SCP財団 ある研究員の手記にて~歌う雨音~
SCP財団 ある研究員の手記にて~歌う雨音~
梅雨。日本独特のこの気候は多くの日本人にとっては好ましいものではないだろう。
研究施設の窓から見る外の景色は、もう、一週間ばかり変わらず、雨が降り続いている。
「毎日雨だと、気が滅入りますね。」
「気が滅入る?それは、ひょっとしてジョークのつもりか?」
話しかけてきた研究員に、私は少し皮肉を込めて返した。
「そんな、ただの世間話ですよ。」
そう言うと、研究員は自分の研究室へと戻っていった。
気が滅入る。確かに、一般的な感覚でいえば、そうなっても仕方ないかもしれない。
だが、ここではその「一般的な感覚」というものがなんなのか、それすらわからなくなる。
SCP財団と呼ばれるこの組織においては。
SCP財団とは、簡単に言えばこの世にある異常な物質、存在、現象を抑え込む事を任務とし、世界中の「一般市民」が異常に対して恐怖することなく「一般的な日常」を送れるように日夜活動をしている世界的な組織だ。
その為、異常現象を発見した際は速やかに「確保(Secure)」し、それらの影響が漏れないよう「収容(Contain)」した後、それらから人類もしくは異常存在を「保護(Protect)」する為それらの性質、挙動を完全理解することを目的としている。
そして、財団の手にすら余る驚異の物に対しては、破壊、無力化などの手段をとることもある。
そして、研究の為には非人道的な事も平気で行う。
世界を守る。その面目さえあれば多少の犠牲はつきものといったところだろう。
ここはそういう場所なのだ。
雨程度で気が滅入る者に、およそ務まるものではない。
「一般的な感覚とは、一体何を言うのだろうな。」
思わず、そんな言葉が出た。
外を見れば、雨は一段と強くなってきている。
ふと、中庭の方を見ると、傘を持った研究員が一人たたずんでいるのが見えた。
その姿に、私の脳裏にある記憶がよみがえった。
「そうか、あの日も、こんな雨が降っていたな。」
「君、それを持ってどこへ行くのかね?」
「今日は、雨が降っていますから実験をさせていただこうかと。」
そう答えたのは、塚原という研究員だった。
「何故?そのSCP-548-JPは既にオブジェクトクラスはSafeと結論がついているだろう。」
塚原が持っているSCP-548-JPとは全体的に傷や汚れが付いたビニール傘だ。
財団で抱えるSCPの数は膨大であり、番号で区切られ、管理してある。
オブジェクトクラスとはそのSCPの収容の難しさ、脅威、被害の範囲によって変わる。
Safeクラスは財団において完璧で確実な収容ができていると十分な判断ができているということだ。
だからと言って、絶対に安全なものではない。
収容の手順や使い方を間違えれば、それは今でも脅威になりえる。
現に、実験の最中にDクラス職員の鼓膜を548が破壊する事態があったのも事実だ。
ちなみに、Dクラス職員とは先ほど述べた非人道的な実験を受ける者達であり、主に世界中から集められた死刑囚等がそれに該当する。
「君は、鼓膜を破りたい人間でもいるのかね?」
「そんな人はいませんよ。でも、ほら、今日は久しぶりに雨が降りましたから。せっかくですから。」
「せっかくというのは?」
「ですから、その・・・。」
「あの演奏をまた聞きたくなったのか?私的な利用は処分の対象だぞ。」
「すみません。」
「・・・だが、実験ということなら問題はあるまい。」
「ありがとうございます!!」
「私が助手として、記録をつけよう。」
「そんな、そこまでしていただかなくても。」
「構わん。前の実験から日も経っているし、もしかしたら何か変化があるかもしれない。」
そうは言ったが、今思うと、この言葉は建前であり、連日の研究で私も少し気が滅入っていたのかもしれない。
研究施設の中庭は酷い雨だった。
雨の音で、近くにいる塚原の声が聞き取りにくいくらいだ。
「博士!それじゃあ、差しますよ!」
塚原が雨に負けないよう、大声で私に言う。
そして、548と呼ばれる傘を思い切り開いた。
するとどうだろう、548に当たる雨の音はたちどころに、ピアノの音へと音色を変えた。
雨が当たるたびに、小気味いいピアノの音が耳に入る。
これこそ、このSCPの異常性だ。
傘に当たった雨音を見事なピアノの音色に変えてしまう。
それだけではない、このSCPはリクエストをすればその曲を演奏し、こちらが称賛の拍手を送ればその演奏は飛躍的に向上する。
「何か、様子がおかしいですね。」
塚原が怪訝な顔を浮かべている。
「どこがおかしいのだ。以前と変わらず、美しいピアノの音がするではないか。」
「確かに音は綺麗ですが、以前よりも明らかに演奏が下手に」
「それ以上言ってはいかん!!」
私は声を荒げ、塚原の言葉を制止した。
彼もその意図が分かったのであろう、ハッとした表情を浮かべ、口を手で覆った。
548は自身に向けられる罵声や悪意のある言葉に敏感である。
それが原因でDクラス職員の鼓膜は破壊されたのだ。
「気を付けたまえ。」
「はい、すみませんでした。」
私達はしばらく様子をうかがったが、幸い、548は変わらず美しい音を出している。
どうやら、彼の言葉は聞こえなかったようだ。
落ち着いたところで、私は彼の言葉を思い返した。
言われてみると、確かにそうだ。
前回の実験では美しいピアノの音が重なり、一つの曲を奏でていた。
だが、今はどうだ。
音自体は綺麗だが、演奏と呼ぶには程遠い。
「博士、これは仮説ですが、もしかしたら548は長期間放置をしていると、演奏の腕が鈍るのではないでしょうか?」
「腕が鈍る?」
「はい。博士は548の発見経緯をご存知でしょうか?」
「確か、事故現場で発見されたと聞いたが。」
「そうです。その事故の被害者は当時10歳の女の子で、ピアノコンクールに行く際に事故にあい、亡くなりました。」
「すると、君は548の異常性は、その少女の霊的な何かが、起こしてると言いたいのか?随分とロマンチストな考えをするものだな。」
「やはり、おかしいですかね。」
「君はここをどこだと思っている。この財団において、おかしい考え方など何一つない。そうだろう?」
「はい。」
「その考えが正しいなら、548には定期的に演奏をさせる必要があるな。」
「そうですね。それと、もう一つ試したい実験が浮かびました。かなり、大掛かりなものになりそうですが。」
「それは、楽しみだ。私も協力をしよう。存分に試したまえ。」
「ありがとうございます、博士。」
私は上層部に口添えをし、塚原を研究員から博士へと昇格させた。
この財団に不釣り合いなロマンチストな若者がどのような実験をするのか、非常に楽しみだった。
次に記すのは、塚原が博士になってから最初の、そして、最後の実験内容である。
20■■/■/■
第三次実験記録ファイル548-107
担当者:塚原博士
内容:約■■名の財団職員が徴収する中でSCP-548-JPへ向け、ビゼーの「カルメン前奏曲」リストの「パガニーニによる大練習曲第3番嬰ト短調」モーツァルトの「ピアノソナタ第11番第3楽章」をリクエストし、SCP-548-JP-A(演奏)が終了する度に拍手と賛辞を送る。
結果:「ピアノソナタ第11番第3楽章」の演奏を経て、SCP-548-JP-Aの演奏技術は極めて高まったと認められた。音色は終始「楽しそう」「嬉しそう」なものだった。
その後、SCP-548-JPはSCP-548-JP-Aのリクエストに応えずおよそ10分間の沈黙の後「練習曲作品10第3番ホ長調」のSCP-548-JP-Aが発生しました。その音色からは「満足感」のようなものが感じられたと、その場にいた職員全てが報告しています。
SCP-548-JP-A終了後、SCP-548-JPは唐突に「巨大な何かが衝突した」ように跳ね飛びました。その結果、SCP-548-JPは石突が粉砕、中棒と骨組み3本が骨折するなどの損傷を受けました。特に傘布へのダメージがひどく、また表面には大型車のタイヤ痕が浮かび上がっていました。被験者としてSCP-548-JPの近くにいた塚原博士が即座にSCP-548-JPを回収、検証の後に損傷個所の修復を行いましたが、SCP-548-JP-Aは再生されず、特異性が失われたものとされ後日オブジェクトクラスがNeutralized(使用不能)に変更されました。
あの実験から幾日が経ち、私は塚原の元を訪れた。
「塚原、実験の結果は残念だったな。」
「そんなことはありません、あの実験は大成功ですよ。」
そう答えた塚原の表情は、実に晴れ晴れとしていた。
「意外だな、もう少し落ち込んでいるかと思っていた。」
「もしかして、僕を慰めに来てくれたんですか?」
「まさか、私はそんなにお人よしではない。ここに来たのは、実験の結果を君と話し合う為だ。」
「そうですか。」
「SCP-548-JPが使用不能になったのは、大勢の人間の前で演奏を酷使したのが原因だと私は考えているが、君はどう思う?」
「僕は、あの子の心が満足したんだと思います。多くの人の前で演奏できた。それが嬉しかったんですよ。現に、最後に流れたあの演奏、博士はあの曲名をご存知ですか?」
「確か「練習曲作品10第3番ホ長調」と書いてあったが。」
「日本ではこう言います。「別れの歌」と」
「なるほど。だが、それだけなら活動を停止すればいいだけだ、自らを破壊する理由にはならないと思うが。」
「晴れた心に、傘はもう要らない。そういうことじゃないですか。」
「・・・やはり君は、ロマンチストだよ。」
そう言うと、彼はまた屈託のない笑顔を私に向けた。
外はまだ、雨が降っている。
「晴れた心に、傘はもう要らない、か。」
だとしたら、私の心は、この外で降る雨の様に止むことを知らないままなのであろう。
いや、私だけではない、一般的な感覚が欠如しているこの場所では、もしかしたら誰の心にも雨が降り続いているのかもしれない。
彼との実験は、そんな中において、ほんの少しの晴れ間だった。
私は、どこかで期待しているのかもしれない。
今にもこの雨音が、あの素晴らしい演奏に変わるのではないかと。
私の中で雨に濡れている「一般的な感覚」に傘を差してくれるのではないかと。
誰の心にも、あの傘を差してくれるのではないかと。
「私も、彼の事を悪くは言えんな。」
自分の考えを自嘲し「一般的な感覚」に背を向け、私は次の実験の準備をするためその場を後にした。
外の雨はますます強くなる。
そして、その雨音が素敵な演奏になることは、もう二度とないのだ。
※SCP-548-JP 著者29mo
※この作品はSCP-foundationを使用した二次創作的作品です。
"SCP_Foundation"各世界観および投稿作品の著作権はクリエイティブ・コモンズ表示-継承3.0ライセンス (CC BY-SA 3.0) に基づきます。
※参考サイト ja.scp-wiki.net/scp-548-jp