第九十五幕 『シルヴェスター』
青みを帯びた大きな満月は、いつもより辺りを照らしている。
しかしそれを差し引いても、遮るものがない草原から見上げた空には多くの星々が輝いていた。
森からはシルヴェスターが乗ってきたという黒馬で移動した。幽霊に気づかれないように少し離れたところで下馬したとのことだったが、黒馬は大人しく待っていた。
そして目的地まで移動したあとは、灯りを手に歩くシルヴェスターに静かに続いた。
「着いたよ」
その言葉と共に足を止め、シルヴェスターが示す先を視線で追った。
すると、そこには白い花芽を付けたジャスミンで埋め尽くされていた。大地の魔力の影響もあるのか、花は不思議と浮かび上がるようにわずかな光を纏っているようにも見えた。
「綺麗」
「これは夜しか見れない光景なんだ。初めて見たときから、ずっとディリィなら喜ぶんじゃないかなって思ってたんだ」
思わず零れたコーデリアの声を拾うように、シルヴェスターは微笑んだ。
だがそれもつかの間のことで、すぐに表情を引き締めた。
「……ずっと黙っていてごめん。そして、改めて。私はジルで、シルヴェスターです」
「あ、えっと……コーデリア、です」
「それは知ってるよ」
コーデリアも冗談として言ったわけではなく、どう言えばいいのかわからず思わず名乗り返してしまっただけだ。向かいあわせた顔に自分がどのような表情を浮かべているのかコーデリアにはわからなかったが、シルヴェスターは小さく吹きだした。けれどそれも一瞬のことで、すぐにその表情は収められた。
「本当は、もっと早く言うつもりだったんだ。でも、なかなか言えなくて」
「それは……どうしてですか?」
自分だって避けていたのだから、早くに正体を明かされていればもっと当たり障りのないやり取りしかしなかったとは思う。だから、結果から考えればジルがシルヴェスターであることを黙っていたからこそ、親しい友人になることができたのだ。シェリーの件にしては、もしもシルヴェスターに近づかなかったとしても、同じように近づいてきた可能性が高い。
だが、コーデリアの事情と、シルヴェスターが黙っていたこと……それも、ヴェルノーまで黙っていたことを気にしないということは無理だった。幼馴染の中で、一人だけ仲間はずれのような気分にもなる。
しかしそんなコーデリアが耳にしたのは、夢にも思っていなかった言葉だった。
「だってディリィ、嘘をつく人は好きじゃないって」
「……はい?」
「好みは騎士で、嘘をつかない人。ヴェルノーが言っていたよ」
そう言われても、そのような話はジルどころかほかにも話した覚えがない。ただ、何かの折に尋ねられたのなら、無難にそう答えていていることもあるかもしれないと思った。特に嘘に関しては、惑わされることでシルヴェスターやシェリーに遭遇することを恐れていた。
口元に手を当てて考えるコーデリアを前に、シルヴェスターは言葉を続けた。
「あと、父上の治世は尊敬しているけど、私には興味ないって言ってたのも聞いているよ」
「……記憶にございません。ですが、お気を悪くなさっていましたら申し訳ございません」
それも本心ではあるが、似たようなことなら言っていても不思議ではないとも思っている。自分はシルヴェスターなどに興味はないから近づくつもりがないとは、常にアピールしていたつもりだ。
だが、それをそのまま本人に伝えていたなど露にも思っていないのだから相手を目前にしてきまりが悪いことこの上ない。
「ただ、私に興味がないのは当然だったと思うよ。だって、実際にその時の私は何もできない子供だったし。だから――せめて、興味を持ってもらえるように勉学も励んだし、鍛錬も積んだ。そうして、時間を稼いでディリィと仲のいいジルを、ずっと続けたくて逃げたんだ」
「え?」
「ディリィ、本当はシルヴェスターには興味がないだけじゃなくて、避けようといしていたでしょう」
予想外に言い当てられた言葉に、コーデリアは思わず固まりかけた。
シルヴェスターはそれも知っていた。けれど、それはヴェルノーにすら話したことのないことである。だが、誤魔化すにもシルヴェスターはすでに気付いているというより確信をもっていた。
「どうして……」
「最初は、なぜ避けられているのか私にもわからなかったんだ。興味がないと言われたけれど、嫌いだと言われたこともないし、そもそも嫌われるほどシルヴェスターは接触していなかった」
そうだ。
だからこそコーデリアはそのまま無難な距離を保とうとしていたのだ。
「だからこそ、余計に言い出せなかったんだけどね。でも、クライドレイヌ嬢のおかげで気づいたんだ。私の周りには、煩わしいことが多い。だから、好んで近づくものばかりではなく、その一人がディリィだったって思えば、不思議じゃない」
コーデリアの視点で考えればそれは事実と少し異なるが、シルヴェスターからみれば結果的には現実と同じことなのかもしれない。だが、どちらにしてもシルヴェスターがそのようなことを理解したうえでも、本当のことを伝えようとしてくれていたと知れば、申し訳ない気持ちになった。
「でも、そんな中でディリィが王都に戻って来たときには焦った」
「焦る、ですか?」
「本当に綺麗になっていたから」
「え? きゅ、急に何を仰るのですか!」
突然の言葉に顔が熱くなるのを感じながらコーデリアは慌てて言葉を絞り出したが、シルヴェスターは何も驚くことなく、平常心を保っていた。
「早く本当のことを伝えないと、ディリィを誰かに取られてしまうんじゃないかって。だからシルヴェスターで本当のことを言えるようにならなきゃいけないって思ったのに、そうこうしているうちに私のせいで本当にディリィには嫌な思いをさせるし」
その言葉に、コーデリアは徐々に告白を受けているような気持ちになったが、それは思い過ごしだと慌てて自分を落ち着けた。ジルのことを天然たらしだと思ったことは今までにもある。今も、婚約者ができれば男友達に会うことも減るのだろうという旨のことをいっているのだろう、と。
そんなコーデリアをよそにシルヴェスターは言葉を続けた。
「本当にディリィのことを考えるなら、私が近づかないのが一番だったとも思った。ディリィはいつも一生懸命で、どこでも輝けるから。でも、どうしても……それは、ディリィからはっきり嫌だと言われない限りしたくなかったんだ」
「……私も、ジル様とお会いできたことは嬉しく思っています。とても大事な友人ですから」
逃げようとしていたくせに都合がいいと自分でも思うし、ジルとシルヴェスターが同一人物であることを理解しても、長年にわたって染み付いた条件反射で直視することも躊躇われた。けれどこうして助けに来てくれて、そして話をしている相手は間違いなくジルで、安心できる相手だった。シルヴェスターの姿も、不思議と気にならなくなっていた。
だが、シルヴェスターは小さく首を振った。
「ディリィにとってはそうかもしれない。でも、私にとってはそれだけじゃないんだ」
「どういうことでしょうか?」
首を傾げるコーデリアに、シルヴェスターは柔らかい笑みを浮かべた。
「貴女は私の、今も続いている初恋の相手だから」
凪ぐ風にもかき消されないしっかりした声に、コーデリアの目は見開かれた。




