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『あ、そーだぁ!天使の花っていゆのはね、昔のリュミアージュのおーぞくが書いたものなんだよぉー』
「あの、僕、聞きたくないです」
厄介事に巻き込まれそうな感じがするので!もうそれ以上お話しないでほしいのですけども!耳ふさいでてもいいかな!?
「申し訳ございません、ひめ。ひめはこちらの本、どの程度までお読みになられましたか?」
メルヴィア様の本の表紙を眺めていた視線が僕の方を向く。
「え、えーと…37…38頁ぐらいまででしょうか」
「まだ間に合いますね」
間に合う、ってなんだろうか。
そしてなぜメルヴィア様たちは僕の話を聞いてくれないのだろうか。
「ひめ、こちらの本を暫くお借りしても?」
城の本なので僕だけでは判断できないんだよなぁ。判断できるのはそれこそこの国の王である、僕の父ぐらいのものである。
「それは、えっと…国王陛下にお聞きしないと、わからない、です…」
でもなぁ、今会いに行くと絶対ネタにされるんだよなぁ。けど、メルヴィア様の為にも、自国の為にもこの事についてはお話したほうがいいだろうから、誰かに許可もらえないか聞いてきてって言うわけにもいかないし…。
「そうですか…それではすみませんが取り次いでいただけませんか、ひめ」
メルヴィア様、聞いてないですよね?疑問系じゃないですものね?うう、もう根掘り葉掘り聞かれるのを前提で、覚悟を決めておこう。
「わかりました。それでは、その、僕が案内させて頂きます」
メルヴィア様の手をとって、朝のメルヴィア様のように手の甲へ触れるか触れないかぐらいの口づけをする。
はっと驚いた様子でメルヴィア様がこちらを見てきたので、僕は何も言われないように先手を打つことにした。
「お返しですよ、おうじさま」
「っ…、ひめ、狙ってやってるんですか…?」
メルヴィア様が両手で顔を覆ってずるずるとしゃがみこんでしまった。
両手で覆いきれていない耳が、ほんのり色づいているからこれは多分照れているのだろう。かわいい。
するのは慣れてるけど、されるのは慣れてない…のかな?
うん、いいものが見れた。僕だって押されたままなんて嫌だし、これぐらいは許されるはずだよ!
「行きましょう、メルヴィア様!」
メルヴィア様の顔を覗き込むようにして、メルヴィア様に手を差し出す。
「えっ、ええ、あ、えっ」
あわあわと戸惑っている姿を見るのはなんだかとても楽しいのだけれど、ずーっと手を差し出しているのは疲れてしまいます、メルヴィア様。
「一緒に行きましょう。お姫様をエスコートするのは王子様の務めですからね、メルヴィア様をエスコートするのは僕の役目です」
「あの、ひめ、本当にひめはひめですか?」
「…?多分、そうですよ。僕が自分でもわからないうちになにかされていなければ、僕です」
僕がなにかされて気づかないってことはそれ自体を忘れてしまわないかぎりありえないけど。メルヴィア様はいったい何をおっしゃっているのかわからないな。
僕の理解力がたりてないのかな?たぶん、ひめらしくないってことだろうけど。
「いえ、そう、ですよね。ひめはひめです。つまり私がひめの何かを変えてしまったという…こと?」
「んん?」
「え、あれ、なんかそれって凄い素敵なことかもしれません…!」
「えー、メルヴィア様?どうなさったんですか?」
なんか、かっこいい感じのこう、キラキラーが別のものに変化したような気がするのですけど。でもすごくかわいい…王子!って感じも素敵だけどほわわ〜っていうのもいいな。
“ヴェ、ヴェル!そ、そういうの、は、ずるいっていうのです…!ヴェルのいじわる!”
ふと、頭によぎった、鈴のような声。
僕は前にもメルヴィア様に、同じような気持ちを抱いたことが、ある?
『メルはいまねぇ、ちょーと、あれ?すごく、かな?うれしいことがあってぇ、あたまのなかぐるぐるー!しあわせぇーなんだよ!多分!』
「ぐるぐる?」
『そうっ!ぐるぐるぅー!』
ぐるぐるぅって言われても、僕にはよくわからないけど…んー、いっぱいいっぱいで大変な状態ってことかな。
そういうことでいいんだよね?
「ぐるぐる、なのはわかりましたが…メルヴィア様、その、僕の手が落ち着くところがなくてさまよってしまうので、手をとっていただけませんか…?」
「あっ、はいっ、気がまわらず…それに、お見苦しいところを…」
「いえ、別に?かわいいなとは思いましたが」
僕の手をとろうとして、またすぐにやめてしまった。
なぜ…?
「ひめ、それは天然ですか?計算ですか?」
「けいさん…?」
「天然ですか……」
何の会話をしているんだろう、僕とメルヴィア様は。
『もぉ、ほぅら、メル!はやくいかなきゃでしょお?』
「…わかってます。わかってますよ、ニア。ええと、すみません、ひめ」
「いえ…?ではそろそろ行きましょうか、メルヴィア様!」
今度こそ僕の手をとったメルヴィア様は、恥ずかしそうにしていて、やっぱり可愛らしいと思った。
二人と隣人様一人…?で現在僕達は客間で国王陛下を待っている。
国王陛下にメルヴィア様からお話があるとお伝えくださるように父様の側近の方にお話したところ、もうすぐ空き時間があるらしく、それまで待つことになったのだ。
『おひめさまぁ、ニア、おひめさまにききたいことがあるのぉ!』
ふわりふわりと暫く浮いていた隣人様が浮遊するのをやめ、メルヴィア様のお隣に足をつけて立つと、ぱっと花のような笑みを僕に向けて言う。
先程までの怒りはもう消えたようだ。
「な、なんですか…?」
『おひめさまはぁ、メルのことほんとはどう思ってるのかなぁ〜ってぇ』
「ニア、ひめを困らせないの」
言葉を遮られ、ムッとした様子で天使様がメルヴィア様をぽかぽかとたたこうとしてひらりひらりとかわされている。べつに困ったりしないけど…と思いながら止めるタイミングを探していたのだけれど、止めなくてもいいかもしれないと思いはじめてきた。二人ともただじゃれているという感じで楽しそうだから。仲良しなんだな。
僕は悪戯な友とあんなふうに仲良く話したりじゃれあったりなんてできない。それはひどく、寂しいもののような気がする。仕方がないことだとわかっているのに、諦めきれないのは悪いことなんだろうか。
そもそも、王族の長男が精霊に嫌われるのはわかる。愛情深い方だったヴァルト王子の血をひいている、同じ立場の人だから呪いも続きやすいだろうし。だけど王族の男児全員っていうのはどうなのだろう。姫は逆に好かれすぎて困るぐらいだし、王子妃とかもそうだ。それってずるくない…?僕だって昔は精霊さんたちと仲良くなる〜って言ってたんだよ。王子だって認識が薄かったから仲良くなれるものだとばかり思ってたもん。
それに、昔はたしかに精霊からの祝福をうけていたとそう思うのだ。証拠はないし覚えていることもないのに、そう思ってしまう。願望かもしれないし本当のことかもしれない。まぁ、願望という可能性のほうが高いのだけれど。でもそんな願望を抱いてしまうのには理由がある。
モヤモヤとして腑に落ちないことがあるのだ。母様が僕に教えてくださったヴァルト王子の話では、たしかに人と人の恋だったはずで、精霊はあくまでも愛し子のために力を使っただけ。でもこの話にはたくさんの種類があって、精霊と王子が恋をしたり、精霊と王子の婚約者が王子を奪い合ったり本当に様々で、そしてこれらの話はみんな妖精たちが"王子が産まれないように"魔法をかける。でも王子は産まれるし、僕が知っている呪いの内容は"おなじ時を刻んでくれる人を15歳になるまでに愛せなければ、愛してくれなければ感情を失い人としての姿を保てなくなる"というものだ。この差は何なのだろう。
「メルヴィア様はうちで一番有名な話って何だと思いますか」
むにむにと天使様の頬をつまみながらメルヴィア様が苦くわらう。
「エグランテリアでなら王子が精霊様を振る話ではないでしょうか。なんというか、複雑な気持ちになるのであまり好きではないのですが…わかる部分もわかりたくない部分もある話だと思います」
「もうすこし詳しくお願いしても?」
「ひめのほうが詳しいと思いますが…」
精霊と王子は湖の前で出会ってしまう。王子は最初、精霊を人だと思っていて会うたび少しづつお互いに惹かれ合うのだが、少女だと思っていた愛しい人が精霊であることに気づいてしまい、おなじ時を歩めないことに悩む。そうして何も決められないまま、時だけが過ぎていき王子は婚約者をつくらなければいけなくなった。
婚約者の少女は美しく聡明で、精霊とも妖精とも仲のいい心優しい娘だった。
王子は精霊と婚約者の間で揺れる。精霊とともにゆくのなら人としての生を捨てなければならず、婚約者と国を守ってゆくなら精霊に二度と会うことはできない。
最終的に王子は国を選び、婚約者を選んで精霊に別れを告げる。精霊は王子の気持ちを受け入れゆるしたけれど、かなしくてかなしくて泣いて暮らしていたのでそれを可哀想に思った妖精たちが王子様に呪いをかけた――
「そういう話だったかと」
妖精も精霊も呪いをかけるのに、この国全体を守護してくれている。
王族に祝福を贈ってくれている。なんだかちぐはぐとした印象を受けるよね、こうして考えてみると。
「リュミアージュにはこういった話はないのですか?」
『ん〜?ニアはケミナが心を理解するまでの話が好きなのぉ!』
「ああ、天使は与えられた命令をただこなすだけの戦闘人形でしかなく、心や感情といった無駄なものはあたえられなかったという。よく童話として出版できたものだと姉が感心していました」
予想の斜め上だったな…。なんていうか、隣人との交流を全否定するような内容にしか思えないのだけれどいいのだろうか。
「ありえないと否定することはできませんし、天使が心を得るまでの話としてよくまとまっていますから。終着点は今の隣人様との関係を大切にしましょうね、という内容なので童話としてかなりの良作です」
姉は随分気に入ったようでこの作家を支援しているみたいですね、と続けてから持ち出していた『天使の花』をめくりだした。
「なにか…?」
「ふと気になったことがありまして。心がないというのはどういうことでしょう」
それは、僕も教えてほしいくらいです。感情を失い人としての姿を保てないとは何なのでしょう。
隣人様とメルヴィア。
『メル!天使にはたくさんの位があるよねぇ?』
「うん、そうだね」
『じゃあじゃあー、ニアはどのくらいだとおもう?』
「ニアはニアだよ。それ以上でもそれ以下でもない」
『うにゃぁ…そうゆう意味じゃないよぉ!メルのイジワルぅ』
「はいはい、そうだねそうだね。私は今ひめにどうやって惚れてもらおうか計画してるところだから……静かにして」
『……そーゆうのはぁ、計画するものじゃないと思うのぉ!なにより!メルはニアとおひめさまにたいするあつかいがちがうのぉっ』
「…うるさいよ。ニア」
『メルはおひめさまバカなのぉ』