第十七幕 焦げ茶の髪の少女(上)
フラントヘイム家の夜会から数日後、コーデリアは研究室に籠り、いつも通り精油のことに頭を悩ませていた。夜会の3日後に行われたフラントヘイム侯爵夫人との茶会に、コーデリアは在庫のある数種類の香油を持ってニルパマと共に参加した。夫人はどれも珍しいと言い、気に入った様子であったのだが、コーデリアにはそれが「どれもピンと来てないんだ」という風にとらえることが出来た。
だからコーデリアは夫人の魔力によく馴染みそうな香りを探していたのだ。コーデリアは何となく魔力の質を暗記することは得意である。だからいくつか花を見立て、新しい精油……もとい夫人の好みを探していた。
(そもそも、侯爵夫人の印象として残すなら単体よりもブレンドした方がいいかもしれないわね。夫人専用の香りを作った方が良い気がする)
そう思いながらコーデリアは精油の瓶にも手を伸ばす。茶褐色の瓶は素っ気ない。将来これを商売に使うのならば、ラベルにも気を使わないといけないだろうなと考えた時、コーデリアをじっと見ていたロニーが口を開いた。。
「お嬢様、ちょっと根詰めすぎですよ。何かあったんですか?」
夫人も一応は気に入ってたんでしょ、と、ロニーは口を挟む。
……根を詰めすぎている?確かに長い時間椅子から立ち上がっていなかったと思い至るが、根を詰めているつもりもなかった。しかし少し体が固まっているように感じる時点でロニーの指摘は恐らく間違っていないのだろう。コーデリアはふっとため息をついた。
「何かっていうよりは、もっとしっかりしなくてはと思った程度かしら」
思っていたよりも王子との遭遇はコーデリアにとって衝撃があったらしい。
殆ど喋っていないが、潜在的な苦手意識が拭えない。人生が掛かっていると思えば余計にだ。出来れば悪印象も好印象も残さない”普通”でありたいが、一体どのように映ったのかはコーデリアには判断しかねる。だからそんなこと考えても無駄だと思い集中していたのだが……その結果がこの有様だ。時が経つのも気付けなかった。やはりもっとしっかりせねばと色々な意味でコーデリアは思った。
ロニーはそんなコーデリアに対し呆れたため息をついた。
「お嬢様は充分しっかりしています。これ以上しっかりされては俺の仕事がなくなります。ですので外の空気でも吸って頭を冷やしてきて下さい」
決して外が涼しい気候ではないのだが、要は気分転換をしろということなのだろう。根を詰めていたつもりはないが、外に行くなら温室に行くのも悪くない。匂いのヒントも見つかるかもしれない。そう思ったコーデリアは「少し外すわ」とロニーに一言告げると研究室から外に出た。
だが温室に足を向けるその前に、とても耳につく、叫ぶ子供の声が遠くで聞こえてきた。
何だろうとコーデリアは音の方向に顔を向ける。自宅の門の辺りからだった。温室に行こうとはしていたが特別に用事がある訳でも無かったので、少し様子を見ようかとすっとそちらに足を向けた。
そして行き着いた先、門には同年代くらいの焦げ茶の髪をした少女がいた。髪は肩口で切り揃えられている。これは珍しいコーデリアは思った。この国の一般的な女性の髪の長さは、少女のそれよりもう少し長い。短いと言っても一つに括ってもゆとりのある長さ位はある。幼い少女でもそれに準じた長さには伸ばしているので、コーデリアはギリギリ髪が括れるか否かという長さの少女を純粋に珍しいと感じた。
少女は門で、パメラディア家の門番と何やら言い争っている……というよりは、噛みついている様子だった。門番はしれっとしているが、少女は目を吊り上げて怒鳴り散らしている。
「だから!こんなに広いお屋敷なんだもん!私にも出来る仕事はあるでしょう!?」
「ないと言っている。必要な場合は旦那様が手配を命じられる。今はその時ではない」
「人手があって困るっていうの!?」
なるほど、会話の内容を要約して拾うと『雇ってほしい』という旨を少女は叫んでいるようだった。これは門番が軽くあしらうのも当然だ、と、コーデリアは素直に思った。使用人として雇うには年齢があまりに若過ぎる上、貴族の屋敷が立ち並ぶこの場で叫ぶほどの者だ。受け入れてよかったと思えるかと言われれば――難しいかもしれないと思わざるを得ない。紹介状だって持っていないだろう。
しかしそう思いながらも、コーデリアは彼女をみてふと気づいた事があった。それは、彼女が非常に多量の魔力を持っていることだ。それこそ、コーデリアの目には持て余している様にしか見えない。
(……ロニーのように、貴族でなくともかなりの魔力を持っている人もごくごく稀にはいる。この子も……けれど、この魔力は――)
そう感じたコーデリアは「少し良いかしら」と門番と少女に対して声をかけた。
門番は聞こえた声に対しすぐに背筋を伸ばし「はい!」と答えた。少女の方はじっとコーデリアを見た後、はっとしたように「この屋敷のお嬢様ね!」と指を指しながら言った。コーデリアはにこっと微笑んだ。
「初めまして、お嬢さん。我が家で働きたいのかしら?」
「そうなの、私、貧乏だから田舎から出てきて……この大きなお屋敷だもの、お仕事あるでしょう?」
少女の声に、コーデリアは静かに一言「わかったわ」と言った。門番が隣で「え?!」と声を上げている。しかしコーデリアは気にせず「こちらにおいでなさい」と少女に言った。
そして来た道を戻り、研究室にたどり着き、ドアを開け――
「ロニー、貴方の助手を連れてきたわ」
「はい!?」
自身のための紅茶を入れようとしていたロニーを驚かせた。
紅茶は奇跡的に零れなかった。
++
その夜コーデリアは執事を通し、父親に二人で話したいと申し出ていた。そしてエルヴィスに空いた時間を指定されたコーデリアは父親の書斎に通され、背筋を伸ばしていた。
相変わらず無表情に見える父親は世間話もないきなりく本題に入った。
「使用人を一人雇ったそうだな」
「ええ、そのことでお話が」
エルヴィスもコーデリアの話の内容は大体予想できていたらしい。無言で顎を少し動かし、コーデリアに続きを促した。コーデリアはまっすぐと父の目を見、口を開いた。
「あの子供の纏う魔力は普通ではありません」
「私もすでにあの子供を見た。よく気付けたな、と言いたいところだが、あの魔力を理解しているならなぜ雇った?」
普通ではないと気づいているのなら、面倒を持ち込まなくても良いだろう。そう、エルヴィスが言っているのはコーデリアも分かる。けれど、コーデリアはにこりと笑って一つの言葉を口にした。
「―――」
それは、12歳の子供の子供が口にするには大胆なセリフであった。
けれどエルヴィスは口の端を上げて笑った。
「面白い。報告を怠らないのであれば、許可しよう。ただしお前にはできないと判断した時点で私の判断が全てになる」
「ありがとうございます」
それは、短い短い会話であった。
だがその受けた信頼を必ず遂げなければならないとコーデリアは固く誓った。
++
田舎から出てきたという焦げ茶色の髪の少女は、名をカルラと言うとのことだ。
彼女を任せられたロニーは、しかし彼女に仕事を与えることができなかった。
なぜなら彼女は文章を読むことができても書くことは出来ず、書類整理は全く出来ない。もっとも雇ったばかりの子供に任せられる書類も早々ないので、例え文字が書けても結果は同じだったのだが。またカルラは魔力量は豊富であったが、扱うことは全くできなかった。魔術を使ったことも無ければ高価な魔法道具など見たこともないという。
だからといって何もさせない訳にもいかず、困ったロニーは期間限定の『先生』になることにした。そして文字は読めるので書くことを宿題にし、昼間は魔力について彼女に教えることにした。ゆえにカルラの仕事は学ぶことになった。だがカルラとロニーの会話はうまく成立していなかった。
「だからぁ、魔力ってのはただ念じればいいっていう訳じゃないんだ。体内を巡る魔力をたどらなければ、それは決して形にならない」
「魔力がめぐる……?何を言ってるのか、全く分からないわ」
「あー……ほら、血が循環してるように魔力も動いてるだろ?」
「言ってる意味が分からないわ。昨日いってた川の水が流れているっていう方がまだわかりやすいくらい」
「……いや、お前それでわからなかったんだろ」
ロニーは図解を交えつつ説明しようとしているが、そもそも魔力を意識した訳では無いというカルラにはそれすらもうまく通じていないのだ。ロニーは商人の出で裕福な家なので魔法道具が身近にあったこともあるのだろう、魔力が感じられなかったことは無いらしい。だから教えるにしても最初の段階でまずつまずいてしまった。
ただ、カルラは決して不真面目という訳では無かった。それは宿題の達成具合からも垣間見れる。元々読めていたこともあるだろうが、文字をロニーが教えればカルラは優秀と言えるスピードで書けるようになった。拙くはあるし間違いも多いものの、何とか自分で手紙のような文章を書くこともできていた。もちろん真面目なのはそれだけではなく、何よりわからないという魔力の巡りも探ろうとしている様子からもうかがえた。
それだけにロニーは苦心していた。放り出すことができない。結局のところ彼は面倒見が良すぎるのだ。だからこそコーデリアは彼女をロニーに任せたのもあるのだが。
カルラがやってきて十日、ロニーは今日も弟子への講義を終えると机にうつ伏していた。彼はかなり疲れていた。カルラは授業が終わるとほかの使用人たちと同様、使用人の部屋に戻ってゆく。その際コーデリアは、彼女に「慣れるまでの間、何かあれば彼女たちに声を掛けてね」と魔術師の女性を彼女の側に置いていた。カルラは当初は戸惑った様子だったが、今は慣れたのだろう。迎えにきた魔術師の女性に連れられ今日もコーデリアの前から退出していった。
そして足音も聞こえなくなったところでコーデリアはロニーをちらりと見た。
「今日もお疲れ様ね、ロニー」
「疲れたってレベルじゃないです、なんで俺子供の相手してるんですか」
「あら、私も子供よ。それも8歳からの付き合いじゃないの」
そう言いながらコーデリアはロニーの大好きな紅茶を淹れる。本来なら使用人に用意させるが、コーデリア自身も淹れることは好きである。特に自分で集めた茶葉を初めて使用するときは自分で淹れるようにしているのだ。
ロニーはコーデリアから茶を受け取りながら「だってお嬢様最初から魔術の制御できてたし……俺も子供の時からそうだし。まぁ確かにカルラはあのままだと色々な意味でまずいけど……それはカルラがどうこう出来る問題でもないだろうし」と、長いため息をついていは頭を掻いた。
「ま、こんな授業がいつまで続くかはお嬢様次第でしょうけど。あの子を本気で使用人に召し抱えるつもりはないんでしょう?」
「それはこれから次第じゃないかしら」
「危険性を認識し、魔術師を常に監視に置いておきながら俺にも教えないって……一体何考えてるんですか」
コーデリアの言葉にロニーは再びため息をついた。コーデリアはにっこりと笑い、そして「では、カルラに新しい課題を。この本を三日以内に読み、その内容を理解するように言っておいて頂戴。勿論、分からないところはロニーに聞いてもらっても構わないわ」と軽く言い放った。カルラは本に興味を持っているようで、すでに数冊の頁数の少ない本は読んでいた。だが、ロニーは顔を蒼くした。コーデリアが笑顔で手渡した本は今までの本とは比べ物にならないほどの厚い、まるで辞書のような本だったのだ。本の題名は『魔術初級解説集』。コーデリアが幼い頃に読んだ本であった。
だがロニーの顔色はその題名を見ても変わらない。
「……これ三日って……なんか、懐かしいこと思い出しますね……」
「?」
「いや、いいです。カルラなら読むでしょう。俺の授業時間も使えば」
まぁ、仕方ないとロニーは言い、今日中に渡しておくとコーデリアに伝えた。部屋まで送りましょうかと言ったロニーに断りを入れ、コーデリアは無言の笑顔で手を振り、ロニーの背を見送った。
そして一人になった研究室で小さくつぶやく。
「……そろそろ動き出してくれてもいい頃なんだけれど、意外と悠長なものね」
ちょっと動きにくくしすぎたかしら。それとも迷いでもあるのかしら。
コーデリアは茶を啜りながら目を閉じ、心の中でつ呟いた。そして喉を潤した後、ため息とともに言葉を吐き出した。
「動かないなら、こちらから餌をまかないといけないわね」
父親との約束もある。
悠長にしていては報告があげられないと、コーデリアは立ち上がる。そして窓から空を見上げた。綺麗な夕闇が辺りを包み込み始めていた。




