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第五十二幕 大書架への入場

 クライヴは迷惑そうな表情を浮かべてはいたものの、結局医務室を通って正面の門まで向かった後、大書架までの道のりをコーデリアに案内した。


 道中は特に会話もなかったが、正面門からの道のりをわざわざ案内してくれるあたり、彼はずいぶん律儀な性格をしているようだ。


(王子様の部屋からの道でも、医務室からの道でも、もう通ることもないものね)


 愛想はない……というよりも嫌われている様子であるのに、後々困らないように案内してくれることにコーデリアは感謝した。

 しかし、彼の背中から『話しかけてくれるな』というオーラが伝わってくるように感じ、その言葉はまだ伝えなかった。コーデリアが口を開くこと自体に顔をゆがめられるだけのような気がしているので、できるだけ礼はまとめて伝えた方が、彼の気分を害することも減るだろうと思ったからだ。伝える気ではいるが、一応、後にしたい。


(それより、せっかく案内いただいているのだもの。目印になるものを見ておかないとね)


 大書架はコーデリアが思っていたよりも奥まった場所にあるらしい。

 しかし城という場所は建物すべてに統一感があるので、数度通えば慣れるだろうが、一度で覚えられる自信はない。それでも、この案内を無駄にすることはできない。目印になるものは少ないが、それでも木や装飾など、特徴があるものを必死に探した。次に訪ねた時に迷子になってしまっては、あまりに格好が悪い。きっと次の機会にはロニーだって一緒にいるのだろうから、情けないところは見せたくない。


(それに……迷子って、すごく……すごくイヤな伏線になるかもしれないわ……)


『迷子の令嬢と王子様の遭遇』というベタなシチュエーションは、前世でも、この世界の小説でも目にしたことがある。

 そんなもの、物語の中だけで充分だ。絶対に再現してはならない。ならば迷子の可能性もとことん排除するべきだろう。


 しかし、自身に対してはそう思う一方、コーデリアもその物語自体は理解できる。

 もしも不安に思っている時に助けがきたというのなら、相手のことがきっとまぶしく見えるはずだ……と。


(そもそも『コーデリア』が出てきてたゲームをやってたのも、そういうシーンを見ることに興味をもったから、なのよね……)


 ただ、コーデリアは恋愛が絡むゲームを多くプレイしていたわけではない。

 ゲームの最中はヒロインの幸せを見守る保護者のような気持ちで楽しんだのだが、ふと『私ならどうだろうなぁ』と、ぼんやり考えてしまった時に、なんとも言葉にし難い、むず痒いような恥ずかしいような気持ちが湧き上がったからだ。『私はこんなヒロインみたいな純真な人間じゃないのに何考えてるの!』と自分に何度突っ込みを入れたかはわからない……などと言いつつもしっかり遊び尽くしたのだが、時折そのように悶え苦しんでいたので、新たなゲームは購入できなかった……と、言ってもいい。小説や漫画でも似たような症状を覚えたが、それでも音声があるゲームの力は格別だった。

 もちろん、そのゲームに満足したからということも理由だったのだが……いずれにしても、もしも他人にゲームをしている光景を見られていれば、一体どう思われただろうかということはあまり考えたくはない。


(……でも、そうね。もしも迷子になって、殿下でない方が仮に親切にしてくださったら、もっとお話がしたい……って、思うかもしれない、かな)


 しかしやはりそんなことを考えると、頬や口元が不自然に動きそうになってしまう。

 コーデリアは必死で表情と気持ちを落ち着かせようとした。


(私は何を考えているの。そもそもパメラディア家の娘が方向音痴らしいなんて話が出てはいけないわ。だから、そんなことは起こさないわ)


 いや、それ以前に出会いが方向音痴だっからとなれば、後々までも格好がつかないではないか。それは恥ずかしいので絶対に避けよう。


「パメラディア嬢、なにを考えておられる」

「……失礼いたしました。道中の目印を探しておりました」


 怪訝そうな表情を浮かべたクライヴからの問いに、コーデリアは当たり障りのない答えを返した。先ほどまではひたすら背を向けて歩いていたのに、いつの間に振り向いていたのだろう。そうコーデリアは思うも、そんな彼の動作に気づかないほど余計なことに気をとられていたということには反省しなければならないと心に留めた。

 クライヴはコーデリアの答えに眉を動かした。


「確かに、ここは一度ではわかりにくい場所かもしれませんね」

「はい」

「わからなければ無駄な見栄を張らず、早めに人に尋ねることです」

「……そうですね」


 クライヴは少しとげとげしく言うと、再び前を向き歩き始めた。


(確かに、迷う前に人に尋ねるしかないわよね)


 尋ねるということは一瞬で済むことだ。迷ったままさまよい続けてしまえば、他の人の迷惑にもつながるだろう。スマートに尋ねれば、迷っているという格好悪さも軽減されるはずだ……などとコーデリアが決意しているうちに、礼拝堂のようにも見える、独立した建物が目に入った。

 その建物が大書架だということは、クライヴがそちらに近づくことから判断できた。


 入り口には二人の衛兵がいたが、クライヴが一言、二言告げればすぐに道は譲られた。コーデリアもクライヴに続き、譲られた道を歩いて建物の扉へと近づいた。


「この文様に先ほどの許可証をかざせば、扉は開く」

「ありがとうございます」


 扉の前で立ち止まったクライヴは、愛想のなさを全面に押し出してコーデリアに説明した。扉にある文様にかざせばよいということは、どうやらやはり許可証は魔法道具であるらしい。

 コーデリアが指示された通りに許可証をかざすと、重々しい扉がゆっくりと開いた。


(……この世界で自動ドアは初めて見たわ)


 やはり王城には珍しい技術があるのだなと感心しながら、コーデリアは建物の内部へと進んだ。扉をくぐればすぐに本があるというわけではなく、入り口からはしばらく廊下が続いている。この廊下を抜ければ新たな書物と出会える――そう期待を高めながらも、コーデリアはエルヴィスのことを思い浮かべた。


(……こんな仕掛け扉の技術がある王城にもなかった温室を、お父様は私のためにお作りくださったのよね)


 エルヴィスの力を改めて尊敬しながらも、そのようなものを与えられた自分は今まで以上に気合いをいれて日々を送らなければならないと、コーデリアは改めて思ってしまった。

 さて、そのためにもそろそろ進みたいが……クライヴはまだだろうか? そう思いながらコーデリアは振り返ったが、なんと扉が閉まってしまった。


「え?」


 クライヴが中に入ってこなかったと言うことは、進んではいけなかったのだろうか? コーデリアは少し困惑したが、しばらくすると再び扉が開いてクライヴが中に入ってきた。その手には、コーデリアのものとは違う色の許可証らしきものが握られていた。

 ここに入る際は一人ずつ認証しなければならないということだろうか? それならばロニーと来たときも注意しなければならないな、とコーデリアは思った。


「イームズ様も許可証をお持ちなのですね」


 クライヴは品評会に作品を展示してはいないだろう。それでも許可証を持っているということは、王子の側にいるからだからだろうか? もしそうであるなら、ヴェルノーも持っているのかもしれない。

 コーデリアは軽い気持ちで尋ねたのだが、クライヴは眉間のしわを深くした。


「私のものは一時的に貸し与えられている、単なる通行証だ。貴女が持つ、閲覧を許されたものではない」

「入場の許可をお持ちなのに、書物を見てはいけないのですか?」

「禁止を言い渡されたことはないが、資格はない」


 クライヴはきっぱりと言い放つと、強い口調で言葉を続けた。


「ここには機密の文章があるわけではないが、王家の私物を閲覧させていただく場所だ。そのことを重々理解しておくように」

「それは、もちろん」


 コーデリアが返事をすると、クライヴは再び先導を始めた。

 一歩一歩進むごとに、コーデリアの緊張も高まってくる。


 程なくしてコーデリアは大量の書物で埋め尽くされた空間にたどり着いた。所狭しと書架で埋め尽くされ、またその書架にもびっしりと本が並べられている。まさに「大」と名がつくことがふさわしいと思ってしまう、そんな場所だった。書架は人の背より遙かに高く、本を取るための梯子や脚立があちこちに見受けられる。


「……」


 もちろん、本が多いだろうことは想像していたし、期待していた。

 しかし予想を遙かに超える光景にコーデリアは言葉を失った。


「上の階も地下も似たようなものですが、一部を除いて書物の持ち出しには制限はあります。詳しくは司書に尋ねてもらえばいいでしょう」

「……」

「パメラディア嬢?」

「申し訳ございません、思わず……圧倒されておりました」


 ただただ驚くばかりのコーデリアはなんとかクライヴの言葉は理解するも、その光景に圧倒されていた。これは、本当に貴重な権利を与えられた。出品を進めてくれたヴェルノーにも、そして製品を仕上げてくれたロニーにも感謝の気持ちがより強くなる。


「イームズ様、ご丁寧にご案内いただきまして、ありがとうございました。私は、少し見学させていただいてから帰ろうと思います」


 長居をするつもりがなかったので、帰りの都合があることはわかっている。

 しかしこれだけの蔵書だ、少しだけでも見て帰りたい――コーデリアはそう思いながらクライヴに礼を伝えた。

 案内は頼んだが、これ以上クライヴを付き合わせることも悪いだろう。彼としても案内の役目は終えたはずだ。

 しかしそんなコーデリアの言葉にクライヴは眉を寄せた。


「私が控えていては、不都合でも?」

「いえ、特に。しかしイームズ様もお忙しいでしょう?」

「それは貴女には関係ないでしょう」

「そうでございますか? では、特に私が申し上げることはございませんが……見学させていただきますね」


 クライヴの物言いにも徐々に慣れてきたが、もう少し返答しやすいように会話ができれば助かるのにとコーデリアは内心思った。気遣ったことに関しては単なるお節介になったようだが、このように言われては何と答えても喧嘩を買っているように聞こえてしまうのではないかと懸念してしまう。


(印象をよくしたいわけでもないけど……これほどまでに何を言っても裏があるように思われているのも、少し驚きね)


 それはそれであまり気分がいいものではないなと思いつつ、コーデリアも王子から離れる手段としてクライヴを利用しているのでお互い様かと思うことにした。


 一応監視されているということにはなるが、クライヴが直接コーデリアに害を与えてくることはないし、口を開かなければ発言の裏を考えられることもないのだから、気にするほどのことでもない。大いに満足するようにしてもらってかまわない。

 そう思いながらコーデリアは辺りを見回した。

 するとすぐ近くに案内板を見つけることができた。


(植物に関する本は地下一階、か)


 案内板に近づいたコーデリアは目的の場所を確認し、そして内部の地図も頭にたたき込み、ほんの少しだけ急ぎ足で会談へ向かった。クライヴはやや距離をあけながらもコーデリアの後に続いていた。


 一階と同じく本に埋め尽くされた地下の植物のコーナーは、やはり大量の本が蔵書されていた。

 観賞植物の棚、野草の棚、樹木の棚という風に、非常にわかりやすく整理されている。


 コーデリアはまずその中から手の届くものを選び、中を流し見た。その後棚に戻し、再び別の書物を手に取る。その作業を数度繰り返した。


(……少し書かれ方は違うけど、さすがに植物に関するものは我が家も優秀ということみたいね)


 蔵書量の関係から、他の分野に関しては圧倒的に大書架のほうがパメラディア家の書庫より多くの資料がそろっていることは明らかである。しかしやはり植物に関してはパメラディア家の蔵書は相当素晴らしいものであったらしい――そう、思ったときだった。


「……クローブ?」


 ページをめくっていた手を思わず止めたコーデリアは、その懐かしいハーブの名前に目を見開いた。そして名前の横に書かれた木の絵、葉の絵をしっかりと見る。おそらく間違いはない。これはコーデリアの知っている、けれど今まで存在を確認できていなかったクローブだ。


(もちろん、現物を手に入れてみないとわからないけれど……)


 それでも、それを確認するにはまず現物を手にいれられなければ話にならない。


 クローブは漢方薬の主剤で、日本では丁子(ちょうじ)と呼ばれてきた植物だ。

 百里先にも届くくらいの香りが強いと言われたことから、百里香(ひやくりこう)丁香(ちょうこう)という別名もある。

 前世の世界の歴史の中に、クローブは度々登場している。

 例えば中国の漢時代、長官たちが皇帝に対し政事を上奏する際にはクローブで口内を清めたとされているし、大航海時代にスペイン王がマゼランに命じた船旅は、クローブを獲得するためのルート確保を目的としていたという話を読んだこともある。大航海時代について学校の授業で学んだ時にはスパイスの中でも特に胡椒がピックアップされ、金と同価値だった胡椒を求めてアジアを目指したと聞いていたので、当時の欧州では胡椒の十倍を超える値がクローブにはついていたとされている記述を見つけた時には驚いたものだった。


(たしか当時はモルッカ諸島でしか産出しなくて、希少価値が高かったから……だったっけ)


 そんなクローブは王侯貴族の間で、スパイス熱が加熱する以前に流行った砂糖菓子と同じくパーティーの最後に出されていたらしい。

 他にも日本刀の錆止めに使われたという記録をはじめ様々なことがあるのだが、コーデリアが生きていた時代で最も多くの人がその香りを知ることになる場面は歯科医院だっただろう。あの香りはクローブオイルによるものだ。


 そんなクローヴがあるというのなら、まずは存在そのものの確認をしたい。コーデリアはそう思いながら生息地についての記述に目を走らせ、再び驚いた。


「これ……ニルパマ叔母様の領地の一部、よね……」


 叔母の領地にクローブが生息していたなんて! そう、コーデリアは思わずにはいられなかった。ウェルトリアの領地は王都から南東部にある比較的温暖な場所であるが、モルッカ諸島ほど平均気温が高い地域ではない。


(ただ、王都付近の山でも大地の魔力の関係から、季節性がある薬草が年中咲いていることもあるのだもの、あちらにも魔力の影響を受けている場所があってもおかしくはないはずよね)


 ひとまず、次にニルパマに会った時にはきちんと確認しておきたい。いや、会う前に一度挨拶を兼ねて手紙を送ってみよう。

 ニルパマ自身がクローブというハーブを知っていない可能性はある。しかしコーデリアが願えば単なる姪のおねだりではなく、何らかの利につながると考えてもらえるかもしれない。そうなれば確実に調べてもらえるだろ。


「大航海時代のように上手くはいかないでしょうけど、精油にもできるし……、やっぱり叔母様にお願いさせていただきたいわ」


 そう口にして、はっと気が付いた。

 思わず書物に見入ってしまい自宅の書庫であるかのように独り言をつぶやいてしまっていたが、ここは一人ではなかったのだ。

 しまったと思いつつ、コーデリアはクライヴの立つ方向へゆっくりと顔を向けた。


「……」

「……申し訳ございません、少しうるさかったでしょうか?」


 不愉快に思わせてしまったからなのか、それとも今の表情がクライヴの平常のものなのか、コーデリアには判断できない。最初からクライヴは不機嫌そうではあったが、今の方が期限が悪そうにも見えなくもない。


「ここには他に人はいない」


 反応を窺いながら尋ねた問いには、不愛想な回答が返ってきた。

 気にするな、という意味なのだろうか? はっきりとわからないが、ひとまず注意されたわけではないのなら気にする必要もないのだろう。

 

(それでも独り言のうるさい変人だと周囲に認識されることだってあり得るのだから、ここでは注意しなくてはいけないわね)


 そんなことを考えながらコーデリアは一通りクローブに関する記述に目を通した後、手にしていた本を棚に戻した。本には詳しい用途などは書かれておらず、現在は樹木の一種として認識されている程度のようだった。


 ウェルトリアの領地周辺に関する植物の本があれば、もしかすると今よりも詳細な記述がある本もあるかもしれない。そして、やや上のほうにそれらしい背表紙の本が見えている。


「……」


 高いところが怖いとは言わないのだが、ドレスで梯子に足をかける所を人に見られるのは避けたいところだ。そもそも梯子に手をかければ必然的にドレスを汚しかねない。

 コーデリアは少し考えを逡巡させた後、いったんは諦めることにした。残念だが、さすがにクライヴに頼むことは憚られる。後日梯子に登れる服装で来るか、ロニーと来て取ってもらうべきだろう。


「ありがとうございました。戻ります」

「そうですか」


 するとクライヴは「どうぞこちらへ」と口にしてから踵を返した。

 どうやら帰り道も案内してくれるようだが、今までの様子から考えるに王子の元に戻りかねないと思われていそうである。しかし理由はどうであれ、コーデリアにとってはありがたい。


「ありがとうございます」

「いいえ。ところで、貴女はどうして私がイームズ家の者だと思ったのですか。以前にお会いしたことはないと思いますが」


 てっきり一言で終わると思ったクライブの返事に質問が続いたので、コーデリアは驚いた。

 しかし、そういえば名乗られてはいなかったなと今更ながら思い出す。


「殿下がクライヴ様のお名前を呼んでいらしたからですわ。イームズ家のご子息様が殿下のお側にいらっしゃることは人伝(ひとづて)に存じておりましたから。勝手にお呼びしてしまっておりましたことは、謝罪申し上げます」

「聞いていたとは、どこで?」

「ご婦人方のお茶会ですわ。叔母が同席させてくれることもあるのです」


 やけに深く聞いてくるなと思いつつ、コーデリアは以前サイラスからも聞いたことは伏せて返答した。

 最初はサイラスから聞いていたことも言おうかと思ったのだが、回答を始めた最中に嫌な可能性が頭をよぎったからだ。


(クライヴ様は私が王子の妃を狙っていると思っている……それは言い換えれば権力に執心しているように思っている、のよね? だとすると……もしかしてとは思うけど、クライヴ様のことも『王子がダメだった時の夫候補』として見てるって思われている可能性もあったり、する……?)


 自身が突拍子もない考えをしている可能性があることも、コーデリアは理解している。

 しかし、この対応だとあり得ない話でもないような気もしている。


(でも、確かにそんな疑いが生じれば、多少しつこくなっても確かめておきたい気持ちはわかるわ。クライヴ様だって危険人物は把握しておきたいでしょうし)


 だが、想像した通りだとしたら、それは盛大な誤解である。

 しかしクライヴがそのようなことを口にしていない以上、否定することもできはしない。これは非常に困った状況だ。早く話題を変えたいが、話題は早々見つからない……と思った時、コーデリアは一つ疑問を抱いていたことを思い出した。


「そういえば、どうしてヴェルノー様はイームズ様のことをクレイ様と?」


 クライヴがシルヴェスターの側にいると知っていても、クレイという人物がクライヴとは結びつかなかった。愛称なのかもしれないが、クライヴとヴェルノーの仲がよさそうには到底見えない。可能性があるとすれば、一方的にヴェルノーがクライヴに親しみを込めているということだが……


「知りません」

「……そうですか」


 コーデリアの質問にクライヴは切り捨てるような声で返答した。

 これはその呼び方が気にいらないのか、そもそもヴェルノーの名前が出たからなのかはわからない。

 ただ、ヴェルノーの名前を口にしたところで、コーデリアは一つ伝えておこうかなと思うことが浮かび上がった。


「私事になりますが、今日、ヴェルノー様に私の父の顔が怖い、怒っているようだと言われましたの」

「それが、どうかしましたか」

「私は父のことをとても冷静で素敵な男性だと思っております。幼い頃は、『お父様のような方と結婚したい』と言って困らせたこともございます。それなのに、失礼な話でございますよね」


 三歳でコーデリアがこの発言をしたときのエルヴィスは表面上無反応だったので、このような言い方では多少誤解を招くかもしれないが、全くの嘘でもない。しかしそれでも微妙な発言であることはコーデリア自身も理解している。


(でも、仕方ないわ。クライヴ様に好印象をお持ちいただきたいとは思わないけれど、これではあまりに会話が成り立ちにくいもの)


 クライヴから見て王子の妃にふさわしくないと思われることはよいことだ。だから問題がなさそうであれば多少失礼な言動をされても目をつむる覚悟だが、ここまであからさまな態度を取られるとなると話は別だ。他人の目がない時ならば構わないが、このやりとりを人前でしてしまえばコーデリアの性格に問題がある、もしくはトラブルメーカーだと、周囲に誤解される可能性もある。


(お父様のようなタイプが好みだと断言しておけば、クライヴ様にもシルヴェスター様にも興味はないことは伝わるでしょうし)


 クライヴがもう少しやんわりとした対応をしてくれる青年であればよかったのにと思いつつも、先程シルヴェスターの前から退出するきっかけを作ってくれただけでもありがたく感じなければいけないだろう。


 とりあえず、コーデリアとしては危険人物でもなく、かといって王子の妃への立候補者でもないことをクライヴに理解してもらえればそれでいい。


 クライヴにとってコーデリアの発言は予想外であったらしく、眉間の皺がなくなるほどに目を見開いていた。

 そして彼は呟いた。


「随分と、変わった趣味をしてらっしゃるのですね」


 声色は明らかに先程とは違い、刺々しさは失っている。

 むしろ多少心配されている、もしくは同情的にも聞こえるような音にコーデリアも頬が引き攣るのを押さえながら笑みを保つのが背一杯だった。


(この人、私をヴェルノー様みたいっていったけど、むしろヴェルノー様にそっくりじゃない)


 全く、皆して人の父親を一体何だと思っているのか。

 コーデリアはそう思わずにはいられなかった。


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