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未知との会話

作者: t52002451

 ぼくはビルとビルの隙間に出た虹の絵を描いていた。さっきまで雨が降っていたから、職場の屋上のベンチに買い物袋を敷いて座っている。虹は外側の赤が赤く見えず、内側の紫は紫に見えない。薄い色の虹だ。

 今は16時、あと30分もしたら学校まで子供を迎えに行く時間になる。それまでにビルの隙間の虹を描き終えたい。週に2回、15時過ぎに仕事を終え子供を迎えに行く。いつもは職場から学校までの道のりをゆっくり散歩して、途中で少し絵を描く。今日は夕方に雨が上がるだろうと天気予報が言っていたから、もしやと虹を期待していたが、予想は的中した。職場の管理人さんもぼくがこれを狙っていたと気づき、屋上への扉を開けてくれた。この虹を画用紙に写したら、ささっと学校まで向かおう。

 屋上に心地よい風が吹く。ここには誰もいないから鼻歌まじりで筆を走らせている。へたったアルミチューブに入った20色の絵具、かつて使った色が柄までこびりついた面相筆数本、もう白くないパレット、小さな水入れ、それらがぼくの画材道具一式だ。小さくしまえば、お行儀良く仕事カバンにおさまる。ぼくの多くない楽しみのひとつである。

 虹の弧の内側の紫色を重ねて塗ろうと筆を持ち直した時だった。扉が開いた音には一切気づかなかった。ぼくの絵を後ろからのぞき込む少女がいた。

「うわあ」

叫び声はあまり大きくなかったが、心臓は早く脈打った。少女はぼくの子供よりひと回り大きいくらい。白いブラウスに赤いスカート、黒髪のショートでなんだかとても普通の子供だ。少女はぼくの絵を見続けている。

「びっくりした、やあ、きみは、どこから来たんだい。誰かのお子さんかな」

ぼくは大きくなった鼓動を静めようと胸に手をあてながら尋ねた。鼻歌を聞かれていたなんて、しまったな。少女は絵を見つめたまま、抑揚のない、感情がわからない声で喋った。少女の口が開いたかどうかぼくにはわからなかった。

「これはなに?」

「これかい、これは虹だよ。ほら、あそこに出ている」

ビルの谷間をまたぐ虹を指さしたが、少女の顔は絵から動かない。好奇心の強い子供なのか。しばらくの間少女はなにも返事をしないのでぼくは続けた。

「その虹の絵を描いているんだ」

「まあ、これがあの絵なのね」

少女との問答に戸惑いつつも、落ち着きを取り戻したぼくは再び少女に尋ねた。

「きみは調理師さんのお子さんかい。あ、隣の職場の人にもお子さんがいたっけ。ご両親はどこにいるの」

少女は黙ったまま絵を見つめた後に、ふと、先ほどぼくが指さした方向の空へ顔を上げた。

「あなた虹と言ったかしら。虹ね」

 いよいよぼくは不安になってきた。少女は普通の子供ではないかもしれない。

「きみ、きみの名前はなんて言うんだい。こんなところにひとりで来るもんじゃないよ」

少女はこちらを向き、ぼくは初めて少女と目があった。目はあったが、彼女の声と同じくそこに感情が見当たらない。少女はなんだか、小刻みにゆらゆらしている。

「驚かせてごめんなさい。わたし、ここに住んでいるわけじゃないの。遊びにきたの」

「そうなのか、ひとりで来たのか」

「うん、わたし外星人なの。虹や絵が本当にあるのだと知って今とても感動しているの」

なるほど、外星人というのは宇宙人のことだろう。宇宙人ごっこをする少女の冗談に首を振り微笑みつつ、ぼくは青の絵具をパレットに置いた。そうか、きっとこの子は親の仕事が終わるまで今日は宇宙人になりきると決めたのだろう。そうしたら、絵を描きつつ、この子の話し相手になってあげよう。

「なんて言う星から来たんだい、外星人さん」

そういって、ぼくはベンチの隣を開け、カバンからハンカチを取り出して敷いてあげた。少女はそこに腰かけながら答えた。

「別の銀河にある星よ、ずっと遠く。ねえ、わたしの話はいいから、地球人について教えてよ。その絵にはたくさんの色を使っているの?」

また不思議な質問だ、と思いつつ答えた。

「そうだよ、見て、一番外側は赤、一番内側は紫。今日の虹は薄いから、薄く薄く重ねて塗っているんだ」

「今日の虹は薄いのね、素敵」

少女の話ぶりはまるで目が見えていないかのようだ。でも、彼女はさっきまでぼくを見ていたし、今は虹が浮かぶ空の方を向いている。

 丁度青が付いた筆を洗っているとき彼女が聞いた。

「その絵はどうするの」

「これかい、そうだな。いつもみたいにファイルに挟んで家の書棚にしまっておくさ」

絵はいつも、学校から出てきた子供とお互いのその日の絵を見せ合いっこして、そのまま2人のアルバムファイルにしまっている。

「もし良かったらわたしにくださらない。記念に欲しいの。いくらでゆずってくれるかしら」

「売り物じゃないよ、それに君のような少女からお金は受け取れない。君が気に入ってくれたなら、いいよ、あげるよ」

宇宙人になりきっている彼女に対して、少女と言ったことを少し悔やみながらぼくはそう言った。

「こんな素敵な記念品、無料ではもらえないわ。何かと交換しましょう。あなた、今まで自分の絵を何かと交換したことある?」

「うん、あるな。たしか近所の肉屋のご老人が、えらく河原の木の絵を気にいってね。同じようにお金を払いたいと言ってくれたんだけど断って、結局、そのお店にあった最高級の肉と交換してもらったっけ。あの肉は本当にうまかったな」

 あの日も今日と同じくらいの時間に河原のほとりのベンチに座って絵を描いていたら、後ろからご老人に声をかけられた。あの木と一緒に育ってきたようなもの、と言って絵を譲ってくれと頼まれた。一緒に肉屋まで行って、ぼくの1週間の食費くらいする肉をもらい、その日のうちに焼いて食べた。ぼくの子はむしゃむしゃ食べていたけど、ぼくは生まれて初めてあんなうまい肉を食べた。肉はあっという間になくなってしまったが、今思うとあの絵を家の書棚にずっと残すより、肉と交換できて僕らにとって良かったのだ。ぼくの絵が他人に評価されたのはそれくらいだが、今少女はぼくの絵を欲しいと言ってくれている。

「そうなのね、わたし今あなたの星のお金くらいしかもってないの。あなたが食べられる食べ物もないわ」

「いいよ、だからさ、あげるよ」

そう言ったときだった。ぼくはぎょっとした。彼女は突然小刻みに震える手のひらをぼくに見せたかと思ったら、そこからまるで白色の絵具のような物体がにょきにょき出てきた。それは、みるみるうちに幾何学的に重なり、ゴムボールほどの大きさの構造物ができあがった。

「お肉屋さんとはお肉を交換したのね。わたしは外星人だから、あなたの持っていない宇宙の物をあげるわ」

驚いて声が出なかった。自然と恐怖は感じなかった。たぶんぼくは薄々気付いていたんだ。彼女が普通じゃないということに。

「あら、驚いたかしら、ごめんなさい。これはわたしたちの文字なの。わたしたちは手から出るこの分泌文を見てお話しするの。そう、これのこと。これは、ありがとうという意味よ」

聞きたいこと、確認したいことはいっぱいあった。手から出たこの構造物に意味があるなんて。ぼくらもお礼を伝えたいときにペンと紙を使って、ありがとうと書くけど、彼女は自分の手で書くなんて。でも、一先ずお礼を言われたらこちらもお礼を言わなければ。

「こちらこそありがとう。いや、驚いたな。本当に宇宙人だったんだね。そうか、その白いものを見て、話す、すごいな。でも、君はいま地球の言葉をしゃべっているよね」

「これは地球を観光用のスーツを着ているから。あなたが今見ているわたしも、地球人の目に地球人に映るように設計されている服なのよ。本当のわたしはこんな姿はしていないの」

「そうなんだ」

少女は手を差し出した。たしかによく見ると彼女の手はゆらゆらしているだけではなく、背景が透けて地面がうっすらと見えている。その手からぼくは恐る恐る文字を拾った。ぐにゃぐにゃしていたものは既に固まっていて、落としても割れなさそうだ。

「あなたには分泌文が白色に見えるのね」

「そうだよ、まるでサンゴ礁のようだ。君には何色に見えるんだい」

「あのね、わたしたちに色は見えないの。わたしたちは手から文字を出すでしょ、それを口から出す声波で見るの。声波はわたしたちの耳に跳ね返ってきて、その意味がわかるの。ありがとうって」

少女は分泌文を目で見ながら言った。でもその目は地球用宇宙服の偽物であって、実際には跳ね返った声波で聞いているんだ。そうか、たしか、コウモリも超音波の反射を使って夜空を飛び、小さな虫を見つけているんだっけ。

「きみには、きみたちには色がないのかい。あの看板は黄色だよ。ほらきみのスカートは赤色だ。空、空は青色で、そこに虹が浮かんでいる。ぼくの絵も、まだ黃色までしか描けていない途中だけど、虹を描いているんだ」

ぼくはきょろきょろ指をさしながら教えてあげた。

「黄色も赤色も本で読んだわ。それぞれ大体600ナノメートル、700ナノメートルの光波の反射色よね。でもわからないの。そう、あなたの絵の色も見えない。ただ四角い紙がしわしわなのが見えるわ」

たしかにぼくの画用紙は水分を吸って歪んでいる。でも、そんな、ぼくの絵の色が見えないなんて。

「残念だな、綺麗な虹なのに」

「あなたの絵の美しさがわからないのに欲しくなってしまってごめんなさい。でも、いつか、わたしたちにも色が見えるようになったら、これは失われた文化として、貴重な宝物になるわ」

「いま、失われた文化と言ったかい」

「そうよ。地球人のように光波の反射を目の中のレンズで受け取る情報を第一の情報源としている生き物は退化して、そのうち絶滅すると予測されているの。宇宙には色々な情報交換の方法があるけど、地球の生き物のようなコミュニケーションは珍しいらしいの」

「そうしたら、ぼく、ぼくらは死ぬのかい」

「ふふ、あら、安心して。あなたは普通に生きて、それから死ぬと思う。あなたの子供も、そのまた子供の孫も。退化や絶滅はずっとずっと先の話よ」

「そうか、なんだか、でも、まあ、安心だ。うん。その絵はさ、ずっと残るのかい」

「ええ、貴重な宝物として、大切に扱うわ。わたし本当に色があると知れて良かった。地球には、わたしたちにないユニークな芸術品があふれているでしょ。だから、わたし地球に来たかったの」

 少女は立ち上がった。

「わたしそろそろ次の場所に行かなくちゃ」

「そうか、うん。少し待っておくれ、今赤色の絵具で最後の仕上げをしているから」

ぼくはそう言って絵を完成させた。画用紙を彼女に渡し、ぼくにとって2度目の物々交換を果たした。

「絵と、それとお話してくれて本当にありがとう。地球に来て本当に良かったわ」

「こちらこそありがとう。とても、興味深くて、うん、楽しかったよ。このありがとうの文字も大切にするね」

「ええ」

そして彼女はぼくの視界から消えた。きっと地球の観光用スーツの光学機能を切ったんだ。

 思い出して時計を見た。16時半を少し過ぎていた。しまった、と急いで片付けを行った。筆を軽く洗い、絵具箱の蓋をしめ、画材をカバンにしまう。少女から受け取った、白色の物体はズボンのポケットに突っ込んだ。

 学校に向かって小走りするたびにズボンの中の物体が揺れる。ぼくらはいずれこの地球上から消えてしまう。でも、それはずっとずっと先の話だ。ぼくの虹の絵はその先まで残るのだろう。なんだかこそばゆい気分だ。肉屋の老人にあげた木の絵はきっと数年後にはなくなってしまう。でもその交換でもらった肉なんて、その日のうちに消えてしまった。

 ふと、空を見上げると虹はもう見えなくなっていた。

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