幸せを願う
ウードソーエルの花言葉を聞いてから、アルバートは何かを考えるようになった。
時には辛そうにしていたり、険しい顔をしていたりと不安になったがぐっと堪えて静かに彼が結論を出すまで待つことにした。
ふらりと何処かに出かけたかと思えば、顔に青痣を作って職場に来たこともあった。
そして、その時は突然やってきた。
紅茶のセットを持ってきて、彼はメモの紙片を私に渡してきた。
「レティシア、これがオレの────いや、私が今考えていることだ」
その紙には、『償いたい』と一言だけ書いてあった。
カップに紅茶を注ぎ、人数分用意する。
お互い無言で紅茶を飲む。
「赦すわ」
自分でも驚くほど、すっと、言葉が出た。
不安な気持ちもあるけれど、心の中はどちらかといえば穏やかだった。
「貴方は十分償った。だから、私は貴方を赦すわ」
カップをソーサーに戻す。
正直に言って、紅茶の味も香りも分からない。
心は穏やかなくせに、私の思考は緊張しているらしかった。
「あの日から、ずっと考えていた。どうしてこんなことをさせるのか。分からないから、色んな人に聞いたんだ。『償わせるため』とか『資料にするため』とか色々なものがでたけど、どれもしっくり来なかったんだ」
そう言って、アルバートは数冊の本を取り出す。
手慣れた様子でページを捲って、また別の本を取り出して開く。
「アランは『塔の王女と無名の騎士』を読めばヒントがあるという。セシルという男は『不屈の騎士』を読めば手がかりがあるはずだという。ニコラスという少年は『童話大全』のなかに答えはあると言っていた」
開いたページはどれも、私が一番悩んだシーンだ。
「どれもみんな、主人公は不幸になっているのに人の幸せを願っているんだ。私は、今までそんなことを考えたこともなかった。ずっと自分のことばかりで、楽になることばかり考えていた」
「そう」
「今でも死にたいと思っているけど……それ以上に償いたいと思っている」
そう告げたアルバートの顔は自分の気持ちに確信が持てている凛々しい表情だった。
「アルバート、貴方、変わったわね」
「そう、だろうか。他の人にも言われたが、自分じゃよく分からない」
「たしかに変わったわ。視線を合わせてくれるようになったもの」
「言われてみれば、私は人と目を合わせようとはしなかったな」
自分を省みる言葉を使ったのも、これが初めてだった。
アルバートのおおよその人生を直接彼の口から聞いていただけに、何か感慨深いものを感じて目が潤む。
「レティシア。これまでの仕打ちを考えれば私がしてきたことは謝罪だけで許されるものじゃない。それでも、言わせてほしいんだ」
アルバートは椅子から立ち上がって、静かに頭を下げた。
「私がしてきたことは間違いだった。ここで過ごして、初めてその事に気づいたんだ。こんな風に考えられるようになったのも、全部、全部、君が手を回してくれたおかげだ」
頭をあげると、彼は真剣な顔で私を見つめた。
「許されるなら『レティシア』の書いた作品を、これからも読ませてほしい」
「私の作品は誰であっても読めるように書いてるの。そこには勿論、貴方も含まれているわ」
感極まったのか、そこで彼は黙ってしまった。
目頭を押さえて暫くじっとしている間に涙を乾かしたらしい。
「話を聞いてくれてありがとう。すまない、実はもう少し話をコンパクトに纏めるつもりだったんだが……」
「いいのよ。纏める方が難しいわ。それで何か予定でもあったの?」
「実は、アランから『ソーダツセン』とやらに誘われていて」
「え? なにそれは?」
アルバートは困った様子で首を横に振る。
彼も知らないらしい。
脳裏を過るのは、この前勝負に決着がつかなかったからという理由で三人とそれぞれデートすることになった思い出。
お互いに張り合うから、振り回されるこっちは大変だった。
最初の相手がアランというのも、最悪だった。
なにせ、当て付けのように高級レストランに連れ回すから他二人がこぞって高い方へ連れて行こうとするのだ。
「なんでも、来る早春二十日に誰がレティシアと過ごすかで争うらしい」
早春二十日とは、一般的に十四の数え年を祝う日である。
法律上でも成人をみなす日であるため、街の各地で催し物が開かれたりするのだ。
「セシルとアランだとニコラスに勝てないから手伝えと言われていて」
それを聞いて、私は何がなんでも阻止せねばなるまいと固く決意した。
あの三人なら『じゃあ三人で過ごそう』と言い出しかねない。
そうなれば、次こそ私の家は崩壊してしまう。
「それ、どこでやるの?」
「街外れの広場だと言っていた」
「止めに行かなきゃ……!」
「レティシア!?」
なお、駆けつけた時には既に喧嘩は始まっていた。
アルバートを連れているところを目撃されて話がややこしくなったのはいうまでもなかった。
おかげさまで、街中の私の評判は『男四人を侍らすヤバい女』になっていて少しだけ枕を濡らしたことは内緒だ。
蛇足編、完結です。