精霊訪ねる国のひめ
遠く昔、かつては美しい人ならざる者たちが訪ね、混ざっていたといわれる国、エグランテリア。空のような青薔薇が咲き誇る庭は神秘的で、諸外国には精霊訪ねる国とよばれるが、その名と比べ城は質素だったりする。いいや、暮らしそのものが王族としては質素なほうである。
かろうじて王都と呼べる街の人々とそう変わりない生活を送る理由は、ひとえにここが精霊訪ねる国だからで、昔から今までずっと、精霊信仰が人々の暮らしに深く根付いているからでもある。
つまり僕達は森を切りひらくことを良しとせず、花を摘むのであればまず花々と交渉するところからはじめるような民である。
そんな民たちのまとめ役、王族の、今の所たった一人の王位継承権をもつ僕にどうやら婚約者ができたらしい。
らしい、というのも、母様の呼び出しに部屋を訪ねてみたら「あなたの婚約者が決まりました」
と告げられたからだ。
「こんやくしゃ、ですか?こんやくとは所謂婚約ですか?つまり結婚の約束相手というものですか?ほんとうに?」
「その婚約以外になんの"こんやく"があるというのです、ヴェルジュ」
もちろん僕だって、その婚約以外に婚約があるなんて知らないけれど、疑問符をついつい並べてしまうのは当然だと思うのだ。
なにせ僕は性別的には男の子だけど、ちゃんと男の子だけど!見た目的には女の子なのだ。うちの国は特殊だから、しきたりとか古くからの伝統とか知恵とか諸々の事情で国の跡取りは15歳になるまで女装をするならわしで、なおかつ恋愛事情もかなり複雑になる、面倒なお国なのである。そんな国、好んで嫁ぎたいと思うだろうか?僕なら思わない。ついでに僕自身の事情も含めてしまうとこんな相手に嫁ぐのは罰ゲームかなにかだ。
そしてこの国はわりと弱小だったりする。精霊というまもりがあるからこそ、わざわざ小さな国を精霊の怒りを買ってまで奪おうなどとは思われなかったからこそ生き延びているような、小さな国なのだ、面倒な国と相手に嫁がなくてすむ理由は多いが、嫁がなければならない理由はないと言っていい。
あるのはこちら側の理由だけ。
「僕と婚約しなきゃいけないなんて、不幸でしかないのではありませんか?相手の方の同意は得られているのですか?こればかりは僕も、国のためだというのであればこそ、必要な確認だと思いますが」
「ええ、むしろこのお話はお相手の方からの申込みですよ」
「――え?」
夢か幻か、僕には判断がつかなくなった。
今日は嘘をついてからかうのが大好きな妖精たちが溢れる日ではなかったはずなのに。
そんな僕の考えが表情に現れていたのだろう。母様は僕のほっぺをむにーっと掴んで伸ばす。
「ふぃひゃいへす、ひゃあひゃま」
「嘘などつきませんよ。それはあなたもわかっているでしょう」
むにむにと頬を突かれて、なんだかしゃくぜんとしない思いを抱えながらも肯定する。
「では、その、僕を選んだという方はいったいどちらのお国の方なのです」
「リュミアージュの第3王女、メルヴィア・レン・リュミアージュ様よ。ヴェルジュも会ったことはあるでしょう?うちとも長い付き合いですからそうおかしなことでもありませんし」
「それは、その、ええと、いったいどのような事情があれば僕を選ぼうと思うのかさっぱりわからないのですが、ええと、ほんとうに?」
だってリュミアージュの第3王女といえば天使に愛され、隣人を愛する天上の方々の愛子ではないか。いくら同盟国といえども、それほどの人物を他国にえいっとやってしまうわけがない。そんな事ができるほど、かの国の第3王女は甘くもやすくもない。どれだけ手を伸ばして欲しがったって、僕では得られないような価値が彼女にはある、そのはずなのに。
そのはず、なのに、なぜよりにもよって僕を選んでしまうのだろう。僕はエグランテリアのひめだ。いずれは祝福と呪いに苛まれるであろう人間だ。そんな相手に、国の宝をやる意味などわかるわけがない。僕はできる限り幸せな結婚がしたいし、それは双方が納得できた愛のうえでのみ成立する幸福でなければ意味がないわけで、だからちょっとそんな天上の愛子が婚約者というのはさすがにどう考えてもだめではないかとも思う。
「ちょっと…だめでは……?」
「いいですか、ヴェル。相手があなたを選んだのだということを忘れてはいけませんよ。そしてそれがどれほど得難いものであるのかも、かの国とうちの関係性も」
「で、でも!それならなおさらではありませんか!?だ、だって、天上の方に愛されたお姫様様なんですよ、愛子はいつでもどこでもかなり重いめぐりを持つといわれていますし、いるだけで国を豊かにするとかそういうのは絵本にありがちな夢物語とは違うのです、現実になり得るからこそ期待され期待に応えようと努力する、それがどんなに難しいことなの多少は知っているつもりなのです。そのような尊敬に値する方を、僕は、僕の都合を不意打ちで押しつけるなんてことできません」
はー、はー、ぜぇ、ぜぇ、一息で言いきったときにはもう、立つのもやっとなくらいで、僕は僕の体力のなさをうらめしく思う。それでも言わねばならないと思ったのだ。僕を選ぶくらいなのだから、エグランテリアの王族にまつわるあらゆる面倒さを知らないに違いない。
そんな相手をだまし討ちのような形でこちらに引きずり込むのはひどい話だろう。母様や父様がそんなことをするとは思っていないが、思っていないこととすれ違いがおこることは違う。
ふーっ、ふーっと肩で息をして、ふらつく身体をどうにか持ちこたえている僕の様子をみて、母様はちょっぴり呆れたように苦笑いしている。そこでふっと部屋全体の雰囲気が和らいだような気がした。
「そうですね、ヴェル。だまし討はよくありませんよ。ですが向こうはすべて承知の上で、あなたを望んで、あなたとの婚約を打診してきたのです。メルヴィア様はあなたと向き合おうとしてくださっているのですよ。エグランテリアのひめではなく、ヴェルジュと向き合おうとしているの。私はそのような相手があなたにいて良かったと思います。いいですか、」
すん、と清廉な空気が広がる。
「あなたはあなたをないがしろにしがちな所がありますが、それはあなたを思う人々の気持ちもないがしろにしているのです。これは婚約で、いずれは結婚となるかもしれませんが…こちらには特殊な事情がある。それも含め、仮婚約という形になりました。気負う必要はありませんが、あなたはあなたなりに向き合いなさい」
僕に向けられた穏やかな眼差しは母親のもので、僕は気づかないうちに母様のことを傷つけてしまっていたのかな、と思った。
もしかすると、母様以外の人たちのことも。
僕を選んでくれたという、メルヴィア様のことも。
「緊張してきた…」
母様に呼び出されてから一月ほどたち、あっという間に婚約者との顔合わせの日になった。
朝からなんか色んなものを塗りたくられて艶々ぴかぴかに磨かれ、あっという間に服を脱がされ着せられ整えられ、そうして鏡の向こうには、金糸をゆるく巻いたハーフアップにした、翠の瞳の女の子がきょとん、と首を傾げる姿があった。
当たり前のことではあるが、それは僕のことだ。
明るいピンクにほんのりあおをまぜた色のドレスはふりふりひらひらで、あちこちに花飾りが散りばめられている。
髪を飾るのは大きすぎないけれど存在感のあるレースのリボンで、どういうわけか大変愛らしく僕の好みの真ん中を狙い撃つふわふわな白ウサギのヌイグルミを持たされている。エメラルドの瞳が僕と少し似ていて、僕のはこんなにキラキラじゃないけれど、このこが僕の怯えた心に寄り添って、その背中を押してくれているような気がした。
「…、ありがとう」
「ひめさま」
いまからどこかの殿方を落とすのだと言われても納得する、そんな出来栄えは侍女達の素晴らしい腕前により作り上げられたものであるし、僕の身支度をいつも全力で仕上げてくれるみんなには感謝してもしきれないほどだ。それでも――
「でも、ね?僕はもう13歳なんだよ」
「ええ、ひめさまも大きくなりましたねぇ」
「………僕は男の子だし、13歳なので、もうお人形遊びはしないんだよ!」
「ではお休みになられるときにお連れするお友達は今日から3ぬいまでになさいますか?」
「えっ!」
それは、困ってしまう。
だってどのぬいぐるみさんたちもみんな、僕の大切な人たちが僕のお友達に、と贈ってくださったかわいいこたちなのだ。
「さぁもう時間ですよ。騎士様がお迎えに来られました」
素敵ですよ、と今日も侍女たちがかけてくれる魔法に促されて僕は婚約者さまに会いにいく。
僕を選んでくださった婚約者さまに、僕なりの気持ちを返せるように。