第六幕 お忍び令嬢のエンカウント
翌日午後、コーデリアは温室の出入り口に「実験中」の木札を下げ、こっそりとロニーと共に街へ繰り出した。ロニーが用意したコーデリアの衣装は魔術師のローブで、コーデリアはフードをすっぽりと被っていた。プラチナブロンドの髪は街娘には多くない。赤目に至ってはもっと稀少だ。だからその髪と目の組み合わせを見れば貴族だと誰にでもわかってしまう。その事を危惧したロニーはコーデリアの為の衣装を極力隠せるものとしてローブを選択したらしい。コーデリアとしては街娘の服の方が良かったのだが、そんな理由があるなら納得するしかない。何せ目的は街娘の仮装ではなく、魔力が通るというガラスなのだから。
ロニーに案内された先は中央通りから二つ程外れた通りの一角だった。人通りはまばらで、時折途絶えることもある。だが様々な職人が働いている音がする、そんな工房通りだった。
ロニーいわく『この辺りは全部受注生産だから店番すらあんまり表にでてこないんですよ』とのことである。その通りの中、まるで鍛冶屋のような店の前に立ったロニーは「こっちです」と扉を引いてコーデリアを中に入れた。一歩足を踏み入れると店内にはたくさんの器具が乱雑に置かれているのが目に入る。
そして次に見えるのは――カウンターで瓶入りの酒をあおっている一人の男だった。
「らっしゃい。――って、何だ客かと思えばロニーか。金にならねぇヤツだな」
「酷いよマスター」
「本日の営業は終了だ。何せ城への納入が終わって気持ちよく一杯やってたとこなんだからなァ」
しかしそう言いながらも「まぁ暇だから相手してやる」とにやにや言うマスターはどう見えてもロニーで遊んでいた。一方ロニーはマスターとは対照的に心底疲れた表情で「コーデリア様、こちらこの店のマスターです」と小声でコーデリアに紹介した。
「何だ、今日は子連れか?――お前何時結婚したんだ」
「してませんし俺の子じゃないです。しかもこの子8歳だからマスターの言う通りだと俺11歳のときに子供つくったことになるんですけど。そもそも今日の客は俺じゃなくてこの子です」
「おいおい、ここには魔術の子供入門セットなんて置いてないからな」
「不要です。今日欲しいのは、この子の魔力を貫通させることのできるガラス製の密閉容器です」
やや酔っているマスターのペースに乗せられないようにロニーは淡々と言葉を切って話そうとするが、それでも若干コーデリアの方を気にしていた。貴族の間に無い喋りだから彼も気にしているのだろうとコーデリアは推測する。――しかし、そんな事を気にするようなコーデリアで有ればそもそもロニーを傍に置かないし、そもそもここに連れてきて欲しい等頼んでいないのだが。
しかしそんなロニーの様子をマスターは見ていない。
代わりに「随分マニアックなモノを欲しがるんだな」と面白そうにコーデリアを見た。そして彼の後ろにあった戸棚から一つ水晶玉を取り出した。
「お嬢ちゃん、ここに魔力を込めて見てくれ。いつも魔術を使うのと同じように、だ」
「こう、ですか?」
コーデリアが手をかざし、草花に魔力を使う要領で力を込めると水晶の色が変わった。透明だった石が白い渦を含みだし、様々な色の光がいくつか弾けた。
「OK。これで魔力属性は分かる。……って、これは変わった魔力だな」
「……できますかね?」
少し驚いたマスターに対し、ロニーが尋ねる。マスターは瓶の中身を一気に飲み干した。
「悪いがすぐに渡せねぇな。既存品だと無理だ。俺の想定でこんな魔力持ってるヤツなんて考えたことがねえ。ってか見た事ねぇから思い浮かばなかった。光属性に……なんだこれ、闇も混ざってんのか?土と水も含まれてるな……うわー、えげつない魔力だ。この子何処の子だ?」
「まぁまぁそれは置いといて。オーダーメイドでも難しいです?マスターでも?」
「は?ふざけんな俺を誰だと思ってる?作ってやれるよ。どんな魔力でも魔力が通る穴を作ることくらい俺にゃ容易いってもんだ」
ドンっと瓶をカウンターに置いたマスターに、挑発が成功とばかりに喜ぶロニー。
しかしその横でコーデリアは青くなった。
オーダーメイド!!払えない額ではないだろうが、もしもオーダーメイドでも魔力が貫通しなければどうするのだ。いくつも買えるとは限らない。使えなくても買い取りになるのだろうか?
しかしそんなコーデリアにロニーは「大丈夫ですよ、お嬢様。相手が納得できるものしか渡さないのがこのマスターの信条ですから、むしろオーダーメイドの方が良いんです」と耳打ちした。
「プロ、なのですね」
「良いマスターでしょう?」
「何コソコソ話てんだ、お前ら!ってことで……ロニー!お前が手伝え」
びしっと空になった瓶を向けられ、ロニーは「俺がですか!?なんで!?」と飛びあがった。
「俺はやったことのない魔力の調整をするんだ。それには創造性が必要だ。つまり一人で黙々としていても暇で仕方が無い。だから話相手に付き合え」
「はぁ。……あの、プロの仕事って集中して作るもんじゃないんですか、普通は」
「お前俺が普通だと思ってたのか。魔術師のくせにおめでたいやつだな」
そう言うや否や彼は奥へ引っ込んでいった。
「って、あ、マスター。この子連れて行ってもいいですか?」
「まぁ面白いものでもない……っていっても、魔術師の子じゃ面白いかもしれんな。いいぞ」
案内される……というより置いて行かれたのでコーデリアはロニーに続いて店の奥に進んだ。
奥行きのある店らしく、倉庫らしい部屋を一つ挟んだその奥に工房が存在していた。
そこには一人、女性の職人が居た。彼女はマスターを見るなり「あれ、今日上がったんじゃなかったんですか?」と首を傾けた。
「悪い、来客でな。お前は何するつもりだったんだ」
「今からストックの試験管作ろうと思ってるんですけど……片付けた方が良いです?」
「いや、むしろ都合が良い。俺もガラス使うからその場所よこせ。試験官は明日で良い。お前も今日は上がれ」
「え?ええ、いいですけど。じゃあ、失礼します」
そう言うとマスターは彼女が居た場所を占領した。
まずは物語の中で魔法使いのおばあさんが使うような、中が赤々とした釜にひしゃくのようなものを突っ込む。そして引き抜いたかと思えば次の瞬間、赤く熱されたガラスの液体が台に流される。
「お前ら俺様の仕事を見とけよ?」
そう言うや否やマスターはガラスの液体の上に手をかざした。するとまるで生きているかのように形が変わって行く。気がつけば見事な立方体の形を成していく。
「わぁ……」
すごい、と続けようとした言葉を遮ったのは職人の言葉だった。
「まずいな。……ちょっと悪いがお嬢さんは席をはずしてもらえないか」
「え?」
「お嬢さんの魔力に俺の魔力が引っ張られて上手くガラスに伝わらねぇ。お嬢さんの魔力が強すぎる」
今までとは違う真面目でやや神妙な表情をみせたマスターだが、その顔を見てロニーは面白そうに言う。
「見とけっていったのマスターなのに?俺はお嬢様の魔力に引っ張られたことないぜ?」
「イヤミか。お前は繊細な魔力操作をしないから分からねぇだけだろうが」
「……では、私はお店のほうにいますわね」
ロニーとマスターは本当に仲が良いのか悪いのか、もうその事は考えないようにした方が良いのだろうと思いながらコーデリアは返事を待たずに店の方に足を向けた。見ていたかったが、邪魔になるなら仕方がない。
「あ、お嬢様、くれぐれも店内から出ないで下さいよ。くれぐれも。俺、首と胴体分かれるの嫌なんで」
「ええ、分かっているわ」
後ろから掛る声に行儀悪く立ち止まらずにコーデリアは答え、扉を閉めた。
倉庫を抜け、店に出た所でチリンチリンと入口の鐘が鳴った。お客さんだろうか?マスターを呼んできた方が良いのだろうか、そう思ったが、その思考はすぐに打ち消された。
「おじゃましまーっす……と、って、あれ、ディリィじゃん?」
「……え?」
「よ、何してるんだ?」
そこに現れたのは何とヴェルノーだった。
前回みた金髪碧眼ではなく、茶髪にこげ茶の瞳である。だが顔立ちは間違いなくヴェルノーそのもの。
大体フードを深くかぶってるコーデリアを見て「ディリィ」なんて呼ぶのはヴェルノー以外居るはずもない。色が違うのは恐らくフラントヘイム家の魔術か何かなのだろう。纏っている魔力の質は同じでも普段と波長が若干違う気がする。
「ごきげんよう、ヴェルノー様。この様な所で何を?」
「お忍びだよ。久々の社会見学だな。……って、驚かないのか?大分色違うだろ?」
「驚いていますよ。……随分と慣れていらっしゃるご様子に」
そう、本来随分慣れているはずがないだろうこの場所への彼の出現に、コーデリアは正直な感想を伝えた。本来ならこの場所に現れると言う事に驚かなくてはいけないのだろうが、それを言うならお互い様だ。
ヴェルノーは店内を見回しマスターがいないことを確認してからにやりと笑った。
「大事な事だろ?屋敷に籠ってちゃ見れない世界を知るってのはさ。ウチの護衛を巻いてくるのにいつも苦労する」
「……随分楽しそうな事は大変けっこうですしお言葉も尤もだと思いますがが、少しは自重なさいませ。大事な跡取りがお一人で出歩く事は危険極まりませんよ」
どうやら想定以上のやんちゃ坊主らしいヴェルノーにコーデリアは肩をすくめた。ロニーに無理を言った自分が言うのも何であるが、護衛役が大変だなと思ったのだ。
しかしその言葉だけでもヴェルノーには充分不服なものであったらしい。
「お前男みたいだと思ったけど、母上みたいだな。細かい。それに一人じゃないさ。ツレはいる」
「お連れの方が?」
そう言いながらヴェルノーは「おい」と店に入ってすぐ左手の戸棚の前でかがんで商品を眺めていた少年に声をかけた。彼は今のヴェルノーと似たようなこげ茶の髪と瞳をしていた。ただその魔力波長はややヴェルノーに近く、恐らく彼に魔術をかけてもらっているのだろうと予想できた。
「連れはコイツ。えーっと……名前はジル」
「……一緒にいらっしゃる方のお名前は忘れるものではないと思いますよ」
「そうじゃないさ。ただ、こちらにも色々事情ってのがあるんだよ」
ヴェルノーはそう言いながら「ジル、こっちはディリィ」と手短に紹介した。なるほど、本名を名乗る事を必要としないと言う意味なのだろう。そしてヴェルノーの目はこちらの事は探らせないからあちらの事も探るなと言っていた。
「はじめまして」
「……はじめまして」
コーデリアの言葉にジルと呼ばれた少年はやや声を詰まらせた。
少し人見知りをしているのだろうか?しかしこのままでは微妙な沈黙が生まれてしまう。言葉を続けるか否かと迷ったコーデリアに、意外にもヴェルノーが助け船を出した。
「ディリィは何しにここに?」
「え?ええ、ガラス器具が欲しいと思いまして作成を依頼しに参りました」
「ふーん。やっぱ男みたいだな」
何も言わないジルとは違い、相変わらず遠慮の無い物言いのヴェルノーはそう言ったが、その言葉に対しジルは「失礼だよ」と注意していた。ジルとは紳士な少年だ……!ヴェルノーとの違いにコーデリアは感動しながらもヴェルノーに対等に話しかける様子に気がついた。共にお忍びをしているくらいだから仲が良いのだろうが、その身分も相当高いのかもしれない。
「お二人揃ってこちらにはどのような道具を――」
お求めに?
そう続けようとしたコーデリアの言葉は、店外から聞こえてきた不鮮明な叫び声によって遮られた。
「……子供の叫び声?」
その声はコーデリアの聞き間違いではなかったようで、ヴェルノーがさっと扉の近くに身体を移す。そしてそっとほんの少しだけ扉を開け、外の様子を伺った。すると不鮮明だった声ははっきりと聞き取れた。
「やめてくださいっ、お花、かえして!」
「ここは俺のシマってことだよ、お嬢ちゃん。ほら、」
そのような、子供の声と大人の声が。
「あれは……」
「……また新しいのが流れ着いて来てるな」
「御存じで?」
僅かに扉を開けたまま、しかし身体は外に出さなかったヴェルノーにコーデリアは尋ねた。
ヴェルノーは扉から身体を離し、コーデリアに向かって答えた。
「ああ。王都には様々な輩が集まるから、勘違いしているやつが偶にああいう騒ぎを起こす。子供の花売り相手に自分の力を誇示しようとする馬鹿だ」
「……奥に私の連れが居ます。救援に連れて来ますね」
「いや、それには及ばない。俺の魔術で抑えられるから――って、うわっ!?」
何事も無く話していたはずのヴェルノーが、最後に声を落としながらも押し殺せない程には驚いた声を出した。彼は何かに気付いたようで、慌てて再び扉に身体をつけた。
「……そういえば、ジル様は?」
「やめないか」
コーデリアがぽつりと言葉を呟いたのが早いのか、そのジルはっきりした声が届いたのが早いのか。いや、一番早かったのはヴェルノーがジルの姿を確認する事だっただろう。
コーデリアはその声を聞いた瞬間、ヴェルノーと並んで扉に張り付き店の外を見てしまった。
すると見えたのは一緒に居たはずのジルが堂々としながら山賊かと思う格好をした男の前に立っている。傍には同じ年頃の女の子。
「ちょっと、ヴェルノー様」
「あいつ……勝手に出て行きやがって……これじゃあ俺の魔術がジルまで巻き込んでしまうだろうが」
苦虫を噛み潰したような表情でヴェルノーは呟いた。しかも正面から行くなんて何を考えているんだ――そう呟く表情を見ながらコーデリアは二つの事を悟った。まず一つ目は彼の行動でヴェルノーが出ようとしていた『抑える魔術』が発動できなくなったこと。そしてもう一つは「……あの方、お忍び慣れない貴族様なのですね」と言うことだ。
「ああ。あいつのお忍びは今日が初めてだ。……所でお前、魔術は使えるな?」
「え?ええ」
ジルとゴロツキが何かを言い争っているのを聞き、目を離さないヴェルノーはそのままコーデリアとの話題を急に転換させた。突然何だろう、そう思ったコーデリアの様子など彼は気にも留めず、言葉を続けた。
「じゃあお前の兄上の術と同じようなモノを使い、足止めしてくれ」
「……私お兄様の魔術など見たことございませんが」
「草花を急激に、相手を絡めとるほど成長させる。……あの娘の籠の中の花、お前にも見えるだろう。アレで足止めさえしてくれれば後は俺がなんとかする」
大雑把な説明で聞く兄の魔術をイメージできるかと言えば、全くできない。花を急激に成長させる?何の花かまでは良く見えないが、かごの中の花は小さな花束になっているよう思われる。つまり伸びきっても人を絡めるほど花が成長するとは限らない。
(だとすれば成長ではなく植物そのものの力を無理に引き出す……いわば増幅?私がドライハーブを得るときに、乾燥と一緒にかけている魔力保存の術式に近い……?それを成長と併用する……?でも成長と乾燥は逆の術式……あああ、もう、わからない!)
だが外は緊迫した様子。振り下ろされるゴロツキの拳をジルはひらりと交わしているが、彼は丸腰だ。このままでは良くない事はコーデリアにも分かる。だとすれば出来る返事は一つだけ。
「わ、わかりました」
わからないけど。とは言えなかった。
こんな遠隔操作のような魔術を使うのは初めてだ。しかも難易度の高い成長魔法ときた。
兄達はどうやってそのような魔術を使っているのだろう?イメージしながらコーデリアは両手に力を込めありったけの魔力を蓄える。そうしながらもそっと対象のゴロツキをドアの隙間から覗いた。
(だめだ小さな隙間からじゃ魔法が届かない。外に出ないと、でも手の中の魔力を飛ばすってどうすれば……?)
魔術を操る時に雑念は大敵。しかし分かってはいても考えないで出来ることではない。いやに魔力が揺れているのが自分でもわかる。だがその余波でだろうか、コーデリアの目の奥には何時もと違う景色が映り込んできた。急に視界が赤いステンドグラスで覆われたようになり、そして所々そのガラスが破けている。まるで隙間が出来ているようなその空間を見た瞬間、コーデリアは理解できた。
(魔術が通る穴――って、マスターは言ってた)
空気上に存在する魔力の穴、遠隔操作のヒントはこの破けガラスのようなものなのかもしれない。
そう思ったコーデリアはその隙間に魔力を、そう、例えるなら針に糸を通すように流し込むと決めた。
そう決意した瞬間、コーデリアは扉を肩で開けた。大きなベルの音に驚いたゴロツキ、そしてジルが振り向くのとほぼ同時。コーデリアの放った魔術が少女の花かごの中に届いた。草木は急激に成長し、あっという間に男の両足を絡め取った。同時にコーデリアの視界からステンドグラスの世界は消え去った。
「やったッ」
「オーケイ、上等だ」
コーデリアが叫んだ途端、まだ店内に居たヴェルノーがそのまま小さく何かを呟き、そして手をごろつきの方に向けて翳した。次の瞬間強烈な光がゴロツキにぶつかり、ゴロツキは倒れた。
(スタンガンの要領……かな。私に足止め頼んだのは万が一にもジルや女の子にアレが当たらないようにするためか)
しかしあのゴロツキもまさか死んでないよね、そう思ったコーデリアだが近づく勇気もない。
そして今更であるが、店内に居るよう言いつけられていたので外に居続けるわけにもいかない。だから慌てて店内に足を踏み入れた。かわりにヴェルノーが一歩外に出、「ピュイ」っと指笛を吹いた。
すると何処からともなく影が薄そうな人物が二人程現れ、ゴロツキを回収して去って行った。どうやら護衛を巻いてきたとヴェルノーは言っていたが、そのうちに護衛が追いついていたのだろう。そしてその事をヴェルノー自身も充分理解していたらしい。
だからジルが飛びだすまでは慌てていなかったのか、と、コーデリアは思った。
もちろん自分で飛びだしている以上、ヴェルノーも自分でどうにかできる段階では、居ると分かっていても護衛に助けを求める等しないだろう。そもそも忍んでいる護衛とてヴェルノーがどうにか出来ると思っているからこそ強制的に連れ帰っていないのだろう。だとすればヴェルノーが仮に助けを求めればそれは滑稽だ。事実、彼はジルの唐突な行動が無ければもう少し余裕を持って対処できていたはずである。
「大丈夫?」
「え、ええ……ありがとう」
「気を付けるんだよ」
そんな風にさわやかに言うジルの会話が外から聞こえてくるが(そしてそんなジルに少女は見惚れているように見えるが)、コーデリアが確認できる限りヴェルノーの顔は限りなく般若に近い。怒っている。それもかなり。だからコーデリアは店前に戻って来たジルをヴェルノーが首根っこひっつかんで店内に引っ張り込んだ気持ちも充分理解できたし、その後彼が怒鳴るだろう事も充分予測できたので、一歩下がって軽く耳を押さえた。
もっともヴェルノーの声は耳を押さえたくらいで聞こえなくなるような柔な声ではなかったが。
「『気を付けるんだよ』じゃねえよ馬鹿、何してんの怪我したらどうなると…!」
「痛ッ」
心の底からの「痛い」を聞いたコーデリアはゆっくりと自分の両耳から手を離した。そしてヴェルノーの半歩後ろに立ち、彼に加勢した。
「痛いくらいで済んで良しとしてくださいませ。下手したら貴方は生きていませんでしたわよ」
勿論、そんな事は起こらない――いや、ヴェルノーの護衛が起こさないだろうが、そういう問題では無い。
だがコーデリアの言葉に満足できないらしいジルは半ば睨むようにコーデリア、そしてヴェルノーに反論した。
「でも、放っておけなかっただろう」
「誰もそんな事言ってねぇだろ」
「そうですよ、私も放っておけとは言っていません。ただ状況を汲むべきだと申し上げたいのです。飛びだしていく事は勇気ある行動ですが、無策でしたでしょう。愚行と勇敢は別物です」
そうコーデリアは息つく間もなく窘めた。無策で飛びだす必要性は全くなかった。むしろ落ち着いた行動をとってさえいればジル自身も危険にさらされる事にならなかったはずだ。ジルも多少は思う所があるらしいが、素直に受け入れる気にはならないらしい。彼はぼそりと呟いた。
「……間違った事はしていない」と。
その言葉にコーデリアは留めをさした。
「ええ、間違った事はされていません。ですが――最善の事もなさっていない」
「デ、ディリィ、もうその位に……」
「ヴェルノー様は黙っていてくださいな。ジル様、貴方が怪我をすれば悲しむ人もいるでしょう?」
ヴェルノーの言葉を無視しながらコーデリアはじっとジルを見て言った。ジルは一瞬答えに詰まった様子で何かを言おうとしたが、結局それは何の言葉にもならなかった。コーデリアは肩をすくめた。相手が外見通りの年齢なら無理に言い聞かせて聞くような年ではないだろう。例え分かっていたとしても素直に認められないお年頃というのも想像できる。
(……でも、どうやってフォローしたらいいのかしら)
叱るだけでは相手も納得等出来ないだろう。その理由を伝えていく事こそ大事だとコーデリアは思うが――残念な事にどうフォローするべきかすぐに思い浮かべる事が出来なかった。
ジルが自分を間違っていないと主張するのと同様に、コーデリアも一切間違った事を言っているつもりはないのだから。
そんな微妙な沈黙が流れる中で、均衡を破ったのは驚くほど嫌そうな声だった。
「……ねぇ、お嬢様。なんかさっき嫌に強烈な魔力放出の気配を感じたんですけど?」
「え?ああ、ええ。大きな問題は何もないわ、ロニー」
奥の扉を開け、少しけだるげにコーデリアに話しかけて来たのはロニーだった。ロニーはコーデリア以外に二人も子供の姿が有る事に少し驚いた様子をみせたものの、それ以上に大きな反応は何も見せなかった。
彼は胡散臭そうな表情でコーデリアを見るばかり。……つまりは何も納得はしてくれなかった。
だが流石にコーデリアを問い詰めると言う事はしなかった。これも彼の性格を考えると単に「問うのが面倒くさかった」からかもしれないが、何れにしても尋ねられないと言う事はコーデリアには幸いだった。
もちろんロニーもこれ以上何らかの被害が発生しないように釘を打つ事を忘れなかったが。
「ではお嬢様、私と一緒に奥にお願いします。……正直何されてるのか気が気じゃないんで」
この一言に対しコーデリアはロニーが『本当に優秀な魔術師』で有ると感じた。優秀すぎてなぜ彼が王城に勤めていないのかとても気になるくらいだ。しかし今はそんな事を考えている余裕はない。ロニーから『お店から出ないって言いましたよね』という恨みの籠った視線が痛すぎる。
「ではまた。失礼いたしますわ」
必死で何事もないかのように装いつつコーデリアはそのまま奥の工房に滞在したが、やはりコーデリアの魔力がマスターの精錬を邪魔しその日は結局完成品は出来上がらなかった。
だがコーデリアの魔力成分を水晶玉に映し出した以上、コーデリアが何度も店頭を訪問するという必要はないらしい。コーデリアは『最終的なチェック段階になったら検証を頼むが、それまで用事はねぇな』と断言されてしまった。
ちなみに街に出る理由が無いと言う事にコーデリアは落胆したが、対照的にロニーは助かったと言う表情であった。
(……でも、残念とはいえ計画は確実に前進しているわ)
邸宅に、そして自室に戻ったコーデリアは机の上に並べている本から一冊手元に引き寄せた。
それはコーデリアが書き連ねている実験予定や記憶している薬草の効用や種類、それから現世で集めた薬草の情報を書き連ねた日記帳だ。
「今日は怒涛の一日だったわね」
そう呟きながらコーデリアはすっと文字を書き連ねた。
今日遠隔魔術を成功させた時の感覚を忘れる前に書き連ねたい。その想いからペンを走らせる。恐らく自分以外は読み取れないだろう感覚を思いのままに書きすすめた。
そして区切りがついた時にもう一度今日の事を思い出した。
「あの時、ジル様に『格好良かった』と一言言えば良かったのかな」
別にお世辞のつもりはない。そしてやはりジルがとった行動は褒められた行動では無いと思う。
しかしまるで童話に出てくる王子様のような、颯爽と現れる姿はやはり幼い姿ながらも恰好が良かった。
もしも当事者ではなく、観覧者や花売りの娘の立場だったとすれば……確実にジルが小さな英雄のように映ったように思う。今更考えても遅い事であるし、時間を置いてから伝えると言うのは難しい。ましてやその行動に対し説教じみた言葉を告げてしまった後だ。
(ちょっと意地悪しすぎたかな。大人気なかったかも。反省)
正論が何時も正しい訳ではないと知っているはずなのに。
そう思いながらコーデリアは日記を閉じた。そして一つ決意する。次にもしも彼に会う事が有れば、彼の良い所を見つけ、そこを凄いと告げようと。本名も知らない相手に向かってそう決意すると、不思議とまた貌を合わす機会が出来るような気がしてきた。
「……ジル様は紳士だったわ。だから、きっと次はもっと素敵な紳士になられてるわね」
コーデリアも、花売りの少女程ではないがヴェルノーからの言葉をジルに庇われたのだ。
小さな紳士はきっと将来確実にかっこいい大人に成長するのだろう、そう思うと微笑ましく、湧き上がる笑いを抑える事も出来なかった。
(そうなった時の為に、私もきちんとした淑女になっておかなきゃね)
もしも再会することがあるのなら、想像上の彼に負けない自分にならなくては。
小さな決意がコーデリアの中にそっと灯った。