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おとぎ話とひめの行方 2


 あおい湖畔がきらめくのをみて自然と足が止まった。まだ誰もいない。呼吸を落ち着けていると、頭上にあった光の柱が薄くなっていき、とうとうなくなったところで王子とイーナイーリスの声がきこえてきた。姿は見えない。



 




 「イーリス、僕はこれから王になるための授業や準備が忙しくなるから」


 「…でも…、すこし、だけだから」


 「イーリス…神官様に聞いてみたらどうかな?」


 「やだ」


 


 淡い光が輪郭をなぞる。登場人物たちが動き出すと周囲の音が消え去った。物語のページをめくるように、彼らの話は進んでいく。



 なんだか嫌な予感がする。あんまり気分のいい話ではなさそうな、そんな感じの。


 「うーん…どうしてもリンダリンの伯爵に会いたくない?評判もいいし容姿も整ってる、土地も君にあってると思うけど」



 「――!!」



 

 零れ落ちそうなほど目を見開いて、うるむ。


 「…………ヴァルトにだけは、いわれたくなかった」



 小さなつぶやきは誰かに聞かせるためのものではなく、思わずこぼれてしまったものだろう。涙を隠すようにヴァルトに背を向けイーナイーリスは声だけは明るく「ヴァルトやユリアーナさまとあえなくなるのはさびしいの」とかえしている。



 「結婚とかよくわからないもん」


 「まぁ、それもそうだね」




 


  ああ、ほら、やっぱり。



 どう考えたって、いい話じゃない。酷いと思う一方で、上手に笑うものだと感心してしまう。



 エグランテリアの王族――元をたどるとユゼ家というのだけど、うちにはどこかで精霊の血が混ざっている。そのためだろう、王家のものは感情を切り離して考えがちだ。表情が消えるととても冷たくみえたりもするので、長男長女、もしくは才の有無によって表情、感情の制御を他の物事とともに教わることになっている。ヴァルトという王子はそうだろうが、イーナイーリスはなにでみにつけたのだろう。


「それにわたし、にいさまとねえさまがいちばん好きだわ。それじゃいけないの?」


 幼いごまかしなんて通用しないはずなのに「まだまだ目がはなせないね」と王子はイーナイーリスの髪に花をさした。柔らかな風が吹いている。


 「砂が目にはいったみたい」

 

 恋心を隠すイーナイーリスと、気づいていて知らないふりをする王子、どちらもこの時点では悪くない。ただ緑の目が揺らいでいるのをイーナイーリスは知らなくて、それがとてもムカつく。まもりを込めた石を贈るぐらいならどうして側でまもらないの?こんなに胸が痛むのになんで知らないふりなんてするの。


 ばかじゃないの。


 



 だけど結局、二人はそのまま他愛もない話をして別れた。大事なことは一つも話さないまま胸の奥にしまい込んで、次の約束をすることもなく。王子の姿が消え、イーナイーリスの服が変化する。長い襟は空色で地を引きずるほど長い青の服だ。胸で切り替えストンと落ちる、白糸の花刺繍がはいった神官服の一つ。

 イーナイーリスが湖へと入っていく。ちゃぷちゃぷと音をたてながら腰まで浸かると、緑がかった金の髪が泳ぐように水の中で広がり揺れた。そのままざぶざぶと湖の中でイーナイーリスは動き広がる布を掴んでこすり汚れを落としている。しばらくして、はぁとイーナイーリスが白い息を吐き出し慌てて湖からあがりだす。パタパタと衣服を叩き風を呼んでイーナイーリスの服が乾くと同時、彼女と同じような服の神官が現れる。神官へ駆け寄るイーナイーリスは焦ったような表情を浮かべていたけれど神官の話をきくうちに驚いたような、だけどとても嬉しいことを聞いたような顔をして微笑んだ。――だけど、神官は同情している。幸せそうなのはイーナイーリスだけだ。

 


 

 




 きーんと鐘の音が響いた。


 シュティレートの鐘のような大きいものではない。かといってリュミアージュのものとも違う。音がした方を振り返るとそこには薄水色の神殿があった。神殿のてっぺんには三角の屋根が3つあって、そのうちの真ん中、一番大きい場所に鐘があった。


 きーん、きーん、きーん、鐘がなるたびに視界が揺れぼやけていく。神殿はたちまち蜃気楼となってはなれていく。


 もう、自分がどこにいるのかさえわからない。








 




 











 きーん、きーん、きーん、鐘の音は遠く、かすかな鈴の音のように響くだけになるとぼやけていたものが線を取り戻していく。そこは小さな村のようだった。土の道にはところどころ野花が咲き、数えるほどの家の向こうに一つだけ他よりすこし大きい家がある。村の入口には柵があって、小鳥が歌をうたっている。豊かで穏やかな村。そんな村の誰かの家の鶏小屋にボクはいた。小屋からみえる景色だけでは他に何があるのか分からないがこの感じだと羊や牛もいるかもしれない。ここだけで生活の基礎が事足りるように作られている、そんな気がするのだ。コケコケとないて羽をばさばさとはためかせる鶏たちに追い回されながらここから出る方法を考えてみる。出入り口はこちら側からではあけられなかったのでなし、板と板の隙間は妖精じゃなきゃ通れない、となると窓なのだがボクの身長だとぎりぎり手が届くかどうかといったところ。


 メルヴィアがいてくれればと考えてしまう。もしくはテレンス。


 あの二人は身長が高い。ボクより頭一つ以上は上だ。

 ……そのうちメルヴィアの背は超したいのだけど、メルヴィアはボクに小さいまでいてほしいような気がしてもいる。



 背伸びをして手を伸ばす。窓枠に届きはするが掴んで登るのはなかなか大変そう。様子みに跳ねてみると掴むことはできたので、一度手を離す。


 「長時間は無理だな」


 

 摩擦で薄皮が剥けている。ここでの傷がどこまで影響するのかはわからないが怪我をしないにこしたことはない。もう一度跳び今度はしっかりと枠を掴む。そのまま勢いでからだをもちあげるとお腹が枠の上にのり、頭は外に出すことができた。いわばエビのような状態だ。

 はやいところ降りないといけない。コケコケと騒ぐ鶏の声を聴いてそう思う。あとお腹が苦しい。



 「え」


 「え」


 

 足をばたつかせ、おりようともがくボクが顔をあげた先に、呆然と立ち尽くすイーナイーリスがいた。


 「なんだ」

 

 とても軽い音がする。


「わたしのおかあさん、もうわたしのおかあさんじゃなかったんだ」


 それは理解と落胆と、絶望の音。



 「わたしのことなんて、わすれてたんだ」




 みたくない、みたくないけど、イーナイーリスのみてしまったものをボクはみなければならないのだろう。ごろんと転がり落ちたまま、ボクはイーナイーリスのみたものをみる。

 穏やかな村、胸に抱いた幼子に愛しげな微笑みを向ける母親。そしてその母親が先程から何度かこちらをみて不思議そうな、困ったような仕草で幼子へ首を振っている。指を指してはいけませんよ、なんていう柔らかな声がきこえてきそうだ。そしてそれは、あの母親がイーナイーリスを忘れていることを意味する。



「もう、わたしの家族なんていないんだ。なにも、なにもないんだ。なぁんだ、そうなんだ、そうだったんだ、なぁに、それ、あは、あはは。じゃあなんにも意味なかったんだ!わたしが我慢する意味なんてなかったんだ!おかしい、あは、あはは、おかしいよ、おかしい。おかしいね、おかしいね!」




 母親は怪訝そうな顔で一瞥すると、慌てて子供を家の中へ入れる。そのまま自分も家の中へ入ろうとしていた。その扉が閉まる寸前、驚きが浮かんでいた。立ち上がって後ろを向くと、道の向こうから神官たちがやってくるのがうっすらみえる。

 あの人たちはイーナイーリスを迎えに来たのだろう。そして母親はその構図を見て理解したのだ。


 あの神官たちがわざわざ村まで来た理由、見知らぬ少女、つまりそれは自らの娘であるのだと。娘がこの村に来ていると。


 それでも家の中から出てくることはない。どんどん神官たちが近づいてきている。このままイーナイーリスをほおっておけばまた城の神殿へ連れ戻されるのだろう。たったひとつ、「家族の顔がみたい」なんていうかわいらしい願い事を叶えようとしたばかりに今度こそ自由などないかもしれない。


 



 「あ」



 ひとり笑って泣いて歌って踊っていたイーナイーリスがぴたりとそれをやめた。


「くる、おむかえ、おむかえがくる!もうあそこにいる意味もないのに!なんで?なんで?もうなんにもないのよ、もうイーリスのこと縛れないのに、あはは、あは、へんなの!おかしいの!おかしい!おかしいわ!がんばってもだめだった!いみなんてなかった!なーんだ、やっぱり。やっぱりイーリスはただしかったんだわ、かみさまは慈悲深くなんてない!祈る意味だって無いのに!」



 くるくるとまわる。妖精が楽しげにその後をまわる。

 楽しいことなどないというのに。


 風が渦を巻き砂を巻き込む。草は枯れ雲が集まり太陽を隠す。空は濁り木々がざわめく。


「おむかえは、もうこないの。だきしめてくれる人はわたしにはいなかったの。ああ、あおばら。近づかなくても選ばれてしまうならたべてしまえばよかったわ」


 濁りどろりとした瞳が家を向く。


「よかったわ、もうえらばれないもの。でなきゃわらってなんていられないわ、なんだ、なぁんだ、わかってたんだわ。わかってなかったんだわ、ずっと、待ちぼうけ。うふ、ふふふ、あはは、かわいそう。かわいそうね、イーリス。くるはずないおむかえをまって、たえてきたんだものね、いみないのに。なぁんだ、そうなんだ、あはははは、なぁんだ、いらないのね」


 くるくると指先が円を描く。ぐる、ぐる。ぐる、その円が意味を持とうとしたときだ。ぱちりと弾ける音、そしてイーナイーリスの腕を掴む、金と緑。


 「な、んで」


 「ほんとうに要らないの?」


 その後ろからは黒の美丈夫が神官たちを走らせて向かって来ている。



「なんで!なんでいるの!いらない!いらないわ!いらないの!もういらない!縛るものだって無い!」


 掴まれた手を振りほどこうと、イーリスがもがく。だけどヴァルトが腕の中に閉じ込めるほうがはやかった。



 「そう。それなら壊してしまおうか」


 弾かれたように顔をあげたイーリスが神官達のもつ枷に気がついた。


 「あっ、あ、あ、や、やだ、ちが、ゔ、ゔぁると……?」

 「要らないんだろう、イーリス」

 

 

 「ぁ」


 枷と家を見比べる顔は段々と青ざめていく。

 すがるようにヴァルトに手を伸ばしかけ、その手を自分の喉へあてがうとつっかえながら、震えた声で「い、いいえ、ちがう、ちがうの」と訴える。それを優しげな笑みでヴァルトは黙殺した。



 「ちがう!いる、要るの!」

 「もう縛られないんだろう?」

 「いいえ、いいえ!まだあれはわたしの枷になる!」


 強引にヴァルトの腕の中から抜け出して、駆け寄ってきたユリアーナへ抱きつくとそのまま崩れ落ちた。ユリアーナの足元にうずくまったまま、ユリアーナにすがりつく。


「ねえさま、ねえさま、わたし、まだ必要でしょう?壊れたらつかいものにならないわ、ねえさま」

 「イーナ」

「わたしがいたほうがいいわ!だって、だって、にいさまは」

 

 「イーナイーリス、やめろ」

 「やめて!!やめて、やめるのはにいさまよ!」


 土が盛り上がりヴァルトへ向かう。それを草で切り裂いてヴァルトはもう一度冷ややかに言う。やめろ、と。


 カチリ、歯車が動き出すような、なにかがぴったり当てはまったような、そんな音がきこえた気がする。

 この冷やかな雰囲気には似合わない音。どこからかはなんとなくわかっていた。イーリスだ。彼女のなにかが、変化した音だ。



「……めいれいかしら、王子様。それは巫女への言葉?なら聞く必要なんてないわね。精霊と共にあおい花を芽吹かせる。イーナイーリスはそのための巫女なの。血が遠すぎず、近すぎない、王家と巫女は離れるべきという理想に矛盾しない、今代の鎮め繋ぐための巫女なの。うるさいのよ王子様」


 その言葉に宿る力が王子が声を出すことをゆるさない。イーナイーリスの話すことを邪魔することをゆるさない。

 ユリアーナはそのおかしな様子に気がついてイーリスの側から離れようと後ずさる。


「わたしがいなくなったら、ねえさまが巫女に選ばれてしまうわ。そうしたら王子様とは結婚できないの。巫女と血を混ぜる訳にはいかないの。そんなのいやでしょ?いやよね、だからわたしが必要なの」

 「イーナ」

「必要だって言いなさいよ!」


「イーナ、だけど君はそれじゃいやだろう」

「やめて!!それ以上言うな!」


 その音がそれ以上の言葉を紡ぐ邪魔をする。


「言わないで。やめて、いま、そのこたえをかえされたってわかりきってるの。これ以上こわさないで、おねがい。おねがいだわ、もうなにもないの」



 ゆらり、身を起こしたイーリスは顔にかかった髪を振り払う。神官服は汚れ、土や砂埃があちこちについていた。髪はぼさぼさだし服はしわくちゃだ。それでも、イーリスは巫女としてそこに立っている。

 ゆっくり白い腕を胸の前で持ち上げて、横にひらいた。礼のような踊りのような動きだ。そのままつま先を前にだし、ゆっくりとまわりだす。ていねいな指先、表情すら、徹底してある。豊穣を願う、祈りの舞に別のものが混ざっている。

 王子がなにかに気がついてやめさせようと手を伸ばした。

 ボクは思わず王子の手をつかもうと走り出す。



 

 イーリスの指先がとんっとはじいた。王子とボクはそれだけでイーリスに近づけなくなる。波打つベールがイーリスを覆い、そのなかは物も時間も揺れている。ボクはそれをただ美しいと思っていた。


  …みとれていた。



 今度はつま先ではじく。イーリスがまわる。

 地や空がぐらぐらと揺れる。沸騰した鍋の中のほつれた布のように全てが解けていく。空がにじみ色が混ざり濁ってゆく。



 弾かれようとしているのだ。



 ボクだけが、ここにいてはならない。




 「まだ終わりじゃないの」


 空の青が薔薇になって落ちてくる。棘が皮膚をさす。


 「おとぎ話はここからはじまり」



 花びらが落ちた先から水が湧き出す。棘が地をえぐる。



 「愛子の出番はまだ先」




 それはしだいに湖を形成していく。








 「おやすみ、愛子。目覚めたらまた」






























 ちゃぽんっ。





 耳元で水音がする。




 落ちるときのものとは違う、浮遊する感覚。



 触れる温度は温く、もがく指先だけが冷たい。


 気泡が浮かび弾けて消える。ボクの声は水にのまれて浮かび上がらない。







 ふっと体から力が抜ける。



 ただ上へ上へ。



 



 ちゃぽん。





















 頬をやわらかいものが撫でていく。それはあたたかく優しい。するりと逃げていくそれをつかもうと手を伸ばすと、くすくすとちいさな笑い声がきこえてきた。


 「だめよ、手をとるべきは私じゃないでしょう?」


 布のこすれる音がして、まぶたの向こうが白く染まる。カーテンを引いて明かりが差し込むようになったのだろう。続いて小麦とバターの焼きあがる美味しそうなにおい、香りのいい紅茶の湯気。どれもこれも、優しすぎて現実味がない。



 「……ゆめ?」



 「夢かもね」



 まぶたをゆっくりもちあげて、身を起こす。塔に似合わないふかふかのベッドの上にボクは寝かされていたらしい。見上げた天井からはレースが膜のようにベッドをテントのように囲っていて、横に切れ込みが入っている。そこから覗く、本を片手に紅茶を飲む少女はたしかにイーナイーリスだった。


 でも―――彼女はまとう空気が流れる水のように穏やかだ。



 「あれはなに、あれは、夢じゃ、ないんでしょ」


 「愛子は記憶をみたのよ」


 なんでもないことのようにイーリスは言う。


 「君の?」

 「私と、妖精たちの」



 ベッドからおりてイーリスの前の席に座る。

 イーリスが戸棚からカップを出し、お茶を注いだ。その上に砂糖漬けされた花を落として差し出してくる。受け取り口をつけると爽やかな香りとやわらかな甘みを感じる。

 

 イーリスはまた、くすくすと笑ってつややかな赤が宝石のように輝くタルトを小さく切り分けた。それを小瓶と共に窓辺に置く。淡い光がぱちぱちと弾けるように、ぶつかりながらやってきた。妖精たちだ。彼らはイーリスの用意したお菓子と小瓶を大事そうに抱えて去っていく。

 

 「たべる?」


 妖精に与えた一切れの残りを自分の皿に載せてから、ボクの皿をみてきいてくる。その紅茶にあうと思うわ、とタルトにナイフをさしこみながら。

 小さく頷けば、嬉しそうに口元を緩めてタルトを取り分けてくれる。やっぱり、どこか違う。最初にあったイーリスとも、お菓子をとりあったイーリスとも、ボクを記憶とやらに放り込んだイーリスとも、違う。


「シェントリーのラムベリーと怕日紅の実で作ったの。酸味が強い怕日紅の実はお砂糖で漬けて、ラムベリーと一緒にするとすっごくおいしいのよ。漬けたあとのシロップを上から塗るとつやつやしてきれいでしょ?あ、あとこっちのスコーンにはトマトとキャロットジャムを用意したからどっちも試してほしいわ。それで―――」


 鳥かごのようなティースタンドにのったサンドイッチ、ケーキにスコーンの説明をして、それでもまだ足らないとばかりに紅茶やバスケットの中のパンの説明までする。

 それも終始笑顔だ。声も弾んでいて、とても明るく穏やか。

 



 「ほんとにイーナイーリスなの」


 「……そうよ」


 「これはどういうこと」


 「結論を急ぐ男は好かれないわよ」



 ずっとここにいるわけにはいかない。今だってきっとメルヴィア様もテレンスも僕のことを心配してる。母様たちにまた悲しい顔をさせたくない。


 

 「愛子」

 

 

 また、させるわけには。



「それ以上はやめたほうがいいわ」


 「…ん?」




 「愛子」

 「あ、えっと、あれ」



 なんでこんなに気持ちが急ぐんだろう。母様も父様も心配するだろうけど、でも別にそこまで珍しいことじゃないのに。

 テレンスならうまくやってくれるだろうし、妖精の悪戯にあうなんて慣れっこじゃないか。


 「あ、れ、」


 いや、でも今回のは特殊だから困るんだった。そうだ、そう、こんなこといままでなかったから、これがはじめてだから、だから心配させてしまう。だからいそがなきゃいけないんだ。





「……覚えておいて。聞き逃さないで。世界の色をもつものにあったら、躊躇せず頷くの」

 「は」



 ひらりひらりカーテンが風に吹かれている。


 「もうはじまるわ。次でまた会いましょう」




  意味がわからない。問いかけようとそちらをみるがそこには誰もいなかった。いなかった、というよりはみえていないのかもしれない。ぐらぐらぐらぐら、そうしてまた闇に落ちていく。 

 

 また。



  また?





















 なんど、くりかえした?






    いわかん。

きしかん。

















   はためくカーテン、のびてくる棘、なにか、が。





















 












 「みこさまもおかわいそうよ」

 「ちょっと!不用意なこと言わないで」

 「でも……」

「ベレゼス様が罰してくださったんだし、この話はそこまでよ。王城との軋轢とかいやでしょ」

 「でもそれって、みこさまはどうなるの」

 「あんたはみこさまに思い入れでもあるわけ?」



「……………べつに、ただモニスのせいなんだから、みこさまはここまでされなくても…って」

「あー、あんたモニスと仲悪かったもんね。ま、あのクズはもう消えたんだしそれでいいじゃん。たしかにみこさまはかわいそうだけど、うちらにどうこう出来ることじゃないんだから」


 「………」

 「ちょっと危ない!」


 「あ」




 ぼんやりとしたまま、石畳に手をつく。ぶつかってしまった相手はもうひとりに支えられていた。白いストンとした衣服は植物と祈りの文様が刺繍されたもの。イーリスやイーリスといた神官よりさっぱりとしていて素朴だが神殿所属の大抵のものはこれぐらいで正しい。あそこは質素、素朴であれと管理する場でもあるのだから――上は贅沢をしてるなんてことも、よくある話。今の上層は巫女テテリネ・トートルのおかげで実に清潔清廉な者たちがあつまっているけれど、衣服が白で刺繍はふちが緑の白。

 となれば"イーリス"が巫女なのだろう。話からしてもそうみてとれる。



 ドレスは破け髪は…砂埃が…とにかくみっともないというかやばいというか、こんなところにいていいみためではない。ましてや彼女たちはボクのことを知らないし、ボクもここのことはよく知らないのだ。


 どうきりぬけたものだろう。



 ボクが考えあぐねているうちにボクとぶつかった女の子は再起動したようで、いまだ尻餅をつくボクに目を見開いて慌てている。不審そうにボクをみていたもうひとりの女の子がとめようとしているがそれを上手に避けて女の子はこちらへやってきた。

 

 「だ、だいじょうぶですか!?」

 「クユ!あんたねえ…」


 「えーと…」


 手の傷や足の裏の傷、他にもところどころ切り傷やらがあったようでクユと呼ばれた彼女はボクの状態を確認していくうちに顔を曇らせていく。理由は、察してあまりあるのだけど。



 「エゼ、この傷なおらないわ。薬が必要みたい」

 「精霊に巻き込まれたってこと?面倒なもの拾わないでよ」


 「巻き込まれた…?って、どういう…?」


 「お嬢様はいったいどこからきたの、名前は」

「エゼ!…わたしはクユ。こっちはエゼね。ここは王城の神殿で、わたしたちは見習いなの。あなたのことも教えてもらえるかな?」


 意識してやさしい言葉、やさしい声を選んでいるのだろう。とても自然で慣れている。クユという女の子にはよくあることなのかもしれない。


 「ええと、その、わたし……わたし、えと、」



 ぼんやりと床を見つめる。焦点はどこにも合わせないように、瞬きもしないように、あとはいい慣れた架空の少女の話をするだけ。名前はルーシュ、今回の場合は記憶が曖昧ということにして乗り切ろう。だてに女の子のふりをして精霊を欺くなんて大胆なことをしているわけではないのだ。長男はみーんな、完璧に女の子として生活することに慣れているし女子に混ざっても違和感のないように振る舞える。そうあるように教育されるのだから。長男以降は完璧じゃなくてもいいらしいので、羨ましいな〜と思うことはある。ボクに羨む相手はいないけど……兄妹がいれば囮役も指揮できるやつも育成できてよかったのになぁ。囮はボクでもいいけど現場の指揮してくれる人がもう何人かほしいところ。全部ボクは流石にきつい。



 と、そんなことをつらつら考えているうちにちょうどよく、ぽたぽたと涙が頬をつたっていった。勢いに任せてそのままルーシュです、と名乗ってしまう。


「あの、あ、えと、すみません、あれ?なんでだろ、えへへ、あ、あれ…?」



 そのままごまかすように笑いながら、どこからきたんでしょう、と首を傾げてみせる。セルーカルーからきました!とか言って信じてもらえるわけないし、そもそも未来の王太子です!も信用がなさすぎる。頭おかしいとしか思われんだろそれ。

 それよりはいったいとこからきたのかわからない、ここはどこ?わたしだれ?みたいなほうがまだ信憑性があるというもの。精霊に巻き込まれた場合の事例ではそういうことも珍しくはない。改善するべき点のひとつでもある。



「ルーシュ、わたしたちと一緒にいよう?だいじょうぶ、だいじょうぶだよ」



 そっと背中をさすってくれる手があたたかくて、なんだか純粋に嬉しい気がする。それと、申し訳ない気になった。慣れてるは慣れてるでも、ほんとに、素直に、こういうことができる子なんだろう。無意識で落ち着かせるための対応ができる子なのだ。……だましているようで気分が悪い。


「何も大丈夫じゃないわ……クユ、あたしラスタ様に話してくるから、あんたはそのことゆっくり来て」

 「…!ありがとう、エゼ!」

 


 そっと手を握ってくれる。立ち上がりを急かされることもなく、待っているよ、と伝えてくることもない。さりげなくて、自然で、だから緊張しなくていい。焦らなくていい。

 ああ、いいな。



 すごく、いいな。羨ましいって、こういうものだ。

 ボクもこうなれたら、よかったのにな。















 


  よかったのに。




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