑤は理由を話すことにした。
◇ ◇ ◇ ◇
「可愛い苺佳が羨ましくて嫉妬した。
見たんだ、しっかりと。
昨日苺佳の旦那をね。
あんなにカッコイイ旦那のいる苺佳に嫉妬した。
私なんて恋人もいないっていうのにさ。
だからむしゃくしゃして、気が付いたら意地悪してた。
ほんとにいやらしい人間ですまない。
なぁ、友達でなくてもいいから付き合いは止めないでほしい……」
「それって、どういう……?」
瑤の腕の中で少し顔を上げ瑤の鎖骨辺りから首筋を見つめながら
苺佳が訊いた。
「下僕になる。今日から苺佳の下僕になるから……その」