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目の前にいるのは麗しい王子様でした。
僕の手をそっととり、手の甲にキスを落とす姿はまさに童話の王子、そのもの。僕が絵本でみて憧れたかっこよくお姫様のピンチに駆けつける、勇敢な王子様。だけどとっても麗しくて、ひと目でお姫様が恋に落ちるような美しい王子様。
僕は婚約者に会いに来たはずです。では、目の前の王子らしき人物は誰でしょうか。いえ、ほんとうはわかってるんです。わからないけどそうとしか思えないよなってぐらいにはわかってます。わからないけど。混乱してるの。
「あ、あの!なにするんですか!」
手にキスされた恥ずかしいもう嫁ぎに行けない。もともと嫁げないけど。はじめてだったのに。うちの国そういうの全然しないからはじめてなのに。
「失礼しました、ひめ。あなたがあまりに可憐で、美しかったので、つい」
「はわ、わわ」
わーーー!!!麗しいよ!これはどんなお姫様も恋に落ちるよ!さらさらの白銀が目にかかってるけどそれもミステリアスな感じで美しいですね!?
「申し遅れました、私はリュミアージュ王国第三王女、メルヴィア·レン·リュミアージュと申します。これからよろしくお願いいたしますね、私のひめ」
「へ…あ、えと、僕はエグランテリアの王太子、ヴェルジュ·ラゼル·エグランテリアといいます、その、えと、よろしくおねがいします、メルヴィア様?」
近づかれたら僕溶けるんじゃないかな。キラキラが眩しすぎて。でもなんで男装なんだろう。とっても似合ってて素敵だけど。
「はい、なんでしょうか、ひめ」
「あの、なぜそのような格好をなされているのでしょうか」
「ひめに釣り合うようにですね」
「僕に?」
「あなたに」
そんな真っ直ぐに言われると、どう反応したらいいのかわからなくなる。
しかし、彼女は僕に釣り合うように、と言わなかっただろうか。僕に釣り合うために、男性のような服を着ている、という解釈になるのではないだろうか。
「あの、僕は、その、あなたには、もっと可愛らしいもののほうが、似合うと思うのです。もちろん、そのお姿も麗しくて素敵だと思うのですが」
「いえ、ひめのほうがお似合いになりますよ。その絹のように滑らかな金の髪も、触れれば溶けてしまいそうな雪のように白い肌も、精霊の住まうこの国の美しい森のような翠の瞳も、私が好きになったひめのままです」
「あの、僕なんか今、幻聴が聞こえていたみたいで、僕がその触れれば溶けそうとかそういう…」
「ええ、ですから、日の光を浴びて輝くその金も、天使のもつ羽のような――」
あ、だめだ。幻聴じゃなかった。というか、さっきよりも褒め言葉が進化してませんか!?僕いまなら恥ずか死ねるんだけど。
僕をどうしたいの!?え、どっからその言葉の装飾品は湧き出てくるの。そういう教育とかを受けてるの??それとも自前なの??僕そんな教育知らない受けなきゃだめかな!?でも詩のセンスないんだよ僕!
「あの、もう、いいです。お腹いっぱいなんで、ですので」
「これだけでは私がひめのことをどれだけ好きか伝えきれていないと思うので私としてはまだまだお伝えしたいところなのですが」
「い、いえ、伝わりました!伝わったのでおやめください!」
「しかし…」
「ほんとに、ほんっとうに、伝わりましたので!」
押しが強くないですか、母様。僕どうするのが正解なんですか。説明書…!誰か彼女の説明書持ってないの、取扱説明書!そういうの大事だと思う!
「と、とにかく、ええと、お座りください」
流石にお客様を立たせているわけにはいかないので、目の前の席を勧めたのだが、なぜか僕が座ろうと思っていた席に座られた。
仕方ないので、先程勧めた席に座ろうと歩みを進め…たのだが、動けなかった。
「あの」
「なぜ、そちらに?」
「え、いや、あの」
「私の隣で良いではありませんか」
なぜなら、彼女が僕の腕を掴んでいたからである。そして僕が反論する隙もなく、僕は彼女の隣に座らされていた。なんて素早く無駄のない自然な動きなのだろう。見習うべきだろうか。
「ええ、と」
「私の隣はお嫌ですか…?」
哀しそうに揺れる深い青の瞳。首を傾げれば、流れるようにおちる白銀の髪。ずるい。そういう仕草が麗しいのをわかった上でこの人はそれをしている。
なめていた。悪戯な友に愛されている、という言葉の意味をもっと深く考えておくべきだった。
「いや、では、ないのですが」
このまま彼女の瞳を見続けるのは危険だ。
僕は悪戯な友に愛されることのない王子だから、彼女のように彼らの力を強く受けている者の瞳を間近で見るのはとても危ないことなのである。
彼らに祝福され、愛され、望まれる者には彼らの力が授けられる。そして、対等になる。
例えば、この国では妖精や精霊は王家の者よりも優先される。
彼らに望まれた者は、王家と同等か、それ以上の発言力がある。
では、望まれた者と望まれぬ者ではどうなるのか。それこそまさに、この国の過去の愛情深い王子のたどった、現在進行形でたどっている僕の運命のようなものである。でも彼女のずるいところは、彼女の受けた祝福を僕に貸すことができるところだろう。それはそれで危ない。
「その、ですね、や、やっぱり、お顔は正面から見たいなぁ、と思うのです」
視線を彷徨わせ、恥ずかしそうに微笑む。このとき重要なのは薄っすらと頬を紅く染めること。
思ってない、わけではないけど随分盛った言い方をする。正直これでは本当に女の子のようで恥ずかしいけど。でもなんとなく、こうすれば彼女は断れないのではないかと思った。直感で。なんとなく。それに侍女さんたちがここぞというときに使うといいって教えてくれたし。
「…!……そう、ですか…?ひめがそれを望むなら、仕方がありません。我慢いたします」
本当ですか!やった!やっぱり正面から見たほうがきれいだ。
「あなたの瞳はとても綺麗な空の色で、やっぱり、こうして前から見たほうが、ほら、とても綺麗です、僕の好きな、この国の空と同じ色」
ゆっくり立ち上がり、そっと席を移動する。この言葉は先程の彼女の言葉の装飾品を真似てみた。これなら失礼にならないだろうし、なにより母様も妥協点ぐらいはくれるかもしれない。
「ひめはずるいですね。私も、ひめの瞳の色、好きですよ。この国の森と、私の愛する国の、緑と湖畔の色ですから。勿論、私はひめの全てが好きなのですが」
「ええ…?あの、あなたはなぜ僕にそうまで言ってくれるのでしょうか…?」
僕が彼女と初めて顔を合わせたのは僕が十の頃、リュミアージュで開かれた彼女のお姉さんである第二王女の誕生パーティのあとだったはずで、その時なにかお話したりするようなこともなかったのに。
「そう、ですね。一目惚れ、のようなものですよ」
そう言って、寂しげに彼女は微笑んだ。その姿に既視感を覚えたのだけれど、なぜかわからない。
ただ、僕はなにか重要なことを忘れてしまっているのではないかと、不安を覚えた。とても大切な、大切だったはずの何かを失ったような。そんな不安を。