第9話・人外
「くっ……。羽山、離れろ!」
近づいてきた羽山を振り払うため、
俺は腕をつかんで投げ飛ばそうとする。
その動きを察したのか
羽山は猫のごとくスルリと抜け、
一定の距離を保つ。
「でも驚きだわ。あなたのその姿、
書物の絵で見たエノクそのもの……」
「エノク、だと」
エノク、というのははベーコンや俺の頭に
響いてきた声が発していた単語だ。
文章的に宗教じみた言葉だったが、
ベーコンや羽山は怪しい新興宗教の一派なのだろうか。
しかし、それにしては技術力や
それを支える資金面しかり、
やっていることが
ちんけな犯罪グループの
域を完全に超えている。
「エノクだの何だの知らないが、
お前たちの目的は何だ?
人を勝手にこんな姿にするなんて、
いい趣味とはいえないな」
「ふふ……。私たちはこの世を統べる、
新しい生物として君臨するの。
あなたは、私たちの悲願を
達成するメシアとなるに違いないわ」
「お前、変身して頭まで獣になっちまったか?
もう少し賢い人間だと思ってたがな」
「可愛そうに、生まれたての
ヒヨコにすべてを理解しろなんて、
口が裂けても言えないわ」
挑発行為だ、そんなものはわかっている。
だが、この身体のせいか興奮しやすくなっており、
俺はコンクリートの地面に足が
めりこむほど力を入れ一気に跳躍する。
一瞬で距離を詰めて引き裂こうとするが、
羽山も俺の腕の上に立っていた。
たじろぐ隙もなく、羽山は顔面に蹴りを入れてくる。
俺は飛んできた方向とは逆側に吹き飛び、
屋上にある貯水タンクに身体をぶつける。
「威勢のよさだけは買うわ」
身体がきしむように痛むが、
せっかく生き延びた身体だ。
ここで死ぬわけにはいかない。
俺はこの翼で逃げることを考えた。
だが、羽山の脚力を考えると振り切ることは難しい。
やはり、羽山を倒さない限り
俺は生き残ることはできないわけだ。
「……へっ、シンプルでいいじゃないか。
力が強いものが生き残る。
俺たち人間だって、そうあるべきだよな」
「お前はやはりバカか。すでに私たちは人間じゃないんだよ」
羽山は俺の身体を指さしている。
俺は自分の身体を見ると、
紫色の血が流れていた。
なるほど、治ったというよりは、
俺は人間以外の生物に変わってしまったというのか。
「なら、それがどうした!」
身体を思い切り跳ね起こすと、
貯水タンクはいとも簡単に崩れ去った。
「すでに俺は、人として生きてねぇんだよ!」
そうだ、俺は人から忌み嫌われ、
社会に疎まれ、人として扱われた経験なんてなかった。
こうして怪物となって闘っているほうが、
俺らしいというものだ。
俺は全身の体毛を震わせ、
電気を作り上げるイメージを膨らませる。
すると、全身に電気が帯電していき、
その電気を指先に集中させていく。
「ま、まさか」
「お前、俺はエノクだとか何とか言ってたな。
まるで天使みたいな名前だが、
こいつはそんな俺におあつらえ向きだろ?」
指先に集中させた電気エネルギーは
黒光りを放ち、俺は羽山目掛けて電気を発する。
バリバリと音を立てながら
コンクリートをえぐり、
黒い電撃は一瞬で羽山に到達した。
窮地を脱した、と思ったそのとき。
「やはり、あなたを見す見す逃しておく訳にはいかないわね」
羽山の声が聞こえたときには、すでに俺の意識は失われていた。
***
気絶して目覚めるのは、これで何度目だろうか。
人生でそうそう経験することでもないはずだが、
俺は一か月前後で少なくとも二回経験している。
目覚めると、天井はベーコンと
はじめて会った植物園のような曲線を描いていた。
周りをみると治療室のように薬棚があり、
いくつかベッドも見える。
俺は自分の体を見ると、
下半身にズボンを
はかされた状態になっていた。
動かそうとするも、
ベッドに手足だけでなく
身体まで拘束されていた。
ガチャガチャ動いてみるも、
まるで意味がないようだ。
「お目覚めはどうかしら?」
入口らしいドアが開いた場所から入って来たのは、
黒いドレスに身を包んだ羽山だった。




