1話 入学Ⅰ
挑戦者です、対戦よろしくお願いします。
2020年4月1日。春の暖かな陽気、そして咲き誇る桜に見守られながら私、臥條灯里は今日から通うことになる高校に向かっていた。
高校生。先月まで中学生だった私にはすこしまぶしい響きだ。
中学生のころとは違い幾分開放的な立場になるからかもしれない。
どんな人がいるだろうか。怖い先生はいてほしくないなぁとか考えることも多い。
緊張に逸る心を必死に落ち着かせながら通学路を歩く。
電車に乗り、最寄り駅を降りて10分ほどたっている。
すでに校舎と思わしき建物が見えていた。
ちらちらと様子を見れば私と同じく、新入生と思われる人たちも少なくはあるが私と同じ方向に向かって歩いている。
学生が少ないのは私が家を早く出すぎてしまったせいだ。
ついつい早起きをしすぎてしまったのがいけなかった。
でも、早起きは三文の徳だとかいうし早起きした分、きっとこの後にいいことが待っているはずだ。
なんて考えていると、ついに校門前までたどり着く。
正門と通学路。この境界をくぐると私は晴れて高校生となれる。
境界をじっと見る
あの日、こうなると決めてから数年。長かったような短かったような何とも言えない気持ちが沸き上が
ってくる。
おっと、まだなってわけでもないのにしんみりのするのは早すぎか。
それにいつまでも立ち止まっていると、いくら人が少ないからといってもほかの人の迷惑になってしまう。
私は意を決して境界を跨いだ。
ええっと確か最初は入学式を行うんだったよね。
学園の地図は入学前のパンフレットに載っていたはず。
うーむ、場所を分かったけど今自分がどこにいるかがわからない。
そうだ、周りの新入生についていけばいいじゃない。
そう思い周りを見ると誰もいなかった。
しまった、パンフレットを見ている間に目的の場所へと既に行ってしまったらしい。
かなり早い時間にたどり着いてしまったので新入生の姿は見えない。
こうなったら適当に歩き回って行き着くことを願うか。それに歩いていればすれ違う人に聞くこともできるだろう。
そう思い、歩いていた時だ。
ドンと何かにぶつかった。
「っきゃ」
「おっ」
下を向きながら歩いていたためだろう。まったく予期せぬことに私はびっくりしてしりもちをついてし
まった。
「ごめん、前よく見てなかった」
声がしたと思ったらスッと、私の目の前に手が現れた。
「あ、すみません」
とっさにその手を握る。
「よっ」
力強く、でも乱暴じゃない微妙な力加減で引っ張られ私は立ち上がった。
男の人だ、それに若い。つまりは学生だろう。
ちょっぴりチャラそうな風体だけど、人のよさそうな人だ。
どうやら、私はこの人にぶつかってしまったらしい。
「ほんとごめんね、怪我無い?」
「えっ、あ、はい!大丈夫です!あ、その私こそぼーっとしてて、すみませんでした」
突然のことに呆けてしまったけど、よく前を見ていなかった私が一番悪い。慌てて謝罪をする。
「うん、それはよかった。それで……」
男の人はいったん言葉を区切ると何やら神妙な顔する。
な、なんだろう。気づかずに不快にさせてしまったことだろうか。
「それでそのー、そろそろ手を放してくれると嬉しいんだけど……」
「え」
すぐさま右手を見ると、私の右手は男の人の右手をばっちりと握りこんでいた。
私はパッと手を放し、
「す、すみません!その、わざとじゃなくて、とにかくすみません!!」
「あぁうん。いいよいいよ大丈夫大丈夫。かわいい女の子と手を握れるのはうれしいし。あとはい、ど
うぞ」
男の人はそういうと、パンフレットを差し出してくれる。
しりもちをついたときに落としたようだ。
「あ、すみません。ありがとうございます」
「新入生だよね、体育館ならあっちだよ」
男の人は体育館あるだろう方向を指さす。
「ありがとうございます、ちょうど迷ってて……」
「敷地広いから迷っちゃうよね、じゃあ気をつけてね」
「はい、ありがとうございました!」
去っていく後姿を見送り私は教えられたほうへと向かった。
歩くこと5分。体育館らしき建物は見当たらない。というか人の気配がない。
う、うーん。もう少しかかるのかな。
さらに歩くこと10分。やはり体育館は見当たらない。周囲にあるのは何とも言えぬ雰囲気を醸し出す
建物だけだ。
よく目を凝らすと一つの建物に表札らしきものが見えた。
そこには、
「研究室C西棟……」
あれ、もしかして間違ってる……?
よくよく地図を見ると今の現在地がわかった。
「反対だ……」
今いる場所が体育館とは真逆の方向だとわかった。
ちゃんと教えてもらったほうを歩ていたと思うんだけどなぁ。
しょうがないので元来た道を戻るとする。
すると、
「おい、そこの」
後ろから声をかけられた。
男の人の声。大きくはないがよく響く、それでいて冷たく投げやりな一言だった。
周りには人気はないのでおそらくは私のことだろう。
「は、はい」
恐る恐る振り向く。
そこにいたのは男の人だった。指定の学生服を着ているのでここの学生だろう。実に大人びて見える が。
その人を一言でいうならすごい、かなり、めちゃめちゃイケメンだ。うん、語彙力が死んでいるのは自分でもわかっているのだが、どう表現すればいいのか私にはわからない。
まず目を引くのはその鮮やかな金髪、端正な顔に、身長も高くと申し分ない。しかも瞳なんか透き通るような碧色だ。もう非の打ちどころもない容姿だ。
ただ、1つマイナスな表現を付け加えるとしたらなんというか冷たい。
人を寄せ付けない、たとえて言うなら一匹狼のような冷たい雰囲気をまとう人だった。
初めて会う人だというのに自然とそう感じてしまう。
「何をじろじろと見ている」
再び訪れた突然の事態に膠着していると、なんだこいつと言わんばかりににらみつけられる。
やばい、見るからに警戒されてしまっている。
「す、すみません。突然話しかけられたのでびっくりしてしまって」
「そうか、で、君は新入生だな。ここでなにを?」
私のたどたどしい態度に幾分か警戒心を和らげたのか語調の鋭さは失われていた(ように思う)。
「えっと、恥ずかしながら道に迷ってしまって……」
「そうか、方向音痴ということか」
「そ、そうなんですよ~、あはは」
…………。
なんだろう、この敗北感は。
「どうでもいいが、新入生だというのなら節度ある行動を心掛けるんだな」
「すみません気を付けます」
私、今日謝ってばかりだななんて思っていると、どこからか声がした。
「ぉ~ぃ」
誰かが誰かを読んでいる。それはだんだんと近づいてきた。
「お~い、龍毅く~ん」
読んでいるのは女の人だ、こちらも学生服を着ているので学生に間違いない。
それに龍毅と呼んでいる、この場には私と目の前の男の人。つまりはこの人は龍毅という名前らしい。
すこしして女生徒がやってきた。
鮮やかな赤毛をなびかせるその人は女性の私から見てもすごい美人な人だ。
「はぁはぁ、もう探したよ。まったく」
女生徒が息を切らして龍毅さんに話しかける。
「高崎。なにか用か」
「始まる前にもう一度おさらいしたいって先生が」
「わかった、すぐ行こう」
そこで、女生徒、高崎と呼ばれた人がこちらに視線を向ける。
「あら、お邪魔だった?」
高崎さんがいたずらっぽい笑みを浮かべて問いかける。
「違う、そこのは新入生だ」
「えっ、じゃあこんなことに連れ出して何を?」
「さあな、だがそいつは迷子らしい」
「ふぅん」
高崎さんが私のほうへ向きなおる。
「新入生なんだよね。道に迷っちゃったのね?」
私はコクコクと首を縦に振る
「あらあら、緊張させちゃったかな。体育館ならあの道をしばらく進んでもらって、十字路に行きつい
たら右にずっと進んでいけばつくわ」
高崎さんは指をさして教えてくれる。
「あの、親切にありがとうございます」
「いえいえ、ここ結構大きい学校だから迷うのも仕方ないわ。私もここに来たばかりのころは苦労させ
られたし。それにしても」
高崎さんは言葉を区切って、龍毅さんへ視線を向ける。
「迷っているってわかったなら素直に道を教えてあげればいいのに」
どんな会話が繰り広げられていたのかお見通しだといわんばかりの口調だった。
「ここで何をしていたのかを聞くのが先決だ」
「融通利かないわねぇ」
高崎さんは視線を龍毅さんから私に戻していう。
「えっと、改めましてなりますが私の名前は高崎茜っていいます。こっちの男子が龍毅優輝君。それで
龍毅君が失礼をしたと思います、ごめんなさい」
「あ、いえ、私がうろちょろしていたのが悪いので!」
「ほら、龍毅君も」
「やるべきことをやっただけで謝罪するようなことはない。そんなことよりもここで道草を食っていて
いいのか」
「むぅ、そうね。そろそろ行きましょうか。じゃあまたあとでね。あーー」
「臥條です、臥條灯里です」
フルネームで自己紹介されたので私もフルネームで返す。
「うん、また後ほど臥條さん!」
そういうと彼女たちは足早に去っていった。
……。またあとで??
どういう意味なんだろう、学年違うしそうそう会うこともないと思うけど。
まぁいいや」
そろそろ時間も危ういことだし、体育館に行くとしよう。
今度こそは、と教えられた通りに歩く。今回は地図と照らしながら歩いているので間違いはない。
そして、それは前触れもなく突然やってきた。
「お姉さーん、あぶなーい!」
えっ。
衝撃。横からだ。
多分、突き飛ばされたのだと思う。
そしてすぐそばにはもふもふとした暖かな何か。
くりくりとした無垢に輝く瞳。もさもさとした毛。
私はこれをよく知っている。
動物。というか犬だ。それも結構大きい種だ。あまり詳しくはないけどゴールデンリトリバーっていう のかな。
うん、大体理解した。
つまりは横から現れた犬に突撃されたらしい。
犬は尻尾をぶんぶんと振り遠慮なく私の頬を舐めてくる。
「あちゃー、ごめんなさいお姉さん」
声をかけられた。
声の主を見ると、その子はずいぶんと若く見えた。小学生、いや、中学生くらいだろうか。まだ幼さの 見える男の子だった。
おそらくはだけどこの犬の飼い主は彼なのだろう。
そう、検討付け切り出す。
「あ、いえ。これ、あなたの……?」
「はい、僕の友達です」
ふぅむ、友達と来たか。
やり取りの間も彼の友達はペロペロと飽きることなく舐めてくる。
「あまりなつかない子のはずなんだけど、なんだか気に入れられちゃったみたいですね」
「そ、そうなんだ。それでそろそろやめさせてくれるとありがたいんだけど……」
「あ、そうですね。ごめんなさい。ほら、離れてベガ」
ベガは名残惜しそうに(なぜか私にはそう感じた)、けれども主の言うことには逆らうことなく従った。
私は立ち上がるとスカートを軽くはたく。
入学初日だというのに、砂や埃、毛まみれになっている。
「お姉さん忙しいみたいだから、今度、また遊んでもらおうね」
優しく男の子はベガに話しかける。
それに対して、人の言葉を理解しているかのように、ワンと1つ吠えた。
最近の犬って賢いんだなぁと思わず感心してしまう。
「それでは、お姉さんまた今度!」
「うん、ばいばい」
ひらひらと手を振って見送る。
学年どころか、学校が違うような気がするけど又会うような機会は訪れるのかな。疑問には感じつつ私はそれ以上思考することなく先を急ぐことにした。
それから、数分してようやく体育館が見えてきた。
というか、さっきから人をよく見るし、よくすれ違うしであそこに見えるのがそうで間違いないだろう。
なんだか異世界から人のいる世界に戻ってきたかのような安心感がある。
もう始まりの時間も近いし、さっさと中に入るとしよう。
そう思った時だ。
道に沿うように並び立つ、桜の木。
ひときわ大きくたっている一本の木の下で人が寝転んでいるのが見えた。
最初は、特に何にも考えることなく素通りしようとした。
しかし、私はここである可能性に気付く。いや、気づいてしまった。
彼(背格好から見てたぶん男子だろう)は寝転がっている。ここで彼は新入生とし、ただ寝ているのだと仮定しよう。
もうすぐ入学式が始まる。このまま彼が寝ていてしまったらどうなる?
おそらくは遅刻するだろう。あるいはそのまま入学式をやり過ごしてしまうだろう。
そうなれば、これから始まる学校生活に致命的な遅れを生んでしまうことになりかねない。
それは実りある学校生活、ただ一度きりの青春は永遠に失われてしまうかもしれないということ(ちょっと大げさかもしれないが)。それはとても問題だ。
そして、こんどは彼はただ寝転がっているわけではない、と仮定しよう。
例えば、入学式直前に具合が悪くなってしまったとしたら?
すこし、だれにも迷惑ならないところで横になろう、と考えて横になる。
けれども、いくら横になっていても具合は一向に良くならない。どころか、ますます悪くなっていっているような気がする。
だが、彼には誰にかに助けるような力は残っていない。そうなれば通りかかった誰かが助けるしかない。
そう、今まさに通りかかった私とかが。
さて、ここで一つの選択が生まれるわけだ。
スルーするか。確かめるか。
前者であれば別段構わない。
別に彼がどのような学校生活を送ろうが結局のところ私には関係ないのだから。
しかし、後者であれば問題だ。知らんぷりして後で実は危ないところだったのだとしれば、それはあまりに夢見が悪すぎる。
熟考すること、数十秒。
私の中で結論が出る。
やはり、気になる。確認しよう。
確かめて、寝ているのであればもうすぐ入学式ですよ、と声をかける。
もし、具合が悪そうなのであれば介抱するなり近くの人に助けを呼べばいいだろう。
そうと決まれば、だ。慎重に近づく。
そろりそろりと忍び足で。なぜ、忍び足か。それは私にもわからない。たぶん気分だ。
そうして彼のもとにたどり着くと、とりあえず聞き耳を立ててみる。
すーすー。
とリズムよく吐息が聞こえる。
その顔は特別苦しそうにも見えない。
うん、つまりあれだ。かれは実にぐっすりと気持ちよく寝ている。
ということは、私の考えていたことは杞憂だったようだ。
私は、大きく息を吐く。なんだか疲れた。気疲れだ、これは。
若干土はかぶっているが、真新しく見える制服。私から見ている角度からは見づらいが胸にのところに 飾られているエンブレムは一年生のものだ。
しかし、入学初日だというのに緊張感とかないのだろうか。私ならいくら温かくて気持ちいいからといって寝るなんてできない。
豪胆な性格なのか、それとも……。
とにもかくにも、もう入学式まで時間はない。さっさと声をかけるとしよう。
「あのー、おはようございます。そろそろ入学式始まりますよー」
軽く指で小突きながら声をかけてみる。
「うぅん、ん……?」
吐息とともに小さく声を漏らす。
目をすっぽりと覆ってしまうほど長い前髪から、鮮やかな紫の瞳が髪の分け目から一瞬覗かせ、そしてすぐにまた隠れる。
「ぁれ、ここどこ、てか、君誰」
寝起きであることを加味してもその声は実にぶっきらぼうだ。恐れも緊張の色もない空虚な声、それが 空気に乗り溶けていく。
正直、あまりスッと言ってしまうのでそのまま流してしまいそうになったほどだ。
だから、私は言われて少し間をおいて、
「ここは守手育成学校です。あなたも新入生なのでしょう?もうすぐ入学式ですよ」
「そう、起こしてくれたんだ、ありがと」
続く言葉にも何の感情は込められていなかった。感謝も驚きもない、事務的な言葉。
彼はそれだけ言って素早く立ち上がると、体育館のほうへと歩いていった。
わたしはその後ろ姿をただだまって見送るしかできなかった。
数秒後。あっけにとられていた私は我に返ると、体育館へと向かった。