アランの思い
前回のあらすじ
国王のために(強調)わざと裁判で負けることにした。
アランが契約を取り付けたという弁護士の事務所は、街中の栄えた店の近くにあった。
なんでも実力もコネもある事務所だそうだが、いかんせん歴史があるため減刑に注力するそうなのだ。
だからこそ、逆転や無罪の難しさを知っている。
いきなり訪問した私とアランを、弁護士のネクサスは丁寧に迎え入れてくれた。
「これはこれは、ようこそいらっしゃいました。ご用件を伺いましょう」
ネクサスは銀縁眼鏡の奥で、静かに目を細めている老人だった。
シェリンガムやフィッツと比べて、大人しそうな雰囲気があった。
「突然押しかけてすみません。なにぶん裁判が始まるまで日数がありませんから。紹介が遅れました。こちらが件のレティシアさんと、もう一件の被告人『モンタント』です」
「お初にお目にかかります、ネクサス先生。レティシアと申します」
「おお、貴女があのレティシアさんですか」
椅子の上で小さく頭を下げれば、ネクサスも丁寧に頭を下げて自己紹介した。
互いの名前も分かり、近況をすり合わせたところで本題に入る。
「それで先生、私が直接ここへ伺ったのはとある計画のために先生の協力が必要不可欠だからです」
「私の協力ですか、法に触れなければお手伝いいたしますよ」
「心強い言葉をありがとうございます。それで、計画というのはですね……」
ここに来るまでにアランと打ち合わせた計画を話す。
最初は静かに聞いていたネクサスも、中盤では目を丸くし、終盤では口すらも半開きになっていた。
「本気ですか?」
「ええ。先生、私はいつでも本気ですわ」
「な、なんという……噂は伺っていましたが、なるほどまともな感性を持ち合わせていないという話は本当だったのか」
ついにネクサスは眼鏡を外して眉間を揉み始めた。
『レティシア』としての噂話と『モンタント』としての噂話が混ざってとんでもない誤解をされているようだが、私は至ってまともな考えのもと行動しているだけに過ぎない。
確実に誤解されているが、下手に同情されても今後に触るので黙っておく。
「それで、ここまで聞いておいて『協力しない』なんてつれないことは仰りませんよね?」
「いや、しかし……弁護士として、いや、人としてこんなことは……」
「法律になんら違反しませんわ、ネクサス先生。貴方の仕事は裁判官と検事から『判断基準』を引き摺り出すことです」
先例というものを人は尊ぶ。
どの仕事でも、必ず過去に似たようなケースがないか調べる。
そして、そこから反省点や改善点を見つけて、これから取り掛かる仕事に活用できないか考えるのだ。
こと、司法においては過去に行われた裁判──つまり判例──を何よりも重要視する傾向にある。
過去に下された判決だから、必ずしも今に合致するとは限らない。
だから、今に使えそうな理論を引っ張り出して、それぞれ使えるかどうか照らし合わせるのだ。
それを判断基準と呼ぶ。
被告人の行動は罪に当たるのか、どの行為が違法ではないのか。
裁判官は必ずそれを明確にしなくてはいけない。
中世のような閉鎖された空間での裁判だったら、そんな御託抜きに有罪からの死刑を言い渡せば済む話だったが、商業が発展し、民事裁判が活発となった今では無理。
そんなことをすれば、文字通り社会が混乱する。
特に、いい意味でも悪い意味でも『レティシア』と『モンタント』は有名だ。
「本当に、いいんですね?」
「ええ。例え失敗したとしても先生にご迷惑はおかけしませんわ」
目頭を揉んでいたネクサスは、眼鏡を掛け直して笑う。
「ふふふ、まったく、長いこと弁護士として活動してきましたがこんな不敵に笑う被告人は初めてだ。人生、何が起きるか分からないな」
「それは、ご協力いただけるということで?」
アランの確認の言葉にネクサスは深く頷いて、私に向かって右手を出す。
握り返して握手をすると、彼は心底嬉しそうに笑った。
まるで、悪戯を企む少年のように。
「レティシアさん、私はあなたの蛮勇と情熱に敬意を評します。必ずや、この計画を成就させましょう」
「ええ、ネクサス先生」
そうして交わした握手は固く、力の籠もったものだった。
それから計画の詳細を詰め、必要なものを揃えた頃にはすっかり夕暮れになっていた。
帰り道、繁華街を抜けて家が見えてきた時にアランが口を開く。
「なあ、レティシアさん。君はどうして、そこまで全てを犠牲にしてでも小説を書こうとするんだい?」
「全てを犠牲にしていないわ」
「しているよ!」
立ち止まったアランの方を振り向く。
オレンジ色に照らされた風景のなかで、彼は今にも泣きそうな顔で私を見ていた。
「君の立てた作戦は完璧なのも、そうするしかないのも分かる。『レティシア』は無罪を勝ち取れるだろうし、他の作家仲間も助かる……それは、素晴らしいことだと思うよ。思うけど、それは……それはっ……!」
「アラン……」
碧いアランの目から一筋、涙が溢れる。
頰を伝い落ちた涙は、しかし地面に落ちることはなかった。
「落ち着いて、アラン。魔力が漏れてるわ」
「落ち着けるものかっ! 君は、自分の意思で牢屋に入ろうとしてるんだぞっ!」
アランの叫びに呼応するように、彼の周囲から重力が消えた。
当然、近くにいた私は地面に立っていられるはずもない。
ふわっと身体が浮かぶ。
未知で、未体験で、どうしようもない現実にさっと血の気が失せる。
魔力のない私には、彼の魔力を打ち消して身を守るなんてこともできないのだ。
「ひゃあっ!?」
咄嗟に何かに掴まろうと手を伸ばすけれど、近くに頼れそうなものもなく。
元凶のアランに手を伸ばせば、彼はやっと私の手を掴んで引っ張ってくれた。
けれども、未だ魔力は漏れていて重力は消えた状態。
「こうでもしないと、君は僕を見てくれないんだね。家族を失っても、苦境に立たされても君は僕に助け一つ求めないなんて。次は君から何を奪えば僕を見るようになってくれるんだ?」
おまけに、なにやら不穏なことを言い出し始めてきた。
握られた手に、段々と力が籠もっていく。
これは何か言わないとまずいことになる、直感的にそう思った。
機転をきかせて、アランの地雷になりそうな言葉を避けながら口を開く。
「アラン、貴方が何を思っているのかは分からないけれど」
アランの手を私の両手で包む。
逆さまに見上げた彼の瞳をじっと見つめ返す。
その距離はいつもより近くて、妙なことまで意識しそうになるけれど余計な思考は追い出す。
「貴方のことを信じているわ。本を出版できたのも、書き続けていられるのも貴方のおかげだもの」
「…………。」
アランの表情に変化はなく、それどころか少し冷たくなったような気がした。
どうやら、そういうことじゃないらしい。
「……秘密を共有するってさ、なんだかオトナな感じしない?」
「オトナ?」
「秘密を共有するというのは、きっと友人とか家族とかそういった関係とは少し特別な気がするの」
「トクベツ……」
じっと私の顔を見上げながら考え込んだアランはふっと笑った。
その拍子に重力が元に戻る。
突然、重みを増した身体に目を白黒させながらもなんとか地面に着地を決めた瞬間、アランに抱きしめられた。
彼が愛用しているフローラル系の香水に包まれる。
「今は、トクベツという関係で手を打とう。その代わり、計画が上手くいかなかったら何もかも壊して国外に連れ去るからね」
あ、これ対応ミスったかもしれない。
そう思っても後の祭り。
私はただ、この命を賭して計画を成功させなくてはいけないという使命感に胸を焦したのだった。
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