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―妖精文学草案―01


 

 新しい巫女は王子様と薄くではあるが血の繋がりがあるらしい。

 そんな噂があれば、とうの王子様としては気になるのも当然のこと。だから調べた。そしてすぐに王子はお祖母様から忠告されることになる。手を出すな、と。


 もちろんそれで納得できたならこのお話はそこまで。

 王子様は納得できなかったし、国のあらゆる資料を調べればおかしなところはいくらでもみつかった。国は資料から名前を消しても王族が本気で探せばわかるようにしか消さなかったらしい。

 それがどうしてなのか、誰がやったのかは王子様にとっては後まわしで今必要なのは再従兄妹だというイーナイーリスについて知ることだった。




 巫女イーナイーリスはかつて精霊と生涯を遂げた王族の子供が産んだ娘だ。故にあおい薔薇に強く反応する。

 あおい薔薇は精霊の祝福の象徴。蕾を花開かせるのも枯らすことも祝福された者だけに許される。手折るのならばそれは王族と巫女にしかゆるされない。


 だから平民になった彼女の母親はイーナイーリスに言い聞かせ続けた。「あおい薔薇に触れるな」と毎日毎日。


 それでも彼女は巫女に選ばれる。あおい薔薇が生えるはずのない土地で蝶を追いかけ遊ぶ少女が転けた先、手をついた場所にひっそりと生えていたあおい薔薇。

 それは彼女の手によってたしかに摘まれた。


 「とってもきれい!ままにみせてあげなくちゃ!」


 

 巫女とは精霊に仕えるもの。巫女とは精霊とともに眠る者。

 巫女は祝福と引き換えに、数多の困難を降らせるもの。


 平穏を望む母親はイーナイーリスの手に握られた薔薇をみて嘆く。なぜこの子が選ばれるのかと。また私から奪うのかと。


 涙が池をつくっても巫女の迎えは歩みをとめない。

 理由もわからず迎えの者に引き渡されたイーナイーリスへ母親は「いってらっしゃい」とだけ告げる。


 だからイーナイーリスは「おかえりなさい」を期待した。巫女がどんなものなのか、幼い彼女はまだ知らなかったから。


 やがて彼女は正式な巫女として王城の近くの神殿へとうつされ、もう諦めたはずのやさしい手が伸ばされた。イーナイーリスは戸惑う。巫女は今までの全ての縁を切らなければならない。でも、王城で差し出されたやさしい手は巫女になってからのイーナイーリスへ向けられたものだ。

 なら、どうする?





 そして彼女は手をとり、過去の自分は後悔する。

 優しい王子様は誰にでも優しい人だ。もしイーナイーリスが彼に恋をしなければ、特別な感情をもたなければとても安らぐことだっただろう。

 けれどイーナイーリスは王子様に恋をした。


 王子様の婚約者に嫉妬できればよかった。

 ずるい、ひどい、そう思えたなら後悔しなくてよかった。

 けれどユリアーナはいつだってイーナイーリスに優しくて、まるで本当の姉のように振る舞った。

 心無い言葉に落ち込めばお茶に誘ってくれた。

 新しい舞を1つ覚えれば思いっきり抱きしめてくれた。

 輝く笑顔で称賛の言葉がかけられる。すごいね、がんばったね、えらいね、純粋な言葉と尊敬の眼差しはくすぐったくも暖かくイーナイーリスの心を解した。

 そして王子様に恋をしたイーナイーリスに一番早く気がついて「一緒にやろう」と婚約者教育を教えてくれるようになったユリアーナを羨むなんてイーナイーリスにはできなかった。



 行き場のない寂しさと恋情を飲み込んで巫女の少女は立ち上がる。抱えた感情が身体を傷つけても、心を蝕んでも巫女である彼女は前を向かなければならない。

 抱えれば抱えるほどイーナイーリスは精霊に近づいた。

 人でいてほしいと願う「誰か」はもうみえない。
















 「イーナイーリスさま!」



 だから、彼女が人であることを願う「なにか」の声が届いたのは奇跡に近いなにかだった。

 イーナイーリスが探し続けていた母親へと続く切符を差し出して「4日ぐらいなら誤魔化せますから」と笑った青年がたとえ悪魔だろうと、イーナイーリスはかまわない。


 湖に浸かった体がどれほど汚れようとも構わなかった。

 イーナイーリスを差し出すことと引き換えに平穏を手に入れた母親がイーナイーリスは心配だった。

 かわらない親愛をそそいでいてくれると、そう思えればよかったのだ。まやかしでもなんでもそのいっときだけ「満たして」ほしかった。




 

 エグランテリアという小さな国の端っこにある小さな村。

 土の道にはところどころ野花が咲き、数えるほどの家の向こうに一つだけ他よりすこし大きい家がある。村の入口には柵があって、小鳥が歌をうたっている。豊かで穏やかな村。


 そこにイーナイーリスが探し続けた人がいた。

 そこにはイーナイーリスが探し続けた人はいなかった。


 見たことのない笑い方、知らない優しい音色。

 手をひくぽてぽてとした足音。


 ずっと遠く、離れているはずなのにすぐ近くで音がする。

 

 子供が母親へ手を伸ばす。すると母親は子供の脇へ手を差し込み抱えあげた。母親の胸に抱かれてにこにこと幸せそうに頬を緩める仕草のなんて愛らしいことか。


 だから巫女はちゃんと理解した。


 ここにいるのは自分が探していた母親ではないと。


 もうけっして、自分が交わってはならないものだと。




 それならイーナイーリスは必要だろうか?

 人でいる必要が、あるのだろうか。




 「なんだ」

 

 とても軽い音がする。


「わたしのおかあさん、もうわたしのおかあさんじゃなかったんだ」


 それは理解と落胆と、絶望の音。



 「わたしのことなんて、わすれてたんだ」




 忘れたかったのだろう。

 忘れてしまいたかっただろう。

 愛した我が子は妖精に取り替えられ、その子ははやくに亡くなった。

 愛した旦那は行方不明になった幼い巫女を助けるために森へ入り巫女を助けて山を転げ落ちたという。

 そして愛したいと願った我が子は巫女に選ばれてしまった。


 知らないはずの出来事がイーナイーリスには手に取るようにわかった。自分の感情ではないものが自分の中に取り巻いている。巫女に選ばれてしまった子供を手放す苦しみも、手放せるという救いも、何もかも。

 イーナイーリスが産まれたことで母親はたしかにあったはずの精霊の加護と祝福を失った。それらは全てイーナイーリスへ引き継がれ、たしかに歳をとるようになった。

 引き継いだものがイーナイーリスへ移行する。 

 それは彼女を人に戻した。


「よかったわ、もうえらばれないもの。でなきゃわらってなんていられないわ、なんだ、なぁんだ、わかってたんだわ。わかってなかったんだわ、ずっと、待ちぼうけ。かわいそうね、イーリス。くるはずないおむかえをまって、たえてきたんだものね、いみないのに。なぁんだ、そうなんだ、いらないのね」


 もう巫女になんて選ばれない。

 あの子どもは精霊の視線から遮られた。

 母親が平穏を望むかぎり、巫女がそれを否定しないかぎり、あの子が困難にあうことはない。それもまた精霊の祝福であるから。



 くるくると指先が円を描く。ぐる、ぐる。ぐる、その円が意味を持とうとしたときだ。ぱちりと弾ける音、そしてイーナイーリスの腕を掴む、金と緑。


 もう全てやめてしまいたいと思うイーナイーリスにとって一番会いたくない人。

 イーナイーリスと同じだけ精霊に祝福された命。

 同じように精霊の血をもつ、きらきらな王子様。


 だけど彼は人の枠を外れない。

 希釈された血は彼を精霊にさせない。


 だから彼はイーナイーリスを選ばない。

 もうやめよう、もうやめてしまおう。


 「ほんとうに要らないの?」


 王子様がイーナイーリスへと問いかける。遠くから走って来るユリアーナと神官たちの姿が見える。


 「そう。それなら壊してしまおうか」


 王子様の言葉に顔をあげたイーナイーリスは神官達のもつ枷に気がついた。それはだめだ、なぜあの枷がここに?


 「要らないんだろう、イーリス」


 そうだ。そうだった。

 イーナイーリスはずっと、王子様に夢をみていた。

 優しく賢く誠実で謙虚というのは間違っていないけれど、彼はお伽噺に出てくる王子様ではない。

 国を守るためならば一人の少女を犠牲にだってできる残酷な人でもあるのだ。ヴァルト・アルク・エグランテリアは優しいけれど優先すべきものをとっくに理解していると巫女であるイーナイーリスは沢山見てきた。

 妖精の被害にあった村への見舞い、間に合わなかったことを責められる薬師の前に立ち母親を失い泣き喚く子どもの振るう手を受け止めていたこと。頭を下げていたこと、墓へ花を手向け誰にも気が付かれないよう立ち去ったこと、村と町のどちらに先に薬を届けるかという選択を迫られ重要施設のある町のほうを優先させたこと、国と民のためならばイーナイーリスが傷つけられようと神殿の膿を泳がしていたこと。城内の蜘蛛の巣へ餌をばら撒いたこと。


 イーナイーリスが待ち望む王子様などはじめからいなかったこと。

 それでも諦めたくなくて、諦めていて、ただ煩く告げる祝福の鐘にイーナイーリスは折り合いをつけた。

 幼子の手をひく母親を巻き込むわけにはいかないから、イーナイーリスはヴァルトの腕を抜け出して駆け寄ってきたユリアーナへ縋り付いてわめく。それも意味がないのなら覚悟を決めるしかなかった。


 言いたくなかったけれど、何も知らないユリアーナに告げなければいけないことがある。

 イーナイーリスと同じように巫女に選ばれるはずだった人、でも免除された人。イーナイーリスより血が遠く適正があり望まれていて、ヴァルトのおかげで視線を逃れた彼女。


 「イーナイーリス、やめろ」


 土が盛り上がりヴァルトへ向かう。それを草で切り裂いてヴァルトはもう一度冷ややかに言う。やめろ、と。


 カチリ、歯車が動き出し欠けたピースが集まる。

 もうイーナイーリスは人にはなれない。



 「…うるさいのよ王子様」


 イーナイーリスの言葉に宿る力が王子の声を呑み込み話しの邪魔になるものを排除する。

 ユリアーナが後ずさったのをイーナイーリスは「仕方がない」と眺めていた。もう戻れないことを理解しているから。


「わたしがいなくなったら、ねえさまが巫女に選ばれてしまうわ。そうしたら王子様とは結婚できないの。巫女と血を混ぜる訳にはいかないの」


 どうにもならない本当のことだ。


 「イーナ」


 だからイーナイーリスが必要だと言ってもらわなければ困る。


 「必要だって言いなさいよ!」


 それなのにユリアーナはイーナイーリスを抱きしめようと手を伸ばすのだ。


 「イーナ、だけど君はそれじゃいやだろう」

 「やめて!!それ以上言うな!」


 精霊に変質したばかりのイーナイーリスには力を制御する方法がわからない。感情のままに紡がれる言葉の強制力によってユリアーナの口を縫い留めると、少しだけ安堵する。


「言わないで。やめて、いま、そのこたえをかえされたってわかりきってるの。これ以上こわさないで、おねがい。おねがいだわ、もうなにもないの」



 身を起こし顔にかかった髪を振り払う。神官服は汚れ、土や砂埃があちこちにつき、髪はぼさぼさで服はしわくちゃだ。それでもイーナイーリスは巫女として立っている。

 ゆっくり白い腕を胸の前で持ち上げて、横にひらいた。今から捧げるのは豊穣を願う舞であり、紡ぐ誓約はイーナイーリスの「人」である部分全てを秤に乗せた神への誓いだ。

 願うものは小さなこと。

 母親とその子どもがこれからも精霊や妖精の目から逸らされますように、だからイーナイーリスは母親とその子どものことを忘れることにした。王子と王子の婚約者への思いを束ね他のものを塗りつぶせば彼女の意識から母と子の存在は失われる。


 その代わりになるのは、王子と姉というべき王子の婚約者への強い執着だ。

 嫉妬、憎み、悲しみ、暗い感情に塗りつぶされながらイーナイーリスは忘れていく。












 

 その果てに、ゆらめく金糸と潤む翠の少年をみつけた。

 大好きな王子様に似て、大好きなお姉様に似て、けれど少女と見間違う容姿をどういうわけかぐしゃぐしゃに崩し愕然とした表情でイーナイーリスを見つめる姿は誰にも似ていない。


 ただ同じ気配がした。

 




 「おやすみ、愛子。目覚めたらまた」




 言うべき言葉なんてない。

 それでもイーナイーリスは導かれるように少年へ告げる。


 きっとまた出会う。

 彼は必ず目覚めイーナイーリスを見つけ出すだろう。

 どれほどの時が経ちどんな終点で再会するかはまだわからないが、彼から漂う精霊の気配が未来を決定づけている。

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