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第九幕 お嬢様のテスター募集

 コーデリアがエルヴィスと領地訪問の約束を取り付けてから暫く経った頃。

 パメラディアの女性使用人の間には非常に悩ましい話が回るに回っていた。それは「お嬢様が化粧品の被験者を求めている」という内容のものだ。


 コーデリアがロニーを伴い実験を行っているのは周知の事実だ。しかしそれは薬草を扱っている事以外は何をしているか伝わっておらず、結果コーデリアが募集の告知を出す4日前まで化粧品を扱おうとしていた事は誰も気付いて居なかった。だから驚きに包まれたと言う訳だが、例え化粧品を取り扱おうとしていたと知られてもテスターの募集をするとは誰も予想できなかっただろう。


 テスター募集の条件は明確に示されていた。条件はたった5つだけ。


(1)一ヶ月間現在流通している香油を用いたマッサージを受けることが出来る者

(2)(1)の期間終了後、一ヶ月間新薬を利用したマッサージを受けることが出来る者

(3)乳幼児に接する可能性が無い者

(4)被験者としての給金は施術時間を基本とした時給とする

(5)万が一被験者に害のある症状が出た場合はパメラディア家の責任を以って治療にあたる


 これに対し使用人達はというと『この応募が何処まで本気なのか』と疑念を抱いていた。これは女性にとって魅力ある募集である。屋敷勤めの給金が低い訳ではないが別途給金が出るという魅力がまず一つ。そしてそれ以上に大きな魅力は『高位貴族しか体験できない香油を使用できる』『マッサージ施術を受けられる』ということである。これは通常の給金だけでは当たり前のように厳しいと言える贅沢だ。

 だがその使用人達が好印象を抱いたにもかかわらず誰ひとり被験者として名乗り出る者がいない事にも理由が有る。まずは先に挙げた「本気なのか分からない」ということだ。それは同時に「いくらなんでも恐れ多すぎる」という思考ベースがあるからだ。その他に考えられるとすれば「本当に募集しているなら他の方が希望するはず」という使用人間での遠慮合戦からだろう。だが大抵は二つ目の理由に到達できるほど考えが進まない。腰が引けてしまうのだ。


 その現状は募集をかけたコーデリアにも理解できていた。自ら募集を告知しておいて「それはないだろう」と言われそうだが、ある程度は想定範囲内である。コーデリアとてあまりこの様な言い方はしたくないのだが、使用人が身の程を弁えているが故に問題が起こったのだろう。


(――唯一、少しだけ不服があるとすれば私が本気だと思って貰えていない事かしら)


 不満が無いわけではないが、コーデリアはこの状況を決してナーバスに捉えている訳ではない。仕方が無い事も理解できている。そして解決まで余り時間を要しないだろう事も。

 例えば誰か生贄を……ではなく前例が出来さえすれば問題は無くなるはずなのだ。

 今回は“これからも募集しますよ”という告知だと思えばそれでいい。


「ねぇ。ロニー。貴方、女性になる予定はなくて?」

「ありません。……まったく、被験者が現れないからって無茶ぶりしないで下さい」


 呆れたようにロニーに言われるが、コーデリアとて本気で言っている訳ではない。八割程は遊びのつもりで言っている。残りの二割は悪戯心だ。


 コーデリア自身が被験者にならない事には理由が有る。

 一つ目は“お嬢様”がいわゆる“毒見”を済ませていないモノを使用する事が望ましくないことだ。一応解析を済ませてあるとはいえ、あくまでそれは想定でしかない。二つ目は幼少の者が使うには精油の威力は少々強すぎることだ。特にミントは幼い肌には刺激がある。それに子供の間に流行させる訳ではないのだから、コーデリアが被験者では意味がない。


「で、どうするんですか。せっかくペパーミントの精油も香油も安定するレベルに仕上がったのに、募集で二の足を踏んでるようじゃ話が進みませんよ」


 ロニーの言葉にコーデリアは「そうね、けれど特に問題はないわ」と余裕の態度を見せる。

 元より手厚くもてなすと示した所で応募者が現れる期待は強くはなかった。だから手なら他にも考えていた――というより、募集以前から考えていた被験者候補なら既に存在する。


 コーデリアは側に控えていた侍女ににこりと微笑んだ。


「ねぇ、エミーナ。貴女、協力してくれるかしら?」


 コーデリア付きの侍女、エミーナ。

 彼女は実は貴族階級に生まれながらもお家事情により家を離れた経緯を持つ……らしい。そしてその際にコーデリアの姉マルヴィナが手を貸した事によりパラメディア家に仕える事になったとも聞く。姉も彼女も詳しく語らないのでコーデリアも表面的な事しか聞いていない。


 エミーナが貴族階級出身である事は使用人の中でも知られていないとコーデリアも気付いている。所作が使用人の中では群を抜いて洗練されているため、時折『貴族みたい』と同僚に言われているようだが、それもあくまで冗談の範囲である。


 だからコーデリアもエミーナに対し主従関係のスタンスを貫いている。エミーナもただただ優秀な侍女としてコーデリアに尽くしてくれている。そのエミーナが小さな主の願いを断らないのは明らかで有る事はコーデリアとて心得ている。逃す手はない。


 だがコーデリアとて単に被験者として関わらせる為だけにエミーナを指名した訳ではない。

 いつもの御礼にリラックスしてもらえる環境を提供出来たらコーデリアとしてもとても嬉しい。またエミーナはとても綺麗な女性だ。だからその綺麗を維持する為にも是非実験施術を受けて欲しいと思うのだ。


 またエミーナが貴族階級出身であることもコーデリアにとって都合が良い。貴族であった彼女は良い品物に慣れている。パメラディアの使用人は良いものを見慣れているのだが、使い慣れている使用人となれば話は別だ。貴族としての感想も得られるだろう。

 彼女以上に、winwinの関係になれる被験者も存在しないだろう。もっともその見解も“コーデリアから見て”にはなるのだが。


「私が、でございますか?」


 エミーナの確認の言葉にコーデリアは重ねて肯定を示した。


「ええ。きっと貴女にも良い結果をもたらす事になると思うの」


 コーデリアの言葉にエミーナはほんの少しだけ驚いた様子を見せたが、すぐに「お嬢様の仰せのままに」と了承を伝える。コーデリアはそれに笑顔で「ええ、お願いいたしますわね」と満足に応える。


 その様子を見ていたロニーは、小さく呟いた。


「それ、いいですね」

「……何がですか、ロニー?」

「『仰せのままに』ですよ。俺、そんな事言ったことないけど何て言うか本物の『お嬢様』って感じですよね。次から使おう」

「ロニー、お嬢様は常にお嬢様です」


 少しテンションの上がるロニーに対しエミーナは冷静に答えた。

 コーデリアはエミーナにはこの言葉を言われ慣れている。だが……ロニーに言われるのは恥ずかしいと思わなくもない。

 しかしここで否定すればエミーナに言われていることも不快だと示すようで、それは本意ではなく……


「……ロニー、その様な事より、貴方が『すぐに出来る』と言っていた品物は仕上がっていますか?」

「う……ま、まぁぼちぼちですね」

「信頼してますよ」

「うーん……ま、お嬢様の仰せのままに、ですね」


 目をそらせようとしていたのに、やたら楽しそうな反応をするのは何故なのだろう。いや、コーデリアにも分かっている。宣言した事が早速言えて嬉しいのだろう。……全く、いつも楽しそうで何よりである。

 コーデリアがロニーに依頼しているのは先に道具屋のマスターに注文した保存用の瓶の仕上げ、つまりは蓋の作成等である。精油は変質しやすい。そのため保存には色瓶を使う事になるが、同時に密閉も怠ることができない。蓋は大事だ。さらに言えばせめて未開封時は瓶から空気を追い出し、ガスで酸化防止を促したいーーなどという研究を、コーデリアはロニーに依頼していた。……まあ、ぼちぼひというあたり進み具合はいまいちのようではあるのだが。


「では、ロニーは遅れている分を新たに協力していただきましょうか」

「え、何ですか」

「精油の性能を試すのに、協力者一人では試したい事を全てするには足りないでしょう?」


 そして部屋を出たコーデリアに急ぎ付いてきたのはロニーのみ。エミーナには事前に別の用件を頼んでいるので彼女は来ない。そもそも目的地が魔術師棟となれば彼女にとっても余り馴染みのある所では無い。


 実験材料の借用でコーデリアは何度か訪れたことはあるが、魔術師棟自体は特に変わった所では無い。研究所と分かりやすい内装である以外、外観も本館に準じているので違和感はない。

 そして内部の魔術師達も、魔術師長以下皆、本館の人間と同じ態度をとっている。唯一の例外、ロニーが無礼を働かないかと未だ心配する程には。


「コーデリア様、ようこそおいで下さいました」

「お仕事の邪魔をして申し訳ございません。ですが、お願いがあって参りました」

「依頼でございますか?それはどのような用件で?」


 コーデリアを出迎えたのは魔術師長であるセシリーは少し恰幅が良い女性魔術師で貫禄を携えている。女性年は聞くものじゃないと言うのが彼女のスタンスだが、10歳になる孫の話は仲間内でよくしている。ちなみに担当は水質管理であり、パメラディア家が使用する水回り関する事を担っている。それは毒見の前段階の検査であったり、魔力鉱石を利用した“水道”に近い設備の開発担当だったりと様々だ。


 その彼女にコーデリアはにこりと告げた。


「貴女に私の実験への参加を願いたいの」

「お嬢様の……募集なさっていた事でございましょうか?」

「ええ。ただセシリーにお願いしたいのは募集の内容と少し違うの。貴女は最近肩こりを感じていますでしょう?その解決になると思うので、アロマバスを試してもらいたいの」

「あろまばす、ですか?」

「ええ。湯船につかって欲しいのです。……あと二日もすれば用意が出来るはずですので、浴槽に湯をはり精油を入れゆっくり浸かっていただければ嬉しく思います」


 あろまばす、と、聞き慣れない言葉を再び復唱する魔術師長にコーデリアはもう一度「ええ」とにっこり告げる。


 この国に風呂の習慣が無いわけではない。

 ただ何かを浴槽に混ぜるという発想や、そもそもその浴槽に浸かるという発想はない。浴槽は存在するものの主流は蒸し風呂であり、浴槽は身体を湯で流す際に洗面器のようなもので湯を汲み上げるためだけのものとして存在する。だから「ゆっくりつかる、ですか……?」とセシリーはやや動揺しながら聞き返した。もちろんコーデリアはにこりと微笑み返事をするだけである。


 アロマバスの用意は難しくない。元の世界では湯船に少量のペパーミントとラベンダーの精油を湯に混ぜるという方法をとっていた。現世の精油であればその半分でおおよそ同じ効果が得られるのではないかとコーデリアは考えている。ペパーミントは血流増加作用と筋肉をほぐす働きが有る。一方ラベンダーは血流増加作用にリラックス作用も含んでいる。

 ラベンダーの精油は未完成だが、あと数日ののち花の収穫さえできれば実験の目処は立っている。


(……セシリーだと都合がいい理由、肩コリ改善もだけど更年期対策も兼ねているなんて言えないけど)


 ペパーミントは先に実験参加を依頼したエミーナにとって良い精油の一つであることは間違いない。それと同時にこのセシリーに対しても間違いなくベストな精油の筈である。おまけに彼女は水質を見破る魔術師。自分に害が有るか有益かを見抜くのはお手の者の筈である。彼女が認めれば、他の使用人が「間違いない」と認めざるを得ないと言うことだ。


 もちろんコーデリアにも不安要素が無いわけではない。人に合う精油は人により異なる。効用がうまく作用するかが分からないのだ。


 だがコーデリアは既にその人物に合う精油か否かを見破る能力を身に着けていた。最大のヒントとなるのはその人の纏う魔力の流れだ。身体を覆う不調の原因である魔力の漂いを、精油の纏う魔力で打ち消すことが出来る。これがこの世界での精油の効果であるらしい。


 加えて、コーデリアの……パメラディアの能力自体に強みがある。解析能力を応用(もしくは失敗)した分解能力が、人に合わせる精油の生成に一役買うはずだと認識している。コーデリアは未だ解析能力は使えないが、切り離してしまう分解能力は随分磨かれてしまっている。植物の生命力は元来強い。その強みを生かす方法に向けることを効用の目的としているが、逆に出したくない効果、もしくは今は必要としていない効果まで強める危険性もある。だからコーデリアはセシリーを見、その魔力の流れを読み取り、彼女だけに合わせたミントの調合、及びラベンダーの精油の完成をまず三日で行おうとしていた。一部の成分の効力を弱め、一部を強める――それは手間がかかり、一人一人に合わせて行うことは商用には向いていないだろう。けれど、もしもうまくいけば、『特別』は特別な人に渡せば……たとえば特別な情報を持つ人に渡せば、将来役に立つかもしれないと考える。


 それでも不安が残るのは、やはり香りの好みは人それぞれだということである。

 嫌いな匂いだとやはり使い心地が良いものではない。匂いの好き嫌いも何となくわかるが、コーデリアも確信を持つまでには至っていない。


(でもこれでセシリーが良い返事をくれたら……まだ少し材料がたりないけど、将来的にはバスソルトも試してもらおう。効果や方法も少しずつ変えて、私の実験を見何知って貰ういい機会にする――)


 コーデリアは少々戸惑うセシリーに、満面の子供の笑みを見せた。


 そしてこの実験はそれ程時を経ずして使用人達の間に広まり、「お屋敷勤めの最大のご褒美」と言わしめるようになる。そしてそれは使用人から市民へとぼんやり伝わり、パメラディア家には秘薬があり、使用人も使用できると噂されるようになる。


 こうしてコーデリアの精油は、正式に発表される前から人々の注目を集めるようになっていた――


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