分からず
ぼくは再び森を駆けた。
視界に入る木々は前から後ろに次々と通り過ぎる。しかし身体は的確にそれらを躱しながら。
EFOにおける、最終的なパラメータは、基本は走攻守。実に単純だ。そして″走″を司るステータス値は敏捷性のAGIと……実は筋力を示すSTRなのだ。
翻って、ケルビンのステータス値はそのSTRとAGIに特化している。正真正銘の速度特化だ。
であるならば、このケルビンの姿をしているであろうぼくのこの俊足も納得できる……理解はできないが。
けど……
「間に合わねえか?」
ぼくが追いかけるドラゴンの姿は木々に遮られて見えない。そもそも、ぼくが追跡を始めたのだってドラゴンが遠く飛び去った後だ。
……本当に間に合わないかもしれない。
ドラゴンがかの城壁に入ったらどうなるのか、平たい目で見れば悪いことにすらならないのかもしれないが、それなら″日本人並みの感覚でいう最悪の事態″だって考えられる。
ぼくは一抹の不安に焦りを覚えたがそんなとき、頭の中に閃くものがあった。
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″バーバリアン・ハート″
戦闘意欲を高める。
STR、AGI、攻撃力を一定時間強化。
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浮かび上がる文字は何処からともない。けれども、何度と見てきた文言。アクティブスキルだ。
なんとなく察しはつくかもしれないが、EFOにも例えばかめ◯め波みたいな、いわゆる必殺技み的なものがあり、それらは″スキル″を発動することで使用できる。
スキルの効果は千差万別だ。最後の切り札たる必殺の一撃から支援用の便利なものまで。
そしてこれは、自己強化型の支援スキルだ。
「バーバリアン・ハート」
すかさず、ぼくはスキルを発動した。
瞬間、胸の奥で何かが沸き立った。
押し出されるような血流を感じ、爪先の隅々まで巡るのが分かった。
流れる視界がより速まる。足腰は更に力強く地面を掴み、蹴り出した。
……それにしても、スキルなんてどうやって発動したんだか。自分でも不思議だ。
などと困惑している間に、唐突に視界が開けた。森を抜けたのだ。
明るく射した日光の向こう、高くそびえる城壁が見えた。
そして、それを悠々と飛び越えるドラゴンの姿も。
「間に合ってねえッ!」
それでも見える所までは追いついた。ぼくは足に一層の力を込める。
だがそのとき、ドラゴンが引き返した
「くそッ」
狩る気だ。未だ城壁の外に居るあの人影を。
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″ゲイルチャリオット″
烈風のように突進しながら攻撃する。
スキル発動中、AGIを大幅に強化。
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なりふり構ってはいられなかった。
「ゲイルチャリオット!」
まるで自身が砲弾にでもなったかのような錯覚。現実離れした感覚の中、一直線にぼくはーー
その長い首を見据える。フェンリルレガシーが振るわれた。
恐ろしい程に抵抗もなく通過したぼくは危なげなく着地した。
見返せば真っ二つになって赤黒いものをぶちまけているドラゴン。呆然とこちらを見上げる鎧姿の女性。
見留めたところで、ぼくの精神は限界を迎えた。
一体なんなんだろう。
私こと、メリーナ・アルマンデルの困惑を誰が知ることができるだろうか。
ワイバーンが襲いかかってきたくらいならば……まあ、そういう事もあるだろうか。大事に変わりないが。しかしそのワイバーンが真っ二つになってそこに転がっているのはどういう事か? 恐るべきことに一刀両断されている。
「うゔっ……ぐすっ……」
それだっておかしい。おかしいが、もっとおかしいのはーーそれをやった男はその屈強な見かけに似合わず、私の胸の中嗚咽の声を漏らしていることだ。
なんで?
「メリーナ、これは……」
私が頭の上に疑問符を浮かべていれば、城壁の中から同僚達がぞろぞろとやって来る。
彼らは私を見、ワイバーンを見、もう一度私……の、胸で泣く男を見……。
「どういう事だ?」
私が知りたいそんなこと。
結局、男が泣き止むまでそのままだった。
「迷惑をかけた」
男は恥ずかしげに向き直る。ただでさえそうだったのが、一歩引いた所に居る同僚達に気付いたのかますます気まずくなる。
「ああ、こちらこそ」
そんな空気だからという訳ではないが、確認はしなければならない。
「あれは貴方がやったのか?」
「……ああ、そうだ」
私が顎でワイバーンを指すも、男はそちらを見ようともせずに首肯する。
事を目の当たりにしたというのに、何と言うか実感が湧いてこない。
「ああ悪い、名前は……ケルビンだ」
どこか威圧的ですらある風貌と、それに見合った口調。それがやったというなら分かる。
だが、突然泣き出してしまったり、律儀にもそれ以前の私の問いにも答えるこの繊細な男がだ、本当にワイバーンを一刀両断に伏してしまうとは。なんとも現実的ではないというか、似合わない気がした。
「危ない所を助けていただき、感謝する」
「いや、いい、頭を上げてくれ。それより大丈夫だったか」
つくづく見た目と口調に似合わず、謙虚で優しい。本当に彼がワイバーンを?
失敗……いや、失態だ。
まさかぼく自身がああも消耗していたなんて、我がことながら気づきもしなかった。
異世界だ、ゴブリンだ、ケルビンだ、人が食われかけるだ、ドラゴンの臓物だ。
ぬくぬくと平和な日本人並みの温室で育った精神力には過ぎたるバイオレンス。
なんていうか、普通に堪えられなかった。
結果、ぼくは吐いては泣き崩れ、あろうことか助けた人にあやされてやっと再起した。
しかもそれを見られた! 大人数に!
くそったれ。いや、側から見てくそったれはぼくか。
不条理だ。そして巻き込まれたぼくは不幸だ。ここまでの事をただそれだけに尽きる。
それでも、ぼくはこの先を考えなければならない。前向きでいなければ生き残れない。
今からだってその重圧で吐きそうだけど、不幸中の幸いか、現地の人々はちゃんと人間で、なんと言葉も通じる。そして、それなりに友好的だった。
ぼくはなんとか経歴をでっち上げた。その上で、城壁の中に立ち入った。
例のワイバーンというらしい生物を撃破したことで称賛と褒賞も得た。
その中で会ったお偉方は騎士に、貴族に……封建社会のそれだ。
所用の済んだぼくは自由の身、一人シュールスの石畳の往来に踏み出した。
整備された道に、立派な城壁。文明的だ。しかし自動車などは影もなければ、建物の上にはアンテナも、街灯の一つも見えない。
目の前を馬車が走り行く様は、ぼくの目には後進的に見えた。
この場所に、ぼくが望んだ世界がないのは明らかだ。
「どうしたい」は、ぼくの中には無い。ならば「どうすべき」か。それも分からない。
ぼくの歩みは一歩目にして、″自由″に押し留められてしまった。
「ケルビン殿」
立ち止ったぼくの背に声がかかった。
「……メリーナさんか」
「山籠りで修行をしていたのだろう。行く宛はあるのか?」
助け舟を出してくれた彼女は、ぼくよりも何をすべきか分かっている様だった。