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ねぇ、ヴァルとはせーはんたいね。
ヴェルはとってもいい子。
気に入った、気に入った。
私達のお姫様の望みを叶えてあげるときが来たのよ。
遊びましょう、ひめ様。友は常にあなたの側に。あなたのために。
*******
彼女の笑みに戸惑ってしまった。僕はなにかを忘れているのだろうか?
忘れているとしたら、なんだろう。
「ひめ、すこし疲れていらっしゃいますか?」
疲れてはいないと思う。困ってはいるけど。
「え…?いえ、そんなことはないと思うのですが……?」
「そうですか…?ですが今日は突然のことでひめも戸惑われたでしょうし、お話はまた明日にしましょうか」
「いえ、ですがまだ、お話しなければならない事がありますし…」
「暫くはこちらで世話になることになっていますから、これからたくさんお話できますよ、ひめ」
確かにこれからたくさん話をする機会はあるだろうけど、そうじゃなくて!
「今日は今日しかありませんっ」
「……それはそうですね。ではもう少し私にお付き合いくださいますか?」
「もちろんです」
それはよかったと微笑まれる。なんだかとっても大人の対応だ。僕がわがままなのかな?そうかも。迷惑そうにしたりしないでちゃんと向き合ってくれてるし。メルヴィア様と僕では僕の方が年下だけど、でもこうやって年下扱いされるのはなんだかすこしむっとする。大人の対応…大人って難しい。
「そうだ、ひめに渡したいものがあるのでした。少し目を瞑っていてくださいますか?」
私が10数えるまで目を開けてはいけませんよ、と楽しげに言われ、大人しく目を閉じる。ちょっとわがままだったかなって反省したから。
「いーち、にーい、さーん」
「あの…」
「ひめ、ちゃんと目を閉じてくださいね」
なんだか落ち着かなくて目を開けるとメルヴィア様の手でそっと目隠しされた。
「いーち、にーい、さーん、しーい」
なんだかぽかぽかする。
メルヴィア様の声が心地よくて、ふわふわで、もうすこしだけ、その声を聞きたいと思う自分がいて。
ふわふわ、僕のお気に入りのうさぎさんを抱いて眠っているときみたい。ふふ、あたたかくて気持ちいい。
だけどちゃんと、メルヴィア様に言わなければならないことがあるのにな。
僕の婚約者なんて、辞めたほうがいいですよ、って。
ゆるゆると思考が解けていく。
このままではまた忘れてしまいそうで、僕は必死に考えた。大事なこと。忘れてはいけないこと。考えなければならないこと。
メルヴィア様の寂しげな笑みに、既視感を覚えたのはなぜなのだろう。かなしそうで心細そうで、あんな表情、もう見たくないな。どんな姿も麗しいけど微笑ってるとひだまりみたいで心地よくて大好きなのに。
僕はなにかを忘れてしまっているのだろうか。
優しいのも明るいのも、いつも一生懸命だったのも覚えてるのに。僕は何を忘れているの?
******
メルヴィアが十数えている間に、ヴェルジュは眠ってしまった。ヴェルジュの頭が左右に揺れている。ふらり、ふらり。ふふ、とヴェルジュが微笑むのを見て、メルヴィアは彼を起こさないようにそっとお姫様抱っこで持ち上げた。
「ほらやっぱり。疲れてるんじゃありませんか。贈り物はまた明日ですね。もう」
ひめはいつも教えてくれないから困ります、とメルヴィアは小さな声で呟く。
「お嬢さん、よければひめのお部屋まで案内していただけませんか?」
メルヴィアは部屋の外にいたメイドに声をかける。
メイドは驚いた表情をしたもののすぐに笑みを浮かべ、こちらへとヴェルジュの部屋へ歩きはじめた。
「ひめ様のお部屋はこちらです。メルヴィア様」
「うん、ありがとう、お嬢さん」
(メルヴィア様と呼ばれるのは久々だなぁ)
自国では隣人からの呼び名で呼ばれていたメルヴィアは、それがなんだかくすぐったくて、不思議な思いだった。
それにしても、と思う。ひめは私にどうしてそんなによくしてくれるのかときいたけれど、ヴェルジュの方こそ私に対してとても好意的だった。メルヴィアとしてはもっと最初の一歩をつめるのに時間がかかると思っていたのだ。もちろん、ヴェルジュが考える時間がほしいといえば、メルヴィアは待つつもりでいた。婚約をやめてほしい、という願いは叶えられそうになかったけれど、その他のことならなんだってやるつもりだったのだ。
メイドがた立ち止まり、ここがひめ様のお部屋です、と教えてくれる。勝手に部屋に入ることもできないのでメイドさんへ人を呼んでもらうよう伝えると、自身が腕で抱くひめを見つめてメルヴィアは思う。
無防備に眠る彼をみて、男であるといったいどれほどの他人が見抜けるだろうかと。
彼と反対の格好をした自分をみて、他人はどう思うだろうかと。そう考えてからメルヴィアはあっさりと、どうでもいいかとそう思った。
メルヴィアにとってそれらは些細なことだからだ。他人がなんと言おうと、メルヴィアは彼以外を護るつもりはなく、彼以外の隣にたとうなどとは思えないのだから。
「メイドが急いで呼びに来たと思ったら…ひめ様、眠ってしまわれたのですか?」
遠くから早歩きでかけてくる音がして、それからすぐ声がした。メルヴィアは声の方へ顔をあげる。そこにいたのは白い騎士服の青年――ヴェルジュの護衛騎士であるテレンスだ。
「ん?ああ、疲れてるみたいだったから寝かせたよ」
「…それは普通に、だよな?」
「んー、かるく癒しは使ったけど、普通の範囲内だと思うよ。ひめに使うときは細心の注意を払ってるし。疑う?」
メルヴィアはテレンスへ視線を向ける。
テレンスは肩をすくめ、疑ってるわけじゃない、と呟いた。
「私はここからは入れないから、ひめ様の騎士である君が運んでね」
「はいはい、ではひめをかして頂けませんかねぇ」
「……ひめの毎日が美しく、優しいものであるように、天使の加護を。おやすみなさい、ひめ」
ヴェルジュの額にキスを落とし、メルヴィアはテレンスにヴェルジュを渡す。
テレンスは呆れた様子でメルヴィアを見ていたが、ふと、笑みを浮かべた。
「これは目を覚ましたときの反応が面白そうだな」
「え?ああ、そっか。ひめはわかっちゃうんだっけ」
「ヴェルは無意識だろうけどな」
「じゃあ、隠しておかないと」
メルヴィアが空中に陣を描くと、淡い翠の光となり、光は小さな球体となった。球体はヴェルジュの胸元に移動すると、淡く光、壊れてしまう。ぱらぱらと光の粉を飛ばしやがて消えていくそれは癒やしとよばれるもの。
「お前、急にやるか?普通」
「保険は沢山あったほうがいいでしょう?」
「ま、そうだけど」
「さ、ほら、そろそろ腕が辛そうだからね、早くひめを寝かせてきて」
テレンスが部屋の奥へ消えていったことを確認すると、メルヴィアはそっと自身の側に常にいる天使の名を呼んだ。
「ひめの周りに気をつけておいて。二年しか残されてないんだから」
「メルちゃんのたのみならぁ、頑張るの!」
「よろしくね」
*****
目が覚めると、見慣れた天井が目に入りました。いったい僕はいつ眠ってしまったのでしょうか。
ぼんやりとした頭が覚醒していくにつれて、僕の顔は青くなっていることでしょう。だってお客様の前で眠ってしまったわけですし、それはつまり母様の雷が落ちてくるということだし!
いったいどれほど眠っていたのかと時計をみると、既に数時間は過ぎていた。
「どうしよう体調不良って言って誤魔化せないかな。あー、でもそれだとメルヴィア様に迷惑をかける…なんで眠ってしまったんだよ、数時間前の自分!」
「ひめ様、起きたなら早く準備したほうがいいぜ」
「ひめって言うな!テリーが言うと気持ち悪い…!」
うだうだ言っているうちに幼馴染であり、僕の護衛をしているテレンスが側に来ていたらしい。
幼馴染と言っても、僕には十より前の頃の記憶が曖昧なのでいつから一緒にいたのかは覚えていないのだが。
僕にとっては兄ようでもあり、友人のような人物である。
あれ?そういえば僕を運んだのは一体誰だろうか。
まさかメルヴィア様…だなんてことはないだろう。むしろ無いと言ってほしい。
「僕を運んだのはテリーだよね?」
「メルヴィア姫だけど」
「うわぁ…もう死んだ。もう死ねる。僕もう引きこもるからよろしく」
「何言ってんだよ、ほら、さっさと起きろ!」
僕から遠慮なく布団を奪いカーテンを開けると、トドメというように彼が言った。
「ヴェルが起きたら庭園に来るように伝えてって、王妃様が。あ、でも眠いようなら寝ててもいいってよ」
「ひぇっ!?…い、いや寝ないよ…急がないと。え、どうしよう…あ、えっ、あわわ」
まってスカート踏んだ転けそう。ひえっ…テリーに抱とめられた。顔近い。
「慌ててる、慌ててる、笑うわー」
「おいっ!」
なんてやつだ。こっちはほんとに困ってるのに。お腹を抱えて笑うテレンスの背を押して部屋から追い出す。
それと同時に侍女達が部屋に入ってきた。
湯浴みをし、選ばれた服を着て、メイクされて、髪を整えられて…すっかり慣れてしまったものだと思うが、やっぱり性別の差を理解してほしいと思う。急がなきゃ、と言った僕に侍女達が王妃様からゆっくり準備しなさいとの伝言ですのでとなだめられ、なんだかんだとしっかり整えられた。
あ、勿論湯浴みやら服を着るときは自分でやっている。誰かにやってもらうのって恥ずかしいじゃん。
準備が終わると、急いで部屋を飛び出した。
「あーもう、廊下走るのは許してくださいね、父様!」
はしたないとは思いつつ、僕は庭園まで歩いた。それはもう、全速力で、でも早歩きで。
ただし、髪型やドレスに支障が出ない程度にだけど。崩すと大変だし、怒られるし、みっちりレッスン入れられちゃうから。気をつけないとね。