第五十五幕 対峙と押し付けられた契約と
「いったい何のご用かしら? もしかして、捕まりたくてここへ来たの?」
「そんな奇妙な感情は持ち合わせていないから安心してよ」
「奇妙? 私は貴方を正常な人だとは思ってないわ」
「それは残念だ」
物陰から姿を現した幽霊は姿が見えてもなお気配が薄い。しかしコーデリアの背には緊張が走る。
(まるで蜃気楼みたいなのに)
しかし幻影などとは冗談でも口にはできない。
軽い調子ではあるが、幽霊から与えられるプレッシャーは非常に強い。安心など、どこにできるところがあるだろうか?
(ロニーを待つべきだったわね)
そうすれば捕らえられたかもしれない……いや、そうであれば幽霊が姿を現すこともなかっただろうか。幽霊の用心深さと逃げ足の速さはよく知っている。
(……でも、待って。それだと、今姿を現していることもおかしいわ)
いくら逃げ足が速いとはいえ、それだと警戒が強い王城に立ち寄る必要などないはずだ。仮に”仕事”をしていたというのであれば、見つかるような真似はしないだろう。
(それに幽霊は自ら手を下すわけではなく、観客として物事を楽しんでいたわ)
そう考えると幽霊が直接コーデリアに危害を加えるとも考え難いし、そもそも害意があるなら姿を現す前に攻撃を仕掛けてきていたことだろう。しかし今もなお攻撃する素振りはない。
それでも接触する理由があるとすれば――
「私に、何か言いたいことがあって来た?」
「話が早くて助かるよ。君がここに出入りするって話を知ったから、チャンスがあるんじゃないかって待ってたんだ」
屋敷の外でコーデリアから護衛が外れることはほとんどないので、素直に認めたくはないが、その考えは正解だ。その上コーデリアには本来城は安全な場所であるという意識があり、王子以外の危険要素を考えてはいなかった。
「それにしても、さすがに城の警備は凄いね。この僕が馬鹿みたいな魔力を消費して存在感を消そうとしているのに、忍び入るのはこの場所が限界だ。まったく、もう少しゆるい警備なら楽な仕事も受けられるのに」
「……お望みならば、今すぐ衛兵を呼びましょうか?」
幽霊が言う通りの警戒がなされているのであれば、ここでコーデリアが何らかの魔術を使用するだけですぐに衛兵は飛んでくるだろう。しかし、それでは幽霊に逃げられてしまう。コーデリアはまだ幽霊を逃すつもりはなかった。
(捕らえられるような隙が生まれる……とは思い難いけど、情報を引きだすくらいなら、できるかもしれない)
自身が周囲の反応を楽しむためだったということもあると思うが、幽霊は以前、ことの顛末を包み隠さず話していた。喋ること自体は好んでいるはずだ。捕らえることに繋がる何かを聞きだせるなら――そう思いながら、コーデリアは相手の出方を窺った。
幽霊はフードの下で苦笑した様子だった。
「そんなに怖い顔を向けないでくれるかな。今日の僕は情報をもってきただけだからね」
「情報?」
「うん。結論から言うとバカがとある子供を浚おうとしているって、教えてあげようと思って。誘拐犯を捕まえる気はないかい?」
疑わしい。
声に出す前にその表情を隠さなかったコーデリアに対して幽霊は肩をすくめた。
「僕が正義の味方っぽく振る舞うのがおかしいって? そうだね、僕も面倒な行動はしたくないんだけど仕方ないんだ。いかんせんその子をドゥラウズにまでつれて来られたら、僕にとって迷惑だからね」
「……北に?」
幽霊の本拠地がドゥラウズだということは知っているが、その国から国境を越えて特定の子供を狙った誘拐が行われるなど――そう考え、まさかとコーデリアは息を飲んだ。幽霊は満足そうに笑った。
「心当たりがあるようだね。北にも夢見の少女の噂は少しだけ届いているんだよ。誘拐の首謀者は自分の地位向上を……いや、国家を転覆させるつもりなのかな? そのために少女を手にするつもりだ」
夢見の少女。その言葉を聞き、コーデリアはやはりかと眉をひそめた。
「国家転覆なんて……とんでもないことを考える輩もいるのね」
ヒロインはゲーム内では夢で見た知識を使い、遭遇する事件や人々の悩みを解決するきっかけにしていた。ただしゲーム内では私利私欲にまみれた人間と対峙することはあれど、手を貸す話はなかった。ましてや幼少期に誘拐など起きていなかったはずである。
しかし二年前ですら彼女の噂は占い好きのヘーゼルはもちろん、ヴェルノーやジルも知っていたのだから、噂が広まっていてもおかしくない。それでも他国からの誘拐はコーデリアの想定にはなく、生じてくる戸惑いの感情を抑えるのが精いっぱいだ。
(落ち着かないとだめよ、焦れば、話を聞きだせない)
そう冷静に自分にいいきかせるも、思わぬところから告げられたヒロインの存在はコーデリアを動揺させていた。
「噂を聞く限り、国家を揺るがすほどの力といえるのか、僕は怪しいと思うけどね。でも仮に力が本物で、それがバカに渡れば国は多少なりとも荒れることになるだろう? そうなると困るんだよ」
「国ひとつ滅んでも高みの見物をしてそうな貴方が、意外ね」
「確かになかなか見れるものじゃないと思うけど、どうせあの馬鹿じゃ王家が鎮圧するだろうから特別おもしろみを感じないんだよね。ただ、僕はあそこの名産のお酒が好きだから影響が出たら困るんだよ」
生活に支障がでるでしょう?
そう同意を求められても、コーデリアが頷けるはずがない。
「……どうして私に? 私が貴方を信じたり、協力すると思うの?」
「僕には協力したくなくても、君は不幸になりそうな人間を放っておけないタイプでしょう? それに慎重だから、疑わしい可能性を放置しないはずだ」
幽霊はそういって笑った。
「別に僕が夢見の少女を殺しちゃっても不安は取り除ける。でも君に任せるほうがおもしろそうだし、夢見の力を殺すのも縁起が悪いし。任せるよ」
「縁起?」
「ああ、じゃあ、これは引き受けてくれる君へのサービス。歴代の夢見の力を持つ者は、だいたい最後にはその力を失っているみたいだよ。夢が当たらなくなって、自滅してる。僕も信心深い方じゃないけど、あんまり近づきたくはないよね」
そんな話、あっただろうか?
少なくともゲームの中ではそんな話はなかったはずだから、コーデリアの記憶にはない。もちろん幽霊の嘘の可能性もあるが、わざわざそんな嘘を言う必要が感じられない。
(幽霊は私が出会ったこともない庶民を避けたがってるなんて知らないもの。それより――夢見の力に、そんな話があったなんて、知らなかった)
ゲームでヒロインを操作していたことから、その力を知っていたつもりになっていたが……その子細について、いわば前例の聖女について調べたことはなかった。これは自身のためにも、できるだけ早急に調べなければならないだろう。
「……よく、調べているのね」
「一応力を失った理由も想像はしてるよ、断定はできないけどね。でもまあ、実際は縁起云々よりも君がどうやって誘拐犯を見つけるかっていうのに興味があるだけだし」
「悪趣味ね」
「認識の違いさ。でも、誉め言葉だととっておくよ」
幽霊はそういうと足を一歩後ろに引いた。
「あ、君が動かなければ僕が楽しくないから、君が動いてね。それが情報提供料、契約だよ」
「な……」
「活躍、楽しみにしているよ。君が動けば面白くなくても文句は言わないし、余計なことはしないからさ。僕の情報提供を秘匿したまま、誘拐犯に辿りつくのがゴールだよ。頑張ってね、コーデリアさん」
次の瞬間には幽霊の姿は遠く、小さくなっていた。気配もすでにたどれそうにない。
「……逃げられた、か。幽霊自身の情報は何も引き出せなかったわね」
サイラスですら取り逃がしたことのある相手にコーデリアが追いつくことは難しい。そのような中で呟いた言葉は自身が想像していたより苦々しく、苛立ちが抑えられない声色だった。
かつてのシルクの事件の件。今日、目の前に現れた件。
そしてヒロインのことをコーデリアに押しつけた件。
そのすべてが苛立ちを増幅させる。
けれど、それは今は抑えなくてはいけない。
(ゲーム通りなら、ヒロインがクライドレイヌ伯爵家に引き取られるのはそろそろのはずよ、ね)
そうなれば、ヒロインが浚われる心配はなくなるはずだ。クライドレイヌ伯爵家はパメラディア伯爵家と並ぶ名門だ。迎えまでに誘拐されることがなければ、きっと誘拐犯の計画は失敗に終わる――
(――なんて、待っていられないわよね。いつ迎えがくるのか、わからないもの)
関わりたくない、関わりたくない……そう、王子に対する気持ちと同じくらい自らの中で拒否反応が起きている。
けれど、シナリオ通りにことがすすむ保証なんてどこにもない。現に自分は物語とは別の人生を歩もうとしているではないか。
「……」
コーデリアは唇を噛みしめた。幽霊の言うとおりだ。
(知ったら、放っておけるわけないじゃない)
ゲームでは、彼女に救われた人もいた。
コーデリアにとっては極力関わりたくない、自分の運命を左右しかねない人物ではあるが、一人の少女に対する誘拐予告を知っていてもなお放っておけるような神経は持ち合わせていない。それに幽霊が言ったように、本当に夢見の力を利用しようとする輩に彼女が浚われてしまえば……それは自分だけの問題ではなくなってしまう。
「……そうよ、私のためだけじゃない」
コーデリアはぽつりと呟いた。言葉にしなければ、関わる覚悟が鈍る気がしてしまった。情報源は気に入らないし、暇つぶしのために幽霊にからかわれているだけの可能性だってある。
(いえ……ただ、からかうために来て、満足するような相手じゃない)
そもそも何もないのなら、何もないという確証を得なければならない。
(こんなこと本来なら絶対にお父様に相談しなければいけないことだわ)
しかし幽霊はこの話を契約だと告げてきた。破れば……コーデリアを後悔させるためだけに夢見の少女を殺す可能性も考えられる。二年前、幽霊が人の絶望する顔を楽しんでいた姿、そして殺人に対しても躊躇いを見せない様子をコーデリアは忘れていない。
(私が、行くしかないわよね)
出された条件は幽霊から得た情報の秘匿とコーデリアが動くということで、最中で得た情報を、エルヴィスやサイラス、それからイシュマに伝えることはルール違反でないはずだ。
ならば、エルヴィスたちに早く伝える為にも、早急に誘拐犯を見つけ、報告できるだけの証拠を集めなければならないだろう。それができればヒロインを守り切ることもできるはずだ。
(だいたい、今のままじゃ噂の域を越えない情報でしかない。お父様たちが動けるだけの確証を見つけないと……)
そして、すべてを託してからこの状況から急ぎ離脱すべきだろう。
(……見ていなさい、幽霊。今回は私を使ったつもりでしょうけど……必ず貴方の尻尾も捕まえてやるわ)
そうコーデリアが心の中で吐き捨てた時、遠くから聞きなれた足音が近づいてきた。
「あ、お嬢様! こんなところにいたんですね。もう、勝手に移動しないでくださいよ」
そうは言いつつも、ロニーは「この辺も綺麗ですねぇ」と、まったりとした様子を見せていた。コーデリアは小さく息を飲んでから、にこりとロニーを見上げた。
「ねえ、ロニー。帰りに魔女先生のところに行きたいのだけど、ちょっと遠回りしてくれるかしら?」
「いいですけど、どちらを経由されるおつもりで?」
「教会を見てみたくて。ステンドグラスが綺麗だって、本で見たのよ」
「……珍しいですね」
何かに気付いてくれた、そんな声色に聞こえたのはコーデリアの都合のいい解釈かもしれないが、反対されなかったことにひとまずは安堵した。