第五十四話 それぞれの警戒対象
2017年5月12日、
ドロップ!! ~香りの令嬢物語~ 3巻 無事発売いたしました。
いつもありがとうございます ( *・ω・)*_ _))ペコリ
夕食を終えたコーデリアは、自室でシルヴェスターへの手紙を綴った。
使用した便箋は普段自分が使っているようなものではなく、無地で家紋のすかしが入っているパメラディア家ものだ。どうも慣れないことをしている気分になるが、それは仕方がない。
(……あとで一応お父様に……いえ、お兄様に見ていたこうかしら)
個人的には「苦手な相手に書くだけでもエライ!」と思うのだが、相手は王族だ。ないとは思うが、礼のつもりが失礼になるようなことがあれば大変よろしくない。
これも本当ならエルヴィスに頼みたいところだが、いろいろと隠す必要があるので、今回はやはりイシュマを頼るべきだろう。
(殿下からお菓子を頂戴したなんて、とてもじゃないけど言えないわ)
喜び勇み手紙を書いているとエルヴィスに誤解されては困る。違うんです、これはむしろ後々までひっぱらないための礼なのです。ただ、黙っておくのも気が引けている。
「でも……殿下も『こっそり』と仰ってるんだし、ここは殿下に従うべきよね」
自分言い訳をしたコーデリアは、ペンを置いてイシュマの部屋に向かった。
手紙に目を通したイシュマからは、問題ないという返事はもらえた。イシュマは「本当に仕事の文章みたいな、子供らしからぬ手紙だね」と笑っていたので、理想的な形で御礼状は仕上がったようだった。
その後は自室でヴェルノーに宛てて手紙を書き、シルヴェスター宛のものも同封した。ヴェルノー宛の手紙にはシルヴェスターに渡してほしいという旨と、これで転倒の貸し借りはなしにすると遠回しに記載しておいたので、確実に手渡ることになるだろう。からかわれることも、ないことを願っている。
そして翌日。
少し早い昼食を済ませたコーデリアは、ロニーを伴って昼前から馬車で大書架へ向かった。
「そういえばお城から事務所までの間に、おいしいケーキをいただけるお店があるとエミーナから聞いたのだけれど」
「お昼も早かったことですし、とてもいいアイデアですね。じゃあ、おいしく甘味をいただくためにも、先にしっかり頭を使っておかないと……どんな分野を読もうかなぁ」
コーデリアはその返答を意外だと思った。
ケーキを楽しみにするだろうことは予想していたが、ケーキの種類には触れず、大書架のことを口にするのは想定外だ。
(ロニーも、思っている以上に楽しみにしてるのかもしれないわね。そうなれば、あまり私のお願いで閲覧の邪魔をするのはよくないわね)
外出時は護衛も兼ねているとはいえ、城の中の、しかも大書架という限られた建物の中で常に側に控える必要もない。昨日のように人がほとんどいないのであれば、自分で梯子に上っても問題もないはずだ。そのために、今日のドレスは装飾だって控えめなのだから。
(ロニーのおかげで許可証を手にすることができたんだし、この辺りは臨機応変にかんがえるとして、と)
馬車が止まる音を聞き、コーデリアは小さく気合いをいれた。
「さあ、いきましょうか」
昨日きたばかりの城に、再び参上する。
一昨日までならこの状況だけでも悲鳴を上げたくなると思っていたが、コーデリアの心は意外にも平静だった。
(今までは王子様にいつ遭遇するかわからないって思ってたけど……王子様がいないところに行くってわかってるから、安心なのかしら)
全く思うところがないわけではない。
仮に大書架と同じものが街中にあれば、コーデリアは迷わずそちらに向かうだろう。けれど街中には大書架同様のものは存在しない。だから仕方がないという面もあるし、意図は違うが、きっとクライヴが遭遇しないように図ってくれていることだろうことも知っているので、登城に限れば以前ほど恐れは強くない。
「最後、敵意は引っ込んでた気もするけど好感とまでは変化していないでしょうし……警戒は続いてるわよね」
「どうかされました?」
「なんでもないわ。ああ、ロニー、そっちは違う方向よ」
ここは曲がるの、と、コーデリアは昨日クライヴに教わったばかりの道をロニーに伝えた。
もうちょっと早く言ってくださいと聞こえたきもするが、あまり気にはしない。
入り口で許可証の使い方を説明し、コーデリアはロニーと共に大書架の中に入った。
「おおー。これはまた、すごいたくさんありますねぇ」
「……そのわりに、あまり驚いてるようには見えないわね」
感心した様子ではあるものの、特別驚いているようにも聞こえない。楽しみにしていると思っていたので、もう少し驚くかなと思っていいたのだが……
「まさか。とても驚いてますよ。これ、全部でいくらかかるんでしょ」
「……。そういう興味のもちかたなのね」
「でも、なんにせよ。ここなら入り浸って一日終わっちゃいそうですね。あ、ちゃんと移動図書館の事務所にはいきますよ」
いや、やはり期待は高そうだ。甘いものを食べにいこうと言っていたことも忘れていそうなロニーの様子にコーデリアはほっとした。
「ロニーも今日は初めてだし、好きな本を見てきたら?」
「いいんですか?」
「ええ。せっかくの機会だもの」
「うーん、でも、お嬢様……」
「私のことは気にしなくてもいいわ。私も見たい本があるし」
「じゃなくて。……まあ、いいか。お嬢様も、ここじゃなにするかわからないってこともないだろうし」
「あのね、聞こえてるわよ?」
さっきの微妙な返答はコーデリアに気を使ったわけではなく、コーデリアの行動そのものを懸念したものだったらしい。
いったいどれほど暴れん坊だと認識されているのか。
自ら渦中に飛び込むようなことはしていない……そう考えたが、それなりにトラブルには見舞われた経験もあるなと思い直した。自発的ではないとはいえ、ロニーの懸念は正しいかもしれない。
しかしそれでも、ここから出なければさすがに問題はおきないだろう。
「私は地下に降りるわ」
「了解です。じゃあ、俺は一通り見てから地下に行きます」
細かい時間はあえて決めていないが、事務所に寄る時間を考えればなんとなくは互いに認識できてはいる。きっといい具合の時間になるだろう。
コーデリアは階段を下り、昨日クローブの記述を見つけた書架の前まで一人歩いた。昨日と同じく本だらけの通路に、たしかに予定さえなければここで一日過ごすのも悪くないと思ってしまう。
「ほんと、時間がもっとあればいいのに」
そんなことを呟きながらコーデリアは梯子に手をかけた。
この身体になってから梯子を上った経験はないが、前世ならジャングルジムや雲梯といった遊具で遊んだこともある。昨日ほど汚れに気を使う必要はないとはいえ、ドレスの裾はやはり多少邪魔でもあるが、無理だとも思わない。
(よし取れた、と。でも、隣のも気になるわね)
厚い本は少し重たいので、何冊も重ねて梯子を降りるわけにもいかない。そんなことをすれば途中で傷めかねない気もする。そう考えたコーデリアはまず一冊を手に取り梯子を下りると、手に取った本を近くの机に置いた。
(よし、もう一回登ろう)
気合いを入れなおしたコーデリアは再び梯子に足をかけた。二度目となると先ほどよりも動作に迷いはなく、あっというまに手に取ることができた。さあ、もう一度降りよう。
そう思った時、コツコツと足音が近づいているのが聞こえた。
「ロニー?」
回ってくると言っていたのに、もしかして地下から回る方針に変更したのだろうか? しかしそれにしては足音が少し軽い気もする……などと思っていれば、姿を現したのは眉間に皺を寄せたクライヴだった。
クライヴは、コーデリアを見た瞬間目を見開いた。
そんなクライヴをみながら、コーデリアは冷静に考えた。
(……今の私は、ちょっと令嬢らしからぬ状態よね)
梯子の上からご挨拶、とはあまりにもよろしくない。
コーデリアは本を大事に抱え、さっと梯子から降りた。
「ごきげんよう、クライヴ様」
そして、何事もなかったかのように挨拶をした。
梯子に上っているところを見られてしまったから仕方がない、という開き直った部分もある。しかし堂々としていればいい。
恥ずかしがる方が、やましいことをしたようにみられてしまうではないか。
(そうよ、ここには研究者として招いてもらっているんだもの。令嬢よりも、この場では一人の研究者として梯子くらいって言い訳もできるはず――)
いや、それでもできれば発見されたくはなかったけれど。
そうコーデリアがこの場をやり過ごす言葉を考えていると、クライヴは荒げた声を上げた。
「貴女は、いったい何をしているんですか!」
「どうなさいました、ずいぶん慌てなさったご様子で」
「どうもこうも……非常識でしょう!?」
そう言って詰め寄ったクライヴは梯子に足をかけていた。
「なにの本が欲しいんですか」
「いえ、欲しい本はもうとりました」
「……」
ずいぶん親切な、そして予想外の申し出には感謝するが、すでにその梯子に用はない。だからクライヴの眉間の皺がより一層深くなろうが、これはどうしようもないことだ。
それにしてもずいぶん行動と言動が一致しない人だなと思いつつ、コーデリアは笑うのをこらえた。ここで笑ってしまえば不興を買うことくらい理解している。だからあくまで冷静に……が、大切だ。
「危ないとのご指摘だったのですね。ご配慮、感謝いたします」
「当然です。落ちて怪我をされてはたまらないですから。昨日の怪我もあるでしょう」
「昨日の私には怪我はございませんでしたよ」
知ってるだろうと笑顔で切り返せば、クライヴからは胡散臭そうな表情が返された。「いつ怪我してもおかしくない」とその顔が言っているきもする。しかしあくまでにこにこと笑顔で無言を貫いた。
そしてクライヴが「本当にヴェルノー殿とよく似ておられる」と言ったのも聞き流した。
「しかし、令嬢ならば振る舞いに気をつけるべきだろう。確か許可証を与えられたもう一人は使用人ではないのか? 今日はきていないのか?」
「彼がこの場所へ来るのは、使用人としてではありません。そして私も令嬢としてここにきているわけではありませんし、研究者としてはむしろ私が見習いですわ」
「……貴女は男性の好みだけではなく、考え方もずいぶん自由なのですね」
遠回しに、変人だといわれたことは理解できた。
しかし、その声に敵意は感じられなかった。
「受け入れがたい思想ですか?」
「悪いとは言っていません」
声色の通り受け取れば、確かにその通りのように聞こえる。
一方で同意が得られない辺り、やはり彼にとっては誉められた行動ではないのだろう。
あまり話を長くしても溝が深まりかねないと思ったコーデリアは、急ぎ話題を変えることにした。
「ところで、どうして今日はこちらに?」
自身が持つ通行許可を入場証と言ったクライヴが、用もないのにこの場所に立ち入る訳もない。すると彼は苦虫を噛み潰したような表情を見せた。
「ヴェルノー殿と殿下の姿がみえなかったから探していただけだ。おおかたいつもの庭にいらっしゃるのだろうが、ご令嬢がこちらにきていると伺ったので、もしやと思い寄ったにすぎない」
「……」
どうやら、前言撤回せねばならないようだ。
クライヴはまだまだ自身ことを危険人物だと思っている可能性が高い。
(それでも直接敵意が向けられるわけじゃなさそうだし、今度こそ本格的に問題はなくなりそうね)
単に王子と遭遇させたくない令嬢というだけの位置づけなら、コーデリアにとって不利益は何一つない。それどころか万が一シルヴェスターに遭遇しても、即時回収してもらえるという保障がついてくるのだから、ありがたいというほかない。
完全無害で認識されていたらそれも難しいかもしれないが――
(いえ、根本的な問題はヴェルノー様が勝手に連れだしてることなのだから、無害って思われていてもかわらないか)
しかし、いずれにしても一つだけ言えることがある。
「大変な苦労をなさっていらっしゃるのですね」
「……」
本当にお疲れ様ですと、コーデリアは心の中だけで付け加えた。
それに対しては無言という返答がすべてを物語っていた。まことに気の毒なことである。
「……貴女はずいぶんと喋るご令嬢なのですね」
クライヴの図った話題転換は非常に苦しい。本人もそれが分かっているからだろう、言葉にしたあとに視線を逸らしていた。
しかしその気まずい思いをする原因の一端は自分にもあると思い、コーデリアはあえてその話題に乗ることにした。
「申し訳ございません、静かなほうがお好みで?」
冗談まがいに言ったのは、クライヴの話題転換を手伝うためだ。
だが、コーデリアの言葉にクライヴは思いの外呆れた様子を見せた。
「私の好みなどあなたには関係ないことでしょう。単に貴女の外見は伯爵やサイラス殿に似ているのに、よくしゃべると思っただけです。しかし、かといってイシュマ殿のような控えめなご様子もないようだ」
「あら、クライヴ様は、我が父とお話なさったことがあるのですか?」
半分は聞き流しながらも、コーデリアはその件に関しては首を傾げた。もしも噂だけではなく、実際に会話した上でエルヴィスが要注意人物だと思われているのであれば、それはどのような理由だったのだろうと気にはなる。
しかしコーデリアの問いかけにクライヴは眉をひそめた。
「伯爵が私に用があるように思うのですか? あるとすれば、睨まれたことくらいですよ」
「あら、それは単なる標準のお顔だったのだと思いますわ。お父様とサイラスお兄様は表情が豊かではございませんので」
コーデリアとしては一番可能性が高いことを述べたのだが、クライヴは胡散臭そうにコーデリアを見るだけだ。それでもコーデリアは間違いないことだと思っている。
「家でも、父は難しい顔をしていることが多いですもの」
「……その伯爵が理想とは、本当に大概な趣味をしていらっしゃいますね」
「人それぞれですし、そのお顔で言っているのではございませんわ。もちろんお疲れではないかと、心配はいたしますけれど……難しいお顔といえば、クライヴ様も同じではございませんか? その調子ですと、お若いのに、眉間に皺が固定されてしまいますよ」
コーデリアはクライヴと出会って間もないが、彼は八割方眉間に皺を刻んでいる。それが深くなるかどうかくらいで、消えるのは驚いた様子を見せるときだけだ。
「そんなことはない」
「そうでございますか?」
「……万が一にも私がそのような表情をしているとしたら、今に限っては貴女の責任でしょう」
「あら、それは申し訳ございません」
いや、それだけではないでしょう……などとは言わず、軽く流すとクライヴは深くため息をついた。
「私は貴女ほど気楽に構えている余裕はないのです。侯爵家とはいえ三男、早く自分の明確な立ち位置を確立しておかないと……」
そうして早口に小さくつぶやいた言葉は、中途半端に切られた。
小首を傾げたコーデリアに、クライヴは決まりの悪そうな表情を浮かべた。
「……申し訳ない、聞き流してください」
その言葉でコーデリアはなんとなく自分に対する辛辣な物言いは八つ当たりも含まれていたのかもしれないと想像した。
慎重な性格だから、王子に悪い虫がつかないようにと図っていたのかと思っていたが、今の発言を聞く限りはどうもそれだけではないらしい。
(でも八つ当たりはともかく、保身については当然考えることよね)
コーデリアはその立場になっていないので考えたことはなかったが、同じ立場であれば安定した立ち位置を求めることはするだろう。方向性は違うが、コーデリアが王子を避けているのだって保身のためだ。むしろ安定した未来を求めて何が悪いのかと言いきれる。
確かに口にしてしまえばクライヴのように決まりが悪くなるだろうが、多かれ少なかれ、誰だって思うことなど気にしない。
(でも、だとすればよけいに安心できる人だわ。殿下とヴェルノー様の振るまいを咎めず、見逃していた方が気に入られるし楽でしょうに)
ただの取り巻きではなく、職務に忠実であるという前提を崩さない――それだけではなく、自身の都合にさえ嫌悪感を見せる潔癖な姿勢は信頼できる。
しかしそう思う一方、彼の眉間にやはり常時皺が刻まれてしまっていることが余計に気になる。潔癖は結構だが、少々度が度がすぎているのではないだろうか。
彼にとっては人生が懸かっていることなのだろうと理解した上でも、少し根を詰め過ぎて息苦しくなったりはしないのだろうか? と、疑問がわく。肩が凝りそうだ。もしかしたら息抜きもあまり上手ではないのではないだろうか? いや、そもそも息抜きができる人なのだろうか?
「……」
「どうかされましたか」
「クライヴ様、失礼ですが趣味はおありで?」
「趣味? 必要ないだろう」
「では、息抜きはどうされますか?」
「なぜそのような時間をとる必要がある」
きっぱりと切り捨てる物言いに、コーデリアは顔をひきつらせた。
いくらなんでもそんなことはないだろう、と、一番ハードルの低いものを告げたつもりだったが、彼は見事に蹴散らしてくれた。
(息抜きもしないの……ね……)
人に迷惑をかけない範囲であれば、趣味の内容は自由だと思う。多趣味で広く浅くでも、一つのことに集中していても、そもそも趣味というほど傾倒しておらず移ろいやすくとも、例え昼寝であっても気分転換になるなら、それで十分だろう。
しかし、あまりのクライヴの即答は、そもそもそんな時間すら必要ないといっているようだった。いや、実際言っている。
時間に忙殺されている、繁忙期なら仕方がないかもしれない。
ただ、彼の物言いは常時そのような様子であるように聞こえてしまう。
「クライヴ様。人生において息抜きとは大切なものです」
「なぜだ」
「自分を労る時間を持つことができなければ、心も体も酷使され、視野も狭くなってしまいます。クライヴ様は肩に力も入りすぎですから、肩こりもひどいのではないでしょうか? 頭痛や不眠にもつながりますよ」
コーデリアの連続する問いかけに、クライヴは少したじろいた様子だった。
しかしさすがに王子にものが言える、気も強い青年だ。彼はすぐにコーデリアを睨み返した。
「ならば、伯爵にも趣味とやらがあるというのか?」
「ございますよ」
「……あの、伯爵にか?」
「クライヴ様は私の父をなんだと思ってらっしゃるのですか」
いや、以前父親の肩凝りが酷かったことがあるのは重々承知しているが、その時でさえ乗馬や剣術といった気晴らしはしていたはずだ。いや、それはある意味元の職業病だっただけではないか……? とも一瞬思ったが、趣味は趣味だ。そう言い切ることにした。
そもそも今のエルヴィスは昔に比べて疲れが少ないように見えるのだし、問題もないはずだ。
「貴方が倒れれば、殿下もお気になさることでしょう。趣味も仕事を効率的に行うためと思えば、試してみる価値もあるのでは?」
まあ、その悩みの種がヴェルノーとシルヴェスターだというのなら、彼らの行動にも改善を要求する必要もあるのだろうが……そのあたりはコーデリアにとっては管轄外だ。
「……」
「何か、仰りたいことが?」
「貴女は私のことを視野が狭いと言いましたが、貴女も知っていますか? 伯爵家の財を食いつくすご令嬢だと、噂されていることを」
唐突な話題の提示に少し驚くも、それが嫌みでないだろうことは想像ができる。クライヴはわざわざ藪をつつくような真似をしないだろう。
彼がコーデリアをシルヴェスターから遠ざけようとしていたのは当主と仲の悪い伯爵家の娘だからではなく、悪評がシルヴェスターにも降りかかるのをおそれているのかもしれない。
……いや、当初からの会話を思い返せば、その悪評通りの令嬢だと想像していた可能性も非常に高いが。
(温室の件は有名だし、私がお父様に高価なものを求める印象を持つ人がいてもおかしくないわね。もっとも、王家に同様のものが採用されているから、一般的には我が家にあるのは試作品に思われているのも知っているけど)
そんなことを思いながらコーデリアは肩をすくめた。
「初耳ですが、驚くほどの噂ではございませんね。気分はよくありませんが、反感を招かない人間など、どこにも存在しないでしょうから」
もしも本当にエルヴィスに金銭をねだっているのであれば、よろしくはないことだろう。しかしすでにコーデリアは交易で自身で使うための金銭を得ている。後ろめたいことなどないし、何かを言われれば反論することもできる。逆にそのような相手と交渉することがあれば油断も誘えるだろうから、一概に不利益だということもできない。有利な立場にたつことこそが、相手への報復ともなるだろう。
「気にする価値もない、と? それを人は油断と言うのだと思いますが」
「そうですわね。でも、本当に問題があれば……私の父が、黙っていると思われますか?」
「伯爵が、ですか。やはり、貴女は警戒せねばならない相手のようですね」
そうして堂々と警戒していると告げられ、コーデリアはクライヴとある程度打ち解けた気がした。
確かに刺々しい言葉ではあるが、それでも毒気は薄れているような気がする。……ただし昨日も似たようなことを思ったので、見当違いかもしれないとも頭の隅にはおいておくが。
その後「こんなところで時間をつぶしている場合ではなかった」と言ったクライヴはヴェルノーたちを探すために去ったが、すでにそれなりに時間は経過してしまっていた。クライヴには悪いが、結果的にヴェルノーたちはさぞかしゆるりとした時間を過ごしたことだろう。
その後折を見てやってきたロニーに馬車の手配を任せ、コーデリアはその間、少しだけ大書架の近くに植えられている花を眺めていた。
丁寧に手入れされている花は知っているものであるはずなのだが、少々花弁の縁の形や色が珍しいもので、特別な品種なのだと感じた。
(王妃陛下が草花の品種改良をなさっているというお話を、ヴェルノー様のお母様から聞いたことがあったけど……これも、そのお花なのかしら)
興味は湧くものの、直接聞くチャンスはない。例えチャンスがあっても、大変失礼ながらお近づきにもなりたくはない。しかし次に大書架に通った際には、それに関する書物も見つけられるかもしれないとコーデリアは思い直した。王家の書庫なのだから、きっと存在するはずだ。
しかしそう思ったとき、コーデリアはふと視線を感じた気がして周囲を見回した。
どこからかはわからない。けれど、確かに無言で呼ばれているような気がする。
「……誰?」
小さく呟いたところで、聞こえる範囲には誰も認識することはできない。気のせいかと思う反面、気味が悪いとも思ってしまう。
(ここは城の中よ。警戒網だって十分なはず)
そう思いながらコーデリアはゆっくりと視線を感じる方へと移動した。
ロニーが戻るまで待つことも考えたが、送られる視線に悪意や敵意など、まがまがしいものは感じられない。少し見て戻ってくるだけだ――そう考えながらコーデリアはゆっくりとその場を離れた。
視線を感じたのは、人の気配が感じられない方向からだった。警戒を高めるためにコーデリアは目に魔力を込め、周囲の気配を探った。
辺り一帯には警戒網が敷かれている様子だが、最重要部からは離れているからなのか? コーデリアの数歩先からは、今立っているところよりも少しだけ警戒は薄れているようだった。もちろんそれでも十分な警戒だとは思うのだが、どこか違和感が強い。
これ以上は前に出てはいけない。
そうはっきりと感じ立ち止まったコーデリアは、何もないはずの空間に問いかけた。
「そこに、誰かいるの?」
いるはずがない。
そういう前提ではあるが、風が通り抜けると同時、返答が戻ってきた。
「久しぶりだね、パメラディアのお嬢さん」
それは、久々に聞く、けれど絶対に聞きたくない声だった。
「……あなたがどうして、ここに? 昼間から幽霊のお出ましなんて、期待されていないわよ?」
二年ぶりに聞く声に、コーデリアからは低い声が自然とこぼれた。
『小説書き始めて三周年セルフ記念祭』というノリで、中編連載はじめました。
タイトルは『かつて聖女と呼ばれた魔女は、』。
不老不死の魔女と騎士の青年のお話で、約一か月、毎日0時に更新しています。
もしお時間ございましたら、よろしくお願いいたします。