裏文芸サロンは危険な香り
“裏文芸サロン”開催当日。
時刻は宵闇を過ぎ、空が紫色に移ろう最中。
私はアランと共に会場のバーへと向かっていた。
場所は街の中心部、繁華街の地下バー。
“裏”とつけているあたり、そういった拘りを感じる場所のチョイスだった。
転生してから数えるほどしか着る機会がなかった黒のスラックスに藍色のベスト。
そして紺のジャケットを羽織った私は、周りから見れば線の細い少年のように見えるだろう。
「ラワン、この服で問題ないよね?」
ラワンもといアランに話しかけた私の声はいつもよりやや低めのハスキーボイス。
意図的に低く出していることに加えて、アランが手配したという変装道具である変声機能を持つタイの効果も相まって、少年という外見に拍車がかかっている。
「勿論さ『モンタント』様! いつもは可憐だが、今日は一段と引き締まって凛々しいぞ!」
そう答えたアランの声もいつもと響き方が違う。
彼の首にもまた、私と同じような変声機能を持つタイのおかげで知り合いがいたとしてもすぐにはアランだとは気づかないだろう。
私とお揃いの服を着たアランはいつになく上機嫌だ。
目元を覆う白い仮面をつけているので表情は分からないが、これまでの付き合いからどんな顔をしているのか容易に想像できる。
『悪巧みは考えている間と実行している間が一番わくわくする』と語っていた通り、彼は今、楽しくてたまらない様子だ。
オールバックに固めた髪が乱れていないことを確認して、三つ編みが解けていないことにそっと安堵する。
この装いは、アランの思いつきから始まった。
『いっそモンタントを男にしてみてはどうだ?』
その言葉を聞いたジュリアは目を輝かせ、早速私の採寸を始めると『男装の麗人……! 滾る……!』と叫んで制作を始めたのだ。
そうして完成した服を見たアランは無言で札束を取り出し、ジュリアの机に置いて全く同じものを作らせたのだ。
アランと違うところといえば、私の仮面は彼の笑ったように見える仮面とは正反対の、泣き顔にも見えるような目の形をした穴が空いている白い仮面だ。
服装から見れば男ではあるが、つけている香油はアランの傘下の商会が売り出している新作のもの。
香りは石榴を主としているフルーティ系で、甘酸っぱい香りが特徴だ。
作戦はシンプル。
レティシアよりも強烈なインパクトを残しながら、仲間を増やしてあわよくば創作の糧になるような情報を掴む。
「それじゃあ、行きますか」
「ああ、お先どうぞ」
扉を開けてくれたアランに軽く感謝しながら私は扉を潜った。
瞬間、鼓膜に響くのは人々の談笑。
会場となったバーには、私の想像を遥かに超える人数がいた。
私と同じように官能小説を書き、そして出版している人は少ない。
それこそ、片手で簡単に数えられるぐらいしかいない。
思わずきょとんとしていると、受付を済ませてきたアランが戻ってきた。
「どうやら、ここにいるのは“裏文芸サロン”が開かれると聞いてやって来たファンや愛好家らしい。仮面が必須なのは『立場等を鑑みて』らしいが……」
仮面の下で嬉しそうに作品の感想を語り合っている青年たちを見ていて、私でもなんとなく仮面が必須とされている理由が察せた。
匿名性が保障されないこの世界、このような仮面舞踏会に似たものでもないと自分を解放できないのだろう。
「まもなく開始時間になりますね。少し緊張して来ました」
「まあ、今日は君の姿さえ覚えられればそれで作戦成功みたいなものだからね。安心してくれ、モンタント様」
「ラワンは落ち着きすぎて逆に不安になるわ……なるなあ」
ここでは男として振る舞うのだから、ついうっかり女言葉が出ないように気をつけなければ。
それと、アランが考えた設定『病弱ゆえになかなか表舞台に出られない貴族が手慰みに官能小説を書いた』というものも忘れないようにしないといけない。
ところで、何故かその設定では『アランは忠実な従者』というよく分からないものまで追加されていた。
妙なところでこだわりを持つ男だ。
けれども、私の側にいても不審じゃない筋書きを思いつけたのは彼だからこそだろう。
「さあ、モンタント様。ワインをどうぞ」
「ああ」
とくとくと私の持つワイングラスに葡萄ジュースを注ぎ入れる姿は様になっている。
持ち方までしっかりと拘っているところに情熱を感じる。
「ふむ、さすが年代物は違うな」
未成年なので、私はまだお酒が飲めないのだ。
それと、実はアルコールのツンとした匂いが苦手なので前世でもお酒は飲まなかった。
前世の価値観を引きずっていることも影響しているだろう。
くるくると葡萄ジュースをワインに見立ててグラスの中で回し、香りを楽しんでいるとアランの肩が少し震えていた。
「む、なにかなラワン。ボクの振る舞いになにかおかしな所でも?」
「ふ、ふふっ、いや、なにも……これは失礼……ふふふっ」
流石のアランでも、突っ込みどころしかない私の言動に笑うしかなかったらしい。
中身がただのジュースと知っているだけに、尚更おかしく見えるのだろう。
彼は結局、私がジュースを飲んだりクルクル回したりするたびに咳をするようになっていた。