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白狐


 中指に痛みが走ったところで、書き綴っていた小説に一度句読点を置いて休憩を取ることにした。

 机は与えられなかったが、幸いにも紙やペンはふんだんに与えられている。


「うん、執筆ペースがあがったわね」


 ずっと同じ姿勢でいたことで、少し身体を動かすだけでばきごきと関節が鳴る。

 奮発して整えた我が家の執筆机が恋しい。


 以前は体力的な問題で千文字を書ければ良い方だったが、先日の尋問以降からアルバートが鞭を振るう回数が減ったおかげで、今は五千字までなら辛うじて書ける。


「どうして『禁断』って心が惹かれるのかしら?」


 たとえ体力が底を尽きても、ずっと思考は回り続ける。

 いつだって、どんな時だって私は空想の海に浸っていた。

 前世では親に『緊張感が足りない』ってよく怒られていたっけ。懐かしいな。


「やっぱり道徳に反しているから? それとも何か己の預かり知らぬものがあると期待してのことかしら?」


 何故を突き詰めれば、既知ですら未知となる。

 そうすれば物語に深みが出るし、なにより考えて書くのが楽しくなるのだ。


 孤独であることをいいことに、私はあれこれ考えながらにやにやとする。

 考える時間はたくさんあるのだ。


「はっ、そうだわ。ここの濡れ場の一文を伏線として、後々回収すればエンディングの動機が強まるはず」


 書きながら考えて、考えながら書いて、消しちゃった気に食わない箇所が実はいい表現だったことを思い出して頭を抱える。


「これが創作だわ、この葛藤こそが生きている証なのよ」


 誰に言うでもなく、ぶつぶつと呟きながら小説を書く。

 こうすると考えが纏まる気がするのだ。


 そろそろ眠ったほうがいいかな、なんて天窓から覗く夜空を見上げながら床に転がった時。

 微かに脱走防止のために作られた廊下扉の開閉音が暗い牢獄に響く。

 アルバートにしては遅い時間帯だし、巡回は廊下扉を開けてまでは行われないはず。

 天窓から差し込む月光は牢屋の半分も照らせなくて、廊下に誰がいるのかも分からなかった。


「誰かいるの?」


 ぎぃ、と錆びれた音を立てて私の牢屋の扉が開く。

 問いかけてみたが返答はなく、廊下はペンキで塗りつぶしたように真っ黒で静寂があった。

 廊下の奥から誰かの気配はあるが、答える様子はない。


「ねえ、ちょっと……?」


 何故牢屋の扉を開けたのか。

 何故、姿を表さずに沈黙を守るのか。

 その意図が掴めずに、少しでも手掛かりを得ようと目を細める。

 暗闇を見つめ続けた事で目が暗がりになれて、ようやくその正体に気づいた。


「えっと、狐……?」


 真っ白な毛並み、黒いノズルに知性があるのではと錯覚する鋭い目。

 ふさふさとした尻尾が背中から覗いていた。


「なんで狐がこんなところに?」


 迷い込んだ、なんてことがあるはずもない。

 この監獄がどこにあるのかは分からないが、警備を潜り抜けて忍び込めるはずがない。

 どういうことか頭を悩ませていると、声が聞こえてきた。


『あのさあ、早く外に出なよ』


 呆れた女性の声はすれど、近くに人の姿は見えず。

 きょろきょろと牢屋の外に首をだして廊下を見回す。


『いや、あのさ……そういう型にハマった(テンプレートな)リアクションは要らないから。君も創作者っていうエンターテイナーなら妾を楽しませてくれよ』


 まさか、と思い廊下の奥に座る狐に視線を戻す。


『ようやく気づいた? まあ、その理解の速さなら及第点ってところかな』


 狐はくわぁ、と牙を剥き出しにしながら欠伸をする。

 にわかに信じがたいが、これまでの怪奇現象は全てこの白狐の仕業なのだろうか。

 声の口ぶりから察するに、私の考えは間違っていないようだが……なにか得体の知れない不気味な感覚に鳥肌が立つ。


「それで……その狐さんは何用でこんなところに?」


 信じられない気持ちは一旦他所に置いて、恐る恐る狐に話しかける。

 尋ねるは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥という。

 答えがないなら、己のバカさを嘲笑って明日アルバートに話してやればいい。


『君、知らないの? この国で白い狐といえばこの妾、レルスのことを……まあ、異世界から連れて来たんだからしょうがないか』

「えっ、レルスってあのレルス神?」


 白い狐を精霊の遣いとするレルス信仰の要。

 今でこそ、教会の権威によって居場所を失いつつあるが貨幣の名称にすらなっているほどこの国の歴史と根深い存在だ。


『あ、やっぱり知ってた? そう、妾こそがこの世界を守護する偉大なる精霊の一柱、レルス様だよ。畏敬の念を込めて平伏したまえ』

「は、はあ……?」


 とりあえず、石の床に座って目線を合わせる。


『そうそう、んでここからが本題なんだけど……君、ここから逃げなさい』

「それは何故でしょうか」

『あ、理由尋ねちゃう?』


 私を精霊が憐んで……というのはなんだか声の感じから見て違う気がした。

 レルス神の声音はなんだか、必要だからそうするというような打算めいたものがあった。


『単刀直入に言うと君、死ぬよ?』

「…………」

『教会の連中、何がなんでも君を排除するつもりらしいね。まったく、心が狭い連中だよね〜異教徒にも優しい妾を見倣ってほしいよ』

「破門した人間は許さない、的な狂信的な動機ですかね?」

『破門っていうか、君が新聞に載せた「全能のパラドックス」が原因だね』


 彼方に投げていた記憶を手繰り寄せて思い出す。

 そうだ、たしかにアルバートに逮捕される前にそんな思考実験を面白いと思って地元紙に載せたんだ。


『それを見た読者が教会にどういうことなんだと抗議してね、未だに対応に追われていてそれを新聞が面白おかしく取り上げて……って、感じで話題になってるよ』

「えぇ?」


 私は想定外の事態に思わず困惑の声を漏らす。

 その地元紙に載せた思考実験は、不可能を創り上げた神は全能であるが故に全能から逃れられない……というややこしいものだ。

 解決方法はとても簡単で、『不可能すらも神の想定内であり、不可能であるからといって全能でないことの証明にならない。また神はその尊さゆえに人智で語れない』と言ってしまえば議論は終了する。

 早い話、宗教というものは論理的に正しいだとか間違っているだとかそう議論の外にいるものだと私は思っている。


 それがまさか、私がまったく意図しない形で教会を燃やしていたとは。


『ここに連れて来たのは妾だからね。とりあえず、事態が落ち着くまで国外に……』

「いやいや、ちょっと待ってくださいよ」


 話を進めようとするレルス神を一旦止める。

 もしもレルス神が言うことが全てその通りだとしたら、二度目の破門やらなにやら教会の不審な行為に説明がつく。

 つまりは、嫌がらせ。


 そう考えると沸々と怒りが込み上げる。


「もし私がここから逃げたら、罪を認めるってことになるじゃないですか!」

『死ぬよりはマシでしょ』

「まだ小説だって完成してないって言うのに、こんなのあんまりだわっ!」

『あれ、おーい?』


 顎に手を当てて、思考を巡らせる。

 死ぬのはたしかに嫌だ。

 しかし、だ。

 アルバートに負けを認めるのも、そして教会の思い通りになるのも気にくわない。


「私が死ぬっていうのは、教会の暗殺者だとかそういうのがここに来るんですか?」

『多分ね』


 曖昧な言い方に疑問を覚えて視線を向けると、レルス神は耳の後ろを後ろ足でかりかりと引っ掻く。


『妾の力、あくまで可能性を見るだけだからね。細かいことは分からないのさ』

「なるほど。それなら尚更ここを離れるわけにはいきません」

『は? なんで? 君、もしかして頭が逝っちゃった?』

「違いますよ」


 教会の人間ということは、内部を知ることができるかもしれない。

 それに……。


「気になるじゃないですか、その死神さん」


 前世の死神は狐だった。

 今世の死神は人間という。

 作家ならば、創作者ならば、死神という存在は一目でも拝んでおきたい。


「そういえば、私を連れて来たと仰ってましたけどあの白い狐もレルス神なんですか?」

『ん? 妾であって妾ではない、という表現の方が伝わりやすいかな。妾は無限に実在する可能性を司るものだから、一概にこうとはいえないんだよね』


 『だからこそ朧で虚なんだけど』とレルス神は語った。


『しかし、死にたくないくせに脱獄を拒否するなんて人間はつくづく面白いよねえ。破綻しているようで、矛盾していない。うん、君に会えてよかったよ』

「そうですか」


 私には一体何を語っているのかは理解できなかったが、人に危害を加えるような存在ではないことだけは伝わった。


『導きを拒んだ以上、妾にこれ以上出来ることはないね。後は正真正銘、君が決めることだ』


 そう言い残して、レルス神は暗闇の奥へと消えていった。

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