第八幕 貴族の矜持
コーデリアが記憶する範囲では、ロニーは確か魔法道具屋のマスターは午後に屋敷を訪れると言っていたはずである。ロニーはその際に『マスターが酒臭く来ても許せ』という旨の発言をしていた。だがどういう事だろう。約束の時間に現れ、そして今現在目の前に居る魔法道具屋の店主は先日コーデリアが見た風貌とは全くの別人だった。具体的に言うと漆黒のローブを着用し、髪を後ろで一つに束ね、魔術師としての正装といえる恰好をしていた……つまり綺麗な身なりだったのだ。当然酒臭さ等全く感じさせなかった。
結局コーデリアが何を訴えたいのかというと――つまりは「別人です」ということだ。
「この度は我が工房を御贔屓にしていただき、誠にありがとうございます」
そう述べるマスターにコーデリアは「こちらこそ、難しい依頼を受けて下さった事に御礼申し上げます」と反射的に答えるものの違和感が拭えない。それは一緒にいるロニーも同じだったらしい。
「マスター、どうしたんですか。似合わないですよ」
そんなロニーの言葉を聞いたマスターはロニーの首根っこを捕まえると続けざまに頭を押さえ「お前伯爵家の御令嬢に何言っているんだ!」と小声で叫んだ。小声といってもコーデリアには充分聞こえたのだが……どうやら彼は例え昼間から店先で酒を煽ろうとも“一般的な常識人”であったらしい。
「マスター、お気になさらず。ロニーは普段から“こう”ですので」
「しかし、コーデリア様……こいつは、」
「良いのです。彼は、腕が立つ。それで充分なのです」
そう言ったが、マスターはまだ何か言いたそうである。しかしそれ以上に物言いたそうだったのはロニーであった。
「何ですか、マスターもお嬢様も失礼ですね。ってかマスターもこの間伯爵邸に来てくれって言ったら今からでも行ってみたいって言ったじゃないですか!!」
「あの状況でお前が本当の事言っていると俺が信じると思えるのか?!――と、申し訳ございません、コーデリア様」
「良いのです。それより、ガラス容器はどちらに?」
「は、はい、それはこちらに……」
そう言いながらマスターはコーデリアの前にガラス容器を差し出した。ガラスは魔力の影響を受けたのか完全な無職透明では無く、やや薄桃色がかったガラスになっていた。着色原因が魔力の影響だとコーデリアが判断したのはガラスに触れた際、自分の中に宿る魔力の動きが明らかに変化したからだ。
「では確認させていただきます」
コーデリアはそう言うと既に組み立てていた器具にそのガラス容器を据えた。そしてミントを容器の中に入れる。既に蒸留水や冷却装置は準備完了しているので、あとは熱を加えて魔力を注ぐだけで確認できる。
「これからマスターには私の魔力がこの中の薬草に届くかを見て頂きます。ですが、何をしているのかは他言無用に願います」
「畏まりました」
「では、始めます」
コーデリアはロニーに目配せをするとランプに火を灯し過熱を始めた。やがてゆっくりと蒸気が出現し蒸留釜に移る。そこでコーデリアは自らの魔力をミントに届けようとガラス容器に手を翳した。そして自身の中に流れる魔力に気を向ける。すると不思議な事に魔力は注ぐまでもなく、まるで自らの意思でミントに吸い寄せられるように動いた。ガラスに魔力が撥ね退けられる感覚も無く、あっさりとガラス容器にその力が吸収される。
まるで水が流れ落ちるように自然にガラスを通り抜けるのだ。
「うわぁ……流石マスター。何、これ完全に新しいタイプの道具ですよね」
「見た事もない魔力だったからどんな通り道を作ってやればいいか分からなかった……が、施行錯誤の末だ。……です」
ロニーの問いにマスターは微妙な語尾を交えつつ答えた。コーデリアはその事に少し苦笑した。そう緊張されなくてもいいのに、と。しかしこのガラスはコーデリアに本当に合っていた。しかしそんな事を言おうものならマスターが余計に緊張すると思ったので、今日ではなく機会を狙って言おうと思った。けれどこのガラス容器なら苦笑出来るどころかそういう思考を巡らせる余裕がある程に安定した魔力供給が行えるのだ。これなら簡単な会話をしつつも精製できそうだ。そう考えながらコーデリアはマスターに尋ねた。
「このお代はいか程かしら?」
「いいえ、お代は結構です。ただ、次の注文からは頂きますが」
「お代が要らない、とは?」
「実はこのガラス容器を作成する過程でとても売れる商品の開発が出来まして。ランプなのですが、今までと違う形で魔力を流し込んだ事によりフードがまるで波打つように変化するのです。……これもコーデリア様のご依頼が無ければ出来上がる事の無かった偶然の産物です。この御礼に今回分はサービスにさせていただきたいと」
そう言いながらマスターは「次に御依頼頂いた場合、こちらの価格でお受けいたします」と用意していたらしい一覧表をコーデリアに手渡した。一応ガラスのサイズにより料金が異なっているらしく価格は様々である。加えて一番下にはランプの値段が記されていた。恐らくこれが先程マスターの言っていた副産物なのだろう。この辺りは「欲しいなら買え」というスタンスでかえってコーデリアには面白かった。
「わかりました、ありがとう」
「いいえ、こちらこそありがとうございます」
「今私が行っているのは薬草成分の抽出実験なのだけど、後々保存用の小瓶が必要になります。それもお願いしてもよろしいですか?」
「も、もちろんでございます……!詳細の打ち合わせは、コーデリア様のお手すきの際に」
「ふふ、ありがとう」
マスターの緊張具合が先日と数段違っていて面白い。コーデリアはそう思いながら観察していたのだが、マスターもマスターで不思議そうにコーデリアの実験の様子を観察していた。
「この実験は、外国からの伝道ですか?」
「これはお嬢様の考案の新しい実験なんですよー。凄いでしょ」
コーデリアの代わりに……というよりコーデリアが答える前に口を挟むロニーは自分の手柄のように自信満々にコーデリアを褒めていた。少なくともコーデリアとしては少々控えめにして欲しいと思う程に。恥ずかしい。だがロニーは褒めるわけではなく本当に何も考えずに言っていただけのようで、続けて「……尊い方々は前例を踏襲する事を好まれると聞いていたのですが、違うのですね」とマスターが言った言葉には「言い方変えたら良いのに。貴族は頭固いと思ってたのに、ってことでしょ?」と、堂々と失礼な事を言ってのけていた。
「口を慎め、ロニー」とマスターが言うほどには、堂々と。
しかしそんな様子もコーデリアには慣れたものである。“だってロニーだもの”で済むほどには慣れている。流石に貴族の来客相手にこのような事を言われたらたまったものではないが、幸いにもロニーは貴族相手だとさっさと逃げるという手段を知っている。だから問題は無い。何時もの事だ。だからコーデリアも咎めることなく肯定した。
「ロニーの言葉はあながち間違ってはいないと思いますよ。私も未だ貴族社会に詳しい訳ではありませんが、耳に入る話からすると実際、前例の無い事を嫌う人は多いようです」
肯定したコーデリアをマスターは驚くように見た。コーデリアは微笑みながら言葉を続ける。
「そもそも何事であっても物事がうまく行っている――もしくは不満がない時にわざわざ別の方法探る人間は滅多に居ない。けれどこれは貴族であっても、そうでなくても同じでしょう?」
「……コーデリア様は随分冷静に物事を見られるのですね」
「冷静に、と言うほどでもありませんよ」
「ご謙遜を。流石はパメラディア家の御令嬢なのですね。コーデリア様、新しいものを世に送り出すタイミングは商機です。今回の私のランプのように。コーデリア様の実験の先にも良き結果が訪れます様お祈りいたします」
“それはもちろん狙っている事なのです”、とはコーデリアも言わなかった。
幼い見目をしている……実際に8歳であるコーデリアだからこそ貰えるアドバイスだ。今回は知っている事柄であったが、商売人としての知識はコーデリアには存在しない。だから今後色々と取引を教わる事があるかもしれない。コーデリアはただにこりと笑んだ。
しかしそんなコーデリアの横でまたもや能天気な「あー」という声を出したのはロニーだった。
「ああ、そっか。そうだよな」
「……ロニー?」
「いや、マスターも凄いですね。俺そんなこと考えてなかったけど、お嬢様が商売に成功するって事は将来金をざっくざく得る可能性があるんですよね。お嬢様が利益を何に使うのか、凄い楽しみだな。面白そう」
「……面白そう?」
ロニーが何を言いたいのか良く把握できないコーデリアは眉をひそめた。
しかしロニーは笑顔で言葉を紡ぎ続ける。
「だって温室も実験棟も……ドレスだって宝石だってお嬢様の物は旦那様が買ってるでしょ?それでもって欲しいものは大概持ってる貴族のお嬢様が、新たに得た富で何を欲するのかって凄い興味でるじゃないですか。俺らみたいに貯金箱に入れてます、でも面白いけど、お嬢様はそんなことしないでしょ?」
そう笑うロニーにマスターは「悪趣味だぞ」と窘めた。ロニーはすぐさま「素直って言って下さいよ」と反論したが、確かに趣味が良いとは言えないとコーデリアも思った。
しかしそれ以上にその言葉にコーデリアは言葉を詰まらせた。
「得た富で、求める事……?」
利を得る事は当然ながら考えていた。流通価格を下げた香油で市場占有率を一気に上げる。そして有力貴族とのつながりを持ち、情報を得る。はじめにそれを目標と設定した。収益を上げる事も当然考えた。しかし欲したのはあくまでも情報だ。香油を武器に交渉できるようになればいいと思っていた。だがら生まれてくる利益をどうするかまで詳しく考えていなかった。
ロニーの言う通り、必要な物はいつも父親の手によって全て揃えられている。
宝石もドレスも靴も、欲しいと感じた時には屋敷に商人がやってくるよう手配されている。実験道具も、大概は魔術師棟から拝借できる。今回のように例外に作るものも、そう多くは無いだろう。例え有ったとしても利益は十分出てくるはずだ。
(……だとすれば、それは私が融通を利かせる事が出来るお金、か)
しかしそう考えるとすぐに答えを見つけるのも難しい。
例えば今まで父親に与えられてきたものの代金を支払う……という使い道も無いわけではない。しかしそれは望ましくは無いだろう。父の助力が有って開始出来た実験をまるで一人の手柄にしようとしているようにも見えるし、プレゼントを金で突き返すような真似にも想える。何より伯爵の立場やプライドを考えればあり得ない選択だろう。
しかし他の使い道を考えるといっても現状ではどの位の利益が出るか想像できないし、そもそも精油自体が実験段階。香油になるのはまだ先だ。予算不明の計画案を出す事はコーデリアには難しい。
(けど、もし多くのお金が手に入るなら――是非、期待に応えて貴族にしかできない使い方をしてみたい、かも)
元々コーデリアとて自身が貴族として生まれた故にこの実験も開始することが出来たのだと理解している。だから使い道も貴族として何らかの貢献出来るものが良い。そう思うとコーデリアは大雑把でも良いので新しい目標、目指すべき方向が欲しくなった。
しかし貴族として貢献とはなんなのか。コーデリアは考えの一番初めから躓いた。そもそも書物の中の知識しかないコーデリアではあまりに世の中の状況に疎すぎる。貴族の常識は叩きこまれているが――そもそも貴族とは何なのか、庶民とどう違うのか、即答する事は難しい。外の世界の事を余りに知らないのだ。だからハッキリと言えば貴族と言う存在がいかなるものなのかも測りかねていた。
もちろんコーデリアは貴族が何たるかを全く教わって来なかったわけではない。たとえば家庭教師からは「王の忠臣であり、民の手本となる尊き身分」と教えられている。故に庶民から敬われ、権利を多く以っているのだと。しかしそれではコーデリアには納得できない面が余りに多い。実験時間確保の為にも家庭教師と口論になる事を避けようとして来たので深く追求することはしていないが、そもそも民の手本とは何だ。民が手本にする貴族とは何の事だ。『王の忠臣』という言葉も具体性に欠け分かりにくい。
自分の望む文献捜索の手伝いを依頼としたこともあるコーデリアとしては疑いたくは無いのだが、最近自らの家庭教師は実は行儀作法を除くとあまり要領が良くないのではないのかと疑い始めている。どこかで聞いてきたものを出まかせのように言っているのか、それとも覚えきれずに適当に略して言っているのかのように聞こえるのだ。尤も一番タチが悪い想定をするのなら本気で言っている事なのだろうが、いずれにしてもコーデリアは頷ける“貴族”という身分を教わっていない。
(確実なのは血脈によって保たれる身分制度を用いて特権が与えられた人間だわ。……でも、それだけではないはず)
世間に出ているわけではないのでハッキリと言葉にする事は出来ないが、そんな言葉だけでパラメディア家が保たれているとは思わない。家庭教師のような者やロニーのような気ままな者もいるが、パメラディア家の使用人は基本的にただ仕えているだけではなく尽くしてくれている。
「ねえ、ロニー。貴方は貴族という存在を、どのようなものだと思っているの?」
ちょうど都合が良い、そう思いながらコーデリアは尋ねてみた。ロニーは使用人の中では例外的な存在であるのは間違いない。しかし彼が家庭教師と同じ答えを寄こすとも考えられない。貴族ならではの使い方が見たいと希望するくらいなのだから、彼の中にもある程度貴族のイメージはあるはずだ。そう思っての質問だったが、ロニーは不思議そうに首を傾けた。
「お嬢様、それ、質問する相手違いますよ」
そう言いながら。
「それを聞くなら、大先輩がいるじゃないですか」
そう続けたロニーに、彼が言いたい意味をコーデリアはようやく理解した。
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ロニーの発言に気付かされたコーデリアは現在父親と向かい合っている。“大先輩”であるパメラディア伯爵……エルヴィスは今日は在宅で領地の仕事をこなしていたので、執事のハンスを通してあの後連絡が取れるか尋ねてみた。ハンスには手がすく時間になったら教えてほしいとコーデリアは頼んだのだが「いつでも変わらない」と父親が回答したことによりすぐ面会が叶うことになった。しかし相変わらず忙しそうな様子である。そんな中で時間を割いてもらうのは申し訳ない気もしたが、やはり尋ねないという選択肢はのこっていなかった。
ただコーデリアとしてはエルヴィスだけではなくロニーからも回答を得たかった。エルヴィスから得られるのは貴族の考える貴族の在り方だ。家庭教師も貴族階級の娘であるから、純粋に非貴族階級から見た回答も欲しかったのだが……ロニーは「イヤですよ恥ずかしい!!」と言って答えてはくれなかった。……一体何が恥ずかしいと言うのか。ともあれ、コーデリアは今エルヴィスの私室でテーブルを挟み向かい合っている。
「それで、どんな用件が有って来た?」
エルヴィスは久々の父娘の会話というには愛想の無い言葉をコーデリアにかけた。だがコーデリアもエルヴィスがこの態度で有っても通常運行で有り不機嫌でも何でもないことは良く知っている。
だからコーデリアは意を決して尋ねてみた。
「貴族とは、何でございましょう」
そのコーデリアの言葉にエルヴィスは即答した。
「貴族とは支配者階級の人間の事だ」
その答えは余りに正直で飾り気のないものだった。おまけに言葉だけを聞けば非難しているようにも聞こえる。少なくとも名門伯爵家を率いる者が言う言葉ではない。しかし一瞬戸惑ったコーデリアの様子を気にかけることなくエルヴィスは続けた。
「故に貴族には責任が有る。国を支え、社会の安寧を保つ責任が。その大義のもと理想を追求する義務を負う者……それが貴族だろう」
一旦言葉を切ったエルヴィスはまっすぐコーデリアを見た。コーデリアは思わず息を止め、背筋に緊張が走る気がした。雰囲気が何時もと違う。“パメラディア伯爵”が此処に居る、そう感じた。
「仮に領地に領民が居なければそこはただの草原となろう。しかし領民がそこに住まう事で富が生まれる。領地は民が守っていると考えても良い。故に我ら貴族は民の生活を守らねばならない」
ただ淡々と。
「貴族の中には大義と偽り己の為に働き、虚栄をひけらかす輩も少なからず存在する。奴等は畜生も同然だ。常に真に己を誇れるものとなれなければ、持ち得る矜持はただの塵にしかならない」
淡々と言うエルヴィスだがその声は言葉に確かな重みを響かせていた。口先だけでないと思えるのはその声色に加え背負う雰囲気が重厚だからだろう。
「……お父様はどのような、理想を持っていらっしゃるのですか」
今まで何年も見ているはずなのに『貴族である父』を始めて見るような気になりながら、コーデリアは尋ねた。しかしコーデリアが口を挟んだせいか、若干エルヴィスの纏う空気は和らいだ。
「理想は、遠い。短時間では語り尽くせぬ程にな。さしあたり今は領地の農地改革を主に考えている」
そう言うとエルヴィスは立ち上がり、デスクに積んでいた書類の束をひとつ手に取るとコーデリアに手渡した。その紙の束に目を落としたコーデリアは走り書きながらも綺麗な文字が連なっているのを確認した。父親らしい几帳面な文字が示すのは土地の細かい性質や改良案、類似の土地の作物等の比較資料である。一枚紙をめくると次に出てくるのは水路の設計図案。水車を用いて大気中の魔力を水中に移す実験案等も記載されている。また植物の研究者や地理学の研究者の名前も多く書き出されていた。
「……パメラディアの領地は交易の際に主要となる街道を多く持っており、都市部の栄え方ならばこの国でも上位に入るだろう。山も非常に豊富な魔力を持っていて、木材の品質は一級品だ。農作物の等級も高い。しかし一方で作物収穫の効率は良いとは言えない。土地が広いがゆえに余剰もあるが、本来ならより多くの収穫があってもおかしくない土地柄だ」
「これまでは……例えば先代様の頃は、畑にはあまり注目されてこなかったのですか?」
植物と相性の良いパメラディアの魔力が有れば、土壌に合う植物を選んで行く・もしくは魔力を含む肥料を改良していく事が可能ではないのだろうか。
しかしそれを尋ねたコーデリアにエルヴィスは意外そうに眼を見開いた後、細く細めた。
「あの家庭教師は……少なくとも勉学に関しては余程無能らしいな。お前にパメラディアの成り立ちも教えて無かったのか」
「あ、あの」
「良い機会だ。この家の歴史について少し触れよう」
そう言いながらコーデリアにエルヴィスはパメラディアの歴史に大まかに話はじめた。
いわく、パメラディアは元々国家が成り立つより遥か昔に現在の領地に住み着いた元騎馬民族であった、と。当時から一帯は東西貿易の交差する地であったが、土地自体は非常に痩せており馬を休めることもままならないような土地で栄えてはいなかった。しかし騎馬民族の長の一族は元々草原に住む民であり、草木を成長させる事を得意としていた。
「……一族は力を用い辺り一帯でも作物が育つよう土地を改良した。何代もかけ、育つ作物の種類も増やしてきた。やがて騎馬民族以外からも人が集まるようになり、長の一族は名実ともに領主として土地を治めるようになった。後に緑の生い茂る山林までを領土とし、ほぼ現在の領地と同じ規模になったとされている」
「つまり……今、お父様から見れば不十分ととれる状態でも民衆から一族が認められるには充分な土地になっている、と」
「ああ。改良は大昔だけの話ではなく歴代当主も行ってきたようだが、それもここ百年ほど滞っている。少なくとも先代は気にかけた様子もない」
なるほど、悪言い方をすれば先代は過去の威光に胡坐をかいていたと言う事なのだろうか。騎馬民族で会ったことは知っていたが、このようなことは初めて聞いた。パメラディアの魔力が、街を築き、人々の生活を向上させるきっかけになったことも初めて知った。
一体領地はどのような所なのか、色々と頭を巡らせるコーデリアに「悪いが」とエルヴィスの声が届く。
「悪いが先代の考えは知らん。そして私は先代の考えを理解したいとは思っていない。故に考える必要を感じていない」
最後に切り捨てるように言ったエルヴィスの言葉はコーデリアは何時もより冷たいようにコーデリアは感じた。暖色のはずの瞳までまるで凍てつくのような色に思えた。
(……そういえばお父様に叩かれた時、こんなお顔だったかも)
一番初め、父に初めて反抗――もといお父様大好きアタックを仕掛けた日。その時はこの様な顔つきだった気がするとコーデリアはうっすらと感じた。既に5年が経過していているが、空気が似ている。
前当主、そしてその夫人……つまりコーデリアの父方の祖父母が既に鬼籍に入っている事はコーデリアも知っている。しかし前当主の話を耳にしてこなかった現状と合わせ父親の様子から考えると、恐らくあまり良い話でないことは理解できた。母親以上にタブーな話であるのかもしれない。
「……だが、綺麗事だけで話が進まないのも貴族の定めだ。コーデリア、お前も覚えておくと良い。目的を遂げる為には力が必要だ。権力はむやみに見せるものではないし、誇張するものでもない。だが時には示す必要はある」
「例えば……夜会等でございましょうか?」
「それもあるが……例えばお前に与えた温室――あれはパメラディアの技術と知識を集結させている。見る者が見ればパメラディアの力を存分に理解できるだろう。あれは王妃様もお忍びでご覧になる程の……王家にも無い技術を持つ代物であり、パメラディアの力の証でもある」
(……え、王妃様?)
真面目な話の中で急にコーデリアの耳には随分引っかかる言葉が聞こえた気がした。だが当然エルヴィスの話は中断されない。
「力が無いと見なされれば侮られ、余計な労力を強いられることもある。覚えておくと良いかもしれないな。……いずれにしろ幼いお前にはまだ早い話かもしれぬがな」
そう言うエルヴィスの表情は先程より幾分か和らいでいた。コーデリアはその表情に幾分かほっとした。決して悪意を向けてくるわけではない父親を相手に竦んでしまうようではこれから先が思いやられる……そう自分でも思うが、先程エルヴィスの表情はそれ程に底冷えのするものだったのだ。これから先、貴族社会で渡り合うにはこのような状況でも動じない心が必要になるのだろうか?
そう思うと多少難儀な課題だとは思うものの、先ずは今できる事をとコーデリアはエルヴィスににこりと子供らしく笑みを見せた。
8歳という歳以上の駆け引きは出来る自身が有る。だが百戦錬磨の伯爵相手に駆け引きをするほど長けてもいない。しかしそれはあくまでも今の状態で有り、これからもと言う訳ではない。必要なら身につけるまでだ。そんな気持ちを抑えつつ、コーデリアはエルヴィスに言った。
「私はお父様が思ってらっしゃる程子供ではありませんわ」
「そうか」
結局父親からの答えもやや抽象的だったとも感じられる。だが理念として……パメラディアの当主が目指すべき方向性はぼんやりとでも理解出来たとは思う。自分が起こす行動の基準の参考にもなるだろう。しかしコーデリアにとっては同時に自分にとっての問題点も浮かんできた。
「けれど……私はお父様のようになれるか、自信が有るわけではありません」
概念としては理解できる。だが自分が常にその通りに在ることが出来るかと問われれば話は別だ。
特にエルヴィスが自ら貴族の在り方を淀みなく口に出来る程の信念を作り上げている事に対しコーデリアのもつ意識はあくまで教えを受けたものであり自らの内側から出てきたものではない。
自分で生み出したものではない意識をどこまで貫く事が出来るのだろうか?
しかしそんなコーデリアの悩みをエルヴィスは「くだらんな」と小さく言い、コーデリアの頭に手をおいた。非常に大きな手であった。そして言う。
「私は貴族の年長者として回答したに過ぎない。このような考えもあると覚えておくことは大事だが、お前は自分が納得する答えを探すべきだ。私の真似も不要だ」
「……え?」
「はじめに誰かを模倣することは意味があるかもしれない。だが固執すれば原点を越える進化もない」
そう述べるエルヴィスの言葉にはやはり迷いは無かった。
「お前は賢い。過剰な自意識に囚われなければ貴族として……いや、人として道を外すことはないだろう」
そう言い切ったエルヴィスはコーデリアの頭から手を離した。
「……お父様にそう言って頂けると安心です」
コーデリアがそう言ったのはお世辞でも愛想でもない。ただ父親の一言があれば自分も本当に誇れる自分になれるよう感じた。それはエルヴィスが当たり前のように声を響かせたからだろう。もちろん保証など何処にもないというのに一番の保証のように聞こえてくる。気どるわけでもなく極々当たり前のことを言う風な父親に、コーデリアはただ“貴族”を強く感じた気がした。
「まぁ、そうとはいえ……お前が欲しいものは実際の経験なくして理解することは不可能だろう。もう少し先、私がまとまった休みが取れたら、領地へ連れて行こう。見聞を広める事でお前の欲する答えもみつかるやもしれん」
「本当ですか!」
「ああ。その書架に入っている本は領地に関する事柄だ。好きに持って行って構わない。お前の好む野草の記述もある」
「ありがとうございます」
普段の父親は愛馬と共に単独で領地に戻る。その理由はそれが一番早いからだ。コーデリアも連れて行くとなると駿馬で行く事は難しく、結果数日の余裕が必要となるだろう。そう易々と休みを増やせないエルヴィスにとってはなかなか難しい事で有るだろう。だが約束を違えるような父親ではない事も知っている。すぐには難しいだろうが、心躍る約束をとりつけたコーデリアは自然と笑みを浮かべた。
エルヴィスはそれを横目で見、書類の積み重なるデスクに戻った。コーデリアは邪魔をしないように気を付けながら本棚に近づいた。その時部屋にコツコツとノックオンが響いた。エルヴィスの入室許可により現れたのはハンスだった。
「失礼いたします旦那様、フラントヘイム侯爵がおいでです」
「……悪い予感しかない。追い返せ」
「無理にございます、旦那様」
どうやら息子同様本日も事前連絡なしだった侯爵にエルヴィスは大きくため息をついた。言うまでもなく追い返すなど叶わない事はエルヴィスも嫌と言うほど知っている。けれど言わずにはいられないのだろう。
「茶は不要だ。どうせ面倒な案件だ。もてなす必要はない。来なくていい」
「かしこまりました」
恭しくハンスはエルヴィスを見送った。主のいなくなった部屋でハンスはコーデリアに「届かない本がございましたらお申し付け下さいませ」と優しく笑んだ。コーデリアは少し悩んでから「ではあちらを」と少し高い所にある本を指差した。
「ねぇ、ハンス。聞きたい事が有るのだけど良いかしら?」
「なんなりと」
「王妃様が温室にいらしたとお聞きしたのだけど、いついらしていたの?」
「王妃様がお越しになられたのはお嬢様がイシュマ様と遠乗りに行かれた翌日ですよ。王太子殿下と一緒においでなさいました」
ハンスはコーデリアにとって物凄く縁起の悪い単語を相変わらず柔らかい表情であっさりと述べた。王太子!!やっぱりかと思った反面、顔を合わせなくて済んだ事にコーデリアはほっとした。少なくとも今回のニアミスでは知らぬ間に地雷を踏んだ心配もなさそうである。知らぬ間に寿命を縮める事はないはずだが、それでも心臓に悪かった。
「温室は素晴らしい技術の固まりですね」
「さすがはお父様です」
「ええ。旦那様はお嬢様が可愛くて仕方ないのです」
「?」
ほっとしたコーデリアはハンスの言葉に相槌を打つも、その言葉に首を傾けた。少し話の筋が変わった?そう疑問に思うと、ハンスはニコニコしながら言葉を続ける。
「旦那様はある日突然他の案件を急ぎ片付け、技術の現状把握という理由を立て、スケジュールにねじ込むように数年先に予定していた温室建設にとりかかられました。あの時はさすがに私も驚きました」
「ハンスが驚くくらい?」
「おっと、これは独り言にございます。そして私はわざわざ独り言で嘘は申しませんよ」
どうやらハンスはただの人のよい優秀な執事と言う訳では無く、それなりに食えない性格をしているらしい。『内緒ですよ』とばかりにハンスは人差し指を立て口にあてた。
「お嬢様が真剣に取り組みなさっている事はロニーからの報告で旦那様も御存じです。離れの改装も期待故なのでしょう」
旦那様の事ですから、絶対に他の理由をお付けなさいますけどね。そのハンスの言葉にコーデリアは顔が熱くなる気さえした。ロニー!!報告できることなんてまだ“殆ど”ないはずでしょう!!お父様、あまり期待されるとプレッシャーです!!ただの親馬鹿でいて下さる方が気楽です!!……そんな訴えがまずコーデリアの中に浮かんでくる。そして次に来るのは期待を裏切るわけにはいかないなという思いだ。
先程父親の温室建築と権力にまつわる話を聞いた時、コーデリアは自分に温室が与えられたのは親馬鹿故だけではなかったのだと思った。ずっと娘が可愛い余りにと思っていた事を考えあっての行動だと思い直していた。自惚れだったのか、と。だがハンスの話を聞く限り当初の思いでどうやら間違いがないらしい。おまけに実験室が期待を込めての追加貸与だった知れば驚かす程の結果をもたらさねばいけないと強く思う。むしろそれしか実験の成功と呼べないだろうと考えるほどには。すると口の端が自然と口の端も上がる。
「お父様のお疲れが癒せるよう、お部屋にお花を飾りたいわ。ハンス、花瓶とお花を見立てる手伝いをお願い」
「かしこまりました、お嬢様」
そんなコーデリアにハンスは恭しく一礼した。
「お父様は民に心を砕かれているご様子ですが、御自分を余り大事になさっていないようですから、私がその分お父様の事を大切にさせていただきたく思います」
コーデリアはそう言いながら、主の居ない椅子に小さく微笑んだ。




