『愛が揺れるお嬢さん妻』1 ◇プロローグ☑
1
◇プロローグ
「何ジロジロ見てンの?」
古家苺佳はいきなり文句を言い放った目の前の人物の言葉を受け、
思わず周囲をぐるりと見回した。
今日は娘の幼稚園の晴れの入園式だ。
早めに着いた為か、まだ他には誰もいない。
いるのは名札に書いてある大林瑤子と自分だけ。
……ということは、今の台詞は明らかに自分に向けられたもの?
『つい見とれてしまって』と軽く返そうとしたのだが、瑤のほうが
一足速かった。
「私の顔がそんなに物珍しいのかな?」
ひとまず詫びたほうがいいのか?
しかし、見知っている人を一瞥したことがそんなに悪いことなのか。
確認したくて一瞥といわず、もう少し長く見てしまったかもしれないが。
脳内であれこれ考えているうちに苺佳は少々腹が立ってきた。
「確かに綺麗な顔だと思うけど……。見知っている人の顔をほんの少し
見ていたことがそれほど悪いことだとは思えません。
診察の時に患者の顔をほとんど見もせずにモニターの画面ばかり見て
患者と話をし、おまけにその上明らかに症状の出ている部位を前にして
『病理はどこにもない』なんて言う先生の言動のほうこそ、よほど
責められるべきだと思いますが、どう思われます?
先生はそんなだから私のことなんて覚えてないでしょうけど、
以前2度ほどあなたの診察を受けたことがあって、それで……なのに
やっぱり私のことなんて気付いてもないんだなぁってそういうのがあって、
あなたのことを見てただけ。
誘惑する気なんてサラサラありませんから、どうぞご安心ください。
それと私、同性とそういう関係になりたいっていう趣味も
ありませんからっ」
あまりの言われように、私は事なかれ主義で謝ることよりも、今受けた
無礼と過去の彼女の非礼を責めることのほうを選んだ。
椅子に座り明後日の方に顔を向けたまま私の顔も見ずに非難してきた
彼女は、思いがけず自分に反撃をかましてきた私に、初めて顔を向け
視線を投げかけてきた。
「去年、外来に来てた人……かな?」
今さら、思い出した振りをして、しかもなんなのだ。
さっきとは真逆に優し気に、黒縁眼鏡の奥から覗いているキラキラした
鳶色の瞳で私に余裕綽綽の態で問いかけてくるなんて。
ドキドキしてしまって悔しい。
えーっ、この人女性でしょ?
ほらっ、耳たぶに小さいピアスも付けてる。
思い起こしてみれば、医師と患者として出会った時、確か私は
彼女のことを中性的ではあるけれど、男性だとばかり思いこんでた。
だけど、名札は女性名で……私は女性にドキドキなんて今回が初めてで、
困惑した。
いやぁ~。
私は涙目でその場に踏ん張るだけが精一杯で彼女の問い掛けには
答えられなかった。
最初の物言いに困惑し、いきなりの質問にも気持ちが付いていけず、
のみならず、そんな理不尽な物言いをする相手にドキドキするなんて、
そんな自分が許せず。
怒りを選ぶと身体中が怒りに震え出すなんて。
こんな無礼な人間に未だかつて出会ったことがなく、怒りとの付き合い方が
へたくそな私は次の一手に悩んだ。
もうやだ、これ以上喧嘩したくない。
どうすれば最悪の状況から逃げ出せるだろうか……。
今度は私のほうが彼女の視線から逃げ出していた。
そんなふうに切羽詰まったのだが都合のいいことに
そんな二人しかいない部屋に他の保護者達が次々に入って来たので
どうにか難を逃れることができた。
そして私も他の父兄に混じり適当なところに座った。
痛い、痛すぎる。
改めてさっきの自分の台詞を思い出した途端、苺佳はたまらなくなった。
『誘惑する気なんてサラサラありませんから……』って何?
どこからそんな発想が出てきたのか。
男性ならいざ知らず女性相手に……いくら考えてもよく分からず、凹んだ。
◇ ◇ ◇ ◇
一方、苺佳の混迷が続くなか、瑤子のほうは『参ったなー』などと、
本当に参っているのかどうかも怪し気な口調で呟くのだった。
古家苺佳 28才
古家英介 31才
古家眞奈 4才
山波美羅 33才
大林瑤子 26才 通称名
大林茉桜 29才 瑤子の姉
大林比奈 4才
影山俊介 28才 英介の弟
古家佳乃 54才 苺佳の母親
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
物語の始まり時 2011年(仮) の年齢とする