久々の団欒
前書き
三人は仲良し!(人の家で喧嘩してチェスで遊ぶ)
※10/09改稿
日も沈み、時刻は六時前となった頃。
私は父親と母親からの招待もあって数週間ぶりに屋敷に戻っていた。
勘当される前と変わらない風景に少しだけほっとする。
「この度は夕食にお誘いくださり、誠にありがとうございます」
平民式の頭を四十五度に下げる挨拶をする。
複雑な儀礼を必要とする貴族と違い、平民は身分、年齢、性別に関係なくお辞儀をすることで最低限の礼儀を熟したと判断するらしい。
なんでも過去に不敬罪を悪用して暴虐の限りを尽くした貴族がいたとかなんとか。
それで法律で制定されたらしい。
「まあ! 頭をあげてちょうだい、レティシア。私たちは家族なのよ、公の場ならまだしも家の中まで畏る必要はないのよ」
そう言って私に駆け寄る母は、なんだか少しやつれたように思えた。
顔色は悪くないので健康上の問題はないと思われる。
なんとなくで感じた違和感だが、言葉にするのなら覇気がないというものが適切だった。
「そうだ、レティシア。今日、屋敷にいる使用人たちも信用できる人だけにしている。ニコラスもお前に会いたがっていたから、どうか堅苦しいのは別の日にしてやってくれないか」
椅子に腰掛けた父の背中も、哀愁のようなものを感じて酷く胸が騒めく。
その理由が分からなくて、私は心の中で首を傾げるしかなかった。
「それにしても家族で揃うのも久しぶりね、アナタ。まだ後二年は一緒に家族で過ごせるのかと思っていたのだけど……」
「こらこら、エリザベータ。折角の団欒を湿っぽい空気にしちゃ意味がないだろう」
「ええ、そうね」
マクシミアン公爵家でのお茶会から、いつかはルーシェンロッド伯爵家の令嬢で居続けることは不可能だと私は思っていた。
本音を言えば父と母の二人に対して人としての情はあるが、家族としての情はない。
さらに、私には『キスは舞踏会の後で』というゲームでニコラスらしき少年がルーシェンロッド家に引き取られたらしいという後日談を知っていた。
そんな私と違って、二人はある日突然、家族を切り捨てる決断を迫られたのだ。
国王からの追及や、元からあった私への非難を交わすためとはいえ両親も人間。
そう簡単に割り切れるものじゃない。
夕食を共にするだけのものだが、きっとあの二人なりの娘への気遣いなのだろう。
「さあ、リディたちが用意してくれた食事を食べようじゃないか。ニコラスも、最近ではテーブルマナーがすっかり上達してなあ。今では私よりも綺麗にステーキを切るんだ」
私がいなかった屋敷での出来事を話す父は、私がこれまで知っていた『ルード』と違う笑い方をする姿だった。
その姿を見て、安堵する気持ちがある一方、胸の底に妙なしこりのようなものが溜まっていく。
「────あねさま、あねさま? どうしたの?」
「いえ、なんでもないわ。少しぼーっとしただけ」
気がついたら既に夕食は終えていて、時計の針は八時少し前を指していた。
私の顔を心配そうに覗き込むニコラスを安心させる為に微笑みを浮かべあげると、彼は「そっか」とだけ返して水を飲む。
なんの話をしていたのだったか思い出そうとして、四苦八苦していると時計が、ぽーん、ぽーん、と八時を告げる。
「ニコラス、子供はもう寝る時間だ。お父さんたちはまだお話があるから、先に部屋に戻りなさい」
「でも」
「今日だけはお父さんたちに時間をくれないか?」
「……わかり、ました。おやすみなさい、お父様、お母様、あねさま。また明日」
家族と寝る前の抱擁を済ませると、ニコラスはリディに連れられて食堂を出て行く。
後ろ髪引かれる思いだったのか、ちらちらと扉が閉まるまで私の顔を見ていた。
「さて、レティシア」
私の名前を呼んだ父は、深く息を吸うとニコラスに向けていた笑顔を消していつもの表情に戻る。
「ここからは大人の話をしようか」
視界の端でエリザベータも姿勢を正すのが見えた。
どうやら、これからが彼らの本題らしい。
そうして、父が告げたのは貴族社会じゃいつ起きても不思議じゃないこと。
「ファーレンハイト侯爵家が反貴族派へ寝返った」
それでも、私にとっては青天の霹靂。
ヘーゼル色の目を細めて微笑む少女の姿が脳裏を過ぎる。
「これで、反貴族派は議席の過半数を獲得した。国王に権力が集中するだろう」
父の言葉を頭の中で整理して、考えて、顔から血の気が失せていく。
「それは、つまり……ルーシェンロッド伯爵家が没落する可能性がある、と?」
「正しくは断絶だ。ニコラスは幼い上に血が繋がっていないから恩赦が与えられるが、私とエリザベータは幽閉される」
青ざめた私の背中を、母の細い手がゆっくりと摩る。
「安心してちょうだい、レティシア。あなたは多少肩身が狭くなるけれど、処刑されることはないわ」
「……え?」
「これまであなたには魔力がないことで苦悩していたのに、そのことであなたを助けられるなんてレルス神も皮肉が効いているわ」
「そうだな。まさか国王も『魔力がなければ貴族として認めない』なんて法律を利用されるとは思わなかっただろうよ」
クスクスと笑う二人の横顔はやっぱり私の知らないもので、薄寒いものを覚える。
「今日呼んだのは他でもない。今生の別れとなるだろうから、最後に顔を見たかったんだ」
「この事は、ニコラスにはなんと……?」
「あの子は来月、私の叔父のところへ海外留学に行かせるよ。その間に全ては終わるはずだ」
何かを言おうとして、結局言葉は出てこなかった。
月並みな言葉も、普段は湯水のように湧く言葉も、何一つ出てこない。
何も言わない私を、父はそっと抱きしめた。
何故か既視感があるような気がして、でも父に抱きしめられたのはこれが始めてのはずだから気のせいだと頭から追いやる。
「今日は色々あって疲れただろう。屋敷に泊まっていきなさい」
「そうします」
私の心を慮った父に対して、やっと絞り出せた言葉は娘としてはあまりに素っ気ないものだった。
深夜も過ぎた頃、久しぶりに横になった実家のベッドで、私はずっと考え事をしていた。
この国は、国王を中心に王家・公爵家・侯爵家・伯爵家・子爵位・男爵位・騎士位と貴族の序列が決まっている。
世襲による相続が認められているのは伯爵までで、それも代を重ねるたびに位が下がっていく。
例えば、ルーシェンロッド伯爵家を継ぐニコラスであれば、彼はルーシェンロッド子爵になるのだ。
伯爵になるには、一定の税金を納めた後に国王からの認可と議会の承認が必要になる。
増える一方だった貴族を減らしたいという反貴族派の国王の政策だと『キスは舞踏会の後で』では語られていた。
事実、前代では国内の貴族同士が領地の相続で揉めて外国の侵略を受けた過去からの反省も踏まえているのだろう。
『これで、反貴族派は議席の過半数を獲得した。国王に権力が集中するだろう』という父の言葉通り、ファーレンハイト侯爵家が国王派についたことでほぼ均等だった議席は傾いた。
これから貴族制度の解体が進む。
でも、それは後半の出来事で、レティシアの悪事が露見したことをきっかけに鋭いメスが入るのだ。
どうしてこうなったのか。考えて、考えて、考えて。
「……あの時のお茶会?」
思い出したのは、転生した直後のお茶会。
吟遊詩人の詩を教えてくれたサリーに、私はお返しと称して創作した小説を語って聞かせた。
作中では、その時の『レティシア』はどんな風に振る舞っていたか描写されていない。
けれども、傲慢で高飛車な彼女ならば屈辱に身を震わせていただろう。
それからの私は『塔の王女と無名の騎士』を書き上げて、シェリンガムの目に止まって、アランと遥かに早く出会って……。
それはもう色んなことがあった。
色んな人に会って、小説を書いてきた。
「私の所為で?」
『バタフライエフェクト』
小さな変化が、やがては大きな影響を及ぼすこと。
まるで蝶が羽ばたくために起こした風が、巡り巡って地球の裏で竜巻を起こすように。
私が好き勝手にやってきたせいで均衡が崩れた……のかもしれない。
少なくとも、完全に無関係ではないはずだ。
どうするべきか考えても答えは出ず、空が白んでもこれからどうしたらいいのか分からなかった。