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私はその瞬間を見逃さなかった。

作者: 津浦あゆ

短いですが、どうぞお楽しみ下さい。

私はその瞬間を見逃さなかった。マンションの小さなトイレスペースの中で便座にかけながら、じっと見入った5分間。便器の正面に置いてあるピンクのカラーボックスの上の、小さな黒い目覚まし時計。


午前8時5分から8時10分まで、その5分間、私は息を殺してこの黒い時計を見続けた。一分一秒、針の動きを目で追い、時針の弱弱と進む様を目に焼き付ける。

秒針が8時10分ジャストを指した。

私はトイレットペーパーをまいて、自分の処理をしてから、水を流し、濁音に追われるようにして、トイレから出た。


洗面所にでると、思わず目を塞ぎたくなるような自分の顔が、几帳面にピカピカに磨かれた鏡に余すところなく映っていた。思わず目を背ける。


私は服を脱ぐ手間も煩わしくて、そのまま風呂場に直行した。


赤い丸印の貼られた方だけをひねり、シャワーを被る。冷たい水だったのが温く、熱くなって、思わず息が詰まる。そしてその息をゆっくり喉から、ところてんを押し出すときみたいにして、呻きにして絞り出した。じとじとしてもやのかかっている狭い個部屋には、獣みたいに低い唸り声が響いた。


水気を帯びた服が肌にまとわりついて気持ち悪い。気候は夏のくせにアクリル地の制服のプリーツスカートは重く、紺のニーハイは膝下までずり下がる。苦心したわけではないけれど、せっかくおさげにした髪は、私がゴムを外したお陰で、綺麗なくらいストレートに戻っていた。


髪を洗って、適当にリンスもして、顔を洗って流す段階までいくと流石にシャツがぬめって耐えあぐねだすが、それでも私は我慢して、変わりにシャワーを冷水に変えた。


火照った体には水が大変心地よい。だらしなく口をあけると中に水がバラバラと入ってきて、そのまま飲み下した。食堂を冷たいものが通っていく感覚がまた心地よかった。


いい加減体が冷え始めてきたので洗面所に敷かれたピンクのバスマットに上がる。体中から水が滴るが、普段湯船に浸かった後のようなあの火照りと湿気はなかった。正面に掛けてあったバスタオルをおもむろに手に取り頭に被せ、制服も服も下着も全部脱いで裸になる。洗濯機に全て放り込み、洗剤はナシでスイッチだけいれる。滴る水滴を軽く拭って、私は全裸のまま部屋に戻った。


母はいない。毎朝きっかり8時10分に、真っ黒のパンツスーツを身にまとって、いってきますも言わずに出て行く。車で20分の弁護士事務所に務めていて、母の仕事は主に事務だけなのに給料はいぃというから、多分なかなかの規模なのだろう。私は実際、母について仕事場にいったことはなかった。父は私をよく可愛がってくれていたが、8年前から単身赴任だといってイタリアのフィレンツェにいるらしい。だが今までずっとただのサラリーマンだった父が芸術のイタリアに行く理由などある訳もなく、これが母の口八丁であることは言わずもがなである。事実、イタリアからの国際便が我が家に届いたことは過去一度もない。


私はベッドに腰掛け、そのまま後ろに倒れて寝っころがった。手探りで枕もとに置いておいたリモコンを掘り出し、クーラーをつける。体や髪から垂れる水がシーツに染みをつくったが、どうせこんなことを気にするのは母だけなので放っておいてしまおう。


さて今日は何をしようか。私は学校にいかない。どうせ公立、母は、折角高校にいかせてあげたのに、というが私は大して進学したかった訳でもなく、また母に頼んでいかせててもらった訳でもない。あれだけ頑張って受験勉強に勤しんだ時間が今は無駄に思えて仕方ないくらいだ。


受験戦争。中学三年生になれば誰しもその赤紙を受け取る。少なくとも私の中学では働きに出るという子はいなかった。


私はただ、すごいことがしたかったんだ。


高校に入るにしても、普通ではない所にいったり、すごい推薦をもらったり、一番の成績で受かったり、兎に角受かることを当然としたうえでの、輝かしい未来を思い描いていた。


夜中まで起きているくせに、勉強をするでもなく、自分の栄光にみちた妄想を、布団にもぐりこんでしていた。


空想のなかで私は、みんなに誉められ、羨ましがられ、恐れられていた。


そんな私が高校に行くのを止めた訳は以下の通りである。


私はあれだけの妄想をしてはいたが、結局は地下鉄で15分の県立高校に進学した。同中からも何人か一緒だったが、みんな男子ばかりで私は一切、関わりをもつこともなく、新しくつくった友達とつるんでいた。しかし、いきなりいじめが始まったのだ。


自分でも所詮は上辺だけのつるみ合いだと分かってはいたのだが、クラスに友達がいないのは自分だけであるという虚しさはどうにも耐え難いものだ。昔からいじめを傍観する側になったことはあっても、いじめられたことは無かった私は、あっけなく、簡単に高校ライフから脱落した。


毎朝8時5分から10分まで、母が出て行くまでをトイレでやり過ごしているのは、あの性格である、このことが分かれば無理やり追い出すなり学校に訴えるなり、とにかく面倒くさい方向に持っていくに相違ないからだ。


こうして私はプチ登校拒否を、一週間前から実行中なのである。


評価、感想お願い致します。場合によっては、あらすじの通り、連載小説として始めていきたいと考えております。

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― 新着の感想 ―
[一言] 津浦あゆさん、なかなか良い作品だと思います。 この終わり方だと、充分続きが書けそうですね。 なんだか楽しみになってきました。 連載することにしたら、同じタイトルになるんですか?
[一言] 序盤なのでまだわからないのですが、続き次第ではおもしろくなると思います。もう少し続きが読んでみたいなと思いました。
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