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読切作品はちゅまれー

攻撃力9999の呪われたグローブは最強です ~中二病の邪龍と無双するダンジョンブレイカー~【中編イッキ読み版】

作者: 石矢天

ローファンタジー初挑戦です!

ご感想を頂けると嬉しいです。心よりお待ちしてます!


『 デロデロデロデロデーデン♬

  じゃりゅうのグローブには のろいが 

  かけられていた!

  ※このそうびは はずせない 』


 頭の中に流れてきた不吉なBGMと、メッセージボイス。

 この日から、良くも悪くもユウマの人生は大きく変わることとなる。


      ◎  ◎  ◎  ◎


 ダンジョンを攻略ブレイクすることを生業なりわいとする者をダンジョン攻略者ブレイカーと呼ぶ。

 最底辺ブレイカーの高坂こうさかユウマはいま、生きるか死ぬかの瀬戸際に立っていた。


 長年の付き合いであるブレイカーの先輩に誘われて、ここで成り上がるのだと挑戦した大規模ダンジョン攻略。


 途中までは、それはそれは順調だった。

 大型のモンスターを20匹以上も討伐した。

 このままダンジョンをブレイクすれば、その貢献度からブレイカーランクもきっと上がる。

 その予定だった、ハズなのに。


 ダンジョン最奥の大空洞に、突如現れた強力なボスモンスター『黒い一つ目巨人(ノワールサイクロプス)』にチームは潰走。

 先輩にも見捨てられ、崩れた床からダンジョンの下層まで落ちたユウマは、独りでノワールサイクロプスと対峙していた。


 ――グオオオオォォォォォォォ


 ざっくり8mはあろうかというノワールサイクロプスが雄叫びを上げる。

 バリトンボイスがダンジョン内の空気を震わせた。


 ユウマの身体にも空気の振動が伝わってくる。


(ドームまで有名バンドのコンサートを聴きにいったときと同じだな)


 絶体絶命の状況だと言うのに、ユウマの頭はなんだか他人事のようにスッキリしていた。


 ノワールサイクロプスが、その大きな腕を振り上げた。

 拳の大きさは約2メートル。ユウマの身長172センチメートルより余裕でデカい。 


 その拳を一発でも喰らったなら、十中八九、ユウマはこの世とお別れすることになる。


 ユウマは拳を向けられる前に、ノワールサイクロプスに向かって大剣クレイモアを投げつけた。

 今日の大規模ダンジョンを攻略するために、大枚をはたいて買った虎の子だの武器だ。


 よくよく考えてみれば、もはや武器など持っていても無意味である。

 相手の身長の1/8も無いクレイモアなど、本来の大剣の役割を果たせない。


 ちょっと斬り傷をつけたところで、怒ったノワールサイクロプスに殴る殺される未来しか見えない。


 回転しながら飛んできたクレイモアを、ノワールサイクロプスは虫を払うかのように軽々と跳ねのける。


 唯一の武器を手放したユウマは……、(きびす)を返して一目散に逃げだした。

 全速力で、ただただダンジョンを走り回った。

 時には石につまづき、転がりながらも広いダンジョンを逃げた。


 それ以外に選択肢は無い。

 なんとか上に戻る道を探して、ダンジョンから脱出する。

 それだけがユウマの助かる道なのだ。


 ノワールサイクロプスは、機敏とは言えない動きで、さりとてその巨体を活かした大きな歩幅で、ドスン、ドスンと大きな足音を立てながらユウマを追ってくる。


 逃げるユウマ。

 大股で追うノワールサイクロプス。


   〔ち……ら……し……か?〕


 突然、必死で逃げているユウマの頭にびっくりするくらいのイケボが響いた。


 ユウマはいやいや、と思い直す。


(そんなはずはない。そもそも「ちらしか?」ってなんだよ? 『ちらし』か『にぎり』かってことなら断然『にぎり寿司派』だし、『チラシ』か『フライヤー』かってことなら、ぶっちゃけどっちだっていい。いや、だからそれもなんの話だ! こんな状況で俺は脳みそは余裕なのか? 余裕をかましているのか!?)


   〔ちからがほしいか?〕


 幻聴を払い除けようと頭を振るユウマの頭に、またしても謎のイケボが響く。

 今度ははっきりと聞こえた――力が欲しいか? と。


「ちからって、ちから? パワーのこと? そんなもの欲しいに決まってんじゃん! 見りゃ分かんだろ!!」


 いまユウマが置かれている状況は、控えめに言っても絶体絶命というやつだ。

 すがれるものはワラにだって、ぺんぺん草にだってすがりたいに決まっている。


(本当に力をくれるのなら、もう幻聴でも何でも良い)


 ユウマは走りながら脳内に響く声と会話する。


   〔ならば、我と契約せよ〕


「け、契約!? なんの? って確認してる場合じゃねぇか。 分かった! する! 契約でも何でもするから! マジで助けて!!」


   〔我は悪夢の竜帝ナイトメアドラゴンエンペラー、ここに契約は成立した〕


 突如、ユウマの目の前に『真っ黒な闇』のようなものが現れ、左右の拳に覆いかぶさった。


「なに? なんなの、この黒いヤツ!?」


   〔契約者よ叫べ! 究極を超えた拳ウルトラアルティメットパンチと!!〕


「え!? ウルトラなに? もう一回!!」


   〔究極を超えた拳ウルトラアルティメットパンチだ!!!〕


「なんだそれ!? めちゃくちゃダサいな!」


   〔ダサくない! 叫べ!!〕


「わ、わかったって。ウ……、ウルトラ、アルティメット、パンチ」


   〔そのまま拳をヤツの方に突き出せ!!〕


「こ、このまま!? パンチするの!? 絶対届かないよ!?」


   〔いいから、さっさと言う通りにしろ〕


「ええい! もうなるようになれ!! ウルトラアルティメットパーンチ!!」


 ユウマは後ろを振り向き、迫ってくるノワールサイクロプスに向かって拳を突き出した。

 当然だが、圧倒的にリーチが足りない。

 その拳は誰がどう見ても、相手に全く届いていなかった。


 しかし、突き出した拳の先。

 黒いサイクロプスの胸から腹にかけて、丸くて大きな風穴があいていた。

 それはもう綺麗な楕円の穴だった。


 その穴は拳の形をしていた。


 ――グ、グオォ?


 ノワールサイクロプスが戸惑いの声をあげている。

 なぜ自分の胴に風穴が空いているのか、全く理解出来ていない。


 気がついたら身体ごと臓器をゴッソリ持っていかれていたのだから、それは混乱もするだろう。


 いかにモンスターとはいえ、そんな状態で生きていられるはずもなく、ズゥゥゥゥンと大きな音を立ててダンジョンの地面へと倒れこんだ。


「え? 死んだ? こいつ死んだの? 俺、帰れるってこと?」


 ノワールサイクロプスの身体が、足先からサラサラと消えていく。


「おおおおぉぉぉぉっしゃああああぁぁぁぁ、おらあああぁぁぁぁ」


 ユウマは諸手を挙げて、雄叫びも上げた。

 そのとき、ユウマの視界に入ってきたものは、いつの間にか右手と左手に装着されていたグローブだった。


 さっきまで真っ黒な闇みたいだった()()()が、グローブへと変貌していたのだ。


 ユウマの手を包んでいたのは、レザーのオープンフィンガーグローブ。

 そこまではいい。ちょっと合わせる装備は選びそうだが、まあいい。


 問題はデザインだ。


 手の甲の部分に燦然さんぜんと輝く『6つのメタルの突起』、修学旅行生がお土産で買いそうな『ドクロと龍をあしらったデザイン』、手首には『無駄にぐるぐる巻かれたチェーン』……。


「くっそダセェ! 中二かよ! 俺もう28だぞ!!」


 この窮地を救ってくれたことには感謝しているが、これ以上このグローブをはめていると蕁麻疹じんましんが出そうだ。


 だが、グローブの外し方が分からない。

 手首にはチェーンが巻かれていて緩めるところがない。


 ユウマがどんなに強く引っ張ってもグローブはピクリともしなかった。


「え? どうやって外すんだ、これ」


『 デロデロデロデロデーデン♬

  じゃりゅうのグローブには のろいが 

  かけられていた!

  ※このそうびは はずせない 』


 頭の中に直接響く不吉なBGMと、メッセージボイス。


「はっ!? のろい? 外せない!? ウソだろ!!」


 呪われたダンジョン装備なんて聞いたことがない。

 ユウマはなんとかしてグローブを外そうとするが、むしろチェーンの締まりがキツくなっている気がする。


   〔だから外せないって。無理するな〕


 またしても、頭の中に直接イケボが話し掛けてくる。


「おまっ、ふざけんな! こんな中二病こじらせたデザインのグローブをつけたまま生活しろってのか? ムリムリムリムリムリムリムリムリムリ」


   〔バカだな。よく見ろ、カッコいいじゃないか〕


「てめぇ、センス壊滅してんのか! ってか邪龍のグローブってどういうことだよ。お前ナイトメアなんちゃらじゃなかったのかよ!?」


   〔我が名は悪夢の竜帝ナイトメアドラゴンエンペラー。邪龍は種族だ〕


「こいつ、名前も中二病こじらせてたーーーー!!!! それ、絶対自称だよな! お前が自分でつけた名前だよな!?」


 ユウマは頭を抱えてダンジョンの床を転げまわった。


(いったい、どうしてこんなことになった? 俺はどこで選択を間違えた!?)


 崩壊が始まったダンジョンの中で、ユウマは大規模ダンジョンに挑むと決めた自分を呪った。


 ◎  ◎  ◎  ◎           



 30年前、同時多発的に発生したダンジョン化現象。

 黒い霧に覆われた空間は、モンスターがひしめく『ダンジョン』となる。


 ダンジョンに潜ってボスモンスターを撃破し、黒い霧を払う者を人はダンジョン攻略者(ブレイカー)と呼んだ。


 ここ、緑河原みどりがはら霊園に発生したダンジョンでも、今まさにボスモンスターであるグレートミノタウロスがブレイカーに追い詰められていた。


「ヤっくん、ヤっくん! グレートミノタウロスの左に回って!」


 ハイブリーチされた少し長めの金髪をたなびかせ、深紅のメタルアーマーに身を包んだ優男が、色黒で筋肉質な仲間の若者『ヤッくん』に指示を出している。

 彼の名は遊佐ゆさセイジ。このダンジョンを攻略ブレイクするチームのリーダーだ。


「オーケー、リーダー。――ちっ、おいっ、オッサン! こんなところで雑魚モンスター排除(ゴミそうじ)してんじゃねぇ、邪魔だっ!」


 ダンジョンではボスモンスターと戦う高ランクのブレイカーのほかにも、低ランクのブレイカーが周囲でモンスターと戦っている。


 彼らは、ボス戦の邪魔にならないように雑魚モンスターを駆除する役目、雑魚モンスター排除(ゴミそうじ)係だ。


 ランク別に役割を分担することで、高ランクのブレイカーはボス戦に集中出来るし、低ランクのブレイカーは雑魚モンスターのドロップアイテムで小銭稼ぎが出来る、いま流行りのチームシステムである。


 先ほど“ヤッくん”から『オッサン』と呼ばれ、舌打ちされていた男の名は、高坂ユウマ――この物語の主人公である。

 20代前半の若者が多い低ランクのブレイカーの中で28歳のアラサーはもう『オッサン』だ。


 当たり前だが、ユウマにも若い時代はあった。

 夢と希望に満ち満ちていた青春時代が。



 ユウマは地元で「神童」と呼ばれていた。

 高校では、空手部とボクシング部と剣道部と柔道部を掛け持ちし、全ての競技で県大会を3連覇した。


 インターハイも良いところまでいったし、もう少し部活を絞っていれば優勝も出来ていたと自負している。


 高校時代のユウマは、自分がブレイカーのトップになるのだと疑っていなかった。

 学校でも「有名になる前にサインをくれ」と色紙を持った生徒が行列を作っていたものだ。


 高校を卒業すると同時に、親の反対を押し切って18で上京した。

 ダンジョンは地元でも発生するが、都会は規模が違う。


 ブレイカーのトップになるなら、東京に行くべきだと同級生たちも背中を押してくれた。


 ユウマの将来設計では、フリーのブレイカーとして1年目で大活躍、大企業のダンジョンブレイク部門にスカウトされて、2年目には企業と専属契約を結んでいるはずだった。


 しかし現実はどうだ。

 上京して10年、いまだに低ランクから上がれず、雑魚モンスター排除(ゴミそうじ)ばかりやっている。


 都会の壁は、ユウマが想定していたよりもずっと高かった。


 ブレイカーの専門教育施設が充実しているから成長が早い。

 お金持ちが多いからいい装備を身に着けている。

 人口が多いからブレイカーの層が厚い。

 

 高校のスポーツがちょっと人より得意なだけのユウマでは、同期に差をつけられるどころか、後輩にもスイスイ追い抜かれる始末。


 そんな自分を追い抜いて行った同期や後輩が、高ランクブレイカー同士の椅子の取り合いに負けて、次々とブレイカーを引退している。


 それでもユウマは、まだ自分がブレイカーとして活躍している未来を諦めきれず、最底辺のブレイカーとしてダンジョンに潜り続けていた。


「おい、オッサン。これ、やるよ。」


 ダンジョンが崩壊して、外の世界に戻ってきたユウマに、ヤッくんが『ミノタウロスの角』を放った。

 荷物がいっぱいで入らなかったらしく、捨てるよりは、と譲ってくれたのだ。


 ボスモンスターのドロップアイテム――ではなく、雑魚モンスター『ミノタウロス』のドロップアイテムだ。

 ダンジョンで手に入れたアイテムは、外で売ればレア度に応じてそれなりのお金になる。

 ダンジョン装備の加工素材として使われることがほとんどだが、ダンジョンマニアが蒐集していくこともあるらしい。


『ミノタウロスの角』は決してレアなアイテムではないが、それでもひとつ2万円くらいで売れるからユウマにとってはバカにならない。


「あ、ありがとう。これで今月も家賃が払えるよ。はははは」


 半周りくらい年下に、タメ口どころか『オッサン』呼ばわりされ、施しを受けて、愛想笑いを返す。

 ここが、いまユウマが立っているポジションだ。


 因果応報と言うべきか。

 おおよそ10年前のユウマも、25歳を超えてなお()()()の上がらないブレイカーに対して「才能も運も無いんだから辞めたらいいのに」と思っていた。


 ユウマ本人には自覚がないが、きっと態度にも表れていたに違いない。

 それがまさか、自分が10年後に同じ立場になっていようとは。


「オッサン、なんでそんなにブレイカーにこだわるんだ? こんな『命を落としても自己責任』なんてブラックな仕事にこだわってたら、そのうち死んじまうぜ?」


 ヤッくんは、口は悪いが根は優しいタイプのブレイカーだ。

 ユウマのことを本気で心配している。

 さっきの『ミノタウロスの角』もマウンティングなんかではなく、本当に善意で譲ったのだ。


 歳を食っているのに()()()の上がらないヤツ、とはちょっとくらい思っていてもおかしくないが、それはヤッくんに限ったことではない。


 そこにさっきの闘いで『リーダー』と呼ばれていた優男、セイジが近づいてきてヤッくんと肩を組む。

 ふたりは、ここ数年でいくつものダンジョンをブレイクしてきた相性の良いバディだ。


「そう言ってやるなよ。男には引くに引けないもんがあるんだよ。なあ、ユウマ?」


「セイジ先輩……。そう、なんですよね。俺、ブレイカー辞めてもほかに出来ることないし、実家にはちょっと帰り辛いっていうか……」


 セイジはユウマが上京したての頃から良くしてくれている2つ年上の兄貴分だ。


 彼の親は、新進気鋭のダンジョンブレイク企業『クイックラッシャー』の社長である。なにを隠そう、この現場もクイックラッシャーが霊園の管理会社から依頼を受けた企業案件だ。


 セイジがクイックラッシャーのエースブレイカーとして、このチームのリーダーをやっているからユウマもこうして現場に呼んで貰えている。ユウマにとっては頭が上がらない大恩人だ。


 セイジがいなければ、ユウマはブレイカーを続けたくても現場に入ることもままならず、志半ばでブレイカーを辞めることになっていたかもしれない――その方が早々に諦めがついた、とも言えるが。


 ヤッくんが、それじゃまた、と現場を後にするのを見届けて、セイジが耳打ちしてきた。


「そんなユウマにいいニュースと悪いニュースがある。どっちから聞きたい?」


 外国ドラマのジョークテイストで問いかけてきたセイジに、ユウマは「じゃあ、悪いニュースで」と答えた。

 するとセイジは、心底残念そうな顔をして言った。


「お前にはまだ早い」


「えー。じゃあ良いニュースで」


「近々、陽光タワーの大規模ダンジョンを攻略する。ここ数年で一番大きな仕事だ」


「マジっすか!? すげぇっすね!! じゃあ、悪い知らせって言うのは……」


「お前にはまだ早い」


 もう一度同じことを言われて、やっとユウマも理解した。

 セイジは、次のダンジョン攻略ではユウマは戦力外だと伝えているのだ。


 大規模ダンジョン攻略は実績になる。

 もちろんブレイクに成功しなければ全てパーだが、ブレイクできたときはゴミそうじでもかなり大きな功績を貰える。


 くすぶり続けてきたユウマも、ようやくブレイカーのランクを上げられるかもしれない。


 だが、大規模ダンジョン攻略はよりチームの連携が求められるシビアな現場だ。

 戦力外の実力のメンバーを連れていくことは、チーム全体の生存率に関わる。

 つまり、セイジの判断は正しい。


「だが――」


 諦めかけたユウマの前に、セイジの口から逆説の接続詞が飛び出した。


「ユウマがもし、どうしてもと望むなら。オレの責任でお前ひとりくらいなら何とか出来なくもない。だが危険なことに変わりはない。しっかり考えてから返事をくれ」


「セイジ先輩……」


 ユウマがセイジを見る目から、尊敬と感謝の視線があふれだしていた。

 もしユウマが女性だったなら、きっとセイジに惚れていたに違いない。


      ◎  ◎  ◎  ◎


「もうよかじゃろ。そろそろ帰ってんしゃい」

(もういいでしょ。そろそろ帰ってきなさいよ)


「母ちゃんなそがん言うばってんさ、親父はおいんことばどげん思っとぉと?」

(母ちゃんはそう言うけど、親父は俺のことをどう思ってるの?)


「口ではせからしかことばぁ言いよぉばってん、ほんなこつわは帰ってきてほしかに決まっとぉ」

(口では面倒くさいことを言ってるけど、本当は帰ってきて欲しいに決まってる)



 ユウマが上京してもう10年。

 日常生活はすっかり標準語になったのに、親や地元の友達と電話をすると、湯水のように方言が飛び出してくるのはどうしてなのか、ユウマは不思議で仕方がなかった。


 怒ったときにも方言が出ていると指摘されるが、そういうときは方言で喋っている自覚が無かったりする。やはり不思議だ。


 ユウマは、高校を卒業すると同時に「ブレイカーになるまで帰らない」と勇ましく啖呵を切って飛び出してきた手前、実家に帰りづらい立場にあった。


 父とも、母とも、弟ともそれ以来、一度も会っていない。


 弟とは頻繁にメッセージアプリで連絡取っているし、母はたまに電話を掛けてくるが、父とは一度も連絡をしていない。ユウマは父の携帯番号も登録していなかった。


 今日の母との電話も、いつもと変わらなかった。


 いわく、そろそろ帰ってこい。

 曰く、ダンジョンの仕事は危ないからやめろ。

 曰く、定職について安心させてくれ

 曰く、早く結婚して孫の顔を見せてくれ


 3年くらい前から、電話に出る度にこれだ。

 ユウマはもう耳にタコが出来ていた。


 こういう日は、行きつけのBarで上手い酒をのどに流し込みたくなる。


 ユウマは2カ月散髪していない長めの髪にクシを通し、跳ねている髪を落ち着かせると、ボディバッグを掴んで部屋を出た。


 10年住み続けている8畳のワンルームを出て、徒歩4分。

 近所にある行きつけのBarの扉を開いた。


 ――ガラガラガラガラ


 横にスライドするタイプの扉だ。

 カウンターのみ8席しかない、縦長の焼酎専門のカウンターBarで店名を『Amakusa』という。


 都内は地価が高いため、田舎では考えられないような狭い空間で商売をしている店がある。

 狭い空間で店主と向い合せで飲む以外の選択肢が無いお店、常連と思われるお客で賑わっているお店というのは、敷居を高く感じるものだ。


 ユウマは上京して4年が経った頃、初めて『Amakusa』を訪れた。

 そして、扉をスライドさせた先にあった細く縦長の店内にビビッて、そのまま扉を閉めて逃げ出した。


 それでも行きつけの店が欲しいという感情には抗えず、毎日のように店の前を通った。『Amakusa』の店内に入り、店主から挨拶をされたのは、初めて扉をスライドさせた日から5日後のことだった。


 それから6年。今では、ユウマが店の常連ヅラをしている。


「やあ、いらっしゃい。――高坂さん、そろそろ髪切った方がいいんじゃない? 頭が紅茶プリンみたいになってるよ」


「戸田さん、おつかれっす。紅茶プリンって……」


 マスターの戸田に言われて、店内に置かれた鏡に目をやる。

 少しこけた頬、切れ長の目、自己流で手入れをしている眉、目を見張る美形ではないが、顔の雰囲気はイケメンの部類に入るだろう。


 目線を少し上にズラす。

 2カ月前に赤茶色の染めた髪が頭頂部から黒くなっていて、まさに紅茶プリンの様相を呈していた。


「うまいこと言いますね。でもなあ、美容室は高いから頻繁に行くのはちょっと……。底辺ブレイカーはあんま金が無いんすよ」


「よく続いてるねぇ」


「今日も母親から電話で小言を聞かされたとこです。ダンジョンの仕事は辞めろとか、地元に帰ってこいとか。ああ、思い出したら腹立ってきた。芋のロックください」


 あいよ、と戸田マスターが後ろの棚から、ちょっと珍しい銘柄の芋焼酎のボトルを取り出し、氷を入れたグラスに注いだ。


 ここ1年くらい、ユウマは入店1杯目に飲むお酒をこの芋焼酎と決めている。


「贅沢な話ね」


 ぼそり、と呟くやや高い女性の声。

 3席ほど離れた場所に、アルコールで頬を赤く染めた女性が座っていた。


 その風貌は、女性と言うよりも女子だった。

 座高が低く、黒髪セミロングという髪型も相まって、中学生と言われても納得してしまいそうなルックスは、焼酎をたしなむBarにはあまりにも場違いに見えた。


 戸田マスターがお酒を出しているのだ。もちろん未成年ということは無い。


 ビジュアルの話はさておき、ユウマはまずこのロリっと会ったことがあるのか、必死で記憶を掘り起こす。


 結論は初対面――のはず。


 もしかしたら、この店で泥酔しているときに会っていて記憶にないのかもしれないが、少なくとも横からタメ口で小言を差し込まれる関係ではないと断言できる。


「それ、俺のことすか?」


 ユウマは、なるべく威圧感がでないように、軽い口調で発言の意図を確認した。


「あら、聞こえちゃった? 気を悪くしたのならごめんなさい」


 素直に謝られて、肩透かしを食った気分になる。

 ロリっ娘は、手元のグラスをグイッと飲み干すと「おかわり」と戸田を呼んだ。


「ちょっと、うらやましくなっちゃって」


「うらやましい? どこにでもある親の小言だよ」


「そのどこにでもあるものが、うらやましいと感じる人もいるってことよ」


 相手のタメ口に引っ張られて、ユウマも自然とタメ口になる。

 そして、親の小言がうらやましいなんてことを言う奇特な人がいることに驚いていた。


「うちは、そんな風に小言を言ってくれる親がいないから」


 ユウマは顔をしかめた。

 早くに親を亡くしているのか、親に捨てられたのか、親との縁が切れているのか、理由は分からないがあまり気持ち良い話では無さそうだ。


 この話を続けるのは得策ではない、と慌てたユウマは必死で話題を変える。


「そ、そうなんだ。それにしても君って若く見えるよね? 歳いくつ? もしかしてお酒を飲んじゃいけない歳だったりして……なんてね」


 デリカシーに欠けた、考えうる限り最悪の方に近い話題転換だ。

 ユウマがこれまで女性と良い縁が無いのも、こういう雑な性格に起因している。


 ロリっ娘は「はあ」と溜め息をついて、もうその質問は飽き飽きしているといった顔をした。


「あなたが今日の5人目よ」


「え?」


年齢確認ねんかく。まあ、いいけど。もう慣れちゃったし。これでもう三十路なの。確認する? ほら免許証」


 これまでに何度も「ウソー!」とか「またまた~!」とか言われてきたのだろう。流れるようにスムーズに、彼女は財布から自動車の免許証を取り出した。


 顔写真のところをしっかり指で隠す技術も手慣れている。


「マジ? まさかの歳上……だったんすね」


 少なくとも5歳は下だと思って話していた女性が、自分より2つも上という事実に驚くあまり、ユウマは敬語に戻っていた。


「その反応は今日の3人目」


 彼女は自嘲気味に笑うと、ミサキと名乗った。

 さらに自分の仕事はダンジョン攻略に欠かせない荷物持ち『ポーター』だと言う。

 

 もちろん『ポーター』は荷物を持つだけが仕事ではない。


 広いダンジョンのマッピングをして効率的に探索を進めたり、確認されているだけで数百種類はいると言われるモンスターに関する知識を持って弱点を教えたりと、攻略に欠かせないサポートメンバーである。


 彼女の仕事がポーターだと知って、ユウマも自分はブレイカーだと明かした。


 もちろん最底辺のブレイカーだとか、一向に芽が出る気配がないだとか、そんな話はしない。


 この近くのエリアで有名なブレイカーの話など、共通の話題で十分に盛り上がった。そして話題は大規模ダンジョンへと移った。


「大規模ダンジョンって入ったことあります?」


「もちろんあるわ。ほんの2回だけだけど」


本当マジすか!? 大規模ダンジョンって、どんな感じでした?」


「横はもちろん、縦にも広いから大型のモンスターがウヨウヨしてるし、部屋やトラップの数も桁違いよ。着いていく仲間を間違えたら、あっという間に死体になるわ」


 幼い少女のような顔をしたミサキの口から放たれた「死体になる」というワードのパワーに、ユウマはヒュッと息を飲む。


 陽光タワーの大規模ダンジョンはユウマにとって、またとないチャンスだ。

 しかし死体になるのはちょっとな、と参加すべきか、せざるべきか、いまだに心は揺れている。


「でも……とてもお金になった」


 ミサキはそのときのことを思い出したのか、ニヤリと笑った。

 ポーターは個々の契約にもよるが、ダンジョンブレイクによって企業から支払われる報酬、いわゆる攻略ブレイク報酬の10%が相場と言われている。


 大規模ダンジョンはブレイク報酬だけでも億単位のお金が動く、という噂はユウマでも聞いたことがある。


 仮に5億円の売上があればポーターに支払われるお金は5000万円。

 参加していたポーターがミサキの他にもう数人いたとしても、1人当たり1000万円近いお金が入ってくることになる。


 優秀なポーターは、優秀なブレイカーよりも貴重と言われ、有象無象のブレイカーの何倍も稼ぐ。


「じゃ、じゃあさ。もし、大規模ダンジョン攻略の誘いがあったら――」


「もちろん参加するわ」


 即答だった。


 これほど簡単に決断できるくらいだ。

 もしかしたら、さっきの大規模ダンジョンの体験談も少し大げさに話していたのかもしれない。


「実は、もうすぐあるのよ。大規模ダンジョンの攻略。ここで大きく稼げれば、ママの手術代が貯まるかもしれない」


 酔いが回って口が滑ったのだろうか。

 ミサキはお金を欲している理由をポロっと話してしまった。


「あっ、ごめんなさい。こんな話をするつもりじゃなかったんだけど。飲み過ぎるとダメね」


 だがユウマにとっては、そんなことはどうでも良かった。

 むしろ「もうすぐある」という大規模ダンジョンの方が気になっていた。


 大規模ダンジョンの攻略案件なんて頻繁に発生するものではない。


 彼女が参加する案件は、ユウマがセイジから誘われている陽光タワーの案件と同じだと考えて問題ないだろう。


「いや、良いんす。そっか、あなたも参加するんすね」


「あなたもってことは、君も? 陽光のアレ?」


「はい、陽光の。でも、参加するかどうかはまだ考えてんすよね」


 ユウマが「まだ考えて」と言った瞬間。

 明らかにミサキの表情がスンとなった。


「考えるくらいなら辞めておいた方がいいわ」


「え?」


「命と天秤に賭けてでも得たいものがあるのでなければ、大規模ダンジョンは、いやダンジョンに潜るのは辞めた方がいい、って言ってるの」



 ユウマは自分のことを、意気地なしとバカにされたような気がした。

 カチンときたユウマは、感情のままにミサキに突っかかる。


「なんで、あんたにそこまで言われなきゃならないんすか」


「だって君には、君のことを待っているご両親がいるんでしょう? 命を賭けてダンジョンに潜らなくても家族と幸せに暮らしていける……私とは違う」


「あんたに俺のなにが分かんだよ!」


 ユウマはグラスに半分ほど残っていた焼酎を一息に飲み干すと、ドンとカウンターに勢いよく置く。

 氷で薄められているとはいえ、20度のアルコールが彼のノドを焼いた。


「さあ。分からないし、分かりたいとも思っていないわ。ただ……命は大切にしなさい、って言っているだけよ。――マスター、お勘定ちょうだい」


 言いたいことを言うだけ言って、ミサキは独りで店を後にした。


「クソ! なんなんだ、あのロリババア。人のことを腰抜けみたいに言いやがって。慎重に仕事を選んでなにが悪いってんだ」


「そういうつもりじゃないと思うよ」


「なんだ。マスターもあの女の味方するんすか?」


「途中で止められなくて申し訳なかったけど、高坂さんにとっても大事な話だと思ったんだ」


「あんなの、大事な話なもんか」


 怒りが収まらないユウマに、戸田マスターが「お詫びだ」と言いながら、カウンターで空のままになっていたグラスに、新しい焼酎を継ぎ足す。


「ダンジョン攻略は命懸け。その覚悟を持てないなら引退した方が良い。僕もそう思うよ。実際にそうやって引退していったブレイカーも、ポーターも、たくさん見てきたしね」


「俺の覚悟は足りてないってことすか?」


「まあ、少なくとも彼女はポーターに命を賭けているよね」


「そういや、あの女。ママの手術代とかなんとか」


 ミサキが口を滑らせたセリフに言及すると、戸田の動きが一瞬、止まった。

 この話をすべきかどうか、しばらく黙考した結果、彼はユウマのために話すことを決めた。


「これは僕の口から言うべきことじゃない。だから誰にも話さないで欲しいんだけど、ミサキちゃんは唯一の家族である母親の手術費用を稼ぐためにポーターをやっているんだそうだ」


「母親の手術費用?」


「女手ひとつで彼女を育ててくれた大事な母親らしい。いまは意識不明で入院していて、海外の名医に手術をお願いしなきゃダメなんだって。金額は多分、億はくだらないんじゃないかな」


「意識不明で入院……、億はくだらない……」


 ユウマは、ついさっきミサキが「うちは、そんな風に小言を言ってくれる親がいないから」と言っていたことを思い出した。


 ミサキが置かれているドラマのような状況と、手術にかかる現実離れした金額に、ユウマは別世界の話を聞いているような感覚に陥る。


 だが、ブレイカーやポーターになるのに、そんなドラマの主人公のような境遇が必要と決まっているわけではないはずだ、という結論に至った。。


「そりゃ、俺にはそんな大層な目的はないけど……それでも俺だって、ブレイカーとして一人前になる夢を持ってクソ田舎から出てきたんだ」


「うん、知ってるよ。だから、その夢に命を賭けられるのかって話さ。別に大層なお題目が必要ってわけじゃない」


「夢に、命……。あー、クソッ」


 夢に命を賭けられるのか。

 高校時代のユウマなら当然「賭ける」と即答していただろう。

 なぜなら、その賭けに必ず勝つ、という強い自信があったから。


 ブレイカーになって、予想もしていなかった大きな壁にぶつかって、ユウマは自分でも気づかないうちに、気持ちが高ランクを目指すことを諦めてしまっていたことに気づかされた。


 ユウマは継ぎ足された焼酎をあおると、スマートフォンを取り出して、セイジにメッセージを送った。


      ◎  ◎  ◎  ◎


「あら、君はこのまえの。そう、結局来たのね」


「うす。俺はこのダンジョンで必ず結果を残すんで。もし結果を残せなかったら、ブレイカー辞めるっす」


 数日後、ユウマは陽光タワーの大規模ダンジョンの前で再会したミサキに、自らの決意を伝えた。


 Bar『Amakusa』で会った時とは違い、ダンジョン装備に身を包み、髪をまとめたミサキは少し大人っぽい雰囲気になっていた。


 といっても中学生が高校生に見える、くらいの差ではあるが。


「そう。頑張ってね」


「うぃっす!」


 ユウマの決意に対して、ミサキの反応は薄かった。

 事前に彼女と会っていなければ、きっと冷たい女だと思ったに違いない。


 しかし、ユウマは彼女が優しさゆえに厳しい人なのだと知っている。


「死んじゃダメよ」


 そう言い残して、ミサキはポーターが集まっている場所へと移動した。


「ほんと、素直じゃない人だな」


 ミサキは、ユウマの決意に過剰に反応しないことで「ちょっと冷静になれ」と伝えたかったのだ。ユウマもそれに気が付いた。


 命懸けでやることと、命を雑に扱うことは違う。


 人は気持ちが先行すると、踏み込むべきリスクと、絶対に踏み込んではならないリスクの境目が分からなくなるものだ。


 お金を稼がなくてはならない、と強く思えば、トラップが仕掛けられていそうな宝箱でも開けたくなる。


 必ず結果を残す、と強く思えば、勝てない敵にも斬りかかりたくなるし、数をこなそうとして戦い方が雑になる。


 ユウマは結果を残した上で、もう一度ここへ帰ってこなくてはならない。

 死んだブレイカーの功績など、なんの意味もないのだから。


「よし、みんな準備はいいか? いくぞ!!」


「「「おおおおぉぉぉ!!!!」」」


 セイジは深紅のメタルアーマーに光を反射させながら、ブレイカー12人、ポーター3人の合計15人で編成された攻略隊のリーダーとして、陽光タワーの大規模ダンジョンへと突入した。


 ――ダンジョン突入から6時間後


「喰らえ! グラビティクラッシュ!!」


 ヤッくんが振り回しているハンマーが持つ武器スキルが、6メートルはある巨大モンスター、一つ目巨人(サイクロプス)に過重力を与える。


「いいね、ヤッくん。これなら届く! ブリリアントスラスト!!」


 頭が下がったところで、サイクロプスの大きな目に向かって、セイジがレイピアから必殺の一撃を加える。


 ――グオオオオアアアァァァァァ


 サイクロプスが断末魔の悲鳴を上げて、脚から崩れ落ちた。

 倒れた身体が、つま先からサラサラと消えていく。


 一方、ユウマの役目は今日も雑魚モンスター排除(ゴミそうじ)だ。

 ボス戦以外でも、エース部隊の邪魔にならないように周囲のゴミを排除する。

 だが、小規模ダンジョンと違ってゴミのサイズが大きい。


「ぬあああぁぁぁぁ! ハードクラッシュ!!」


 ユウマは3メートルサイズのオーガの脚を狙って、武器スキルを放つ。


 ――グギャッ


 スキルが直撃し、オーガが悲鳴を上げて膝をつく。

 ユウマはすかさず追撃すると、その脳天に最後の一撃を加えた。


 ミサキから聞いた情報を元に、大型モンスターにも通用する大剣クレイモアを買っておいて良かった。

 コツコツ貯めていた貯金は半分になった。残高は20万円也。


「高坂さん、今日は調子いいっすね。これならランクも上がるんじゃないすか?」


「はははは、だと良いんだ……いや。絶対にランクを上げてみせるよ」


 近くで戦っていたハタチ前後の若いブレーカーから声を掛けられた。

 ユウマは、いつもの調子で保険をかけた返事をしようとして辞めた。


 ここで「だと良いんだけど」と言ってしまったら、また以前の自分に逆戻りする気がしたのだ。

 自分はその程度。でもいつか何かが起こる。そんな淡い期待を抱いて一歩引いた戦い方をしてしまう、そんな自分に。


 ――さらに2時間後


 ついに攻略チームはダンジョン奥の大空洞でボスモンスターを発見し、戦闘に入った。

 陽光タワーのボスは、巨大な金棒を構え、生意気にも鎧を着込んだ一つ目の巨重戦士アーマードサイクロプスだった。


 サイクロプスの弱点である大きな目も、フルフェイスヘルムでしっかりガードしている強敵だ。


 と言っても、ユウマが相手にするのはこれまでと変わらない。

 オーガに加えて、サイクロプスが出てくることもあるが、仲間のブレーカー達と協力してなんとか撃破出来ている。


 これまでに倒したモンスターの数も、20を超えたはずだ。

 そのほとんどが2~3メートルサイズの中~大型モンスター。


 ここを生き残れば、間違いなくユウマのランクは上がる。

 まさに正念場だ。


「ユウマ! そっち行ったぞ!!」


 セイジの声で振り向くと、アーマードサイクロプスが5メートル手前まで接近していた。


「うっうわあああああ」


 右に飛ぶべきか、左に飛ぶべきか。ユウマはとっさに前へ飛び込んだ。

 

 アーマードサイクロプスが横に振った金棒は、ダンジョンの岩壁に直撃し、大きく壁が崩れ落ちた。

 崩落した岩盤がアーマードサイクロプスの頭にでも直撃したのか、敵はフルフェイスヘルムを押さえて動きを止めている。


「あ、あぶなかった」


 右に避けても、左に避けても、ユウマがあの壁のようになっていたに違いない。

 運よくアーマードサイクロプスの股下を抜けたことで生き延びたユウマは、背筋にイヤな汗をかいていた。


「ユウマ、よくやった! 相手は隙だらけだ!!」


 動きを止めているアーマードサイクロプスに渾身の一撃を喰らわせるため、エースチームが素早く駆け寄ってくる。


「オッサンやるじゃん」


 ヤッくんもニヤリと笑って、アーマードサイクロプスにハンマーを構える。


「喰らいやがれ! ハードクラッシュ!!」


 ヤッくんの一撃が、アーマードサイクロプスの心臓部に直撃した。


 ――ゴオオオォォォォォ!!!


 苦悶の声で叫ぶアーマードサイクロプス。

 その頭部にあるフルフェイスヘルムにセイジがレイピアを構えている。


 よく見ると、サイクロプス相手に使っていたレイピアとは造詣ぞうけいが違う。アーマードサイクロプスの弱点である電撃属性のレイピアに持ち替えたのだ。


「はああああああ……ライトニングスラスト!!」


 バチバチと音を立て、電撃をまとったレイピアが、フルフェイスヘルムの間隙を縫って、その大きな目に届いた。


 ――ググガガガガガガガゴゴゴオオオォォォ!!!


 アーマードサイクロプスは、鎧の中で電撃に焼かれているのか、悲鳴はしばらく続いた。

 だが、やがて力尽きたアーマードサイクロプスは、ドズーーーンと大きな音を立てて倒れこんだ。



「これで、終わったか?」

「リーダー、やりましたね!」


 セイジと、ヤッくんがハイタッチをしている。


「君も生きてたみたいね。安心したわ」


 ユウマの耳が、聞き覚えのある女性の声をとらえた。


「なんとかね。一瞬、死ぬかと思ったけど」

「あとでAmakusaで詳しく聞かせて」


 女性から飲みのお誘いを頂けるなんて!

 ユウマの人生には、いま流れがきているに違いない。などと考えながらユウマがニヤニヤしていると、ミサキが首を傾げていた。


「おかしい。ダンジョンが……ブレイクしない」

「たしかに。ブレイクしないっすね」


 これは有り得ない現象だ。


 通常、ボスモンスターを倒せば5分くらいでダンジョン化は収束を始め、30分以内に黒い霧は文字通り霧散する。

 そして俺たちはダンジョンの入り口だった場所に戻される――はずなのだ。


 しかし、今回は一向にその気配が無い。


「おい! これはどういうことだ!?」


 ブレイカー達が騒いでいる声がする。

 やはりダンジョンブレイクが起こらないことに戸惑っているのだろうか。


「さっき倒したアーマードサイクロプスが消えないぞ!!」


 倒したはずのボスが消えない。

 ダンジョンブレイクが起こらない。


 それはつまり――ユウマはひとつの答えにたどり着いた。


「もしかして、まだボスを倒せてないってことすか?」

「たぶん当たりよ。少し離れましょう」


 ミサキに引っ張られるかたちで、ユウマはアーマードサイクロプスから距離を取る。


 グラグラと少しだけ地面が揺れている。


 地震ではない。

 震えているのはアーマードサイクロプスの身体。

 その振動がダンジョンを揺らしていた。


 次の瞬間、アーマードサイクロプスの身に着けている鎧が、勢いよく弾け飛ぶ。


「ぎゃっ」


 飛んできた鎧の肩当がブレイカーの1人に直撃し、そのまま壁へと飛んでいった。


 鎧のパーツひとつとはいえ、6メートルの巨体が身に着けていた鎧だ。

 肩当だけでも数十キロはある。


 ダンジョンの壁と肩当てに挟まれたブレイカーは圧死した。

 つぶさに調べずとも、彼が死んでいることは明白だった。


 ――それくらい見事に潰れていた。


 これで生きていたら、それは人間ではない。そういう死に様だった。



「た、盾を構えろ!」


 セイジが激を飛ばす。

 頑丈な大楯を持つブレイカーが慌てて構える。


 大楯を持たないブレイカーは、彼らの陰に隠れた。


 アーマードサイクロプスが立ち上がると、肘当、籠手、膝当と次々にパーツが弾け飛んでいく。


 不意打ちでなければ、大楯を構えてさえいれば、決して耐えられない攻撃ではない。

 いや、そもそもこれは攻撃と呼べる代物ですらなく、ただの事象なのだが。


 鎧のパーツが全て弾け飛んだ後に立っていたのは、先ほどまでよりふた回りほど大きくなった真っ黒な肌(ノワール)一つ目巨人(ノワールサイクロプス)だった。


「こいつぁ初めてみるタイプだな。第2段階ってやつか……。やるしかねぇよなあ」


 セイジがレイピアを構える。

 ノワールサイクロプスには、もうフルフェイスヘルムが無い。

 それは弱点であるはずの目を直接狙える、ということだ。


「はああああああ……ライトニングシュート!!」


 セイジはさっきとは違う、遠距離攻撃用スキルを発動した。


 レイピアの先から電撃の塊が飛び出して、ノワールサイクロプスの目へと一直線に疾走はしる。

 

 電撃の塊がノワールサイクロプスの目に直撃する。

 ノワールサイクロプスは断末魔の悲鳴を上げて倒れる。

 ――誰もがそうなる未来を期待した。


 しかし、突如として敵の目から放たれた熱光線が、電撃の塊を飲み込んでいく。


「う、うわあああああぁぁぁぁ!!!」


 ポーターとしてチームに参加していた男の叫び声がダンジョンに響き渡った。


 彼の隣には上半身を焼失した仲間の姿。

 もうひとり、いるはずのポーターの姿が見えないということは、そういうことだろう。


「ひ、ひいぃぃぃぃ」


 情けない悲鳴を上げて、ポーターの男は敵に背を向けて逃げ出した。

 ノワールサイクロプスは、その背に向かって崩落した瓦礫を投げつける。


 次の瞬間、ポーターの男は瓦礫に潰されて絶命した。


 ヤッくんがノワールサイクロプスを睨みつけ、手に持ったハンマーを構える。


「きさま、よくも!! グラビ――」


 グシャッ、と潰れる音。

 ヤッくんが武器スキルを発動する前に、ノワールサイクロプスの右手が、ヤッくんの身体を地面へとし潰したのだ。


「ヤッくん!?」


 チームのリーダー&サブリーダー的な立ち位置でバディを組んでいたヤッくんを失い、さしものセイジの顔にも動揺の色が濃い。


「リーダー! こいつは無理です。強すぎます! 一度引きましょう!!」


 大楯を構えたブレイカーがセイジに注進する。

 リーダーたる者、引き際も肝心だ。


 なにせ既に4人もの命が、ノワールサイクロプスの手によって一瞬にして摘み取られたのだから。


「仕方ない……みんな退くぞ! ユウマたちも早くこっちへ来い!」


 ユウマとミサキは、さっき倒れているアーマードサイクロプスから距離を取ったときに、大空洞の入り口とは逆側にきてしまっていた。


 セイジがいる入り口側へ向かうには、ノワールサイクロプスの横を抜けなくてはならない。


 今なら都合の良いことに、ノワールサイクロプスの注意が人数の多い方、つまりセイジたちエースチーム方を向いている。


「今のうちにゆっくり入り口の方に向かうっすよ」


 ユウマとミサキは、ノワールサイクロプスの死角となっている場所を選んで、少しずつ入り口へと向かう。


 ――そろり、そろり。


「ひっ」


 ついさっきポーターの男を潰した瓦礫があった。

 瓦礫の下からは真っ赤な血液が流れだしている。


 ここを越えれば、エースチームと合流できる。

 ユウマは、ただ目的地を見据えて、ゆっくりと歩を進める。


「あ」


 ミサキが間の抜けた声を上げて、上を見上げた。


「あ」


 ユウマも同じく上を見上げると、ノワールサイクロプスの大きくてつぶらな瞳とバッチリ目が合った。


 ――グオオオオオォォォォォォォ!!!


 コソコソと背後を動き回っていたことが気に食わなかったのか、黒いサイクロプスはユウマたちの方に向き直り、怒りがこもった咆哮を上げた。


「リーダー! あいつらはもうダメだ!! 置いていくしかねぇよ 俺らは先に逃げるからな!!」


 大楯を持ったブレイカーが仲間たちを先導し、さっさと大空洞を逃げ出した。


 ノワールサイクロプスが大きく拳を振り上げる。

 その巨体の先に、セイジが苦悶の表情をしているのが見えた。


 大楯を持った守備タンク型のブレイカーが2人いて、ギリギリ耐えていたモンスター。それに対するは最底辺のブレイカーの男と、戦力外のポーターの女。

 セイジも頭では助けられないという結果を弾きだしている。


 深紅のメタルアーマーが、くるりと体の向きを変え、こちらに背を向けて姿を消した。


 もうこの大空洞には、ノワールサイクロプスのほかには、ユウマとミサキしか残っていない。


 このままでは、ふたりともあのデカブツのエサにされてしまう。

 ユウマは腹を括った。


「ミサキさん、あいつは俺が引きつけます。その間に入り口へ走ってください」


 ユウマの提案にミサキは大きく首を振った。


「君、なにを言ってるの!? そんなこと出来るわけ――」


「あなたには助けなきゃいけない母親ひとがいるんでしょ!?」


「なんで知って……」


 ミサキの顔が歪んだ。

 母親の顔を思い浮かべたに違いない。


「走って! はやく!!」


 ユウマは懐から護身用のダガーを取り出すと、ノワールサイクロプスに投げつけ、入口とは逆の方向へ走り出した。


 ユウマから敵意を感じ取ったノワールサイクロプスは、ミサキに背を向けユウマを追いかける。


「ごめんなさい」


 ミサキは小さく謝ると、顔を伏せたまま入り口へと走っていった。


 大空洞に残されたのは、ノワールサイクロプスが1匹と、最底辺のブレイカーが1人。

 ブックメーカーがあったなら、ユウマの勝利は超大穴・高配当になっていたはずだ。

 

「あははは、ちょっと格好つけすぎちゃったかなあ」


 とは言うものの、ユウマにとって、ミサキを犠牲にして自分だけ生き残るという選択肢は無い。二人一緒にいたところで戦闘力が1か、1.5かくらいの差で、ノワールサイクロプスとの差は歴然だ。


 つまり、この状況で彼女を逃がす選択肢は、最も合理的な判断だったとユウマは確信していた。 


 ―グオオオオォォォォォォォォ!!!!!


 再びノワールサイクロプスが咆哮を上げた。


 さっきよりもテンションが高い気がする。

 これからがお楽しみ、ということだろうか。


 心なしか表情も悪そうな顔をしている。

 殺されるにしても、なるべく痛くない方が良いなあ。

 

 モンスターが拷問とかするのかどうかは知らないけれど、猫がネズミをいたぶって遊ぶように、本能的に人間をいたぶるモンスターがいてもおかしくはない。


 絶対的な脅威を前にして、ユウマは悠長にそんなことを考えている。


   〔……ら……か?〕


(ん? 今、なにか聞こえたか?)


   〔ち…………か?〕


(いや、気のせいか)


 ついに、人の声のような幻聴が聞こえ始めた。

 もしかすると、死を目の前にしたことで、ご先祖様がお迎えに来てくれているのかもしれない。


 ―グオオォォォ!!


 ドシン、ドシンと足音を鳴らしながら、黒いサイクロプスが寄ってくる。

 さあ、右に逃げるか、左に逃げるか、それとも正面か。


 そのとき、ゴゴゴゴゴゴゴ、という大きな音と共に、地面が大きく揺れ出した。

 大型の地震くらい揺れている。立っているのがやっとだ。

 黒いサイクロプスもよろめいて、たたらを踏んでいた。


 ミシミシミシミシ、ピシシシシシシシという音と共に、ダンジョンの床面に亀裂が入りはじめ、端っこの方からガラガラと床が崩れ始めた。

 数秒後、ユウマは黒いサイクロプス共々、ダンジョンの下層へと落下していった。


      ◎  ◎  ◎  ◎


 ここで冒頭に繋がる。

 ユウマは『呪われた邪龍のグローブ』の力でノワールサイクロプスを撃破し、無事にダンジョンをブレイクした。


 黒い霧が消え去ると、ユウマは独り、陽光タワーの入口に立っていた。

 目の前の大通りには、たくさんの車が走っている。

 さっきまでボスモンスターと命のやり取りをしていたとは思えないくらい、ここは日常だった。


 スマートフォンを取り出して時刻を確認すると、すでに23時を過ぎている。

 かれこれ12時間くらいはダンジョンに潜っていたことになる。


「俺、本当に生きて帰って来れたんだな」


 大袈裟ではなく、一歩間違えば死んでいた今回の大規模ダンジョン攻略。

 生きていることが幸せなことだ、という実感が湧いてくる。


   〔我と契約したのだから当たり前だ〕


「お前も夢じゃなかったんだな」


 呪いの邪龍の声が頭に響く。


 ユウマは、改めて両手のグローブを見た。

 見れば見るほど、香ばしくて痛々しいデザイン。

 しかも喋る邪龍(悪夢の竜帝ナイトメアドラゴンエンペラー)機能付き。

 バン〇イのDXシリーズかよ。


「そういや、なんで俺と契約したんだ?」


   〔仲間たちが逃げるなか、貴様は弱いくせに身をていして女を守った〕


   〔あれは……格好良かった。まさにヒーロー〕


「やめろ、恥ずかしい」


   〔我と契約すれば、もっと格好良くなれるぞ〕


「異議あり! 貴殿のセンスは絶望的です!」


   〔被告の異議を却下する〕


「横暴だな、こいつ」


   〔悪夢の竜帝ナイトメアドラゴンエンペラーはエラいのだ〕


   〔ところで貴様は、あの女と恋仲なのか?〕


「恋仲て。昭和かよ。別にそんなんじゃねぇよ」


   〔あのロリっ娘を狙っているのか?〕


「しれっとロリっ娘て言うたな。――だから、違うっての」


   〔貴様、童貞だな?〕


「ど、ど、ど、ど、童貞ちゃうわ! いい加減にしろ!」


 ユウマは、なんだかんだこの邪龍と喋るのが楽しくなっていた。


「あ、そうだ。とりあえず、先輩にだけは報告しとかないとな」


 セイジに電話をする。

 が、一向に繋がる気配がない。


「大規模ダンジョンの攻略を失敗したわけだし、会社でいろいろ処理とかあるのかもな……メッセージだけ送っておくか」


 ユウマは自分が生きていること、強力な武器を拾ったおかげでボスモンスターを倒せたこと、ダンジョンブレイクして帰っていることを報告した。


 強力な武器が中二病の邪龍(悪夢の竜帝ナイトメアドラゴンエンペラー)に呪われていて外せないことは伏せておいた。


 ただでさえ信じられないような情報が多いのに、呪いのことまで書いたら迷惑メールだと思われてしまいかねない。


 伝えるべきことは伝えた。

 ユウマはセイジからの返事を待つことにした。

 

 今日は色々なことがあった、何度も死にかけたし。

 このまま家に戻っても恐らく興奮して寝つけないだろう。


 こんな夜は、アルコール様にお力を拝借して眠りにつこうと、ユウマは家に戻る前に、『Amakusa』のドアを開けた。


 ――ガラガラガラガラ


『Amakusa』ではいつものようにマスターの戸田さんが出迎えてくれた。


「やあ、いらっしゃ――ひぃっ! 幽霊!?」


「幽霊ってなんすか、足もちゃんと付いてますよ」


「いやだって……」


 そう言うと、戸田マスターが店の奥に視線を送った。

 そこには、すっかり見慣れたロリっ娘ポーターが酔い潰れている。


「ミサキちゃんが、高坂さんは大規模ダンジョンで死んだって。さっきまで『私が殺したようなもんだ』って荒れてて……ほら、そこの空き瓶見てよ」


 ミサキの周りには、栓が抜けているスパークリングワインのフルボトルが4本。

 あの全てが空っぽだとすると、その量はおよそ3リットルだ。


「まさか……あれ、全部ひとりで?」


 戸田は静かに頷いた。


 フルボトルの半分もあれば酔っ払ってしまうユウマには、とても信じられない光景だ。


 ユウマを置いて、もっと言うならユウマを囮にして自分が助かったことを、彼女自身が許せないのかもしれない。


「マスター、おかわり。……あれ? マスター?」


 ミサキが目を覚まし、キョロキョロと辺りを見回した。


「私、もしかして寝てた? ……って君!?」


 ミサキがユウマに気づき、これでもかというくらい目を見開いた。

 ユウマはなるべく自然に、と心掛けつつ「お、おっす」と挨拶をする。


「私……まだ寝てるのかしら。死んだはずの男が目の前に立ってるわ」


「なんか高坂さん生きてたみたいだよ」


 有り得ないとばかりに、ブンブン頭を振ったミサキは、アルコールによる頭痛で頭を抱えた。


「いたたたた……、いやそれは無いわ。それだけは絶対に無いのよ。あの状況から生きて帰ってくるなんて高ランクのハンターでも難しい。ましてや彼じゃ……」


 ユウマとミサキの目が合った。

 ミサキの目から涙が溢れだす。


「ほんもの……なの?」


 ミサキがゆっくりとユウマに近づき、両手で頬に優しく触った。


「ああ、幻じゃない、幽霊でもない」


「ちゃんと帰ってきたっすよ……いでっ、いででででで」


 感動的な再会のシーンにも関わらず、ミサキがユウマの頬を思いっきり引っ張る。


「夢でも……ない」


「それは自分の頬でやらないと意味ないやつっす……わっ」


 ミサキがユウマに思いっきり抱き着いた。

 身長差は約20センチメートル、いまユウマの首のあたりにミサキの頭がある。


 シャンプーと、少し汗の混じった甘い匂いがした。


「生きてた! 生きてた、生きてた、生きてたぁ!! わあああああぁぁぁぁぁぁぁ!!! よか゛った゛よ゛お゛お゛お゛お゛おおおおぉぉぉ!!! 私が!! 私のせいで!! ごめ゛んな゛さ゛あああぁぁぁい」


 ユウマは、女の人がこんなに近くで号泣しているのを見るのは初めてだ。

 ミサキのビジュアルを差し引いても、まるで子供の様だと思った。


 胸の中で泣き続けるミサキの背中を、ユウマは優しくトントンする。


 そんなふたりの様子を見守っていた邪龍だったが、どうしても言わずにはいられなかった。


   〔このあと滅茶苦茶セッ――〕


「言わせねぇよっ!!」


 頭の中へ直接下ネタをぶっこんできた邪龍に、ユウマは思わずツッコミを入れてしまった。

 涙で目を真っ赤にしたミサキが、胸元から顔を上げてキョトンとしている。


「え?」


「あ、いや、ゴメン。いまコイツが……って聞こえないか」


 そう言いながら、ミサキの背中に回していた両手を上にあげ、グローブを睨みつけていると、ミサキの視線も邪龍のグローブに注がれ――そして、ふき出した。


「ぶっ!! ふふっ、なにそれ!? ぶはははははっ!! もしかして、あはははは! 君の趣味!? あははははははは!! 人の趣味は、それぞれだし? 私は、いひひひひ、良いと、思うよっ。中学生みたいで! あーーっはっはっはっはっは」


 さっきまでの良い雰囲気を一瞬でぶち壊す中二病の破壊力。

 さすがは悪夢の竜帝ナイトメアドラゴンエンペラーだ。


「ち、ちがう。違うんすよ。聞いて! 俺の話を聞いてくれ!!」


 お腹を抱えて笑い転げるミサキが、落ち着いて話を聞けるようになるまで15分かかった。


 そっちこそ見た目が中学生のくせに。


      ◎  ◎  ◎  ◎


 深夜1時を過ぎているにも関わらず、新進気鋭のダンジョンブレイク企業『クイックラッシャー』の社長室は明るかった。


「セイジ、お前は何も分かっていない」


 直立しているセイジは、足元がガクガク震えている。

 目の前にいる男が怖いのだ。


 男の名は『遊佐ゆさセイイチロウ』、セイジの実の父親である。

 セイイチロウは、社長室に置かれた来客用のソファーに深く腰を下ろし、太い脚を大股に開いて座っていた。


 太い脚といっても不摂生に贅肉を蓄えた脂の脚ではない。

 はち切れんばかりの筋肉で作られた鋼鉄の脚だ。


  設立10年のダンジョンブレイク企業『クイックラッシャー』を、新進気鋭のベンチャーと呼ばれるポジションまで引き上げたセイイチロウの手腕は、敏腕よりも剛腕と評されることが多い。


 齢50を超えるまで、社長でありながらエースブレイカーとしてダンジョンに挑み続けてきたワンマン社長である。


「お前が率いる我が社の攻略チームが、陽光タワーの大規模ダンジョン攻略に失敗したことは、すでに世間の知るところとなった。にも関わらずダンジョンがブレイクした。なぜだ?」


 これはダンジョンがブレイクした理由を聞いているわけではない。

 なぜなら、ダンジョンをブレイクしたのが『自分達がダンジョンで見捨てた最底辺ブレイカーのユウマ』であることは、ユウマからのメッセージと共にセイイチロウに報告済みだ。


「分からんのか? お前が我が社の精鋭部隊と再びダンジョンに乗り込んで、ボスモンスターを始末したからだ。それが真実だ。そうでなければ、我が社はクライアントの信用を失ってしまう」


 セイイチロウの眼光が鋭く光る。

 ただ強いだけのブレイカーでは、会社をここまで成長させることは出来ない。

 清濁併せ呑むセイイチロウの経営手腕があってこその結果だ。さすがは剛腕。


「それ以外の真実が存在することは我が社のリスクだ。エースブレイカーとしてのお前の経歴のため、お前が継ぐ会社の信用ため、お前が背負う社員の未来ためだ。分かるな?」


 セイイチロウの言葉に、セイジが唇を噛む。

 目では涙をこらえているため、顔の中心もクシャクシャになっていた。


 深夜の社長室は静寂に包まれていた。

 壁に掛けられたアンティークのアナログ時計の秒針がチッ、チッ、チッと動く音と、心臓がドクン、ドクン、ドクンと鳴る音が、セイジの耳の奥で交じり合う。


 会社として不都合な真実を隠すためには、ボスモンスターを倒したユウマの存在が表に出ないようにしなくてはならない。


 かわいがってきた後輩ブレイカーがついにチャンスを掴んだというのに、その輝かしい未来を奪わなくてはならない。


 脳裏に「セイジ先輩!」と駆け寄ってくるユウマが浮かんでくる。


 歳が近いブレイカー仲間のほとんどは既に引退した。


 ほとんどが18歳で新米ブレイカーとしてデビューし、25歳を過ぎてもブレイカーを続けている者は全体の1%にも満たないという統計が出ている。


 低ランクのままで10年もブレイカーを続けているユウマのような存在は貴重だ。


 親の力で、恵まれた教育環境と、高価な装備を与えられ、敷かれたレールの上を走るように高ランクへと昇ったセイジにとって、決して恵まれているとは言えない環境で藻掻もがくユウマはどん底にいるヒーローだった。


 セイジは、ユウマがいつかブレイカーとして成功する未来を期待し、心から応援していた。

 だからこそ、今回の大規模ダンジョン攻略でも社長の息子という立場をフル活用してユウマをねじ込んだ。


 しかしセイジには父に逆らうという選択肢は存在しない。

 そう育てられてきた――いや、しつけられ、刷り込まれてきた。


 与えられてきた選択肢は常に『YES or はい』しかなかった。


 覚悟を決めたセイジが頷く。


「はい。分かっています。お父さん」


 息子の返事に満足したセイイチロウは、ソファから立ち上がると、セイジの肩をポンと叩いて部屋をあとにした。


「しくじるなよ」


 去り際に、息子へ言葉をかけて。


      ◎  ◎  ◎  ◎


「うーん、本当に取れない」


 同じ頃、ユウマとミサキはまだ『Amakusa』にいた。

 ユウマが何度も「このグローブは呪われているから外せない」と説明しているのにミサキが一向に信じてくれないのだ。


 かれこれ30分くらい、ユウマは右手をミサキに預け、左手で焼酎のロックを飲んでいる。


   〔何度やっても無駄なこと〕


 邪龍もすっかりあきれている。


「もし、本当に邪龍の力が封印されているとしても変なのよ」


 グローブを外すことは諦めたが、まだ納得のいっていないミサキがブツブツと文句を言い出した。


「え? どういうことすか?」


「呪いとは違うけど、ダンジョン装備には精霊の力や神の力が宿ったものが見つかっているわ」


伝説級レジェンダリークラスっすね。それは俺も知ってます」


「そう。そんな伝説級レジェンダリークラスの装備でもダンジョンの外では力を発揮できない。なぜだか知ってる?」


「えーっと、確かダンジョン装備はダンジョンにある『魔素』を吸収して力に変えているから、魔素が無い場所では超常的な力が出せないとか」


「そのとおりよ。じゃあ、どうして魔素が無い外界なのに『装備が外れない』なんて超常現象が起きてるのよ!?」


「それは俺が聞きてぇっすよ……」


(で、どうして?)


   〔我は知らん。だが言われてみると……〕


   〔ちょっと力が入りにくいかもしれん〕


(そういえば、このグローブの攻撃力ってどれくらいなの?)


   〔ダンジョンなら攻撃力9999だ〕


「ぶっ」


 想定と桁が違いすぎて、飲みかけのお酒を盛大に吹き出してしまった。


「きゃっ! なにしてるのよ。私、なにか面白いこと言ったかしら!?」


「ゴホ、ゴホ、いや、ゴメン。ちょっと、ケホン、お酒がのどを直撃したんすよ。んっ、コホン」


 ユウマは攻撃力9999などという馬鹿げた数字を初めて聞いた。

 小中学生男子が大好きな『俺の考えた最強の武器』って感じだ。


 ちなみに大規模ダンジョン攻略用に貯金をはたいて買った大剣クレイモアの攻撃力は30だった。

 もちろん、ダンジョンの魔素があっての数値だ。


(ちなみに究極を超えた拳ウルトラアルティメットパンチってなに?)


   〔攻撃力9999の翔ぶ打撃スキルだ〕


(じゃあ打撃を飛ばさないときは?)


   〔直接殴るがいい〕

 

   〔だが我は翔ぶ方がカッコいいと思うぞ〕


(それはまあ、分からなくもない。翔ぶスキルはカッコいい)


   〔貴様も少しは分かってきたな〕


(でも、スキル名は死ぬほどダサい)


   〔貴様とは分かりあえぬ〕


「ねえ、君。ちょっと、聞いてる?」


「あ、ごめん! なに?」


 邪龍と脳内会話をしていたユウマは、ミサキによって現実へ引き戻される。


「だから、こんど一緒にダンジョン攻略に行きましょって言ったの」


「え? なんでっすか?」


 セイジとのコネで特別に呼んでもらえたユウマとは違い、ミサキは実力で大規模ダンジョンの攻略チームに招集されている。


 このあたりのダンジョン攻略案件なら、引く手あまたの有能なポーターなのだろう。

 つまり、わざわざユウマのポーターを買って出る理由が無い。


「見たいからよ」


「なにをすか?」


「ノワールサイクロプスを倒した、その実力を。それから……」


 ミサキが少し間をおいた。

 細い指先が、彼女の下唇を優しく押している。


 酔って薄紅色染まった頬と、潤んだ瞳が、幼い見た目とは裏腹に、中身は大人の女性であることを彷彿とさせる。


「興味があるから、かな? そのグローブと……君に」


 不覚にも、ユウマの心臓はドクンと大きく跳ね上がった。


 ◎  ◎  ◎  ◎           


 次の週末。

 ユウマはミサキとふたり、寂れた商店街にある小さなダンジョンの前に立っていた。


 アラサー男子が、歳の近い女子にあんなセリフを向けられて、イエスと答えないわけが無いのだ。


「着いたわ、ここよ」


「ここって、もしかして放置ダンジョン?」


「そうよ、有名でもないフリーのブレイカーとポーターに依頼案件なんてあるわけないでしょ。大丈夫、ちゃんと都庁のダンジョン課に攻略ブレイクの申請しておいたから」


 ダンジョンが発生して困るのは、いつも土地の所有者だ。先日の陽光タワーのような大型商業施設は営業を停止しなくてはならない。


 一刻も早くダンジョンを攻略して欲しい企業は『クイックラッシャー』のようなダンジョンブレイク企業へ発注する。


 一方、放置ダンジョンとは、土地そのものが既に使われていなかったり、所有者がダンジョンブレイクの費用を用意出来なかったりして、ダンジョン化現象が1年以上放置されている場所のことを言う。


 放置ダンジョンは自治体に申請だけ出せば、誰がブレイクしても構わない。簡単に言えば早いもの勝ちということだが、依頼主がいない=ブレイクする金銭的なメリットが少ないため、そのまま放置されがちである。


 たまに、実績を積んでランクを上げようと企む低ランクブレイカーや、レアアイテム狙いのギャンブルブレイカーが挑戦しているのを見かけるが、ダンジョンの数から考えると焼け石に水だ。


 ほとんどの場合は大手ダンジョンブレイク企業が『企業の社会的責任(シー・エス・アール)』の一環で、人目につく場所からブレイクして回っている。


 つまるところ、人目につかないシャッター商店街にある放置ダンジョンなどは、半永久的に放置されっぱなしということだ。


「ここ、何年ものかな?」


「さあ? なんだか熟成してそうよね」


「熟成して美味しくなるタイプだといいけど」


 お酒好きらしい軽口を叩きながら、ふたりはダンジョンへと足を踏み入れた。

 彼らのあとを怪しい人影が追ってきているとも知らずに。


      ◎  ◎  ◎  ◎


 ダンジョンの中はミイラ男の巣窟だった。

 包帯でぐるぐる巻で性別不明だから、もしかしたらミイラ女かもしれないが。


 なんにせよ、殴って倒せるモンスターはユウマの敵では無かった。


「本当にスゴいのね、そのグローブ」


 出てくるミイラを片っ端からワンパンで沈めていくユウマを見て、ミサキは素直に感心している。


   〔そうであろう、もっと誉め讃えよ〕


「あんまり褒めないでもらっていいすか?」


「あら、どうして?」


「邪龍のやつが調子に乗るんで」


 さっきから頭の中で邪龍がドヤっていて、ユウマは辟易していた。

 どんなにイケボだろうとウザいものはウザい。


「へぇ、邪龍ってかわいいのね」


「えぇ!? 全然っすよ。ウザいだけっす」


「あらそう? 楽しそうに見えたけど」


   〔ウザいとはなんだ、ウザいとは〕


「ウザいってのは邪魔ってことだよ。おまえなんか邪龍じゃなくて邪魔龍だ、じゃ・ま・りゅ・う」


 邪龍への返事を思わず口に出してしまい、ミサキが目を丸くしている。


「あ、いや。今のは邪龍に言ったんす。すみません」

「別にいいけど……ねえ、そろそろ敬語やめにしない?」

「え? いいんすか?」


 初めて『Amakusa』で飲んだときに、同じ業界で年上だと分かってから、ユウマはなんとなく敬語を使い続けていた。


「ふたつしか違わないし、君だけ敬語だと私の方が歳上だってバレそうだし……邪龍とはタメ口なんでしょ?」


「あいつはタメ口でいい、マジで」


 邪龍ともなれば、ダンジョン装備に宿る存在の中でも上位種の部類に違いない。

 それをユウマがぞんざいに扱っているのを見て、ミサキの口からふふっ、と笑いがこぼれた。


 ふたりの親密度と、ダンジョン探索はどちらも順調に前へと進んでいく。


 ダンジョンはほとんど一本道で、ユウマたちはいま金色に輝く大きな扉の前に立っている。


「分かりやすくボス戦前ってかんじね」


「今さらっちゃ今さらなんだけど、ふたりで大丈夫かな?」


「あら、不安なの?」


「不安っていうか。ほら、いつもセイジ先輩のチームだと雑魚モンスター排除(ゴミそうじ)役とかいるし……」


「ああ、アレ……いらないよ。君のグローブなら雑魚モンスターが湧いてくる前にボスを倒せるでしょ。……それにしても、君って本当に恵まれてたのね」


 ミサキが少し驚いた様子でユウマの顔を覗き込んだ。


「あ、誤解のないように言っておくけど、別にバカにしてるわけじゃないわよ。高ランクと低ランクできっちり役割を分けたチーム編成って流行ってるけど、あんなの出来るのは大手ダンジョンブレイク企業のチームくらいなのよ。だから良い環境で働いてたんだろうなって」


 言われてみると、ユウマには思い当たるフシが有りすぎるほど有る。


「そっか。いつもセイジ先輩がダンジョンに連れていってくれてたから……」


「セイジ先輩って、金髪で真っ赤な鎧を着た? 大規模ダンジョンでリーダーやってた? ふぅん、先輩に恵まれたんだね」


 ユウマは無言で頷いた。


 大規模ダンジョンでは最後に置いていかれたものの、ユウマにはセイジを恨む気持ちなど微塵もない。


 セイジにはリーダーとしての立場があるし、シビアに命の取捨選択が出来るのは彼が優秀だからだ。

 そして何より、入り口から遠い位置にいたのはユウマ自身のミス。自己の責任を他人に押し付けてはならないことくらい理解している。


「それじゃ、入りましょう」


「オッケー」


 ユウマたちは金の大扉をゆっくりと押し開ける。

 中はピラミッドのような四角錐の造りで、フロアの四隅から伸びた線が天井で収束していた。


 ――オオオオオオォォォォォォ


 低い唸り声がフロアに響く。

 ドスン、ドスン、という足音と一緒に、奥から現れた2mサイズの金色のミイラを見てミサキが呟いた。


偉大なる王のミイラマミー・オブ・ザ・グレイトキング……さすがに相手が悪いわ、引き返しましょう」


 すぐに後ろを向いて、金の大扉に手を掛けたミサキの顔が青ざめている。

 ダンジョンの不思議な力によって、金の大扉はピクリとも動かなかったのだ。


 ユウマはこのモンスターのことを知らない。


「そんなにヤバそうなモンスターには見えないけどな。この前のサイクロプスの方がデカかったし」


「見た目で判断しちゃダメ、ある意味ノワールサイクロプスより面倒なヤツよ。ていうか息吸っちゃダメ!!」


 ミサキが慌てて、厚手のハンカチでユウマの口元を覆う。

 もちろん、もう片方の手では自身の口元をしっかりと覆っている。


 マミー・オブ・ザ・グレイトキング(長いので以後、ミイラ王とする)は常に猛毒の霧を発生させている。

 過去にいくつかのダンジョンでボスモンスターとして出現していて、多くの犠牲者が出ている悪名高いモンスターだ。

 このダンジョンが放置されていたのも、挑んだブレイカーが返り討ちにあっていただけかもしれない。


 扉に閉じられた空間が、徐々に猛毒で満たされていく。

 ユウマもそこまでは理解できたが、遠距離から打撃を放てることを考えれば、大したリスクでは無いと踏んだ。


ウルトラ(ふるほら)アルティメットパンチ(はるひへっほはんひ)!!」


 ユウマは口元をハンカチで塞がれたまま、邪龍のグローブのスキルを発動する。


 翔ぶ打撃がミイラ王を吹き飛ば――さなかった。

 打撃は狙っていたマトを大きく外れ、後ろの壁に大きなヒビを入れただけだ。


 残念ながらユウマには射撃や投擲の経験がほとんどない。

 高校でやってきたのは、空手とボクシングと剣道と柔道だ。

 せめて弓道をやっていれば結果は違ったかもしれない。


 黒いサイクロプスのときは距離も近く、マトも8メートルとミイラ王の4倍は大きかったから、技術のないユウマでも簡単に当てられた。


 だが、10メートル以上離れたところにいる人間サイズのモンスターに飛び道具を命中させるのは至難の業だ。


 ミサキが目に涙を浮かべ、もう無理とばかりに首を振る。

 ユウマの息はもう少し持つが、このままでは時間の問題だ。



(これはまずい、非常にまずいぞ……邪龍、なんか他にスキル無いか!?)


    〔……………………〕


(おーい、悪夢の竜帝ナイトメアドラゴンエンペラーさーん?)


    〔……………………〕


(おーい、ナイドラさーん?)


    〔……………………〕


(もしかして、邪魔龍じゃまりゅうって言ったの怒ってる?)


    〔……………………〕


(ごめん! マジで謝るから! ごめんなさい!!)


    〔……………………〕


(ほんと、ごめんって! なんでもひとつ言うこと聞くから!!)


    〔なんでもひとつ……絶対だな?〕


(約束する! 契約だ!!)


    〔ふん、ならば叫べ。契約者よ!〕


    〔天を滅ぼす息吹ヘブンスデストロイブレスと!!〕


ヘブンス(へふんふ)デストロイブレス(へふほほひふへふ)!!」


 邪龍のグローブの1mくらい先から高熱の息吹が放射状に吹き出す。


「あっづぅぅぅぅ!!!」


 距離があるにも関わらず、ユウマは息吹の熱に顔をしかめる。


 ――あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁ


 効果はバツグンだ!

 偉大なる王のミイラが熱に灼かれ、断末魔の悲鳴と共に崩れ落ちていく。


 同時に猛毒もすっかり消えてなくなった。

 猛毒の霧もボスの一部ということだろうか。


 ミイラ王の体が消えたあとに薄汚れた包帯が落ちている。


「もしかして、これがボスドロップ?」


「なんか、バッチィわ」


「ドロップしたばかりなのに汚れてる」


「せめてあいつと同じ金色だったら、高く売れたかもしれないのに」


   〔決めたぞ〕


(ん? なんか言ったか?)


   〔なんでもひとつ言うことを聞く〕


   〔そういう契約だったな?〕


(あ、ああ。そうだな。でも、あれだぞ、願いの数を増やせってのはダメだからな)


   〔当たり前だ、我が望みはひとつ〕


   〔今後、お前の装備は我が決める〕


「え!?」


   〔まずはその包帯を腕に装備せよ〕


「えーーー!? マジで? 今後ずっとお前の好みで装備させられるの!?」


   〔そうだ、さっさとしろ〕


 ユウマは渋い顔で、薄汚れた包帯を手に取ると、両腕に装備していたレザーのアームカバーを外した。


「君、なにやってるの?」


「どうしてこうなっちゃったかなあ」


 死んだ魚のような目をして腕に包帯を巻くユウマを、ミサキは黙って見ていることしか出来なかった。


 ユウマの腕に巻かれた包帯が、邪龍のグローブの中二病っぷりを倍増させている。


「邪龍の呪い、恐ろしいわね……ぶふっ」


 ミサキは冷静を装おうとしたが無理だった。

 これを笑わずに見ろという方が酷である。


「でも、呪われた装備じゃないから、ダンジョン以外では外せるはず――」


 そのとき、数日ぶりに頭の中でメッセージボイスが流れてきた。


『 デロデロデロデロデーデン♬

  じゃりゅうは ミイラおうのほうたいに

  のろいを かけた!

  ※このそうびは はずせない 』


「お前が呪いをかけるのかよっ!!」


――――――――――

 ★ ミイラ王の包帯

   防御力 666

   全ての毒、菌、ウイルスに完全耐性を得る

――――――――――


   〔我がグローブを映えさせる最高の装備だ〕


「外せなく……なったわね……ぶふっ、うひ、うひひひひひ」


「ちょっとミサキさん、笑いすぎでは?」


「ご、ごめんなさい。だって、おもしろすぎ、あはははははは」


「ふふっ、あはははははは」


 ユウマも一緒になって笑うしかなかった。

 邪龍のグローブの力を見せるために来たダンジョンで、まさか呪いの装備が増えてしまうとは。


 だが不思議なことに、笑っていたら気持ちも前向きになるものだ。


 さすがはボスドロップ装備といったところか。

 見た目は薄汚れた包帯なのに、性能はピカイチだ。

 防御力は不吉な並びだけど3ケタあるし、毒、菌、ウイルスに完全耐性。

 もうユウマには細菌兵器も効かない。ダンジョンの中だけなら。

 

 爆笑しているふたりの後ろで、金の大扉がギイィィィと音を立てて開いた。


 ダンジョン装備に身を包んだブレイカーが5人。

 そこにはユウマがよく知る人物の姿もあった。


「なんだか楽しそうだな、ユウマ」


「セイジ先輩! え? どうして先輩がこんなところに?」


「ちょっとユウマに話があってな……」


 セイジは小さく息を吸うと、ユウマに問いかけた。



「いいニュースと悪いニュースがある。どっちから聞きたい?」


 大規模ダンジョンに誘われたときにも聞いたセリフだ。

 だが、セイジの顔にあのときのような笑顔は無かった。


 ユウマは答える。


「じゃあ、じゃあ良いニュースで」


「そっちから聞いてくれて良かった」


 セイジはぎこちなく笑うと、大きなジェラルミンケースを手渡ししてきた。

 ドラマで見たことがある例のケースだ。

 ユウマの記憶が確かなら、このケースには100万円の札束は100束入る。つまり――。


「1億円入ってる。この前の大規模ダンジョンを攻略した報酬の分配金だ」


「おくっ!?」


 いくら大規模ダンジョンとはいえ、雑魚モンスター排除(ゴミそうじ)担当に支払う金額ではない。


「なにを驚いているんだ? 最終的にボスモンスターを倒したのはユウマなんだから当然の権利だ。まあ、少し色は付けてあるけどな」


 大規模ダンジョン1回でこの稼ぎ。皆がエースと呼ばれるブレイカーを目指す理由の1つがお金であることがよく分かる。


 しかし、気になるのは「少し色はつけてある」という言葉だ。色をつける理由はきっと悪いニュースの方にあるのだろう。


「じゃあ、次は悪いニュースを聞かせてください」


 セイジは先ほどより大きく息を吸って息を整える。


「その金を持って、ブレイカーを引退してくれ。もちろん、その武器(グローブ)も置いて、な」


 やはりそういうことか、とユウマは嘆息する。


「一応、理由を聞いてもいいすか?」


「うちの会社にとって、ユウマの存在が邪魔になったからだ」


「俺が邪魔に?」


 セイジは苦い顔をしたまま、ユウマに説明する。


「陽光タワーの大規模ダンジョンは俺がブレイクしたことになっている。俺達が逃げ帰ったあとに無名のブレイカーがブレイクしたなんて知られたら信用問題だからな」


「分かります。俺はそれで構いません。もちろん誰にも言いません」


「それだけじゃ、リスクを排除したとは言えないんだよ。もちろん俺は口約束でもユウマを信じられる、だが会社という単位では例え契約を結んだとしてもリスクは残る。そこのポーターの女だって、もう知ってしまっている」


 会社としてはきっと正論だ。

 口でなんと言おうと、契約書で口外しないことを誓おうと、人の口には戸を立てられない。


「だから、もし俺たちが喋ったとしても、誰も信じないようにしておきたい、ってことすか」

「理解が早くて助かるよ」


 ユウマがこの場でブレイカーを引退すれば、最底辺の低ランクブレイカーという実績のまま記録される。

 黒いサイクロプスを撃破した、強力な武器が手元になければ物的な証拠もなくなる。


 そうなれば、もうユウマやミサキがどこで騒ごうと「お騒がせ最底辺ブレイカーのホラ話」と誰もが思うだろう。


 お世話になった先輩の頼みだ。

 ユウマは28歳。ブレイカーとしては引退を考えても良い歳だし、セカンドキャリアを始めるにはまだまだ余裕がある。


 ブレイカーとしての稼ぎで1億円も持って帰れば、故郷にそれなりの錦も飾れるだろう。


 ユウマもそうしたい気持ちでいっぱいだ。

 しかし、呪われた邪龍のグローブが、その選択を許さない。



「先輩。信じられないかもしれませんが、聞いてください」


「なんだ?」


「このグローブ、呪われていて外せないんです」


「は?」


「このグローブ、呪われていて外せないんです」


 大事なことだから2度言った。

 ユウマの回答を拒絶と受け取ったセイジは、深いため息を吐く。


「そんなウソをついてまで、ユウマはブレイカーを続けたいんだな」


「いや、だから! このグローブ、呪われていて外せないんです! 本当です! 信じてください!!」


「もういい!!!!」


 ユウマも聞いたことのない、セイジの怒声がフロアに響き渡る。


「……やれ」


「きゃっ!!」


 背後でミサキの悲鳴があがった。


 いつの間にか、セイジのそばにいたはずのブレイカーがミサキの背後に立っていた。

 おそらく、姿を隠せるスキルを使えるダンジョン装備をしていたのだろう。


 男の左腕は彼女の首を締めるように捉え、右手に持った刃物が頬に触れている。


「先輩! やめてくださいよ! 彼女は関係無いっす!!」


「このフロアにいる時点で無関係ではいられない」


「だとしても! 無力なポーターを、それも女性を人質に取るなんて、先輩らしくないっすよ!」


「俺らしいってなんだ!!?」


 セイジは再び絶叫すると、頭を掻きむしりながらぶつぶつと独り言をつぶやきだす。


「お父さんに言われたんだ。やらなきゃダメなんだ。しくじったらお父さんに捨てられる。捨てられるのはダメだ。やらなきゃダメなんだ」


 頭を強く掻きむしったセイジの指には、彼の金髪が何本も絡みついている。誰が見ても正常ではない。


 セイジの部下と思われるブレイカーたちにも動揺が広がっている。


(今なら!)


 ユウマはダッシュでミサキの元に駆け寄ると、後ろの男に優しくデコピンした。


「ぬああああぁぁぁぁぁぁ!!!」


 男は悲鳴をあげながら5メートルちかく吹っ飛び、その場に崩れ落ちていく。

 相手はダンジョン装備をしているブレイカーだ。

 なのに、軽くデコピンしただけでこの威力。

 攻撃力9999は伊達じゃない。


「形勢逆転っすね」


 ミサキを取り返したユウマが、ブレイカーたちを、セイジを威圧する。


「まったく。不甲斐ない」


 セイジのさらに後方、金の大扉の奥から低音のダミ声が聞こえた。

 その声を聞いて、明らかにセイジの様子が変わった。


「……お父さん!? ごめんなさい、ごめんなさい。ちゃんとやります。まだしくじってません。ちゃんとやりますから! 俺を捨てないで!!」


「この役立たずがっ」


「ごめんなさ、ぐえぇ」


 涙を流してすがりつき、許しを得ようとするセイジを、セイイチロウは役立たずと罵り鳩尾みぞおちを蹴り上げた。


 50代も後半に差し掛かろうというのに、元エースブレイカーだった男の肉体はまだまだ現役だった。


 セイジの深紅に光る鎧も目立ったが、セイイチロウの黄金の鎧はさらに目立つ。

 ユウマの脳裏に、ツタンカーメンや某モビルスーツが思い出される。


 金の大扉と、黄金の鎧が並ぶと眩しさが倍増する。

 それは、ユウマがセイイチロウを直視できないほどだ。


 残った3人のブレイカー達も、従うべき雇い主の登場に落ち着きを取り戻した。


 ユウマは4人の男をひとりたりとも見失わないよう、少しだけ後ろに下がって視界を広げた。


 これなら、姿を消してもすぐ分かる。


「君が高坂こうさかユウマくん、そっちが山縣やまがたミサキさん、であっているかな?」


「…………」


 ユウマもミサキも答えなかった。

 ここまで敵意を向けられているのに、素直に返事をするわれはない。


「答えろよっ! このクソガキどもがっ!!」


 怒声で相手を萎縮させ、精神的に支配下に置こうとするタイプ。もはや平成初期の亡霊だ。


「あんたがセイジ先輩の父親か?」


「こんな出来の悪い息子など知らん」


「てめぇ、それでも親かよ」


「知らんと言ったろ? 人の話も聞けんのか」


 ユウマはセイイチロウを睨みつけるが、セイイチロウは気持ち悪い微笑みを浮かべている。


「はっはっは、冗談が過ぎたな。まあ、落ち着きたまえ。儂がおらん間に愚息がつまらんことを言ったようだ」


「はあ? あんたが言わせてんだろうが」


「儂が? まさか!? 儂は愚息にリスクを教え、次期社長としてなんとかするよう促しただけだ。あとは全部、奴が自分で考えて実行しただけのこと」


「悪徳政治家みたいなこと言いやがって。きたねぇ野郎だな」


 何を言っても噛みつくユウマに、セイイチロウは呆れ顔で諭す。


「失礼だな。ウソなどついていないし、儂ならもっとスマートにやる。仮に儂があいつの立場なら、くだらない駆け引きなんてしないな。奥で伸びてるヤツに、姿を消したまま心臓をひと突きにさせたさ」


 あまりに物騒な発言に、ユウマとミサキに緊張が走る。


「はっはっは。そう構えるな。仮に、と言ったろう? ただの仮定の話だ」


 なんと白々しいことか。

 今のはユウマ達に向けて言ったのではない。

 手下のブレイカー3人に「合図をしたらあの2人を殺せ」と命令したのだ。

 言質を取られない方法で。


 もはやユウマ達に猶予は無い。


「おい、ナイドラ。聞いてるか?」


    〔ナイドラとは我の愛称か?〕


    〔悪くないな。いや、むしろ良きである〕


「俺はいずれ必ず、お前の呪いを解く」


    〔やれるものならやってみよ〕


「だからそれまでの間、お前の中二病に付き合ってやるよ――カッコいいこと、やろうぜ」


    〔ほぉ、興味深いな〕


「まずはあそこにいるクズを腹パンして反省させようぜ」


    〔ふはははは、それは良い! 乗った!〕


 もちろん、ユウマと邪龍ナイドラの会話は、他の人には聞こえていない。

 傍から見れば、ユウマの独り言だ。


 仮定の話で殺害をほのめかし、意地悪くユウマの反応を待っていたセイイチロウも、流石に痺れを切らした。


「おい! さっきから、なにをブツブツと」

「うっさか! おいたちがわいにくらす相談ばしよったい!」

(うるさい! 俺たちがお前を殴る相談をしてるんだよ!)


「な、なんだ? 急に訛りやがって。この田舎モノがっ」


 セイイチロウは様子が変わったユウマを警戒しつつ、パチンと指を鳴らす。

 これを合図に、手下のブレイカー達がユウマに襲いかかる手筈になっていた。

 しかし、ブレイカー達は動かない。

 いや、動けない。


逝きすぎた死の体験オーバーデスエクスペリエンス


 邪龍のグローブから放たれる強烈な殺気。

 ブレイカー達は既にイメージの中で何度も殺され、心はバキバキに折れていた。


「そのグローブのスキルか? 小癪こしゃくな真似しやがって」


 セイイチロウが鞘から刀を抜いた。

 

『妖刀オニマサムネ』


 セイイチロウをエースブレイカーへと押し上げた最高級エピッククラス武器。

 別名『呪いを振りまく刀』とも呼ばれるオニマサムネの一番の特徴は、刀に宿る怨恨の魂が放つ呪いのデバフ(弱体化)スキルだ。

 それもアクションスキルではなくパッシブスキル。刀を抜くだけで周囲の生物を無条件に呪いが襲う。敵味方関係なく。


「貴様の武器がいかに凄かろう……と? なぜだ! なぜ動ける!?」


 セイイチロウがオニマサムネを抜けば、その呪いで誰もが歩みを止めた。

 これまで誰ひとりとして例外などいない。


 現に、セイイチロウの一番近くにいるセイジは頭を押さえてしゃがみこんでいるし、一番遠くにいるミサキも床に倒れている。


 オニマサムネのスキルはいつも通り、平常運転で発動しているはずだ。

 だが、目の前の男は、ユウマは悠然とセイイチロウの方に近づいてくる。


「知らん。おいにかかっとぉ呪いん方が強かとじゃろ」

(知らないな。俺に掛かってる呪いの方が強いんだろう)


「なに言ってんのか分かんねぇんだよ!」


 セイイチロウがオニマサムネでユウマに斬りかかる。

 研ぎ澄まされた刃が、ユウマの左前腕を狙う。


「お前の武器、腕ごと斬り落としてやる!」


 オニマサムネの刃が、綺麗な太刀筋でユウマの腕を斬り落と――せなかった。

 確かに刃は腕に当たった。

 正確には、薄汚れた包帯に触れた。


 だが、オニマサムネの刃は不思議な力に跳ね返された。


「なんだ……。なんなんだよ、それは!?」


「こい? さっき拾うた」

(これか? さっき拾った)


「拾うた? 拾っただと!?」


「もうよかか? つぎはおいんばんぞ」

(もういいか? 次は俺の順番だ)


「は?」


 気づいたときには、セイイチロウの目の前にユウマの姿があった。

 その距離、およそ30センチメートル。


 刀を持っている者が詰められて良い距離ではない。

 そして、この距離はインファイターでボクシングをしていたユウマの射程距離だ。


「がばいすごかパンチ」

(とてもすごいパンチ)


 

 スキルでは無い。

 邪龍のグローブでただ殴るだけのショートアッパーがセイイチロウ自慢の鎧を叩き割り、ユウマの拳が鳩尾へと突き刺さる。


「ぐはっ! な、んだ、この威力は!? ぐほぉ」


 ブレイカーになって30年、食らったことのない衝撃がセイイチロウの体を貫いた。

 同時にセイイチロウの中にあったくらいものが根こそぎ失われた。


「こん、ふーけもんが。父親がみたんなかことすんな」

(このバカやろうが。父親がみっともないことするな)


 セイイチロウの意識はそこで途切れた。

 最後までユウマがなにを言っているのかは理解出来ないまま。


 ◎  ◎  ◎  ◎           


 ユウマ達が放置ダンジョンをブレイクして2週間が経った。


 ユウマとミサキは今、都立の総合病院に来ている。

 ひとつめの目的は、『妖刀オニマサムネ』の呪いで倒れたミサキの精密検査だ。


 オニマサムネの呪いも、あくまでダンジョンの魔素をエネルギーにしたものなので、呪いという意味で後遺症のようなものが残ることは無い。


 しかし、ダンジョン内で受け身も取れずに倒れたミサキは、ダンジョンの地面でしたたかに頭を打っていた。


 頭を打ったら、病院で精密検査。

 ダンジョンに限らず、日常生活でも大事なことだ。

 

 そしてふたつめの目的は――。


「よお、久しぶりだな。ユウマ」


「セイジ先輩!」


「まだ、俺のことを先輩って言ってくれるのか……? 俺はユウマにあんなことをしたのに……」


「先輩はずっと俺の先輩っすよ。これまでも、もちろんこれからも」


 ミサキが精密検査を受けている時間、ユウマはセイジと待ち合わせをしていた。


 セイジもこの病院に通っている。

 どこか怪我をしていたり、病を患っているわけではない。


 その理由は、セイジの手元にある。


「社長の具合、どうっすか?」


「まあ、ぼちぼちだな。あ、もう社長じゃねぇけど」


 セイジが押している車椅子には、セイイチロウが座っていた。

 ユウマに腹を殴られて気絶したセイイチロウは、すぐに病院に運ばれたが身体に異常はなかった。


 攻撃力9999のショートアッパーが鳩尾に突き刺さったとは思えない結果だ。

 あのとき叩き割った黄金の鎧と、鍛え上げられた筋肉の鎧、ふたつが揃ってこそだろう。


 身体に異常はなかった――だが、目覚めたときセイイチロウの心は壊れていた。

 なにに対してなのかは分からないが、しきりに「すまない」「ゆるしてくれ」と呟いている。


 セイイチロウの体調をかんがみ、臨時の取締役会において代表取締役社長の退任が決まったのは昨日のことだ。


 空いた席にはセイジ――ではなく、順当に副社長が新社長の椅子に収まった。

 今回の陽光タワー大規模ダンジョン攻略から始まった『クイックラッシャー』による隠ぺい事件は、会社の広報が発表するかたちでおおやけのものとなった。

 新社長による最初の決定だ。


 新社長が率いる新生『クイックラッシャー』は世間からの厳しい目線の中で、この業界を戦い抜いていくことになる。


 セイジは『クイックラッシャー』のブレイカーを引退し、バックオフィスから管理職への道を歩むことを決めたそうだ。


「俺があの会社のコンプライアンス意識を変えるんだ。それが俺なりの贖罪だと思っている」


 父親が一代で築いた会社のカルチャーを変えていく。

 美談ではあるがきっと簡単なことではない。


「俺もそろそろ親離れしないと、な」


 そう言ってセイジは苦笑いしていた。


      ◎  ◎  ◎  ◎


    〔あいつらの邪心は喰った〕


 放置ダンジョンをブレイクした後、ナイドラが言った。

 セイイチロウのよこしまな思想、セイジを縛っていた父の邪な呪縛、そういった心の闇を、ナイドラは喰ったと言う。


    〔我は邪龍。邪を喰らう龍である〕


(邪龍ってそういうこと? むしろ聖属性じゃん! 聖龍じゃん!!)


 ナイドラの告白に、ユウマが心で盛大なツッコミを入れたことは言うまでもない。


 小さなベンチャー企業だった『クイックラッシャー』が急速に成長するなかで、いつしかセイイチロウの心は邪な思想で真っ黒に染まってしまっていた。

 ナイドラによってセイイチロウの邪心が喰い取られた結果、罪の意識に耐えられなくなった心はバランスを崩し、結果がアレらしい。


「自業自得とはいえ、ちょっと責任を感じなくもない」


「責任なんか感じる必要ないわ。私たち殺されるところだったのよ?」


「まあ、たしかに。正当防衛? になるのか?」


「そう意味では……過剰防衛かもしれない」


 ユウマとミサキは、いつものように『Amakusa』で乾杯する。

 険悪だった初日を知っている戸田マスターは、ふたりが仲良く杯を交わしている様子を温かく見守っていた。

 ふたりがイイ感じになると良いな、などと淡い期待を抱きながら。


「そういえば、ふたりはこれからも一緒にダンジョン攻略していくんだって?」


「あ、そうなんすよ。セイジ先輩が呼んでくれていた仕事も無くなるし。呪いを解く方法を探しながらダンジョンをブレイクして回るのも『カッコいい』かなって。そしたらミサキも一緒に来るって言うから」


「ユウマと一緒なら儲かりそうだしね……それだけよ?」


 少し見ない間に「ユウマ」「ミサキ」と呼び合っているふたりを、茶化すようなことを戸田は絶対にしない。

 ふたりはもう立派な大人だし、戸田はもっと大人だ。


 ブゥゥゥン、ブゥゥゥン、とユウマのスマートフォンが震えた。


「うげ、母ちゃんだ」


「あら、いいじゃない。ちゃんと話しておいでよ」


 まだ母親の意識が回復しないミサキに気を遣ってではなく、ただ母親との会話を聞かれたくなくてユウマは店の外に出る。



「うん、うん。ちゃんとやっとーけん心配せんでよかばい」

(うん、うん。ちゃんとやってるから心配しなくて良いよ)


「うん、そう。もうちかっとこん仕事ば続くっことにしたけん。まだ帰れんと」

(うん、そう。もう少しこの仕事を続けることにしたから。まだ帰れないんだ)


「そがん泣かれてもさ。すぐ立派かブレイカーんなって顔ば見せに帰っけん。ちかっとだけ待っとって」

(そんな泣かれても。すぐ立派なブレイカーになって顔を見せに帰るから。ちょっとだけ待ってて)



 泣き出した母親をなだめすかし、電話を切ってからユウマは気付いた。


「いやいや! このグローブの呪いを解かないと、恥ずかしくて地元なんか帰れねぇよ! 絶対同級生からバカにされるじゃん! いい歳して中二病の痛いヤツって陰口叩かれるじゃん!!」


 ユウマが故郷に錦を飾る日は、まだまだ遠そうだ。



【5/8更新】

他サイトで先行配信していた連載版をなろうでもスタートしました。

「攻撃力9999の呪われたグローブは最強です ~中二病の邪龍とダンジョン無双 猫耳カチューシャのロリっ娘ポーターを添えて~」

⇒ https://ncode.syosetu.com/n9057hp/


最後までお読み頂きありがとうございました。

新作短編『呪われた装備は最強で最悪だ ~SSS級ダンジョンブレイカーは中二病ファッションから解放されたい~』はいかがでしたでしょうか?


とても楽しく書けた作品ですので、是非とも皆様のご感想をお聞かせください。


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連載版のプロットを考える際のモチベーションになります!!

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