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第四幕 共闘者候補?との出会い

 森への外出から数日。コーデリアの温室には多くのハーブが移植されていた。そして温室も少しだけ拡張され始めていた……ということは少しおいておいて。


 事前に聞いていたラベンダーやミント、レモンバームに加えイシュマに教えて貰ったカレンデュラ、更にはそのそばにあったカモミール等が綺麗に並んでいる。

 コーデリアはそれらの花々に囲まれつつ、書庫から持ち出した本で次に手に入れたい植物の場所を調べていた。本当ならば今すぐにでも精油の精製に取り掛かりたいのだが、持ち帰った植物が一般的な薬草として認識されていないものだった為、現在徹底的にパメラディア家の解析魔術師の手により危険性の有無について調査中だ。


 故にお預け状態で暇を持て余している訳だが、解析される事自体はコーデリアにとっても都合が悪いわけではない。前世の知識を頼るなら毒性の有無については無いと判断出来るが、この世界の魔力の関わりがまだ把握しきれていないので万が一という事が有っては大変だ。だから自分で調べなくても待つだけで結果が来るのであれば助かることこの上ない。

 ついでに解析が出来るのならば分かるかもしれないと、コーデリアは植物が及ぼす良い効果についてのリストを解析魔術師に書いて渡した。この通りの効果が有るかどうか分かるのならば見てほしいとの要望付きで。


 例えばペパーミントなら眠気や集中力の欠如等の精神神経症状の改善、それから食欲不振、鎮静作用など。レモンバームは不安・不眠・片頭痛に神経痛の改善。カモミールは肩こりや腰痛、ラベンダーなら神経疲労や神経性胃炎・睡眠障害の改善、それからイシュマに教えて貰ったカレンデュラは皮膚炎の改善だ。


 書いたものは主だった効用だが、これを解析魔術師に渡した時魔術師は悲壮な顔をした。

 これを調べるのは毒性の有無を調べるより余程大変なことらしい。


 ちなみに担当してくれる解析魔術師はパラメディア家にやってきて二年と言う新米魔術師のロニーだ。そして彼を指名したのはコーデリアである。そしてその理由は単に一番若いからというだけだ。常識外の事をやろうとしている事は分かっているので、あまり型にとらわれなさそうな若手が良いと思ったのだ。もちろんパメラディアの魔術師には柔軟な思考を持ったベテラン魔術師も居る……と思うが、あまりベテランすぎるとコーデリアとしても委縮してしまう。若い人の方がなんとなく頼みやすいのだ。


 しかし解析魔術師長ははじめロニーがコーデリアの依頼を受ける事を非常に渋った。いわくロニーは非常に優秀な解析魔術師ではあるが、礼儀作法に関してはずぶの素人と言った具合なのでお嬢様とお話するのは少し考えモノです、とのことだった。しかしコーデリアとしては家の中の事であるし、実力が高いのであれば多少発言が雑でも構わないと思った。

 それに例え相手が粗雑だったとしても自分が何時も通りを保てれば『御令嬢』という姿が剥がれたりもしないだろうし、と。


「しかし……ロニーは大変と言っていた割に随分楽しそうな顔をしていたわね」


 普段の仕事が余り面白くないのだろうか?そう疑問に思いながらもコーデリアは読んでいた本を閉じた。そして手元に置いていた紙に地名を書き込んでいく。


「次に手に入れられるとすればローズマリーね。白ワインに入れて飲みたい……と思っても今の私じゃまだ飲酒は出来ないけど」


 この国には飲酒についての年齢制限はどうやら無さそうなのだが(正確に言うと外での飲酒は成人となる16歳以降だが、家の中まで法が縛るという原則がないようである)、今の身体のサイズで飲酒を行えば確実に酔いが早く回るだろう。それは良くない。醜態はさらせない。


 コーデリアはそう思いながらペンを置いた。

 そしてそのうち鉛筆も作ろうと考える。流石にペンも使い慣れはしたのだが、あの書き心地が懐かしい。消しゴムと一緒に売り出せばそれなりに役に立つかもしれない――等と思いながら、今しがた書き上げたばかりの紙を見直した。


「けど……ローズマリーは“多分”手に入れられる、ってところかしら。文献調べる限り、この国にあるか曖昧ね」


 現物を見た事があるローズマリーなら、その状態を問わねば間違いなく手に入る。

 だが良い状態を求めれば、それは少し難しいかもしれない。コーデリアはそう思いながら小さくため息をついた。


 ローズマリーはこの国でも料理に良く使われているハーブである。だからコーデリアも手に入れるのは容易いと思っていたのだが、入手しようとした時点で実は料理に使われている物はほぼ全て他国から輸入しているドライハーブだということが分かった。しかもそれはローズマリーを輸入しているのではなく、グルーガというダチョウ似の鳥の卵を輸入する際の緩衝材として一緒に輸入していると言う事なのだ。(ちなみにこの世界にダチョウ自体はいないらしい。そして卵はダチョウのものより美味しい。)そしてこの国の料理人がローズマリーを料理に取り入れるようになった経緯もその輸入元が卵と一緒にローズマリーを使っていた習慣を取り入れ、他の料理にも応用したという事からだった。だがあくまでも『高級な緩衝材』として使われているローズマリーは素材として望ましい状態とは言えない。

 つまり株を手に入れ自らでドライローズマリーを作成する必要がある。


(本を読む限り輸入元も『ローズマリーが腐るほど生えているから緩衝材に使っている』という訳ではなさそうね。……セット商法で値段を上げる、もしくは化粧箱のような扱いなのかしら。どちらにしても大きな問題ではないけれど)


 コーデリアはそんな事を考えながらも、この国にも特定の場所――また山中だ――にローズマリーが自生していることも書物から読み取った。ただ、輸入物よりも香りが劣ると書かれている程度で実際どのようなものなのか想像ができなかった。だから現物を確かめるためにも、コーデリアはその場所と、後は地図から見た環境と魔力循環が似ている土地を数か所ピックアップした。ただ、その記載された本も100年ほど前のものになるのでどれ程現状と同じであるかは分からないのだが。


(困ったわねえ……)


 父や兄に聞く事でもしかするともう少し詳しい事を知ることが出来るかもしれない。そう頭をよぎるが、おそらく欲しい回答は得られないともコーデリアは同時に思う。なぜならパメラディアが主に使う植物干渉の魔術の用途は主に毒だと最近知らされたからだ。一応過去には薬師もいたようなのだが、主に戦場に、それも最前列に赴く家系だったため医療よりも戦闘に特化しているらしい。だからコーデリアの目的とする植物の利用法とは大分違う。つまり期待に沿った答えが貰える可能性が高くないのだ。(ついでに言うと魔術もほぼ口伝の為、薬師の魔術の資料は残っていない。僅かに当時の伯爵が記した日記にそのような事が読み取れる記述が有るだけだ。)


 しかしこの調子だと書物から得ている薬草の情報も近いうちに頭打ちになるかもしれない。そう踏んだコーデリアは他国の書物も入手する必要が有る、また他国の伝統料理や国内でも民間療法として薬草を使用している例をもっと本格的に調べなければならないと考えた。最近の講義は進み具合が良すぎた関係もあり、午前中のみになっている。だったら午後が開いている家庭教師にも協力を仰げばペースも上がるだろう。


 ともかく、今は知ることのできた場所から株を入手する方が最優先だ。そして温室で様子を見、いずれは大きな農園で多くのハーブを育てたいのだ。


「またお兄様に連れて行って下さいませとお願いしようかしら。でも、お兄様も本当ならもっと早く馬を走らせたいと思っておられるかもしれないし……そうすると私は邪魔よね」


 迷う所ね、と、コーデリアは息をついた。

 早く自分で乗馬が出来るようになりたい。だが馬に乗れるだけではだけでは外出が許されるかは断言できない。ならば自衛が出来るほどの、攻撃的な魔術も覚える必要がある。もっと魔力の扱いに対する授業を増やしてもらうべきだろうか。


「けれどそれもダメだわ。淑女を目指しているのに攻撃的な魔術を求めるのは……護衛術では通らない。無理があるわね」


 コーデリアは首を傾けながら、しかしひとまず次の収集はイシュマの帰宅を待って相談してみようと思った。休みを続けて妹の為に消費させるのも忍びない。だが相談すればもしかしたら良い別の案をくれるかもしれないとも思ったのだ。


「ローズマリーも……やはり料理長に相談してみようかしら」


 料理に対する料理長の熱意と誠意はとても高い。だからより質の高いローズマリーが存在する可能性を強く主張すれば、一緒に方法を探してくれる気がする。いや、彼は必ずきっと手を貸してくれる。それに食材に関し商人と直に交渉している彼なら、何とかする道筋を与えてくれるかもしれないと思えたのだ。


(よし。イシュマ兄様が次に帰って来て下さる前に、料理長に話をしてみよう)


 コーデリアはそう思いながら紅茶を口に含んだ。

 何れはハーブティーも何種類か取り扱うつもりだが、果たしてこの紅茶の味に慣れたこの国の人間にハーブティーは受け入れられるだろうか。いっそ健康食品のように売り出せば受け入れやすいだろうか?気付けばいつもコーデリアの頭の中は薬草のことで埋め尽くされていた。


 このようにコーデリアはロニーによる解析が終わるまでの間、比較的ゆったりと数日を過ごしていたのだが、そんな中である日突然同い年の少年を紹介される事になった。


 少年の名はヴェルノー・フラントヘイム。フラントヘイム侯爵家の嫡男である。

 彼は眩しい笑顔を浮かべながらフラントヘイム侯爵に連れられパメラディア伯爵家へやって来た。


 その日は普段なら絶対にコーデリアの邪魔をしない世話役のエミーナが血相を変えてコーデリアの元にやってきた。そして彼女は急いでコーデリアに普段着ではない上等なドレスを纏わせながら「フラントヘイム侯爵が御子息と共にいらしています」とコーデリアに説明した。


 成程、どうやら自分はその御子息の前に姿を現す事になるらしいとコーデリアは理解した。

 しかし今まで父親の来客にコーデリアは会った事が無い。だから何故今回は呼ばれるのだろうとの疑問はある。しかも相手がフラントヘイム侯爵となれば更に理由が分からない。歴史の教科書にも登場し、貴族としての一般教養でも必ず学ぶフラントヘイム家。侯爵の中でも筆頭の家柄だ。正直な事を言えば「そのような方が何故わざわざ伯爵家に?」と疑問を持った。まさか何か大変な事でも起こったのかとさえ思った。父親と侯爵の仲が良い等という話は聞いたことが無かったからだ。


 後に聞く話になるのだが、これは偶然にも城内で夜通しの会議を終え明け方に屋敷に戻ろうとしていたエルヴィスをフラントヘイム侯爵が目撃し『ちょうどいいや』と有無を言わさず押しかけた事が原因とのことだった。(そしてその経緯を知った際、コーデリアは『だからあの日のお父様は機嫌が悪かったのね』と思った。徹夜明けで疲れている所にちょうどいいからと襲撃されたら確かに誰でも怒るだろう)


 ただこの時点では何も知らされていないコーデリアは多くの疑問を持ったまま、しかしあっという間に応接室に向かうことになった。侍女に促されながら部屋に入れば目の前には男性二名と男児が一名。一人は勿論見目麗しい自らの父親であるが、残りの二名であるフラントヘイム親子はコーデリアにとって初対面の相手だ。侯爵は優しげな表情をした男性で、男児は目がくりくりとしていた。コーデリアは二人の姿を確認するなり、礼をとった。


「コーデリア・エナ・パメラディアと申します。以後お見知りおきを」


 淀みなく、そして優雅に挨拶をすることが出来たのは何時もの教育の成果だ。脊髄まで染み付いていると自負する正しい姿勢と落ち着いた発音には例え容姿が幼かろうが自信がある。父親が娘に対し甘い傾向があるとはいえ、元騎士の父親は礼儀作法に対してはかなりシビアである。実際にコーデリアは教師に合格点をもらっていても父親からは何度か『角度が良くない』等の苦言を呈された事が有る。しかし今日のコーデリアの礼に対しては父も眉一つ動かす事はなかった。どうやら父親の視点からでも合格だったらしい。


 そのコーデリアの礼に対しフラントヘイム侯爵は柔らかな空気と同じ声色で「うん」と一つ大きく頷いた。


「突然お邪魔してすまないね。私はレオナール・フラントヘイム。こちらは息子のヴェルノー。君と歳は同じだよ」


 そこでコーデリアは再度スカートの端をつまみ礼の姿勢を取った。だがその流れるような動作とは対照的にコーデリアの心臓は跳ね上がっていた。驚く表情を隠し、緩く微笑む事には反射的に成功した。だが動揺は収まらなかった。その少年の名前があまりに予想外のものだったのだ。


(……ヴェル……ノー?)


 その名にひっかかりを覚え、脳内でもう一度その名を確認した時、コーデリアは思わず叫び声をあげそうになった。

 それはゲームに登場する人物の一人と一致する名前だった。ヒロインとの絡みが街中だった事もあり、家名は最後まで出ることなくヒロインは常に「ヴェルノー様」と呼んでいた。侯爵家の息子であるということは会話中に出てきていたので覚えていたが、コーデリアとしてはまさか彼と自宅で出会う等ということは全くの想定外だ。叫ばなかった自分を心底褒めたい。


 確かヴェルノーはヒロインに対し友好的な人物であったはずだ。しかしそのことを覚えていても、コーデリアは彼を左程警戒していなかった。なぜならヴェルノーはコーデリアにとっては無害とも言える人物であるのだから。そもそも『コーデリア』は王子にしか興味を持たない人物であった。だからヴェルノーと関わるような話は無かったのだ。もちろん貴族社会にいる以上ゲーム内でも互いに顔見知りである可能性は考えられるが、実際に接触するようなイベントは一切なかった。


 だから彼は完全に安全な人物だ――そう言い切りたいところだが、コーデリアとしてはそうもいかない。何せ彼は王子の学友である。しかも仲が良いはずだ。いつ何時、脅威になり得るかわからない。


(……王子の学友か。もう王子と顔合わせは済んでるわよね。やっぱり避けた方が良い相手なのかしら)


 彼に近づけば王子に関わる可能性が多少なりとも上がってしまうのではないか。

 普通の令嬢ならばそれは喜ばしいことかもしれないが、コーデリアは違う。現状最も避けなければいけない相手という認識しかない。

 一瞬そう頭に浮かぶも、そんな事は顔に出す訳にもいかない。そもそも何か思いついた所で今は相手をもてなさなくてはならない。だとすれば考えるのは後回しだ。コーデリアはヴェルノーにもう一度礼をとる。しかしヴェルノーは少し妙なものを見るような表情をし、コーデリアを見ていた。それは侯爵家の子息らしくない行動である。しかも彼は侯爵に促されるまでヴェルノーはそれを解かなかった。


「……ヴェルノー・フラントヘイムだよ。よろしくね」


 口を開いたヴェルノーは先程までのだんまりとは無縁のような、子供らしく愛らしい声でそう言った。またその表情も然り。その様はその辺の女子よりも可愛らしく見えるのだが、彼はゲーム内では鋭い瞳を持つ、少し垂れ目の青年だったはずである。今はただ『可愛い』が似合うばかりの男児だが、注意深く見ると将来は男性らしく変貌する片鱗は確かに有るような気もする。隣に並ぶ侯爵がそのような目つきをしているからかもしれないが。声ももっと低かったが甘い声であった記憶があるな、そうコーデリアは思い出しながら少し警戒しつつも侯爵親子の様子を伺った。


「私とエルヴィスは昔馴染みでね」


 侯爵のその言葉にコーデリアは少し驚いた。これも聞いた事のない話だったからである。そもそも父親が友好関係を話す事等そもそも滅多にないのだが――稀に利害関係について話すことはある――侯爵が言うのだから、例え父親が非常に迷惑そうな顔をしていてもそういう事なのだろう。父親のこのような表情等見たことが無いとコーデリアが思う状況であっても、そういう事なのだろうと納得しようとした。大人には言えない事情というものがあるのかもしれない。


 しかしその幼馴染の息子と娘を合わせるというのはどういう意図が含まれているのだろう。コーデリアは考え、そして一つの結論にたどり着く。それは――「お見合い」という可能性だ。え、もしかして8歳にして初対面で婚約者が決まったりとかしない……よね?そう、コーデリアは冷汗を流した。だが、結果としてコーデリアのそのような心配は杞憂に終わった。代わりに恐ろしいほどに情熱が込められた一つの物語を聞く羽目になったのだが。


 それは目の前の茶が冷めてしまう程には長い時間をかけた、8歳児には難しすぎるだろう侯爵自身の恋愛物語だった。それはとにかく長くて、愛想笑いも浮かべ疲れる程に惚気に満ちるものだった。しかも語り口調がまるで演劇の主役である。それも見目に似合わずスマートな役者風では無く暑苦しすぎる熱血漢だ。半分程はコーデリアも聞き流したが、ひとまず侯爵が奥方を心の底から大事にしたいと思っていることは分かった……気がした。十分の一、いや、百分の一は理解できたと思う。だからこそ「そこまで愛されると重そう」などと思った等決して言わない。明らかに嫌そうな顔をしている父親も、既に菓子にしか興味がない様子のヴェルノーも侯爵の演説の内容は一切耳に入れている様子はないが、侯爵の邪魔はしなかったので彼は『愛は両者の想いが一致してこそ価値がある』と最後まで気持ちよく話を続けることが出来た。御機嫌そうでなによりである。


 そしてその結果侯爵が導き出した締めの言葉はこれだった。


「貴女も好きな人を見つけたら全力で奪取にかかるべきだよ。良く覚えておくと良い」


 奪う事が前提になるのか。そしてそれを8歳に説くのか。コーデリアは色々な意味で苦笑したくなったのだが、この発言により恐らく侯爵は有無を言わさず子の婚約を決める人ではない事は理解できた。そしてフラントヘイム家が政略結婚には(少なくとも侯爵が現役の間は)無縁である事も。もしもヴェルノーが婚約したい等と言っていたら侯爵のテンションも上がってしまう可能性もあるだろうが、見る限りヴェルノーも菓子にしか興味が無さそうである。

 だからこの調子だと『幼馴染の娘だし歳も良いしちょっと婚約でもしとこうか』なんて気持ちは更々ないようであるのだから安心すら覚え、コーデリアはこっそりと胸をなでおろした。


 例えヴェルノーが婚約者になったとしてもコーデリアに滅亡の道筋は決して拓かれない……はずである。だから都合が悪いか否かでいえば悪くは無いと言えるだろう。しかし初恋未経験の状態で婚約者を得る事は出来れば御勘弁願いたい話である。せっかくなのでできれば恋愛も経験させてほしい。もっともまだまだ未来の話にはなるだろうし、現時点では想像すら出来はしないので深く考えるだけで恥ずかしくなるのだが。


 そんなコーデリアの横で父親は苦々しい声を出していた。


「お前の恋愛話は削るに削って盛るに盛った話でしかないだろう」


 侯爵の熱弁のせいで軽く手を上げ、すっかり冷えた茶の交換を目で使用人に促しながら父親はそう言っていた。「お前のせいでどれだけ苦労したか覚えているのか」「あのせいで3歳は老けた」「後始末を誰がしたか忘れるな」と父親は言っているが、侯爵は飄々とそれを受け流している。どうやら父親は盛大な苦労を味わわされたらしいとコーデリアは聞かなかった振りをしながらも心の中で合掌した。


 しかし礼儀に煩い父親が気兼ねなく悪態を突く相手。本当に仲が良い……とは見えにくいが、気を使わなくて良いほどにはよく知っている、もしくは気を使わなくて良い程の貸しがある間柄なのだろう。少し詳しく聞きたいと思うコーデリアはぐっと我慢しにこにこ笑っていた。


 しかしコーデリアとは対照的に、そのような大人の話にも興味はないだろうヴェルノーも演説が終わったことには気づいていたらしい。『父上のその話は聞き飽きました』とばかりに全く話を聞いていなかったはずなのに、彼は既に多少崩していた姿勢を元通りに綺麗に戻していた。

 パメラディア家では……いや、恐らく普通の貴族であれば例え興味が無くとも話が終わるまで必ず体勢を崩さないのだが――もっともパメラディア家でこのような演説が行われる事は一切ないのだが――どうやらフラントヘイム親子の間ではそういうことは無いらしい。もしくはそれに気付かぬほどに侯爵が熱を入れて語っていたのだろう。そうなるとどうやらヴェルノーは大変要領が良いらしい。覚えておこう……そうコーデリアが思っていると、ヴェルノーはコーデリアを見てにこっと笑った。


「ねえ、温室があるんだよね。見せてよ」


 気のせいか、先程の態度の裏表を間近で見たこともあって彼の様子が素直な子供のものとは異なっているようにはコーデリアには感じられた。もしその予想が当たっているとすればまるで子供らしくない子供である。王子に関わりが有るか否か以前に気をつけたい人物になる可能性すらある。

 だが大人の話から離脱する事はコーデリアにとっても望む所で有る。特に侯爵の恋愛物語が再度始まれば今度こそ乾いた笑みを漏らせてしまうかもしれない。それはレディとしては良くないと思ったコーデリアは笑顔で「ご案内いたしますわ」とヴェルノーに答えた。


 そして案内した温室はヴェルノーの想像を超える建物であったらしい。

 彼は物珍しそうに室内を歩き、そしてミントを見て「これは何の植物だ?何か綺麗な花が咲くのか?」と不思議そうに尋ねる。しかしまだまだ研究段階、植物名は答えられてもそれ以上の事を子供相手に詳しく説明する事は難しく……というよりは余り深く関わりたくないコーデリアは説明したくなかったので曖昧に笑って誤魔化した。

 だがその時だった。ヴェルノーの丸い目が少し細められたのは。


「君って変わっているね」

「……さようでございますか?」


 やや将来の雰囲気を携えつつもヴェルノーは率直な言葉をコーデリアに投げかけた。コーデリアもその言葉をそっくりそのまま返したいものであるが、そこは乗ってしまう訳にはいかない。首を傾けつつ全く心当たりが無いとでも言うようにコーデリアは疑問で返した。むろん心の中では少しやり辛い相手だとは感じていたが。けれどヴェルノーの続けた言葉は先程と同じくシンプルな意見だった。


「うん。男みたい」


 コーデリア、8歳。

 美しく生まれ育ち、そして教養を付けたにも関わらず生まれて初めて……そしてこの後彼以外の誰からも言われなかった衝撃の一言を受けました。


 ニホンジンの時ならいさ知らず、既にこちらで8年も生きているコーデリアである。いかにこの世界の男女の振舞いに差があるものかは理解している。研究を行っている時点で家庭内では”少々”普通ではないと知らしめている意識はあったが……初対面の少年に言われる程男勝りなつもりは全くない。それだけに衝撃だった。


 それでも尚顔を引き攣らせない辺りはやはり令嬢として育てられてきているからで。

 かくいうヴェルノーも貴族であり、女性に対する接し方については有る程度学んでいるはずである。他の令嬢にそんな事を言えば泣かれるぞ……と、コーデリアは思ったのだが、そもそもヴェルノーとて他の令嬢を男みたいだなどと簡単に思ったりしないだろう。だからこそコーデリアの事を『変わっている』と評したのだろう。


 ヴェルノーはミントに目を向け、そして言葉を続けた。


「だって御令嬢ってまず俺をじーっと見て、それから顔を赤くするからね。君の反応、男と同じだ」

「……それは失礼いたしました」

「別に良いけどね。逆に変に気を使わなくて良いみたいだし」


 そう悪戯っぽく笑うのは年相応で、先程の対応しにくい少年を思わせるものではなくなっていた。そんな少年の様子にコーデリアも少しだけ肩の力を抜いた。どうやら、彼は警戒しなければいけない相手ではなさそうだ、と。逆にこちらが警戒されていただけだったらしい、と。


「ヴェルノー様はよく御令嬢達の元を訪問されるていらっしゃるのですか?」

「たまにね。面倒だけど、父上いわく出会いが無ければ大恋愛が出来ないそうだよ」

「……確かにそうでございますね」


 確かに侯爵が言っていた大恋愛になると、まずは運命の相手に出会う事が必要だろう。出会いも多くなければそんな衝撃的な出会い何て生まれないだろう――コーデリアは遠い目をしたくなったのをぐっとこらえて同意した。しかし当然のごとく「面倒だ」と正直に言ったヴェルノーは、まだ恋愛には一切の興味を抱いていないらしい。寧ろ連れまわされることに飽きているのかもしれない。

 大恋愛経験者の父親を持つのも大変なことなんだな。御愁傷さまだ。コーデリアは心の中でそっと同情した。


「……ところでヴェルノー様は草花には興味おありで?」

「正直あまりないかな。でも温度調節で南国の鳥が飼えるなら……まぁ欲しいと思わなくもない」


 成程、やはり温室へ来たいと言ったのは単に応接室から抜け出す為の言い訳だったという訳だ。薬草に興味を持つ男児だという期待は抱いていなかったので「やっぱり」としか思わないが、しかしコーデリアの振った話題で彼は思いもよらなかった情報をもたらした。


「王城にもこれと似たようなものを作ろうって話があるよ。王妃様のご希望らしいし、王子も興味持っておられるご様子だ」

「……よく御存じなのですね」

「殿下とは一緒に勉強している仲だからね」


 やはり彼は王子と知り合っているらしい。そしてそれなりに仲がよさそうな口ぶりだ。その事実にコーデリアは緩めた警戒を一瞬強くしたが、よくよく考えてみれば王子の動向を知る彼はコーデリアにとってとても都合の良い人物になり得る可能性がある事に気がついた。――そう、王子の身近な人物から話が聞けるのであれば回避をする上でも都合が良い。だからヴェルノーに近づくことは、むしろ得策ではないかと思えたのだ。


 そんな事を考えていたので、コーデリアの表情は少しだけ真面目なものになっていた。

 ヴェルノーはただそんなコーデリアをジッと見ていた。そしてゆるりと表情を和らげた。


「……本当に珍しいね、君は」

「何がでございましょう」

「王子に興味ないの?」

「……何故でございましょう?」


 疑問を疑問で返したコーデリアにヴェルノーは、けれどおかしそうな表情のままである。


「みんな王子って単語にすぐ反応する。貴族の御子息も御令嬢も。俺を見て真っ赤になった癖にお近づきになりたいってせがむんだよ。君はどうして違うの?」


 その言葉を聞き、コーデリアは少しヴェルノーに同情した。

 ただでさえも侯爵家の跡取り息子というだけあり、うわべだけを見られやすい立場なのだとは想像がつく。

 しかもそれだけに留まらず王子への足がかりとしても使われるとなれば、不満の一つもあるだろう。幼いにも関わらず無邪気さとは別の、計算されたものが垣間見えるのはそのせいだと言うことだろうか。

 しかしそれなら余計に彼は安心できる相手だとコーデリアは判断した。きっと彼は何かが起こってもうわべで判断しないだろう。そう思いながらコーデリアはヴェルノーにまっすぐ向き合い、そして伝えた。


「そうですね……陛下の治世は尊敬申し上げてますけれど、殿下に関しては何かお話を伺うこともございませんし。……それに」

「それに?」

「私には見た事のない殿下よりお父様の方が素敵な男性に見えますから」


 そうコーデリアが笑うと、しかし納得したような顔でヴェルノーは頷いた。


「やはり女心は俺には分かりそうにもないな。複雑で難しすぎる。けど君は話していて楽だし、聞きたい事が出来たら是非相談に乗ってもらいたいものだ」

「こちらこそ。これからもよろしくお願いいたしますわ」

「ディリィと呼んでもかまわないか?」

「どうぞ、御随意に」


 こうしてコーデリアは一人の将来有望な王子の友人と繋がりを持つ事に成功した。もちろん一方的に使うだけのつもりはない。彼が女心と言うものが分からないと言うのなら何時でも相談を受けよう思った。生憎恋愛経験はないが、前世より恋愛話を聞く事は嫌いでは無い。

 しかしそれ以上に彼の恋愛基準があの侯爵の物語に影響されるとしたらなかなか苦労するのではないかと感じたからだ。そしてそれ以上に――「でもやっぱりこの温室の女神像はもう少し色々豊満なほうが良いと思う。豊穣の女神だろ?」と真剣な面持ちで言っている8歳児に女心を教えることは大切な事であるよう思ってしまったからである。


 素直な子供は良いと思うが、素直すぎるというのも玉に瑕なのかもしれない、と、コーデリアは肩をすくめた。




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