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第七幕 薄紅色の花弁と手紙

 試作のガラス容器がようやく完成した――その連絡をコーデリアが受けたのは街へ出かけてから5日程経った頃だった。


「だから近々マスターを屋敷に呼びたいのですが、よろしいでしょうか?」

「私が街に行くのはいけないのかしら?」

「ダメです。旦那様に殺されるので勘弁してください。……呼び寄せるのがダメだと仰るなら、受け取り自体ができないと思って下さい」


 午前の講義を終え、温室……ではなく、新たに伯爵から貰い受けた実験室にてコーデリアはロニーから解析術の基礎訓練を受けていた。新たに貰い受けた実験室は元々離れの一つであったようで地上二階、地下一階という作りである。リフォームされた後なのか全階ワンフロアワンルームの形になっていた。椅子や机、そして一階には洗い場なども備え付けてある使いやすそうな実験用設備である。


 お父様、何時の間に用意して下さっていたのですか。娘、感激です。


 家にずっと居る自身でさえ気付けない間に用意されたこの贈り物には温室の時と同様にコーデリアは驚かされた。何時の間に改装していたのですか、お父様。けれど驚きと同時に『これは早急にお父様の湿布を完成させなければ』と使命感も更に高まった。よって、たった今ロニーから伝えられた吉報には喜ぶほかなかった。何せ器具が無ければ話も進まないのだから。

 しかしマスターが持ってくるとなればコーデリアは少々残念だと思わざるを得なかった。


 コーデリアとしては受け取りの機会にもう一度街に出、前回見る事が出来なかった街並みをゆっくり見てみたかったのだ。前回は工房と工房前に一瞬降り立った程度で街中を歩くということはできなかった。流行の物品は出入りする商人に教えられるが、実際に自分の目で見てみなければわからない事も多い。


 だがコーデリアの「街に行く」の言葉にロニーは青い顔をして全力で横に首を振っていた。だからコーデリアもそれ以上願うのは辞めた。面白くは無いが、ロニーが拒否する理由が分からない訳でもない。お嬢様のお忍びの護衛は『万が一』がないようにせねばならない上、今回は前回とは違い娘を可愛がっている伯爵が遠方に行っている訳ではない。また彼直属の使用人も街を歩いている可能性が否定できず、こっそり繰り出した所で見つかるリスクは非常に高い。ロニーが嫌がるのも無理は無かった。


 しかしそれでももし前回のように無理にお願いをすれば、ロニーも叶えてくれない事はないだろう。「ええー」と言いながらもOKを出す、そんな気がしている。それが分かっていたからこそ前回は無理を推し通した。どうしても器具を得るには必要なステップだったからだ。

 しかし今回の『単に見てみたい』という願いは前回の『実物を見る必要がある』という必須の願いではない。いわば単なる我儘だ。コーデリアとてここで無理強いしてロニーに嫌われたい訳ではないのだから、諦めるよりほかなかった。子供だからと言っても過ぎた我儘は好ましくない。


 そう……我儘は言えない。好ましくない。

 子供の態度では無く、大人の対応を覚えて行くことこそレディへの近道である。だからいくらロニーが無遠慮に「お嬢様って案外解析の能力なさそうですね」と感心したように言ったとしてもコーデリアは笑顔で受け流した。その言い方はないんじゃないの、もうちょっと間接的な指摘でも……なんて、絶対に言わない。何せ彼はコーデリアがお願いした先生なのだ。それに彼の言う事は恐らく正解だとコーデリアは思う。ロニーの言う魔術をコーデリアはいまいち理解する事が出来ないのだ。


 コーデリアが魔術を使うときは大体“魔力の色”を認識・イメージして操作を行う。綺麗な色になるように、と。感覚で絵具を混ぜるような雰囲気で。家庭教師からもそう教わって来た。だがロニーの教える解析は論理的な作りになる。どうやらコーデリアが色として認識している魔力にはそれぞれ元素と同じように名前が付いているらしく、その組み合わせを化学式のように使用していくというのだ。

 コーデリアも前世は理系の人間であったため、化学式は苦手ではない。だが長年行ってきた方法と違う方法で急に魔力を操作しようとしてもいまいち馴染まない。しかし解析を行う上では魔力成分を分離する事が多く、コーデリアの感覚任せの魔術の場合結果は悲惨だ。色を混ぜ合わせるという行動は今までしてきたが、色を分解するなんて方法は思いもつかなかった。化学式のように繋がっているだけだと理解できていても、その繋がりを魔力で切断し分解すると言う事ができないのだ。それでも何度か実践しようと……魔力だけを切ろうと葉にあてた解析術で葉を見事真っ二つにしたのはもう何回繰り返しただろうか?


 しかし例え解析が出来なくてもロニーが前に言った通りパメラディアお抱えの魔術師に任せていれば何ら問題もない。だから困る事もない。だがコーデリアとしては出来ないと知った以上は出来るようになりたいと言う意地もある。美しき令嬢に弱点なんて必要ない――そう少々妙な方向に燃えながらもコーデリアはロニーににこりと微笑んだ。


 いつかは驚くべき素晴らしき解析をして見せるのだから、と。


「ねぇお嬢様、その笑顔はまるで旦那様に怒られる時にそっくりで悪寒が走るんですけど……」

「きっと気のせいよ。それよりマスターを呼ぶのでしょう?早い方が良いわ。今日でも可能なら今日、無理ならマスターの時間が許す午後にお願いしてくださいな」

「わかりました。では使いを出しておきます。でも多分言ったらすぐ来ますよ。伯爵家の敷地に入ってみたいって言ってましたし」


 酒臭いままで来たらすみません、そうロニーは悪戯っぽく言った。コーデリアも笑った。

 その時、コンコンと控えめに扉を叩く音が聞こえた。


「エミーナかしら?どうぞ」

「失礼いたします、コーデリア様」


 コーデリアの許可と共に入って来たのは今日もコーデリアの侍女らしく隙の無いエミーナだった。彼女は軽く、しかし優雅に礼をとると「ヴェルノー様がお越しです」そうコーデリアに告げた。と、同時に「随分楽しそうだね、ディリィ」とエミーナの陰から少年の顔がのぞいた。


「あら、ヴェルノー様?お久しぶりでございますね」


 久しいと言ってもたった5日ぶりといったところだが、初めて会ってからは三日に一度はアポなし訪問を受けていた為、今回の感覚は案外長かったなぁと思うのだ。


「本当はもう少し早く来たかったんだけどな。反省の弁を述べたり反省文を書いたりで課題が目白押しだったからな」

「それはお気の毒な事で。きちんと反省なさいましたか?」

「次は騒ぎを起こさないように抜け出すさ」


 全く反省していないらしいヴェルノーは肩をすくめてそう言った。

 これで純粋な8歳児というのだから、子供のポテンシャルは恐ろしいとコーデリアは思った。大人顔負けの悪巧みは将来食えない人間になるのだろう。……手のひらで踊らされぬよう気を付けなくてはとコーデリアは頭に注意書きを書き足した。


「お嬢様、私は席を外しますね」


 コーデリアがヴェルノーに呆れている間にロニーはそう言って一礼する。一応来客時の撤退方法だけはロニーの頭にもきちんと存在していたらしい。コーデリアは「ええ。部屋で休んでいてくださいな」と――要約すると『ヴェルノーが帰った続きをするから待ってなさい』と指示をした。ロニーにも一応伝わったようで、彼は苦笑しながらもその場を去った。


「エミーナ、お菓子と……お茶には新しいものが届いているわ。これをお願い」

「畏まりました、お嬢様」

「ではヴェルノー様、座り心地の良い椅子ではございませんが、どうぞ」


 謙遜を交えてコーデリアはヴェルノーに言ったが、実際実験室の椅子は少し固い。無駄な装飾を付けることなく品良く計算されたフォルムだが、木の椅子は皮張りのソファーと比べてるとやはり固いのだ。コーデリアとしては嫌いではない、むしろ好きなタイプであるが、ヴェルノーの好みまでは流石に把握してない。だが流石侯爵家の嫡男というべきか、文句を言うことなく優雅に腰かけて「ユグリスの木か。椅子は初めてだが良い肌触りだな。パメラディアの領地の特産品だったっけ」と言ってのけた。子供といえども良いものは知っているらしい。しかも他家の特産品を把握していると言うのは相当の勉強家だ。人は見た目によらないとはこのことを言うのかとコーデリアは思った。


「“新しい茶葉”ね。仕入れた物が直接お嬢様の元に届くとは……自分で商人に交渉したのか?」

「ええ。味は保証しますわ」

「それは楽しみにしている」

「それで……今日はどのような御用件でいらっしゃいましたの?」


 いつも菓子と暇つぶしを目的に遊びに来ているヴェルノーだ。今日も同じだろうと思っていたコーデリアだが、一応は尋ねておいた。しかしヴェルノーはいつもと違う目的を持っていた。


「今日は配達で来た。出来たら返事も持ち帰りたいから書いて欲しい。まぁ、茶と菓子は貰うけど」

「配達?お返事……ですか?」


 首を傾けるコーデリアにヴェルノーは白い封筒を一枚差し出した。宛名も差出人のサインもない、シンプルな封筒だった。


「これは?」

「ジルからディリィ宛だ。出来れば今読んでやってくれ」


 ヴェルノーにそう言われたコーデリアはペーパーナイフを探そうかと考えたが、ふと思いついた別の方法を以って開封した。封筒の端に狙いをつけ、解析魔法を発動させる。

 すると幸か不幸か、コーデリアの余剰魔力を以って上部が切断された封筒は見事開封された。目的外使用だが、これはこれで便利かもしれない。


「随分面白い魔術の使い方をするな。分解の初歩魔術か?」

「内緒ですの」


 失敗だとは言いたくないコーデリアはそう言うと便箋を中から取り出した。

 便箋は外の白い封筒とは違いやや薄桃色をしている。その紙で次に目に入ったのは文字では無く紙の右下に埋められている花弁だった。薔薇だった。薄い、けれど上質な紙に透かすように入っている花弁。どのような加工でこのようになっているのかはコーデリアには想像できなかった。けれどそんな事は深くは考える事もなく、思わず「綺麗」と声を零した。


「……まぁ、便箋に見とれるのも構わないけど中身も読んでやってくれよ」

「……少しせっかちですわよ、ヴェルノー様」


 人がせっかく感動しているのに、と思いつつ、コーデリアもその文章に目を落とした。

 手紙の文字は手本のように綺麗な文字で、子供の文字には見えなかった。けれど少し走っていて急いで書いただろう事が伺える。それは文面にも表れていた。




『先ず形式から外れる形ので書く事をお許しください。先程ヴェルノーがディリィ様にお会いすると聞き、急ぎペンを手にした次第です。』




 その言葉から始まった手紙に、コーデリアは少しだけ苦笑いした。

 ヴェルノーは何時もノンアポ訪問だ。しかもヴェルノーですら反省に力を注いでいる(?)のであれば同罪のジルも時間が無いはずだ。むしろヴェルノーに比べ彼は真面目に反省していそうである。だとすると余計に時間が無さそうであるし、急に手紙を書くとなったのなら時間が無いのも当然だろう。


 さて、そんな中で彼が書いた手紙とは。




『先日はありがとうございました。今思い返しても恥ずかしながら衝動的な行動で、街に無知な私がとるべき行動は先ず思考だったと反省しております。私は今まで自分が冷静なつもりでした。しかし貴女やヴェルノーのように、確実な判断が出来るよう、精進したいと思います。


 御礼という程の事は出来ませんが、栞を同封します。母に習い、初めて作りました。

 花がお好きだと聞いたので、気に言って下さる事を祈っています。』




「………」


 大急ぎと言う割に随分しっかりとした手紙が来た。そうコーデリアは思いながら封筒の中をもう一度見た。するとそこには花弁の少ない花をそのまま押し花にした、綺麗な桃色の薔薇の栞が入っていた。


「きれい」


 もう一度、コーデリアは小さく言った。するとヴェルノーは笑った。


「ジルのヤツ、相当気にしてた。本当ならもっとちゃんと書きたかったって。まぁ俺が言わなかったんだけど」

「私はこのような手紙も嫌いではありませんよ」


 本当は建前が続く手紙より好きだけれど、流石にそれまでは言えない。こんな文章に慣れているなんて、コーデリアとしてはあり得ないのだから。だからコーデリアは笑みで誤魔化した。ヴェルノーもそんなコーデリアに似たような笑いを浮かべた。


「良ければジルと同じように書いてやってくれ。そうすればあいつも多少は気にしないと思うから」

「分かりましたわ」

「……ディリィはホントかわってるな。こんな風な文章、書こうとしても書けないだろ。書けるのか?」

「臨機応変に生きているつもりですので」


 コーデリアはエミーナに便箋を持ってくるよう頼んだ。コーデリアの持つ便箋はジルのような珍しいものではないが数種類の淡い色の便箋がある。便箋はすぐにコーデリアはその中で空の色のものを選んだ。少し透かし絵が入っていて、お気に入りの一枚だ。街に言った日の空とも同じ色。ペンにはダークブルーのインクを選んだ。


(……文字、やっぱりあんまり得意じゃないから緊張するな)


 綺麗に書けるように努力を重ねてきているが、生来の性格はどうも文字を書く事に向かないらしい。だがこれからも文字は一生必要になる。書かないわけにはいかない。


 ヴェルノーにもプライバシーに配慮する心意気はあったらしく、覗き込んでくる様子は無い。彼は菓子と紅茶で暇を潰していた。


 コーデリアはそれを確認するとふっと一息つき、ペンを勢いよく走らせ始めた。

 まずは……本当に反省しなければいけないのはどちらだろうか。


『素敵な栞をありがとうございました。大事に使わせていただきたいと思います。ヴェルノー様に早くと言われていますので、私も形式は省かせていただきますね。


 生意気を言わせていただくなら、過度の反省も良くありません。そもそもあの時私は貴方に苦言を呈させていただきましたが、私やヴェルノー様の言葉全てが正しい訳ではありません。むしろ私に関しては少々言い過ぎております。私には貴方のような勇気はございません。ですから、私が貴方のように少女の前に出て庇うという行動に出る事も不可能だったのですから。それに助けられた彼女には、きっと貴方が物語の王子様のように、とても格好良く映っていたと思います。もしも私が彼女でも、そう感じたと思います。それでも確かに今のジル様の勇気に冷静な判断力が加わるのなら、より素敵な男性になられる事は間違いないのではと勝手ながら想像させていただきます。』


 ヴェルノーに言われたからという多少の嘘も織り交ぜながらコーデリアは……少々正直過ぎたかと思って書きなおそうと、一応書き上げた手紙を小さく折り畳んだ。それをわきに置くと新たに手紙を書こうと新たな紙にインクを落とそうとしたのだが――不穏な手が視界の端に捉え、左の手でそれを止めた。


「ヴェルノー様、この手をお引き下さいまし?これは私の物でございます」

「書き損じた……と言う訳ではないだろう?」


 コーデリアは恐らく自分が出来る最上級の作り笑顔でヴェルノーに抗議したが、ヴェルノーもまた最上級の素晴らしい笑顔でそれに応える。


「書き損じにございますので、これをお届け頂いては困ります」

「いやいや、一番最初に書いた手紙こそ意味があるし本心がある……と父上は言っていた」

「ヴェルノー様は侯爵様のお話を余りお聞きではないではないですか」


 他人が見れば両者は素晴らしい笑顔を浮かべているのだが、互いにその顔には狐と狸が見え透けていた。本来ヴェルノーはコーデリアの天敵では無いはずだが、生命に関わらない分野では充分に天敵たりえるとコーデリアも思っている。


(だいたいヴェルノー様の思考能力は8歳児の物では無いわ。……神童、っていうのはこの事なのかしら)


 しかしその事よりも今問題になっているのは一通の没手紙。

 互いに一歩も引かず手をぷるぷると震わせている。これがもう10年も先で有れば力の差は歴然としているだろうが、今はまだ体格差がない。だが……腕力には既に差が有った。

 幼いながらに体力を作るヴェルノーと、お嬢様のコーデリアに差はあるのだ。


「ちょっと、ヴェルノー様!!」

「中身は見ないさ。そこまで無粋ではないつもりだよ」

「……充分無粋でございます」


 既に懐にしまったヴェルノーを見て、コーデリアはため息をついた。掴みかかった所で取り返せないだろうし、取り乱すお嬢様の姿も見せられない。大体……少し言い回しはキツイが書き替えても内容が大きく変わるわけではない。

(なんて事になるわけ無いわよね、やっぱり書きなおさなきゃ)


 コーデリアはコホンと一つ咳払いをした。つまり先ずは手紙を取り戻さなくては。


「ヴェルノー様、せめてこの封筒に入れて下さいまし」

「封筒?ああ、そうだな」

「ああ、でもその前に……書き忘れた事がございますので、もう一度手紙をこちらに下さいな。私が入れますので」

「必要あらばもう1枚追加でもらおう」

「………やはりケッコウですわ」


 残念ながら手紙奪還の取り繕いはあまりにあっさり却下されてしまった。やはりこの男、鋭い。性質が悪い。そうコーデリアは内心思った。しかしフラントヘイム家次期当主としては有望なことこの上ないだろう。

 コーデリアは諦めてヴェルノーに便箋と同じ色の封筒を渡した。純粋な意味でも文章は書いている途中であったのだが、それもヴェルノーのせいにしてしまおうか。

 そうコーデリアが考えた時、丁度エミーナが茶と茶菓子を持って現れた。


「本日はチョコレートケーキでございます」


 綺麗に切り分けられたチョコレートケーキはシンプルな皿に盛りつけられている。ケーキの上には少量の金箔が飾り付けられ、添えてある純白の生クリームと相まってシンプルながらもとても皿に映えている。


「相変わらずここの菓子はうまそうだな。俺の家は甘いものは滅多に出ない」

「侯爵様は甘いものがあまりお好きでないのです?」

「父上では無く母上が好いていない。太るから嫌いだそうで、俺や父上が食べるとすぐに不機嫌になる」


 どうやらこの世界でもダイエットは女性の永遠のテーマらしい。大人の女性はコルセットがあるのでそれ程食べられないだろうにと思ったが……誘惑は締め付けよりも大きいのだろう。しかしそうで有れば何れデトックスのハーブも役に立つ事がくるかもしれない……そう、コーデリアは頭の中にメモをした。


「ああ、そういえば」

「いかがなさいました?」

「ディリィは伯爵が好みの男性と言っていたが、騎士が好みなのか?」


 何を唐突に。そうコーデリアは訝しんだが、子供ゆえの純粋な疑問からだろう。大人の男のカッコよさを学びたいと言う思いからかもしれない。ならば自分の意向だけで応えては少し期待と外れるだろう。そう思い……コーデリアは一般的な女性の意向を考えようと考えた。


「そうですねぇ……ねぇ、エミーナ。私は一般的に騎士は女性に好まれると思うの。貴方はどうかしら?」


 しかしコーデリアの発言で突如話を振られたエミーナが驚かないわけがない。しかし彼女は多少驚きはしたものの、大きく動じた様子は見せなかった。彼女は緩やかにコーデリアに答えた。


「そうでございますね。凛とした空気、武の力、丁寧な物腰を併せ持つ騎士の皆様は女性の憧れで間違いないかと思われます」

「私もエミーナに同意するわ。……ということよ、ヴェルノー様。騎士の男性はエミリアのような大人の女性でも憧れるものなの」


 そう言うとヴェルノーは「……いや、一般論が聞きたかった訳じゃないんだけど」と言ったが、コーデリアは恐らく照れからなのだろうと判断し気にしない事にした。そして「まぁ、個人的な好みで申し上げるなら、大前提として嘘をつかない方が好ましいと思いますね」そう言った。全ての嘘が悪いという訳ではない。コーデリア自身も「物は言い様」という考えを持っている。だから全ての嘘が悪であるとは思わないが、偽る事は最小限に留めるべきだ。そもそも嘘をつく必要があるなら極力最初から言わねば良いと思う――という考えからということもあるが、そんな事よりも誰かの嘘に踊らされれば死にかねない状況がそう思わせるのだ。嘘を見破る術を持つ事はコーデリア自身の責務だ。しかし見破る・見破らないというより嘘をつかれる事が無ければそれが一番有り難い。


 しかしそんな事まで伝える必要はないので、コーデリアとしては当たり障りの無いように答えたつもりなのだが……ヴェルノーはやや口元が引き攣ったようなのは気のせいだろうか?そんな事を考えながらコーデリアは紅茶を手にしようとしたのだが、そこで先程まで見ていたジルからの栞にふと手が伸びた。やはり何度見ても綺麗だ。


「……それ、そんなに気に入ったのか?」

「ええ。薔薇は良いですね」


 前世でも薔薇は好きだったが、コーデリアとして生まれてからは尚更好ましいと感じている。伯爵家に植わっている薔薇はとても美しい。けれどその庭園を見てコーデリアが感じるのは綺麗だという印象よりも落ち着くという思いである。安心できる空間である……そう強く感じるのだ。


 だからこそ思う。


(……いつかは薔薇の精油も作りあげるわ。でも……精油一滴で薔薇50本分の花弁が必要になるのよね)


 これは前世での換算である為この世界でも同じとは言い切れないが、薔薇の精油を作ろうと思えば非常に多くの花弁が必要となる。例えばペパーミントより採油率が低いラベンダーでも100kgあたり約1kgの精油が得られる。しかし薔薇はその約20倍の花がいる。自分一人が使うのであればもう少し控えめの量でも良いのだが、それでも一滴分だけで良いと言う訳でもない。しかも問題は品種だ。


 前世では薔薇には二種類の精油があった。一つはローズオットーという水蒸気蒸留法の精油で、もう一つは油脂吸着法という方法から採取するローズアブソリュートという精油である。共に高価な精油だが、アブソリュートのほうがより高価な精油である。


 ローズオットーには2万種以上もある中でも最も香り高く貴重であると言われているダマスクローズが使用されていた。後者のローズアブソリュートはキャベッジローズという花で、これもまた華やかな香りを持っている。


 これら情報をもとにコーデリアは様々な文献を調べ、また家庭教師にも依頼し調達を行おうとしたのだが……該当する薔薇を見つけることは未だ出来ていない。もしかするとこの世界には同種の薔薇が存在しないのかもしれなと最近では考えるようにもなっている。


 だがもし別品種で薔薇の研究をしようものなら、様々な品種の薔薇を数百キロ~1トン単位で集めなくてはならない可能性が高い。しかもオットーならともかくアブソリュートとなると採取方法が変わるわけで……この場合機材作りの実験だけでどれ程の花弁を消費することになるか、正直コーデリアにも想像がつかない。全く同じなくとも、香りの強く精油に適した花が有ればそれに越した事は無いのだが――考えるだけでも道のりは遠い。

 せめて香りの強い花が早々に見つかれば良いのだけれども。


「どうして難しい顔をしているんだ?」

「いえ、……そのうち沢山の薔薇が必要になるので、薔薇園でも作れたらと思いまして」

「薔薇?薔薇なら、ジルに言えばかなり手に入ると思うけど」


 そう言ったヴェルノーにコーデリアは首を傾けた。


「……ジル様は花にお詳しい方なのですか?」

「あー……いや、ジルがというよりはジルの母親がかなり詳しい。改良研究にもかなり力を注いでいるはずだから、市場に出ていない花も持っている」

「市場に出ていない花?……それはとても凄いと思いますが、そういう事でしたら手に入るとは言えないのでは」


 本人のものならともかく彼の母親のものであるのなら研究段階のものを譲ってもらう事は難しいだろう。ジルともさほど親しい訳ではないのだからお願いする事も憚られる。

 そもそも研究段階で大量栽培しているとは考えにくく、試せるかどうかもわからないのだ。


 しかしヴェルノーはそんな事も気にしないようで「それこそディリィが欲しいと言えば自分で育てかねない勢いで問題無いと思う」とコーデリアには良く理解できない事を言ってきた。


「どんな薔薇をどれくらい欲しいんだ?」

「そうですね……量は数百から千キロ程でしょうか。欲しいのは色よりも香りの強い薔薇です」

「すうひゃ……っ!?何に使うんだよ、そんな量……」


 多少引き攣ったようにヴェルノーが言ったので「私もかなりの量だとは思っています。お代もいくらくらいになるか、わかりませんしね」とコーデリアは続けた。


「私、花の成分について研究しているんです」

「……ああ、お前、魔法道具店に来るくらいだもんな。薔薇を引きちぎるのか?」

「引きちぎりはしませんが、花弁を一枚一枚には致しますね」


 そうコーデリアが言うとヴェルノーは唸った。

 その間に「やっぱりディリィが欲しい物はそういうものなんだな」というような声が混じっていた気もしたが、あえてコーデリアは言葉を挟むことはしなかった。どうせヴェルノーの独り言なのだから、と。


「……まぁ一年では難しいかもしれないが、欲しい品種が見つかったなら増やすこともできるだろう」

「ですが改良されているということなら、私が欲しい品種を増やしてもどうしようもないでしょう?」


 コーデリアにとって薔薇の差重要項目は見た目より香りと精油量だ。改良しているとなれば色や形にも拘っているはずで、コーデリアは自身の重要項目に特化したものは難しいと考える。しかしその事を指摘すると「……まぁ、問題無いだろ」と、またもや良く分からない返事がヴェルノーから返ってくる。


「……先程から随分問題無いように仰いますけど、何故それ程にご協力下さろうとされているのです?」


 しかも、ヴェルノーではなくジルがという辺りでコーデリアは引っかかる。するとヴェルノーはにやりと笑い「察せないか?」と挑発的に言い、軽く例の栞に目配せした。

 それを見たコーデリアが出した結論は「……お詫び?」と可能性だ。


「もしも申し訳ないと思って下さっているなら、私はヴェルノー様の指示に従ったにすぎませんから、お気になさるほどの事ではございませんよ」

「じゃなくて……まあ、いいや。ジルには聞いてみるよ。香りが強い品種が無いかって」

「確かにそれは助かるのですが……」


 何だかうやむやにされた気がしてすっきりしない。恩を売ったつもりは無いのに、盛大に貸しを作った事になっているのだろうか?そうだとすれば有り難い……と言うよりむしろ困ってしまう。その気持ちを隠す必要もないと感じたコーデリアはそのままの表情をヴェルノーに向けたのだが、彼は一向に気にかける様子もなかった。


「ちなみにディリィは何時までにそれが欲しいんだ」

「……可能で有れば6,7年の間に、ですね。もっとも早ければ早い程嬉しくはありますが」


 研究に取り掛かれるなら早い方が良いに決まっている。

 しかし少なくとも現時点で使うことは殆どない。香油からは様々な良い効果を得る事ができるが、使い方に気を付けなければ大きすぎる効果で悪影響を受ける事もある。幼い身体なら尚更だ。ロニーの解析がまだであっても、知識としてコーデリアは知っている。だから薔薇の精油の完成目標は成人までと言う事で問題はない。


 ただ可能であるのならばコーデリアとしては成人を迎える16歳でお披露目したいと思っている。それは一番注目される場であるのだから、自分の一番好きな……そして自分の印象として残って欲しいと思う香りで迎えたいと思うのだ。それに、ゲームの中の“コーデリア”は薔薇が良く似合う姿をしていた。その性格はどうであれ、彼女は一番似合う姿で存在していたのは間違いが無い。


 だから可能であるのなら薔薇に関しては広めるためではなく、自分の為だけに香りをつくりたいとコーデリアは思っている。


 しかしヴェルノーはその答えに首を傾けた。


「欲しいと言うからにはもう少し急いているのかと思ったが随分悠長なんだな。……まぁそれなら何とかなるだろう」

「けれどヴェルノー様、私は決して無理に欲している訳ではありません。私自身でも探すつもりですので、決してジル様に無理を仰らないで下さいね」

「無理にいうつもりはないさ。ああ、お茶のお代わりはいい。俺も今日の用は終わったから帰るよ」

「あら、お早いのですね」


 コーデリアとしてはいつも長くいるヴェルノーからのその言葉は意外であった。毎度、少なくとも茶のお代わりをしてから帰るのがヴェルノーである。今日仕入れたばかりの新しい茶葉はヴェルノーの口にも合っていたようなのだが、二杯目を淹れようとしたエミーナを彼が制する事はかつてなかった。珍しい。

 そう思ったコーデリアの視線にヴェルノーも気付いていたようで「イイコしながら首を長くしてるジルに持って帰ってやらないとな」と言ってのけた。……ジルに会うのは本当かもしれないが、言ってる事は適当そうだとコーデリアは感じた。もちろん言わなかったが。


「そういえば……ジル様は、どのような方なのですか?」

「え?」

「私、あまり同年代の方と交流がまだございませんので。ヴェルノー様のお友達……もしくは御親戚の方ですか?」


 私の質問にヴェルノーは口を開こうとし、いったん閉じた。そして「あー……」と間延びした声を出した後に「友達、には違いないと思うけど……」と言葉を濁す。余りに怪しすぎる態度である。いつも年不相応な態度の割に、今は慌てる小学生にやや近いような気さえする。それがかえって怪しい。ヴェルノーらしからぬ様子なのだ。


 そんなヴェルノーの様子を見てコーデリアはヴェルノーが突飛もない事を隠しているのではないかとふと思い付いた。例えば……


「……もしかして、ジル様は……女性であったりされますか?」

「え?」

「目立つ事を避けるために男装された御令嬢との逢瀬の最中だったのかと……」


 普通であればあり得ない話だが、子供単体でお忍びを企てるヴェルノー相手ならあり得ない話でもない……かもしれない。コーデリアとしては思いつきではあったものの、声に出すと一番しっくりくる気さえした。成程、好きな相手と一緒に居たのなら言いたくないのかもしれない。気恥ずかしいのだろう。


 しかしそう考えてコーデリアとは対照的にヴェルノーは徐々にその顔をゆがめた。


「冗談じゃない。ジルは間違いなく男だ」

「あら……そうですの?」

「確かに中性的な雰囲気だとは認めるけどな」


 はーっと溜息をついたヴェルノーは「じゃあ、またな」と言い残し去って行った。


「……上手い事はぐらかされましたわね」


 結局ヴェルノーから得た情報はジルの性別とヴェルノーの友人というだけで、結局彼が何処の誰かと言う事は分からなかった。しかし同年代で有れば再び会う事もあるかもしれないし、それほど重要視せねばならないことではないのかもしれない。ただ何故ヴェルノーがそこまでジルの素性を隠すのかということかは気がかりではある。


(決して彼は悪い人には見えなかったけれど――)


 少しは警戒したほうが良い相手なのだろうか?コーデリアはそう考えながらエミーナにロニーを呼ぶように命じた。そして一人になった部屋で小さくため息をついた。

 決してジルが嫌いでだと言う訳ではないのだが、どうしても警戒をせざるを得ない。


(疑いたいわけじゃないんだけれど)


 こういう時にコーデリアは強く感じるのだ。前世の記憶が有る故に今の自分が在るのに、その記憶故に素直に正面から人を見られない事に嫌気がさす、と。しかしこの考えを捨てるわけにはいかない。


 そもそも当初は自らの死の回避を考えていたが、自らの死を回避しなければ伯爵家の没落も招くのだから。


(引き金になるのが私だから、守るというのは過剰な考えだけれど――)


 何に引っ掛かり道を踏み外す事になるのかが分からない。いくら気をつけようと思ったところで、疑う事なしに生きて行ける訳が無いのだ。


「もっとも、確かに楽しんでいる現状も否定はできないんだけれど……」


 さて、困った。そう思いながらコーデリアは苦笑した。

 決してシーソーゲームに興じているつもりはない。だが身の回りの大事な人との空間にいられる事は心地いい。だからこそ精一杯毎日を生きるのだ。この空間で生き続けるために。そして美しい令嬢となるために。


「そうよ。だから……まずは、マスターのガラス器具を確認しないとね」


 この世界に来て、恐らく初めてコーデリアは自身の手で食器をカートに戻した。迷わないなんて言えない。けれど、立ち止まるつもりはない。


 そう考えていたため、コーデリアはジルの事を考える事を止めてしまっていた。だから「少し少し注意しなければいけない人物」という以上のことを考えることは出来なかった。




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ドロップ!! ~香りの令嬢物語~ 書籍版 (全6巻発売中)コミカライズ版
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