雨降る夜に
もうすぐ夏だというのに少し肌寒い。
雨がしとしとと小さな音を立てて降り始めた。
私はゆっくりと座っていたベンチから立ち上がると鞄を肩にかけて歩き出す。
今日はいろいろと疲れちゃった。
しっとりと濡れていく制服には申し訳ないけれど、鞄に入っている折り畳み傘を出す気にもなれない。
先生ははっきりと言ってくれただけ。
私がまだ学生だったこと、それに…。
わかってた。
わかってたけど卒業までなんて待てなかった。
こんなに辛いのに。
先生を見るたびに胸が張り裂けそうだったの。
ほかの子に笑いかけてるのを見ると辛くて苦しくて。
好きだったの。
本当に好きだった。
明日からどういう顔したらいいかなんて考えてもいなかった。
「はぁ」
何度目かのため息がこぼれる。
真っ暗になってしまった公園で、街灯がちかちかと寿命を告げていた。
「早く帰らなきゃ、ね」
そうわかっているけれど、足はどうしても少しずつしか進まない。
道路が濡れてタイヤが滑る音が響く。
それが何度か続いた後、ふいにそのタイヤが止まった。
何も考えずにその途切れた音へと目を向ける。
バタンと響く音が耳をかすめた気がするけれど、私の耳に入ってくるのはその足音だけだった。
「ど、して…」
何も言わずにそっと傘を差しだしてくれたその人はゆっくりと私の顔を覗き込む。
「先生としては不良生徒を回収に」
「…」
私が黙っていると先生はコホンと小さく咳払いをして、それから…。
「一人の男として、君を放っておけなかった。…って言ってもいいかな?」
「え…」
「本当はこういうのよくないし、君が卒業まで黙ってたほうがいいんだろうけど…」
そういって先生は私の鞄をするりと持ってくれた。
「ほら、送っていくから車に乗って」
「でも…」
「うん。ごめん。やっぱり言わない。言えないよ」
「…」
ゆっくりと歩き出した足音に私の足音が重なる。
「卒業まで頑張るつもりはあるか?」
ドクンと心臓が音を立てて、そのせいで先生の言葉がよく聞こえない。
今、なんて…?
そう言おうと顔を上げると、優しそうな微笑みに、少し緊張してる目が私を見ていた。
「君が卒業まで頑張ってくれると、俺はすごくうれしい。なんてズルい言い方、だよな。ごめん」
「ズルくていいです。私、それでも」
そっと指先が触れる唇。
「駄目だよ、もう言っちゃいけない。それは約束。できるよね?」
「は、い」
「うん。よくできました。じゃぁ帰ろう?学校にお母さんから電話があったんだよね。で、慌てて探しに来たってわけ」
「あ、ごめんなさい」
「俺こそ、ごめん。さ、この話はおしまい。宿題、ちゃんとやるんだよ」
「今それ言いますか。せっかく忘れてたのに」
「仕方ないだろ。俺、先生だもん」
「先生はもんとか言いません」
「いいじゃないか。今くらい」
「ズルい」
「大人はズルいのです。さ、ホントにもう帰ろう。風邪ひいちゃうよ」
「はい」
そっと伸ばした指先で先生の手に触れると、大きな掌で包んでくれた。
「車まで、ね」
声にならずにうつむく私にクスリと先生が笑っていた。