第五幕 試作品への挑戦
ヴェルノーと知り合いになってから更に数日。
コーデリアは料理長にローズマリーの件について話をしてみた。
もしも自分が生の状態でローズマリーを手に入れることができたら、現在得ているものより上等なドライのモノに仕上げる事が出来るはずだ。だから何とか手に入れたい。そして育てて増やしたい。そしてそれを使って最高の料理を作って欲しい、と、頼んでみたのだ。
小さな子供のいう、いわば自意識過剰とも取れるこの言葉を料理長は間を置かずに了承してくれた。
そしてコーデリアの期待以上の反応で、国外からの株の入手を約束してくれたのだ。
実はドライローズマリーしか見たことのない料理長は、過去に一度生の状態のハーブを手に入れたこともあるらしい。しかし魔力の関係か、うまく根付かずすぐに枯れてしまったということだった。その結果、その育成を諦めた苦々しい過去があるとコーデリアに打ち明けた。
コーデリアはこの言葉に、ローズマリーの株が得られたら絶対に質の良いドライハーブを完成させようと心に決めた。
そもそも今得られるローズマリーとて前世のコーデリアが見れば良いとまでいかずとも『まぁまぁ』や『こんなものかな』というクラスもので粗悪とまではいえない。乾燥自体は普通にカビないようになされているし、そこそこ普通には作られている。だが、普通ではだめだ。この世界で存在する魔力が明らかに削がれ落ちている。魔力が保たれていれば、もっと良い結果になるだろう。
だが、それもパメラディアの目があってというものなのかもしれない。
料理長は臭みを打ち消す程のローズマリーは西の国に生息するものだと言った。東のものは香りが薄いという。さらに香りが弱いものであれば、この国の北方にも植わっていると彼は言う。料理人の熱意ゆえの知識だろうかだろうか。コーデリアは嬉しく思った。
「……では、申し訳ないのですが、西の国、東の国、我が国の3つのローズマリーの株を全て手に入れていただけませんか。我が国のローズマリーも決して劣っている訳では無く、例えば乾燥の具合が良くなかっただけで立派なものかもしれませんから」
「左様でございましょうか……?」
「見て見ないと分からいけれど、両方を比べる事が最善だと私はもうのですが、いかがでしょうか」
「……。多くは難しいでしょうが、一株、二株なら……割合早く入手できると思います」
「では、お願いいたします。私は今以上に美味しい貴方の料理を食べれる事を楽しみにしています。良い素材が無ければ、貴方の腕を殺しているようなものですから」
料理長とそのように話しながらも、コーデリアは株の入手が約束された事にほっと胸をなでおろした。数が少ないかもしれない事は多少残念だと思うが、手に入るなら問題無いとすぐに思い直した。ローズマリーなら株を増やすことも可能である。育成を含め数年スパンで考えても良い。もしも料理にはやはり西国のものが良いとなったとしても、香りには自国の物の方が都合の良い可能性だってある。だからその両方が手に入るのならばそれ以上を望むのは贅沢というものだ。
(……でも、ローズマリーが三種類しか存在しないって事はないわよね。ということは書物に載っていない種類があるか、本当に無くて自分で改良する必要があるという事になるわね。……それはそれで大変そうだけど面白そう)
そして料理長との話を終えたコーデリアは自室に戻ろうとしたが、その途中で別棟から多くの本を抱え本館にやってくるロニーを目撃した。パメラディアに務める解析魔術師は滅多に本館に姿を現さないので、本館で彼を見つけると言うのは珍しい事である。本を抱えていることから、恐らく書庫の魔術所を借用していたのだろうと見てとれた。
「お勤め御苦労さまです」
「あ、お嬢様。……こういうときはご機嫌いかがですか?って聞いた方が良いんでしたっけ」
「お気づかいありがとう。でも結構よ。楽にどうぞ」
「ではお言葉に甘えますね」
ロニーは魔術師長が言った通り礼儀作法はてんでダメな上、その事を気にする様子を一切見せない。
だが乱暴者と言う訳では無く、本の扱いは丁寧だし身なりも実はかなり綺麗にしている。コーデリアは数度ロニーと話しているうちにロニーから『俺ココに就職決まる前も伯爵にこんな口のきき方してたんですよ、凄いでしょ。よく採用されたなって今になって思いますよ』という打ち明け話も聞いた。いわく、パメラディア伯爵が魔術師に求めるのはその技量だけだ、と。
「それに比べてお貴族様ってのは大変ですね。単なる実力主義じゃなくて。礼儀とか面倒ですよね」
その時にロニーが言った言葉は今でも良く覚えている。イヤミでは無く純粋にそう言われるのはかえって不思議な気持ちにもなった。しかしコーデリアは多少の同意出来ても全面的に頷く事は出来なかった。貴族にとって礼儀作法や外聞は一種の戦闘服のようなものだから、切って離せるような関係ではない。淑女を目指すなら絶対に必要だ。それに、備えられる武器が有るなら少しでも多い方が良い。コーデリアと言う立場は、いつ何どき何が起こるかわからないのだから。
しかし目の前のロニーにまでコーデリアの希望を押し付ける気は全くない。礼儀作法を必要だと思うコーデリアと違い、彼は本当に礼儀作法を必要としていないのだ。例えばコーデリアだって不要だと思うものを身につけなければいけないと言われれば無駄だとしか思えない。だから不快に感じる事はない。ただ、絶対にロニーと人前に出る事は出来ないと思うけれど。それは「コーデリアも実はこんな言葉を使いこういう考え方を持っている」と思われるからという心配よりも、純粋にロニーが貴族相手に世間的に失言と言われる部類のものを言い放ちかねない心配が有るからだ。面倒事をおこす訳にはいかないし、そもそも
ロニーも『普通の貴族の相手はごめんですね』と豪語しているのだけれども。……つまり、彼にとって仕えるパメラディア家は普通ではないらしいが。
「お嬢様からの御依頼、もうすぐ終わらせられそうですよ」
「大変と言っていたのに随分仕事が早いのですね」
「あ、手は抜いてませんよ。安心して下さいね。お嬢様に万が一の事が有ったら伯爵に殺されますから」
おどけているのか本気で言っているのか分からないロニーは「俺書庫行くんですけど、お嬢様も?」と、やはり使用人らしからぬ風にコーデリアに誘いをかけた。自室に戻るつもりだったコーデリアだが、用事が有るわけでもない。だからロニーの誘いに乗った。彼には尋ねたいこともあるのだ。
「ねぇロニー、何れは私も自身で植物解析を行いたいのだけど、できるかしら?」
「出来るんじゃないですか?多分」
「……随分あっさりと、軽く言いますね。本当ですか?」
「今は無理でしょうけどね。有毒か無毒かだけなら世の中の毒知識を付けて魔力の属性知識増やして、それから植物の魔力回路の読み取りを磨けば何とでもなるもんですよ。……お嬢様ドアあけてください、俺両手ふさがってる」
「はい、どうぞ。……“だけなら”というのは?」
「今回の俺みたいに『加工した後に人体にどういう影響を及ぼすか』って予測するとなると、それじゃ終わらないんですよ。専門知識が無いとしんどいです。そして専門知識が有っても無毒かどうかくらいで、例え有効成分が分かったとしても使用時の効果まではハッキリと分かりません。実際に作った物を見て、調べて……後はやっぱり個人差もあるんで被験者は必要になるでしょうけどね」
そう言いながらロニーは本棚に向かった。その言い分はコーデリアにも分かる。例えばカモミール。カモミールの植物自体には抗アレルギー作用はないが、蒸留の段階でカマズレンという成分が発生し、精油になった時に抗アレルギーが発揮するようになっている。要は化学反応が起こっているのだ。これは良い作用が生まれる場合だが、反対に悪い作用が生まれる可能性もある。どういう加工をするのかロニーに尋ねられる事が無かったからコーデリアもあえて自ら告げてないのだが、恐らく魔術で様々な方面からアプローチし探っているのだろう。しかもその想定をしろと言うのも化学式だけでは無く魔術も見るのだと思う。それだと労力も二倍になるだろう。
コーデリアがそんな事を考える中、ロニーはテキパキと本を戻し言葉を続ける。
「別に俺が教えても良いですよ、解析魔術」
「本当に?」
「ええ。まぁ俺の教師としての能力は恐ろしく低いかもしれないし、お嬢様が解析方面を得意としていなかった場合会得できるとは言い切りませんがね」
「……先程はあれ程簡単に言っていたのに、今度は始める前から酷い言いようですね」
「すいません、俺って正直な上、プラスよりマイナスから計算する性質なんで」
全く悪いと思っていない様子でロニーはけろりと言ってのける。飄々としている彼は近所のお兄ちゃんという雰囲気だなとコーデリアは改めて思った。それにしても彼は助かる存在である。使用人としては決して褒められた言動ではないと思うが、コーデリアに忠告できる存在は非常に貴重だ。
「でも、俺としてはお嬢様が解析術なんて覚える必要はないと思いますよ。ここには専門職がそれなりに居ますし、わざわざ素人が身に付け無くても良いと思います。だって役割分担ってのもあるじゃないですか。一人で全部出来てもそれが役に立つとは限らない」
「例えば?」
「そうですねぇ。例えば、お嬢様が全てお一人で何もかも出来るようになったら俺らの仕事が減ります」
「……それは間違いですね。ロニー、貴方の本来業務は別にあるでしょう。これは余計な仕事でしょう?」
「流石はお嬢様。……でも俺としては本来業務より面白いから出来たら『お嬢様の依頼やるから』って建前で正規業務から離れてる状況を維持したいんですけどね」
そう言ってロニーは笑った。本はもう片付け終わっていた。
「お部屋、戻られます?温室行かれます?お送りしますよ」
「……本来有り難いはずの言葉なのに、貴方が言うとサボりたいからという風に今は聞こえるわ。先程の会話が原因かしら?」
「あはは、そうかもしれませんね」
隠すことなくロニーはそう言い切った。そんなロニーを見てコーデリアも肩をすくめる。
「さっきの話だけど……今回のケースに当てはまらないとしても、貴方の考えも正しいことは私にもわかるわ」
「何の話です?」
「一人で全て出来る必要はないということよ。ケースバイケースだけれど、長年研究を行った者ならともかく、私のような若輩者が一人で判断を行い物事の間違いに気付かずそのまま進む可能性もある……ということでしょう?」
「いえ、俺は純粋に俺の為の事を考えてましたけど」
「……あら、そうなの」
どうやらロニーは上手に言っておいたら良い所まで訂正する正直ものらしい。
ここまで素直に表情を出し続けて生きる事は、コーデリアにとっては礼儀作法の嗜みよりもずっと難しいことだ。それは現世だけでなく、前世も含めて。
「お嬢様?俺の顔に何かついてます?」
「いいえ。あなたの事が少し羨ましくなったのです」
「……あの、おだてても俺何もだせませんよ?」
「何もなくて結構よ。……それより、もうすぐ解析が終わると言っていたけれど……有毒か無毒ということはもうわかっていたりする?」
「ああ、それなら無毒でしたよ。但し健康な人が普通に使う分には、ですけどね」
「ありがとう。……私は温室へ行く事にするわ。ひきつづき解析をお願いいたします」
そう言いながらコーデリアはロニーの手のひらに飴玉一つを乗せると彼より先に部屋を出た。
「ベリル産のはちみつ飴よ」とコーデリアが言えばロニーは珍しく礼をとり喜びを隠していなかった。ベリル産のはちみつ飴はそれなりに高い。おやつとしては上級品だ。
そして予定を変更し温室へ向かったコーデリアは精油の抽出実験について本格的に計画を始めた。
まずは精油を抽出する植物の種類だが、この選択肢はもとより有って無いようなものだ。コーデリアが現状精油の精製を行える植物はペパーミント一択だった。大きな理由は三つある。一つはミントが量に対する精油の精製量が手持ちの他のものより多いことだ。そして二つ目は野生のミントがまだ山に多く生息していることだ。そのため失敗が重なったとしてもやり直しが可能だ。そして最後の理由は器具の問題だ。ミントを使うのならば妥当な抽出方法は水蒸気蒸留分離法だ。これなら今のコーデリアでも簡易な器具ならば組み立てる事は可能であるし、必要となるものはハーブ以外は蒸留水くらいで収集が難しいという事もない。
コーデリアが考えている水蒸気蒸留分離法とは、蒸留釜に入れた薬草に水蒸気を送り込み、葉に含まれる精油を気化させて精油を得るという方法である。気化したことにより軽くなった精油は水蒸気と一緒に窯の中を上昇するので、その精油を含む蒸気を連結管に通して冷却する。すると冷やされた水蒸気が再び水となって現れる。この時に得られる水こそ芳香蒸留水であり、その上に出来る膜こそ精油なのだ。ちなみに芳香蒸留水も僅かながら精油の成分を含むので、単体でも化粧水として使用することもできる。
「器具といっても……ガラス容器と連結管つなげるだけなのだけど」
使いやすそうなフラスコやガラスの容器をいくつか借用してきているコーデリアはテキパキと組み合わせを始めて行く。先ずは熱源であるミニランプのようなもの――前世で言うならアルコールランプがそっくりだ――を置き、その上に蒸留水を入れるための三角フラスコを置く。そして栓をし、水蒸気を送るための連結管を刺し別の密閉容器――蒸留釜になる部分――へそれをつなげる。更にそこから気化した蒸気を逃がす為の別の連結管――今回コーデリアは渦を巻くタイプのガラス管を選んだ――を刺し、管を通る蒸気を冷やす為の冷水を入れるやや長細いビーカーのようなものにくぐらせる。ビーカーにはちょうど管が抜ける程度の穴があり、そこを通った管は最終的に分液ロートに辿りつく。
この機会の順路を水蒸気が巡れば、無事に芳香蒸留水と精油が得られる筈だ。器具を組み立てを終えたコーデリアは息をついた。ただしこれは簡易なモノなので、前世で扱っていたレベルを求めるのであればやはり少し物足りなくはある。温度は何とか調節できるとしても、圧力を測定する文化がこの世界には無いようで、そういった面からコーデリアが「足りない」と感じてしまうのは仕方が無いことだ。だが、この世界には前世に無い魔力と言う存在が有る。全てが同じでなくとも、素晴らしいものを作るための欲を失わねば方法を見つけられるはずだ、と、コーデリアは思う。
ちなみにこの世界の木の実で作る際に使われている方法は圧搾法――主にレモンやオレンジのかんきつ類の果皮から抽出する時に使用する方法で、文字通りローラー等の機械で圧搾を行った後、遠心分離機を利用する方法だ。水蒸気蒸留法と違い熱を加えないので自然の香りが楽しめる――に近い形で行われているらしい。多少形式は異なっているようだが、レモンなど果実を利用する際には適しているはずなので、コーデリアも近いうちに詳しく調べるつもりである。
「さて、一度休憩を……」
「ふーん、これがお嬢様の工作かぁ」
「?!」
「あ、ごめんなさいお嬢様。驚きました?」
「……ロニー、貴方、どうしてここへ?」
突然現れたロニーに思わず叫びそうになったコーデリアだが、何とかそれを堪えて彼に尋ねた。
熱中していたからだろうか、彼の登場には全く気付かなかったのだ。
「いやぁ、お嬢様が何かしそうだったから、面白いのではと思ってやっぱり見に来ちゃいました。無毒だって分かったから実験開始、ってとこですか?」
「……開始するつもりまではなかったのだけど……そうね、一度試作品を使ってみましょうか。ロニー、蒸留水と氷をそれなりにたくさん持ってきてくれるかしら?」
「了解です」
ロニーが去ったのを見たコーデリアは急ぎ実験の材料を作ることにした。この家は便利な物で、実験を行う魔術師が多いので蒸留水や氷は常時ストックがなされている。
ロニーが部屋を去ったのを見届け、コーデリアは急ぎ実験開始の準備をすることにした。先ずはドライハーブの作成だ。フレッシュハーブを乾燥させる理由は簡単で、葉に余分な水分が残っていると抽出が上手くいかないのだ。
本来ドライハーブの作成はハーブを少量に束ね、直射日光が当たらず風通しの良い場所に吊るす事が一般的だ。専門的に行うならば葉にオイルが含まれる最大の時期を調べる等様々な事を行うのだが、今日はその辺りは割愛だ。なぜならコーデリアには一般的でない方法が使えるのだ。パメラディアの魔力で時間短縮をすることが出来る。この実験のが出来る日の為に庭の花と自分の魔力でドライフラワーを作る術を身に付けているのだ。
パメラディアの魔力は植物に干渉する力は植物そのものの力を増幅させる事も、急激な成長を促す事も出来るのだ。ただし限界はもちろんある。特に成長させる事に対しては随分魔力を絞り取られる。だから出来ない訳ではないが、例えばエンドレスに麦畑で収穫を繰り返せるような魔力の注ぎ方をすれば術者本人の魔力の枯渇どころか生気まで失いかねない。だが成長とは対照的に枯らせるという事に対して必要な魔力は割合微弱なものである。だからコーデリアはひたすら綺麗に枯らせる練習を繰り返した。もちろん庭の調和性が失われない程度にだが、乾燥させると同時に魔力も注ぎ、最大限の植物の特性を引き出したドライフラワーを完成させると言う術を身に付けた。良い香りも残るドライフラワーを今では苦労無く作ることが出来る。
だがそんなコーデリアもミントで行うのは今回が初めてだ。だからやはり緊張はする。しかしコーデリアの緊張とは対照的に、ドライハーブは見事に完成。魔術が合わさった事により通常の乾燥状態より多くの生気に満ちるミントを窯に入れた。ちょうどその時お使いを終えたロニーが戻って来た。
「おかえりなさい。私の方も準備は出来たわ」
「この枯れ草を蒸すんですか?お嬢様は一体何を作るおつもりで?」
「精油よ。――とても良い香油を作るつもりなの」
「香油を?この枯れ草から?……実をすりつぶすんじゃなくて?え、俺それでこの草解析してたんですか?」
正直な反応を示すロニーにコーデリアは苦笑した。
「大丈夫よ。これが私の知ってるミントなら出来る筈ですし、たった一種の、しかも効率の悪いあの実よりずっと生産性を上げる事も出来るはずですから」
「……てっきり食べれるかどうかを見ていたのかと思いましたよ、俺。薬になりそうだとは解析して思ってましたから」
「ごめんなさい、でも、聞かなかったでしょう?」
「そりゃそうですけど……」
しかしロニーはやはり「理解できない」という顔をしている。
何故草を蒸してそんなものを得ようとするのか。そんな顔をしていたロニーだが、「……まぁ、別にいいですよ。爆発はしないでしょうし」と、実に素直な発言を放った。コーデリアはそんな彼に苦笑しつつ過熱を始めた。しばらく経つと、辺りに無事ミントの匂いが漂いだした。
コーデリアにとってこの香りは懐かしくもある香りだが、ロニーには本当に初めて嗅ぐ香りらしい。だが悪い雰囲気の反応はしなかった。乾燥した草からこのように強い香りが発生するとは思っていなかった、予想外だという反応だ。コーデリアは少し得意になりそうになったが、そのコーデリア自身もその後少し驚かされることになった。それなりに長い時間をかけ蒸留をひたすら繰り返していくうちに、最初に行ったものが水と精油に分離していたのだが……その量が予想よりも多かったのだ。用意したハーブの量が多くなかったため本来なら確認できる程度の精油が、予想の倍近くは積もっている。
(……何らかの魔力が作用した?)
温度も適度な筈だ。だとすれば他に思い当たる理由が無い。久しぶりに見たせいで感覚が狂っているのだろうか?それともこの世界と以前の世界との違いなのか?
しかしこれは朗報であるようで、厄介でもある。似ているが異なる物となればそれはもう別物以外の何物でもない。
(量が取れると言うのは有り難いことだけど……これじゃ本格的にロニーにお願いしないと、精油の効果が計り知れない。濃度の調整をしっかり考えないと刺激が強すぎると事も考えられるわ)
しかし想像と違う出来上がりというのも決して悪いだけの事では無い。実験をするのはコーデリアにとってとても面白い事である。実の香油以上に惹きつけられるものを作れるか?そのお題に挑む以外の選択肢なんて一切無い。
そうコーデリアが口の端を吊り上げそうになっている所に「……これが……この上澄みが、お嬢様が欲しがっていたものなんですか」とロニーが尋ねた。
「ええ。……上澄みも大事だけど、水も大切になるわ」
「え……えーっと、とりあえず……お嬢様はコレをキャリアオイルに混ぜて香油を作る、というわけなのですね」
「ええ。でも、蒸留が終わったらまず適度な濃度を見つけなくてはいけないですね」
「確かにこの上澄みは使うとなると余りに濃い。……殺菌や抗炎症の作用が見えますが、濃すぎて有害と言えるかもしれません。まぁ、無害と言えるレベルを見極めるのは俺の本業に近いですし、お手伝いできますよ」
その言葉にコーデリアは驚いた。一瞬見ただけでその性質のいくつかを見破るロニーはあまりに優秀だ。
「随分頼もしい言葉をありがとう」
「いいえ。植物も毒物ならかなり見慣れてるんですが、化粧品を作ろうとするのは新鮮でいいですね」
……流石はパメラディアの解析魔術師様である。さらりと言った言葉が含んでいるのは実に不穏な単語で、少なくとも幼い子供相手に言う言葉では無い。しかしパメラディアの護衛としては有能な発言であるから、コーデリアも苦笑するほかなかった。
「本当にこれは凄いですよ、お嬢様。……しかし何故蒸留中には魔力を注がれないのです?」
「え?」
不思議そうにその意味が分からなかったコーデリアは首を傾けた。
彼は首を傾けたコーデリアに対し首を傾けながら、のんびりと言葉を続けた。
「せっかくお嬢様の魔力でミントの生気と魔力を同時に増やしてたのに、熱で大半がやられちゃってますよ。気化した時に一緒に魔力が一部剥がれ落ちちゃってます。コレでも十分濃いくらいですけど、それが無ければより一層加工後も香りと魔力、またその効果を残せると思うんですよね。だから、本当に良い物を作るなら熱する時に魔力で保護しないと」
難しい顔をしながらそういうロニーにコーデリアは驚いた。先程も一目で効果を暴いたばかりだが、彼は実験中もただ眺めていた訳では無く、何気ない様子で確実に魔力の動きを読み解いていたということだ。
ロニーから教えを受けたコーデリアは再びミントを用意し、新たな挑戦として魔力を注ぎこもうとしたのだが……それはうまくいかなかった。ハーブの入っている密閉容器に向けガラス越しに魔力を送り届けようとしても届かない。注ぎこめないのだ。眉を寄せると魔術師は「お嬢様の魔力……というより植物に対する魔力とガラスの相性は最悪か。これは厳しいかも」と独り言のような調子で言った。
ガラスと植物に対する魔力の相性が最悪。その事実にコーデリアは頭を悩ませた。そんな壁が立ちはだかるなんて全く想像していなかったのだから。だが不純物を混ぜない為にはガラスは魅力的である。他にも候補が無いわけではないが、魔術師の実験室で見た道具の中では一番ふさわしいと思えたのがガラスなのだ。そもそも魔力が剥がれ落ちると言っても増大した分だけであり、それも一部は残っているとすれば、少なくとも前世で扱っていた物のレベルに近いものは出来ているのかもしれない。それなら悪い製品ではないはずだ。だが――せっかくより良いものが作れる可能性があるのに、あっさりと「無理でした」と諦めるのは口惜しい。良い環境にいるというのに妥協するのはコーデリアの信条に反している。
コーデリアはもう一度と思い、無言でフラスコに向け手を掲げた。そして息を吸い、もう一度自分の体内の魔力に意識を巡らすのだが……手から離れた魔力が再びガラスに跳ね返されるのを感じとった。他の方法を探さないといけないのか。そうコーデリアが感じた時だった。
「あ。そうだ、お嬢様。魔術師御用達の実験道具屋ならガラスでもお嬢様の魔力通すのがあるかもしれませんよ」
コーデリアにロニーは思い出したように言った。
「魔術用の実験道具を作ってる職人なんですけど、使う人の魔力に馴染むような器具を作ってるんです。だからガラスとの悪い相性を和らげてくれるのも作ってるかも。鍋に釜にフラスコ、魔術の実験道具なら大概扱ってるから、密閉容器もあるかもしれないです」
「……そのお値段は高いのかしら?」
「……まぁ、例えばフラスコでも俺の給料で自分の実験用に買うってなれば大分躊躇うくらいには値が張りますね。ガラスの成型できる魔術師なんて精油を作る魔術師より珍しいですからね。まぁ、こんな口のきき方して雇ってくれる伯爵様よりは珍しくないかもしれませんが」
そう冗談を混ぜながら言ったロニーの言葉にコーデリアは自分の持つ金貨の数を思い浮かべた。足りるのであれば多少無理をしてでも買いたいと思う。
「貴方はそれを見て、私が使えるものかどうかを判断することは出来るかしら?」
しかし万が一にも使えないものだったら話にならない。同年代の貴族の子女としてはかなりの資産を保有している自信は有る。だがコーデリアが現金を得られる機会は滅多に無い。物資の多くは父親に相談すれば直接買ってもらえるのということもあり、現金でやり取りをすることが殆どないのだ。今手元にある現金だって、金の単位を習う際に現物としてもらったものに過ぎないのだ。……まぁ、単位を習うというだけにしてはかなりの金額ではあったのだが。
だからコーデリアにとって少しでも大事に置いておきたい現金は、不確定要素のまま購入に走る事を躊躇わせる。もっとも、これが欲しいと言えば確実に父親は買ってくれるのだろうが……既にかなりの投資をしてもらっている身分だ。自らこれ以上強請る事も憚られる。
コーデリアの真剣な表情に、ロニーも顎に手を当て、一つ唸った。
「難しいですね。俺が店に行って試したいところではありますが、俺自身の魔力とお嬢様の魔力が違うので俺じゃ試すことは出来ません。『恐らく』と前に付ければ判断できますが確実ではないですね」
「しかし買ってきたものの使えませんでした、では済ませられないわ。……一つ確認したいのだけど、それはお店に行けば触れる事はできるのかしら?」
チャンスがあるのに、手が届かない。
歯がゆいなと思ったコーデリアは、簡単な解決法を「自身が行く事」だと早々に理解はできている。そしてそれ以外に解決方法がないだろうことも理解が出来ている。だがそんなコーデリアの思考回路を魔術師が理解できるわけもなく。
「そりゃ……って、まさかお嬢様、行く気ですか?冗談ですよね?」
「私の魔力が貫通する製品かどうか見なければ、分からないでしょう?」
「だ、旦那様が許して下さると思えないのですが」
「大通りなら危険も考えられないでしょう。それともお店の場所は大通りではないの?」
「イヤ、大通りでも許可が下りないと思うのですが……西の職人通りです。普段から治安が悪いとまでは言いませんが、それなりに喧騒が起こることもありますよ。だから高貴な方が自ら入る場所ではないですよ、ほんとに」
とんでもない、却下だ却下。
その勢いで首を横に振るロニーに、コーデリアはわざと溜息をついた。
「……わかったわ。では、ロニー」
「はい」
明らかにほっとした表情の魔術師を相手に、コーデリアは満面の笑みで言い放った。
「私の年齢くらいの街娘……もしくは魔術師の見習いが着る服を明日の昼までに見繕って来てください」
「はい?!」
「お代はすぐに取りに行ってきます。お願いできますね?」
「いやいやいや無理でしょ!!」
真っ青になりつつあるロニーはついに叫び声をあげてしまった。
しかしコーデリアは少々気の毒だと思いながらも自分の主張を曲げると言う選択肢を持ってはいなかった。だから当たり前のような表情をし、当たり前の事を言うように、当たり前に無理だろうという主張を淡々と言い続けた。
「貴族が行けば目立つのでしょう。だとすればこうするほかないと思うのだけど」
「いえ、あの、お嬢様、服があろうとも旦那様の許しは」
「お父様は明後日まで領地から帰って来られないわ。主の予定をお忘れかしら?」
「でも」
「明日しかないのです」
真剣な表情でコーデリアはロニーに言葉で圧力をかける。
ここで「しかし主の意向を確認できなければ私は賛同いたしかねます」というような事を言われれば、コーデリアとて打つ手はない。だから何とか言いくるめなければならない。そう思っていた。
だからひたすらロニーが息を飲み、言葉を発しようとしつつもうろたえる様子をじっと見つめていた。
「……わかりましたよ。でも、最低護衛役は何人か付けてください。俺も好きに魔術を使えばお守りできますけど、制御やめたら殺しかねませんから」
そう、諦めたように両手をかるく上げたロニーに、コーデリアは表情を和らげた。しかし掛けたのは労わりと追い打ちという相反する属性の二言だった。
「ありがとう。でも護衛は無理よ。お父様に見つかってしまいますから、貴方が手加減をしつつ守って下さる事……いいえ、そもそも問題に巻き込まれない事に期待しています」
項垂れるロニーには申し訳ないと思いつつ、コーデリアには言葉を撤回する気は更々なかった。それに、
「……特別報酬期待してますよ」
少々恨みがましい視線も交じっていたが、この魔術師もパメラディアに仕える者なのだ。ただでは起き上がらない、そんな性質を兼ね備えたツワモノであるのだから――。