第七十四幕 開店準備
開店を数日後に控えた日、コーデリアはエミーナやララ、それからロニーとともに店の開店準備にやってきていた。内装はすでに完成しており、倉庫のほうも問題はない。外装もあとはつり下げ看板を掲げるだけだ。ここ数日は連日作業に来ているので、各種作業もだいぶ進んでいる。
コーデリアが開く店の名は『コーデリア・フレグランス』に決定した。
コーデリアとしては『パメラディア』もしくは『エルディガ』にするつもりであった。領地の特産品にするつもりなら、そのほうがわかりやすいと思っていたし、そもそも自分の名前を店名につけるとは考えていなかった。
しかしそれに意見したのは魔術師長をはじめとした女性陣だった。いわく、パメラディアではあまりに騎士のイメージが強すぎるとのことらしい。だから女性向けにしては力強さが前に出すぎており、コーデリア自身を知らない人たちにとってはとっつきにくさが先にくるかもしれないとの懸念も告げられた。それならばエルディガではとコーデリアは言ったが、それでもやはり女性名のほうが華やかだとのことだった。
(……お店に人名がつくのはままあることだけど、私がそうなるとは思っていなかったわね)
少々どころかかなり恥ずかしい気もするのだが、魔術師棟の女性陣だけではなく、エミーナもララもその意見には同意していたので、コーデリアもそちらの意見に合わせることにした。
なかでもララの「大人はお嬢様のことを知ってはいても、絶対伯爵様のほうを思い浮かべるわ」という言葉には頷かざるを得なかった。多少名は通るようになってきても、エルヴィスにくらべたらまだまだ『パメラディア伯爵家の娘さん』という状況だ。エルヴィスのことは尊敬しているが、女性向けの化粧品の広告イメージでないことはコーデリアにもよくわかる。
だったら、ここは割り切るしかない。
宣伝するときには多少恥ずかしさを隠さねばならないが、それだけだ。
「さて、気を取り直して……ロニーには昨日入ってきた事務所の棚の組み立てをお願いするわね。エミーナとララはストックの瓶の箱詰めとタグをつけるのを、お願いね」
「はい、お嬢様」
「任せておいて」
化粧品を入れる瓶は魔法道具屋のマスターから紹介を受けた店で作成した。価格は少し上がるが、魔術が施されているため密閉するだけという状態よりも保存が効く。むしろパメラディア家の魔術師棟の女性陣の全面協力で完成した改良容器なので、おそらくこの国で販売されているどの化粧品よりも保存に関しては高品質ともいえるだろう。
加えて見た目にも楽しいように数種類の飾りも施している。
ある程度の勝算があるからこそ行うのだが、本番を前にすればやはり緊張が高まった。ここまでくればそのようなことを言っていられないのはわかるのだが、それとこれとは話が別だ。中身も、今の自分ができる中では最大の努力をしてきた。
(そうなれば、あとは売り場ね)
そう改めて気合いを入れたとき、カランカランとドアのベルが鳴った。
そこで姿を見せたのはケイリーだった。
「お、おはようございます、コーデリア様」
相変わらず視線は下がっており声も小さいが、それでも前回よりは多少は緊張もやわらいでいるようにも見える。ただ、それでも不安げな様子は拭いきれない。
「おはようございます、ケイリー様。今日はよろしくお願いいたしますね」
できるだけ柔らかく微笑むことを心掛けながら、コーデリアはケイリーに挨拶を返した。
試用期間、一日目。おそらく初対面の人間ばかり数人と話すのは厳しいだろうと、コーデリアは今日はまず二人で作業をすることにした。
この店舗へのパメラディア家の関係者以外の立ち入りは初めてで、少し反応が気になったのだが、すでにいっぱいいっぱいのケイリーには内装を見る余裕などなさそうだった。
「……まずは、売り場のご案内させていただきますね」
そうしてコーデリアは店内に並べている商品をケイリーに一つずつ説明した。
扱うものは精油や香油、それから化粧水に乳液などの化粧品の関係や、石鹸、シャンプーなどの入浴関係の者も用意している。浴槽に浸かる文化が浸透していればバスソルトやバスボムも多くおけるのだが、それらの配置はやや控えめだ。一応足湯などで試してもらえればとは思うが、さすがに自宅の改造となると難しいことはコーデリアにもわかっている。興味を持ってもらうにも、今以上にコーデリアのやっていることが注目されなければ難しい。
「あとはこちらには小物も置かせていただいています。やっぱり女性は好きですから、一緒に見れたら楽しいのではないかと思いまして」
「どれも、可愛いです。……こちらは?」
「宝石箱です。もしプレゼントとして考えていただくならその箱にもなると思うのでご用意させていただきました」
天然石やカメオなどで彩られたものや、もっとナチュラルに木の彫刻だけで魅せるもの、さらにはオルゴールが入ったものなど、様々なものを用意した。それ以外にはポプリや、小さな観葉植物も置いている。手入れの必要が少ないサボテンなどをガラスの器とカラーサンドで彩ったものはこの国ではほかになかなか見られない。観葉植物用の栄養剤も、できるだけ可愛らしい形のものを取りそろえている。それからクリスティーナに紹介してもらったコサージュも、商品としてだけではなく棚の華やかさを増すようになっていた。
「コーデリア様は、本当にいろいろなことを考えていらっしゃるのですね」
「私だけで思いついたものばかりではありません。でも、できることで皆さんが喜んでくださるかもしれないことをするのは、とても楽しいです。私の楽しいが皆さんの楽しいに繋がれば、素敵なことですよね」
前世の知識がなければ思いついていないことばかりであるかもしれないし、それもエルヴィスやロニーたちの協力がなければ達成できていない。
それでもその結果が人の笑顔に繋がるならばうれしいし、これからの力で恩返しもしていきたい。その結果、人とのつながりが得られて、いろいろなことが知れたらコーデリアにとっても大きな恩恵だ。
「細かい商品は後々覚えていただくとして……店内はこのような具合です」
「その、今まで拝見したお店とは商品が違っていて、すごく不思議な感じがします……。あの、一つお伺いしたいのですが……そちらのお部屋は?」
ケイリーが視線を向けたのは、今コーデリアたちがいる店内とは区切られたスペースだった。
壁の下半分はナチュラルな木で、上半分はガラスになっている部屋は、この国では珍しい全面ガラスの扉でつながっている。
コーデリアはにこりとケイリーに微笑んだ。
「こちら、実は今日ケイリー様にお手伝いいただきたい場所なんです」
そして扉を開けたコーデリアはケイリーに入室を促した。
部屋の中は仕切りの壁と同じく、腰の高さほどまでは自然な木の色をそのまま使い、それより上は白い壁で覆っていた。
室内にはテーブルと椅子を適度な距離を開けて配置しており、端のほうにはカウンターを設置している。
「ここは……?」
「こちらは、購入してくださった方に少し休憩していただけるスペースを設けたのです。体にいいお菓子を、日替わりでご提供させていただく予定です」
本格的にゆっくりお茶をするような場所ではなく、少し休憩するだけのスペースをイメージしたそこは、庶民向けに『貴族体験』を売りに出したクレープ・ガレット店とは逆のコンセプトだ。
目的は休憩を兼ねた紅茶やハーブティー、それからお菓子の試食提供で、料金は取らず可愛らしい小さなカップとやや健康志向の甘味を提供するという場にするつもりだ。
甘味には寒天ゼリーやトウフを使ったドーナッツ、それから野菜を使ったクッキーやパウンドケーキにマフィン、それからドライフルーツなど、いろいろなものを日替わりで予定している。そしてそれらは購入もできるようにするつもりだ。
「今朝、テーブルクロスが届きましたので、一緒にかけてくださいませんか?」
かけるだけならエミーナたちに任せることもできるが、ここが本当に落ち着ける、貴族に好まれる空間になっているかということをコーデリアは配置しながらもよく考えたかった。あとは、やっぱり自分の店なのだから自分の手で一番最初は用意したいという思いもあったし、ケイリーとも少し慣れる時間がほしかった。
そしてすべてのテーブルクロスをかけ終えたあと、コーデリアは小さなカードと立方体のカード立てを用意した。
「これはあちらの商品の値と簡単な説明を書き記したカードになります」
「カードの右上のマークは……お店のマークですか?」
「はい。ステンシルで飾らせていただきました」
「とても……素敵です。コーデリア様はこれから、より多くの女性の憧れになられますね」
その飾りが気に入ったのか、ケイリーの顔も少しほころんでいた。
しかし、その言葉にコーデリアは苦笑した。嬉しいが、ここまで何度も言われると、自分の実力以上の期待を持たせてしまっているような気がしてしょうがない。だから、少し恥ずかしいが首を振った。
「でも、これに関しては、苦手なことをカバーしているという側面もありますよ」
「苦手、ですか?」
「はい。本当は最初、カードごとにその各々の植物の絵が描けるといいなと思ったのですが、私には難しくて。だから、型抜きさえ作ればなんとかなるステンシルで誤魔化したのです」
外注することも考えたが、使用人たちが気を遣ってくれている以上、コーデリアもできるだけ開店前に出さずに済む情報は出したくなかった。
「でも、お店のロゴはとても上品です。ここに来たって、ほかにはないものだって思いますので、私はこちらのほうが……」
そう、フォローしてくれるケイリーに笑いかけながら、コーデリアは近くに置いていた木箱のなかから一枚のはがきサイズの紙を取り出した。
「結果的に、カードに関しては気に入っていますので、今の物にしてよかったと思っています。ですが、こちら、日替わりで提供させていただく予定のメニューの一例なのですが……ご覧くださいませ」
コーデリアがケイリーに差し出した紙は生成り色で、茶系のインクを使って書いている。
「珍しいお茶の名前に……こちら、ニンジンのケーキ……ですか? こちらに……何か問題が……?」
「問題は中身ではなく、メニューの見栄えです。本当はこちらも飾りを施したかったのですが、毎日メニューが変わって文字の大きさが変わるとカードのように一つのサイズでというふうにはいかなくて。あとは、せっかくメニューをかえるならその日その日で違う飾りにしたいのですが……さすがにそう贅沢もいってられなくて」
発注することも考えたが、この国にはそもそもメニューに飾りを入れるという習慣があまりないため引き受けてくれる職人はそういない上、日替わりとなると少し経費もかさんでしまう。
今のままでも、決して貧相に見えるわけではない。シンプルでも悪くないはずだと信じ、ひとまずこのまま使おうと考えている。
「……」
「ケイリー様? どうかなさいましたか?」
「あの……その……」
口ごもるケイリーは視線をあちらこちらにさまよわせながら、やがて決意をしたようにコーデリアに向かって口を開いた。
「もし、よろしければ……私が、一度お描きしましょうか……?」
「え? 得意でいらっしゃるのですか?」
「あの、いえ、その、得意というほどではありませんし、その、お気に召していただけるかはわかりませんが……」
決意があったにも関わらず、コーデリアの反応で再びケイリーは顔を伏せてしまっていた。
コーデリアは自分の声は驚かせてしまうほどのものだったのかと焦りつつ、慌てて首を横に振った。
「もしケイリー様さえよろしければ、一度お願いさせていただけませんか? 画材については、ステンシルで使っているものならいくつかありますが、ほかに必要なものがありましたらすぐにご用意させていただきますから」
「いえ、そんな……! お気に召していただけるのかわからないのに、それは申し訳ございません。あの、もしよろしければ明日にでも自分のものを持ってまいりますので……」
「よろしいのですか? では、よろしくお願いいたします」
ケイリーが自分のことを話したのは、おそらく初めてだろう。
しかも、それが自らの特技に関することだ。すぐに自信がないような言い方をしたが、本当に自信がなければケイリーが自分からその申し出をするとは思えない。本当に得意なことなのだろう。
「あ、あの。コーデリアさま。その、今から、取りに戻ってもよろしいでしょうか……? お待たせするのは申し訳ありませんので」
「それはもちろん、ケイリー様さえよろしければ。すぐに馬車の手配をさせていただきますわ」
幸いにも、何度か家に荷物を取りに戻る可能性を考えて馬車は近くに待たせている。
ケイリーがどのような絵をメニューに添えてくれようとしているのか、また、ケイリーがどのような人物なのか知るチャンスが訪れたと、コーデリアはとても楽しみになった。
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コーデリアが思った以上にケイリーが戻ってくるのは早かった。
コーデリアはケイリーを事務室のほうに案内した。そこではエミーナとララが作業をしており一瞬ケイリーは驚いた様子だったが、二人とも一礼して作業場を表の方に移したため、ほっとした様子だった。
「今の二人にはこちらもよく手伝ってもらうことになると思いますので、後々ご紹介させていただけたらと思いますね。机は、そちらのほうをお使いください」
「あ、ありがとうございます。あの、コーデリアさま……なにか、ご希望はございますか?」
「明るいものを、という希望はあるのですが……植物や小動物など、優しいものが思い浮かびますが、ケイリー様が似合うと思うものを書いていただければ嬉しいです」
コーデリアの注文にケイリーは緊張した面持ちで頷いた後、持って来た画材を広げた。
ケイリーの画材は、複数の小さなガラスのケースに入った絵の具のようだった。どのようなものなのか興味があるが、あまりに見すぎていれば緊張されるかもしれないと思い、コーデリアは席を外そうかと思った。しかし、そこですでに自分の方にケイリーの意識がないことに気が付いた。
コーデリアが黙って見つめる先で、ケイリーは筆を手に取り水差しに浸した。そして水気を少し布で拭った後、直接ケースの絵の具を筆でなぞった。そして色を含ませ、パレット替わりだろう皿の上で少し慣らしてから紙に筆を走らせていた。絵の具は混ぜるようなことはせず、薄いものが欲しい時はパレットの上に残った色水で濃さを調整しているようだった。
(そんな風に見えるだけで、実際は全然違うのかもしれないけど……)
前世の美術の授業でコーデリアが習った絵の具の使い方とはずいぶん違っているので、自信はない。そもそも下絵なしに直接書き始めるということがコーデリアには不思議な魔術のように思えた。
そうしているうちどんどん手を進めたケイリーが仕上げた絵は、アカツメクサとクローバーの絵であった。それはとても柔らかで優しく、メニューを引き立てるように彩っていた。何より書きあがるまでに要した時間は、ほんの一瞬だった。
「ケイリー様、すごいです。そして……とても、素敵です」
「あ、ありがとうございます……」
コーデリアは思わず見惚れてしまったが、ずっと見ていたことに驚いたのか、ケイリーの声は小さいにも関わらず裏返ってしまっていた。
「なんだか、日替わりのものに書いていただくのはもったいないくらいですね」
「そ、そんなこと……この通り、本当にすぐ描くことができますし、その……ほかで使うことがない、ことですからお役に立てるのでしたら……」
「こんな素敵なことがすぐにできるなんて、ケイリー様の手は魔法の手ですね」
コーデリアの言葉にケイリーは耳を真っ赤にしてうつむいたが、その様子を見たコーデリアは一つのことを思いついた。
「あの……もしケイリー様さえよろしければ、その特技をさらに生かしてはくださいませんか?」
「え?」
「おそらく、これからお土産やプレゼントとして、こちらで商品を購入される方もいらっしゃると思い、メッセージカードをお付けするサービスを考えていました。カードにはレリーフを入れたものをご用意させていただくつもりでしたが……もし、ケイリー様さえよろしければ、ケイリー様のお書きくださる特別なカードも、商品として販売なさいませんか?」
その言葉にケイリーは目を見開いた後、勢いよく首を横に振った。
「いえ、でも、私なんかが……」
「そんなことございません。私にはできない、ケイリー様だからこそ来訪者を喜ばせることだと、私は思います。もちろん、そちらはケイリー様の収入にしていただきたく思います」
そして小さく頷いたケイリーを見て、コーデリアはほっとした。
どうしてそこまで自分に自信がないのかも不思議であるが、ケイリーの良いことを見つけられたことで、これから一緒に頑張っていく仲間ができたことが嬉しかった。