第十幕 旅立ちの前に
あまり得意ではないダンスレッスンを終えた昼下がり、コーデリアは嬉々として自ら茶器を扱っていた。
「お嬢様、今度は何をなさっているのですか」
「新しいハーブが手に入ったの。だからハーブティーを淹れているのよ。ロニーも飲むから?」
「ええ、お嬢様のお茶は侍女が入れる茶より美味……って、ぐっ、これ、俺好みじゃないです。苦い」
コーデリアは淹れた茶をしかめっ面で返そうとするロニーに苦笑しながら、「苦いなら蜂蜜を入れると良いわよ、って言おうとしたのに先に飲むからでしょう」と彼に瓶を差し出した。まるで手のかかる兄を持った気分だった。
「……うん、蜂蜜って偉大ですよね。この茶にはどんな効果が?」
「元々南西の国で飲まれているお茶で、花粉症対策に良いのよ」
コーデリアは蜂蜜を入れずにそれを飲みながらそうロニーに言った。
父の部屋の書架にあった民間療法調査の研究書からみつけたハーブである。
とはいえこの国の王都で花粉症に困る人は聞いたことが無い。もしいたとしても少数派過ぎて本人ですら「花粉症」の概念を持っていないだろう。だから売り出すとすれば主に別の効用……例えば冷え性対策などにと考えているが、蜂蜜はこの国では安くは無い。苦みが苦手な人には飲みづらい代物になるだろう。そう考えれば手に入れたは良いものの、他のものを用いる方が良いのだろうなとぼんやりと考える。
(個人的にはこの苦みがたまらないんだけどな)
なかなか初めはとっつきにくい味かもしれないな、そう思いながらコーデリアは軽くぽんぽんと手を叩いた。
「さて、お茶の時間はこれくらいにしておいて。カレンデュラの浸出油剤がそろそろいい具合に出来上がっているはずだわ。ミツロウと混ぜてしまいましょう」
「確かアカギレ対策のクリーム作るんでしたっけ。水場で仕事してる使用人たち、完成をうずうずしながら待ってましたよ」
すっかり蜂蜜入りのハーブティーが気に入ったらしいロニーは勝手に二杯目をつぎながらそう言った。コーデリアは苦笑した。ロニーの行動に少し呆れたこともあるが、照れくささも有ったからだ。
自分の作品を証明するために始めたことであるが、やはり期待されると嬉しいもので。
ひとまず二杯目を飲み始めたロニーは放っておくとして、コーデリアは棚から浸出油剤を取り出そうとした。だがそれは部屋をノックする音に止められる。現れたのはハンスだった。
「コーデリア様、旦那様がお呼びです」
「あら、お父様が?直ぐ行きます」
今日は登城していたはずなのに珍しい、そう思いつつもエルヴィスからの呼び出しに悪いことなどなかったと知るコーデリアの足取りは軽い。
何かあったのだろうか、という考えも何か良いことが起こるのではという期待ばかりである。
そして今回もその期待は裏切られなかった。
「領地への視察、でございますか?」
「ああ。予定では来月ならお前を連れて行っても良いと思っていたが、仕事が片付いたのでな。少し長くあちらに居ようと思う。5日後に発つ予定だ。準備しておくように」
父親の言葉に選択肢はない。
だがコーデリアには断る理由なんてこれっぽっちもない。コーデリアは「かしこまりました」と一礼すると、小躍りする心を抑えながら自室への道を急いだ。心なしか足取りは早くなっていた。
部屋に帰ったコーデリアはまず地図を取り出した。
パメラディア領の地図である。
パメラディアの領地の中で一番大きな街・エルディガは東西に伸びる街道と南北に伸びる街道がぶつかる位置に存在している。ゆえに商業が盛んであり、国内でも第三都市と呼ばれるほどに栄える街である。南からは海産物が、北からは工芸品が、西からは毛織物が、そして東からは鉄鋼品が。他にも様々な果物などがあふれている。
(けれど……品質の良い木々を持つ村々のことはほとんど教えられていないのよね)
パメラディア領内の生活水準は比較的高いと兄から聞いて居る。ただ同時に、地域格差の話も少し聞いて居た。やはり栄えたエルディガに比べ人口の少ない地域に問題点を抱えていないこともない、と。
きっと父親ならその辺りのことも今回教えてくれるだろう――そう思った次の瞬間、コーデリアは弾かれたように顔を上げた。
「って、こうしてはいられないわ。カレンデュラのクリームを作っている途中なんだったわ……!」
急ぎ地図を片付け、そして品を失わない程度に急ぎコーデリアは自分の実験室に戻った。戻るとロニーが湯を沸かしタライに入れ、ハーブを浮かべ、足をつっこみ部分浴を楽しんでいた。実に自由な彼は「実験参加してますよ!」と言っていたが、絶対にリラックスすることを楽しんでいるだけだろうとコーデリアは思った。ロニーが緊張することなどほとんどないだろうから、リラックスの必要性を感じないのだが……
コーデリアは軽く咳払いをしてからロニーに告げた。
「ロニー。至急の仕事です。私は父上の領地視察に同行させていただくことになりました。ですので、あちらの屋敷の皆に土産を作りたいのです」
初めて訪れる領地の屋敷に、せっかくなら手土産を持って行きたい。そしてこの効力を見てもらいたい。まだ全く知られていない場所で、どのような反応をされるかも気になるところだ。
(本当なら香油のマッサージ効果も試したいけど……まだエミーナですら現状の香油マッサージの最中だわ。間に合わないわね)
少し残念に思いつつも、まだ数年の猶予があるのだとコーデリアは気を取り直した。
それにまずは実用品から攻めてゆくのも悪くはない。
「ああ、じゃあこのアカギレ解消クリームいいじゃないですか。あっちはこっちより少し寒いし」
「ええ、私もそうしようと思っているの。……それから、移動中は私は父上と同じ馬車に乗車することになると思います」
「でしょうね」
「……この研究はそもそも、父上のお疲れを癒すことを目的に始めました。ですので――ロニー、至急、肩こりを起こすような仕事をしてきてください」
コーデリアの言った言葉に、ロニーは目を点にして、そして機械が壊れたように首を90度傾けた。
「はい?」
「父上の肩こりを解消するための湿布薬は目途がついています。が、被験者がいない。ベンジャミンやハンスなら肩も凝っていそうですが、父上に気づかれたくないのです」
「……お嬢様……」
「筋肉痛でも構いません―――仰せのままに、お嬢様、でしょう?」
この日、ロニーは意外とこまめにつけている日記にこう記した。
――お嬢様を、初めて鬼だと思った――と。
結局ロニーの肩こりは「普通に魔術師の中で仕事してたら三日と掛かりません」とのことだったので、コーデリアは即座にロニーを解析魔術師の仕事場へと送り返した。悲壮そうなロニーの顔は見なかったことにする。そもそも戻ったら戻ったで楽しそうであったので気にする必要もないと思ったのだ。
そしてコーデリアは自分のノートをとりだし、メモ書きを読み解いていく。
「眼精疲労からの肩こりなら熱い湯にラベンダーの精油を落として、タオルを浸した後に絞って目の上に置けば効果があるわね。お父様に効果がありそうで一番簡単なシップはやっぱりこれかな。筋肉疲労……ではないでしょうし」
そしてページをぱらぱらめくる。
「心身のリラックスはラベンダーの芳香剤浴よね。ハイビスカスやローズヒップがあれば良いハーブティーもできるんだけど……まだ手に入れてないし……でも、血行促進ならローズマリーも十分役立つわ。血行が良くなれば肩こりの改善も見込めるはず」
けれどやはりもう少し種類を増やしていかないと、いろんなことはできないな。
そう思いながらもコーデリアは「シップっと言えばやはりタオルより貼って剥がせるタイプのものが良いわね……」と次なる目標を設定していく。
「……もし、シール状のシップが完成したらお兄様にプレゼントできるわね。打ち身を作られることも多いでしょうし……お兄様なら筋肉疲労のシップが必要になるかもしれないわ」
そう思うも、目の前の課題は手土産づくりと父へのプレゼントだ。
一旦兄への贈り物は横に置いておくとして、コーデリアは必要な事項を書きだした。準備期間はそんなに長くない。手際よくやらないと……と、思っているときに現れるのが、友人であるヴェルノーである。
エミーナが困ったような笑顔で案内するヴェルノーは相変わらずアポイントメントという言葉を知らないようである。……いや、言葉自体はしっているだろうけれど、自分が使うものだとは思っていないのかもしれない。特に、コーデリアに対しては。
「よ、ディリィ。忙しそうだな」
「……見ての通りです。今日はどのようなご用件ですの?ヴェルノー様」
そう言いながらもコーデリアはエミーナに茶菓子の準備を依頼する。
「そういえば、前回も今日も、髪色を変えてらっしゃらないのですね」
街でジルと一緒にいたときは変えていたのに、どうしてだろう?そうコーデリアが思いながら尋ねると「ああ、あれか。あれは俺一人じゃない時専用だな。まあ、保険みたいなやつだ」と、いまいちハッキリしない返答を彼はする。
「……?」
何のための保険だろう。そう思いつつも、テーブルの上にヴェルノーが一輪の花を差し出したのでそれ以上尋ねることはできなかった。
それは真っ赤なバラだった。
「これは?」
「ジルから。バラ好きだって言ってたって言ったら、持って行ってくれって」
「すごく……見事なバラですね」
中輪で香が良く、なにより鮮やか。中心部のみ白い花弁が混ざっているのがまた美しく、コーデリアもまだ見たことのない品種だった。
「これはなんというバラなのでしょう」
「あー……これ、ジルの家が作った新種で最近まで名前ついてなかったんだけどさ「コーデリア」って名前付いた」
「……!?」
コーデリアは一瞬むせかけ、けれどすぐにそれを飲み込んだ。
最近まで名が無かった花につけれた名前が自分と同じ――まさか、自分の名前が由来なの?そう思ったが、すぐにそれは違うとかぶりを振った。ディリィで紹介されているコーデリアは本名を彼になのってはいない。そもそもバラの改良だって彼がやってる訳ではないだろう。したがって、きっと同じ名前のバラを見つけて送ろうと思ってくれたんだ――そう、平常心を保とうとしながら解釈した。
「では、私はこのバラに負けぬよう、成長していかなければなりませんね」
「気に入ったら株ごと分けるってジル言ってたから、良かったら手紙でも書いてやってくれ。本当はジルも来たがっていたんだが、アイツは何分忙しくて抜け出すに抜け出せなかった」
そう言いながらヴェルノーは運ばれてきた菓子に手を伸ばした。食べ方はとても優雅だ。
「あの、ヴェルノー様」
「ん?」
「きちんとお礼を書きたいので、お手紙は後日でも構いませんか。恐らくヴェルノー様が帰られるまでに上手く表すことができません」
必要でしたら、我が家の使用人に届けさせていただきますから。そういうと、ヴェルノーは難しい表情を見せた。
「……手紙をうちに届けてくれたらジルに渡すのは簡単だが……なあ、早く書けないか?」
「どうしてです?」
「絶対ジルがそわそわするからだよ」
大真面目な顔で言われ、コーデリアは小さく噴き出した。
「ヴェルノー様、それは買いかぶりにございます。私の手紙でジル様が心落ち着かないということもないでしょう」
珍しく真面目な顔で冗談を言うヴェルノーがおかしくなったコーデリアはくすくすと笑った。ヴェルノーは「お前も一回見たらわかるんだよ……」というが、コーデリアには聞こえてなかった。
「まぁ手紙はどうしても今日、とは言わないけどね。花の返事だけ聞いとこうか」
「お花の?とてもきれいですよ」
「じゃなくて。……株、分けてほしいかどうかというやつ」
そう言われて、コーデリアは少し悩んだ。このバラはとてもきれいだ。香りも良い。実験に使ってみたい。……けれど新種のバラという事は、これをジルの実家が作ったというのなら商用に使われる可能性が高い。それを利用していいものか――その辺りがはっきりわからなかった。
そしてそれもヴェルノーに相談するべき事柄では無い。
「……それも含め、お手紙に書かせて頂きたいと思いますわ。とてもきれいなバラで、ずっと眺めていたいと思うほどだとお伝えくださいな」
「わかった。ディリィは頑固だから決めろっていっても答えてくれなさそうだしな」
ちょうど茶も飲み終えたらしいヴェルノーは大げさに身振り手振りを付けてそう言った。
「ヴェルノー様、以前より思っていたのですがそのようなことを女性に言うという事は、運命の出会いを逃すきっかけになると思いますよ」
もちろん、自分は関係ない話ではあるが。
彼の父が運命の出会いを力説しているわりに、どう見ても彼は自分の運命の道筋を埋めてしまいそうだ。通行止め間違いなしだ。幼いころに矯正した方が良いのではないかとコーデリアは彼を心配したがゆえの発言だったのだが、当のヴェルノーは「わかってないなぁ」とコーデリアを鼻で笑った。
「運命の出会いだと思ったらこんな態度とるつもりないから大丈夫だって」
「………」
随分計算高い子供かとおもったが、人の事を言える立場ではないのでコーデリアは微笑んで誤魔化した。賢い子供というべきなのだろうが、どうにも子供らしくない子供――そして、将来大物になりそうな子供だな、と。
「ヴェルノー様、私、ヴェルノー様に想い人ができた際には静かに見守らせていただきますからね」
同時に、過去自らの父親が苦労したというフラントヘイム侯爵の大恋愛騒動のようなものに巻き込まれないよう注意していこうと、固く誓った。
(……そうだ、領地で珍しいものを見つけたら、お二人にお土産を買って帰ってこようかしら)
コーデリアは眉を寄せているヴェルノーを見ながらふと思いついた。
しかしこの年頃の男性……いや、男児が喜ぶものが何かという事は全く想像がつかなかった。そしてそう思ったと同時、この年ではなくとも男性の嗜好というものが全く分かっていないことに気が付いてしまった。
(こ、こういう時はお父様を頼りましょう)
そして後日、父が「早くも娘が色恋に興味を持った」と勘違いしうろたえることを、コーデリアは想像だにしていなかった。




