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有能秘書アルバート


 秋も深まったある日のこと。

 私は人でごった返す王城にて、ひたすらサイン本を書いていた。

 アランから贈られた魔法効果が付与されたペン(彼曰く、速筆のペンらしい。ガラス製なのに筆とは一体……?)が無ければ指から出血していたに違いない。


 両手をぱんぱんと打ち鳴らしながら私を探しているのは、銀髪のアルバート。


「レティシア、ほら早く次のサインを書け!」

「ひ、ひぃ……!?」


 アルバートに急かされながら、私は心の底から『面白半分でアルバートを雇うんじゃなかった……!』と後悔していたのだった。




 アルバートと思いもがけない再会をしたのは数ヶ月前。

 裁判でのゴタゴタも解決し、いつも通りの日常を過ごしていた時のこと。

 お気に入りの紅茶の茶葉が切れたので、気分転換も兼ねて私は街に繰り出していた。

 雨が降っていたが、勢いは弱く、どちらかといえば小雨。

 しとしとと傘に当たる雨粒の音が心地よい。


 雨の日は鼻歌を歌っても周りにバレないので、こっそり好きな歌を歌いながら馴染みの店に向かっていた最中。


「もういい、アンタはクビだ!」


 叫び声と共に、酒場の扉が乱暴に開いて誰かが蹴り出される。

 その人は盛大に尻餅をついて地面に転がった。

 解けた髪と俯いた顔からは表情が分からないが、落ち込んでいることは見て分かる。

 周囲の人間はその人をチラリと見るだけで、立ち止まらずに迂回するようにして歩いていく。


 その姿はあまりにも見ていられなくて、私はつい近寄ってしまった。

 灰色かと思っていた頭髪は、近くで見たら綺麗な銀髪であることに気づいた。

 光の加減によって見え方が違うらしい。


「あの……良かったら、これ使ってください」


 その人はやつれた顔をした青年だった。

 何処かで彼を見た覚えがある気がしたが思い出せなかった。

 もしかしたら白狐出版社の関係者かもしれない。


「アンタ、は……?」


 掠れた声を出しながら私を見上げる姿はやはり何処かで見たことがあるような気がする。

 それなら、ここでみすみす放置するわけにはいかない。

 困っているなら無理のない範囲で手伝う、それが私の信条(ポリシー)だ。


「レティシアです。ほら、ここに座っていても濡れるだけですよ」


 動こうとしない彼の手を掴んで、立ち上がらせる。

 彼の手は人間の手とは思えないほどひんやりとしていて、私まで悴んでしまいそうだ。

 雨の勢いが弱いとはいえ、長時間濡れたままでいれば風邪をひいてしまう。

 こういう時、セシルであればすぐに魔力で乾かせるのだが、私にそんな便利な力はない。


「とりあえず、この傘を差し上げます。濡れたままで過ごしていたら、風邪をひいてしまいますからどうか暖かくしてくださいね。私は折り畳みの傘がありますので、お構いなく」

「哀れんでいるつもりか」

「そうですね。あ、これぐらいあればコーヒー代ぐらいにはなるでしょう」


 なにやら困っている様子なので、コーヒーをいっぱい飲めるだけの小銭と傘を強引に握らせる。

 他人の私にできるのはここまでだ。

 ここから先は彼がどうにかするだろう。

 手持ちの鞄から折り畳みの傘を取り出して広げて見せれば、彼は戸惑ったように私を見上げていた。


「……あー、それじゃあこれで」


 そう言って私はその場を去った。

 何か言いたげな視線を背後から感じたが、青年はなにも言わなかった。





 その時の銀髪の青年と再会したのは、次の日のことだった。

 来客に気づいて扉を開けると、昨日渡した傘を片手に彼がポツンと立っていた。

 目が合うと、彼は静かに傘を渡してきた。


「傘を返しに来た」

「それは、わざわざどうもありがとうございます」


 傘を受け取って、しげしげと青年の顔を見て私はようやく彼の名前を思い出した。

 『アルバート・シェリンガム』。

 裁判で争った検事であり、権力闘争で失脚したと風の噂で聞いていたが街中で再会するとは思わなんだ。

 あの時の流行りのスーツではなく、普通の村人のように布の服を着ていたから気がつかなかった。


「えっと、元気にしていました?」

「元気そうに見えるなら、アンタは相当おめでたい頭をしているな」


 これは言葉を間違えたな、と困っているとアルバートから、ぐう、と腹の音が鳴った。


「…………これは、だな。空腹とかそういうのじゃない」


 そう誤魔化すアルバートの顔はなんだかやつれていた。

 検事の職を失って以来、きっと彼は頼れる宛がなかったのだろう。


「……実は、一昨日食べ切れない量の料理を頂いてしまって困ってたんです。捨てるのも勿体無いので、食べていってください」

「あ、おい!」


 やや強引にアルバートを椅子に座らせて料理を温めてから出せば、彼は「うぐぐぐ…………屈辱だ……こんな屈辱は生まれて初めてだ……っ!」と言いながらモリモリ食べていたので、きっとお腹が空いていたのだろう。


「美味かった……」


 食べ終えたアルバートは満足そうな表情を浮かべていたので、思い切って彼の近況を尋ねてみた。

 「私を侮辱するつもりか! ふんっ、いいだろう。せいぜい嘲笑うがいい!」と震えながら教えてくれた。

 どうやら検事局長からクビにされ、財産を差し押さえられて困り果てていたところ、街の各地を転々としながら働いていたらしい。


「最初はそこそこ上手くいってたんだ……けど、畜生。俺がアルバートだと知るとみんな掌を返したみたいに!」


 怒りに満ちていた言葉は途中から嗚咽混じりの言葉に変わる。

 ついには頭を抱えて俯いてしまった。


「そうだったんですねえ」


 少なからず、アルバートが置かれた状況に哀れみを覚えてしまう。

 新聞や噂話が拡散しきった今、彼がいつも通り日常を過ごせるようにはならない。

 自業自得とはいえ、ここまで憔悴しきった姿にまでなっていると過去のことを持ち出して責める気にもなれない。

 今は人手が必要な時期だったことを思い出し、面白そうという浅はかな動機で私は彼に取引をもちかけることにしたのだ。


「ねえ、アルバートさん。仕事がないなら、人助けと思って私に雇われてみない?」

「哀れむつもりか。ふん、なにをさせるつもりだ? 給仕か、それともあの日の復讐か?」

「ちょっと文章を校正してもらったり、私のスケジュールを管理してもらうだけの簡単な仕事です」


 私の提案にアルバートは視線を少し彷徨わせて、それから、はあっ、とため息を吐いて私に視線を戻した。


「アンタがどういうつもりか知らないが、俺には他にアテもツテもない。好きにすればいい」


 こういう感じでアルバートを雇ったところまでは良かった。


「レティシア、ここの文章の言い回しが……」

「レティシア、ここの綴りが……」

「レティシア、明後日のスケジュールは……」


 アルバートは仕事熱心な人間だった。

 なにかと権力や金で解決するようなアランとは違い、平民相手でも丁寧に対応できる貴重な人材だった。

 教えたことはすぐにメモを取るし、間違えたことは彼なりに分析して反省点として纏めてくれる。

 裁判での暴走も、これまでの私への振る舞いも、彼の『間違い』を指摘する人間がいなかったから起こったのだと分かるほどには職務に忠実だった。

 やや道徳的なものを排除するきらいはあるけれど、彼なりに正義があったのだと今なら思える。

 アランやセシル、ニコラスとの仲は険悪だったが、アルバートは特に気にしていないようだった。

 あまりにも熱心に仕事をするものだから、偶には休んでいいよと告げた瞬間。


「や、やはり私は不要になったのか……!? どこがダメだったんだ!? 口調か? 服装か? それとも髪型かっ!?」


 私の肩を掴んで前後に揺すりながら詰め寄ってきたので、慌てて仕事を割り振ったらすぐにほっとした表情を浮かべたことは記憶に新しい。

 「働いていると落ち着くんだ」とスケジュールを整理しながら呟いていたアルバートの姿はワーカーホリックそのもので涙が出てしまう。


 そんな風に過ごしていたある日。

 いつものように執筆している間、なかなか他の作家が本を出さないことにぼやいていると、アルバートがとんでもないことを言い出した。


「文芸サロンの面々と共同でイベントを開催してみたらどうです?」

「イベント?」

「画家は個展を開くそうですし、作家もなにかそういう催しがあった方が創作意欲とやらが湧くのでは?」


 そんなアルバートのひょんな一言からイベントを開催することになったのだ。

 そして、冒頭のシーンに戻るのだ。



「アルバート……あと何冊?」

「あと千冊です。それで先行予約分は終了です」

「先行予約」

「入場数を把握するために必要でしたので。昼食後は午後一時から演説です。こちらがその原稿です」

「あぁ、ありがとう……」


 私が知らなかったことなのだが、アルバートはどうやら経営というかそういうやりくりするスキルがあったらしい。

 生かさず、殺さずのギリギリのラインを的確に責めてくるスケジュールは流石としか言いようがなかった。


「レティシア、どうして君は変な男ばっかり引き寄せるんだい?」


 何だか、最近氷点下の如き冷たさで私を見つめる父の視線に私は反論できなかった。

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