1話
目の前に広がる暗闇と、遠くにきらめく星々。完全な闇とまでは行かないまでも、吸い込まれそうなほど深い黒色を見つめていると、その向こうに青い水の惑星が見えてくる。
無論、ここ「第3防衛基地」から肉眼で見えるはずもない。その色は光りの刺激として脳に投影されているのではなく、心から脳に直接投影され、認識しているのだ。
「地球を思い出すなんてなぁ」
ガラス1枚を隔てて暗闇を見つめる、男の低い声が響く。
声の主であるガリス・バーガンは、火星公転軌道上にある5つの基地の内の1つである「第3防衛基地」に所属している。そして、そこで1つの大隊を率いていた。
「大隊長、総員集合しました。ブリーフィングルームへ同行願います」
地球を幻視していたバーガンに話しかけてきたのは、ビースだった。
ザイモンド・ビースはバーガン率いる大隊の副隊長であり、4年という長期に渡って大隊を支え続けてきたバーガンの右腕である。彼は冷静という文字を鏡映しにしたかのような存在であり、慌てる瞬間を見たものは誰もいない。「ビースが取り乱す時は地球が滅ぶ時だ」と言うものまで居る。勿論、本人の前で言うことはないが。
「こんな場所で考え事とは、珍しいこともあるものです」
ビースは皮肉屋でもあり、基地司令部と剣呑な雰囲気になることもしばしばである。付き合いの長いバーガンにとって、それが皮肉だと気づかないはずがなかった。
「他人に興味を持つとは、お前こそ珍しい。どうやら、今日は最後の出撃になりそうだ」
皮肉に皮肉で返すバーガン。
「根も葉もないジンクスに囚われている大隊長ほどではありません」
どうやら、先ほどの呟きは聞こえていたらしい。
パイロットの間では、「地球を幻視したら次の出撃で死ぬ」と言うジンクスが信じられている。
地球を幻視すると言うのは、それほど精神が追い詰められているということだ。それは、戦闘において正しい判断が出来なくなることを意味した。こういった意味では「根も葉もない」と言うほどでもないが、しかし、確かにこのジンクスに囚われるほど未帰還になりやすいことは、バーガンもこれまでの経験から理解していた。
「チッ、聞いてやがったか。盗み聞きとは悪趣味な。まあいい、さっさとブリーフィングルームへ行くとしよう」
バーガンは皮肉合戦ではどうにも分が悪いといつもながらに思い知らされ、これ以上皮肉られては堪らないと職務へ逃げることにした。
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「よし、全員集まっているな。ブリーフィングを始める。
今回は第17ワルキューレ大隊との合同任務となる。知っての通り、ワルキューレ隊は女性パイロットのみで構成されている。問題を起こすなよ。
本基地へ進行中のベクターは20機。当初ワルキューレ大隊と共にこれに当たる予定だった第16大隊は3日前の戦闘において壊滅。未だに戦力の補充が出来ていない。
よって、我ら第15大隊がこれに当たることとなった。本来、合同任務の場合は互いに交流会が開かれるが、突然の決定であったために行うことが出来なかった。
よって、今回の任務では連携において不安があるために、互いの大隊が10機づつベクターを誘引し、これを破壊する事となった。
つまり、我々が相手にするのは10機のみだ。いつもよりは楽な数だが、気を抜くことにないように。任務の概要は以上だ。
次に戦闘に関してだが、作戦はいつも通りで行く。モルト中隊で誘引し、カシス、ビルスナーで叩く。ただ、今回はベクターの数が多いため誘引の際は注意するように。
俺からは以上だ。」
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全ては5年前に始まった。当時の人類は火星のテラフォーミングに成功したのみならず、太陽系脱出のための基地として、木星に大規模なステーションを建設していた。
そんな時に、ヤツラはやってきた。小さく、球体を上下に潰したような平べったいソレは、正に宇宙戦闘機と言うべき形状をしていた。そして、ヤツラは人類の叡智の結晶であった木星ステーションを破壊していった。その頃になると、ヤツラはベクターと呼ばれるようになり、人類もベクターに対抗可能な兵器の開発に邁進していった。
そして今日では、火星は大規模な軍事拠点となり、その公転周期上に5つの軍事衛星が浮かんでいる。
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ブリーフィングが終われば、即座に出撃となる。バーガンにとって、最早ブリーフィングはなれたものであった。宇宙に上がって4年以上がたち、2年と半年の間、大隊長として過ごしてきた。これだけの長期間パイロットを続けている者はバーガン以外にはいない。皆、宇宙に散って行ったか、様々な理由で地球へ帰還していった。残念ながら、前者の方が大多数を占めていたが。
バーガン率いる歴戦の大隊にとって、今回の10機と言う数は多くはない。隊の中には、1コ大隊のみで20機に当たった経験のあるパイロットさえいる。当然、バーガンもこの中に含まれているし、その回数は最多である。それに比べると、今回の10機と言う数は少ないと言えるほどであった。
第3防衛拠点の備える10台のカタパルトから、次々と射出されていく小物体。それは、ベクターに対抗すべく開発された「バルカン」と呼ばれる機体であった。バルカンはベクターを参考に開発されたため、その形状はベクターに酷似している。
ベクターの深い黒色に対し、バルカンは鮮やかな青色のカラーリングが施され、ベクターには見られない長い突起が突き出ている。
しかし、似ているのは外観のみであり、内情は全く異なる。ベクターの機動性はバルカンの優に2倍はあり、装甲の堅さは比べること自体が無意味なほどだ。
ベクターの備えるレーザーはバルカンの装甲を容易く溶解させ、バルカンの装備するレールガンはベクターの装甲にキズをつけるのみである。
これほどまでの圧倒的な性能差がある両機だが、唯一、バルカンのみが持つ装備がある。それは、「ラリオス」と言う軍事企業が開発したシールドである。シールドは、ベクターの放つレーザーがバルカンを蒸発させる前に展開し、機体を防護するのである。このシールドにより、バルカンの耐久性は飛躍的に向上し、何とかベクターと渡り合えるレベルに達することが出来た。この、ある意味地球の盾ともいえるシールドはラリオスシールドと呼ばれ、軍事企業ラリオスの代名詞となっている。
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第三軍事拠点から出撃した2個大隊108機のバルカンは、大隊ごとに2つの群れに分かれ、作戦宙域へと進んでいく。そして、それぞれの大隊の後ろから3隻ずつの艦艇が後に続く。
対ベクター戦においては、バルカンは大隊規模で運用され、それに3隻の艦艇が付随することとなっている。これは、バルカンの武装でベクターを破壊する事が極めて困難であるがゆえの方策であった。
バルカンはベクターと格闘し、ベクターの機動力を奪い去る。そこへ、駆逐艦は装備する大出力レーザーをベクターへ照射し、消し去るのだ。
バルカンの貧弱な武装ではベクターを破壊出来ず、駆逐艦の劣悪な機動力ではベクターの餌食である。バルカンと駆逐艦。人類は、この2種の兵器を用いてなんとかベクターと渡り合っていた。