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人間には見えない顔

作者: 松原三保

 母親がチンパンジーに犯される夢を見て目が覚めました。母は若く、中学生くらいに見えます。悲壮感を漂わせ、諦めた顔をしています。私は、助けるでもなく、声をかけるでもなく、、チンパンジーに犯されている母を、不潔としか思いませんでした。


 高校二年生の二学期は、私にとって特別でした。今まで話しかけられたことのない私が、クラスメイトに声を掛けられたからです。数学の時間でした。前の席に座る、「水嶋」という名前だったと思います(当時の私はクラス全員の名前を把握していなかった)細身で長身、いわゆるイケメンと呼ばれる類の人間でしたが、目立つことのない不思議な男でした。彼は授業中に振り返ると、ほんのり零れるシャンプーの匂いに混ぜて言いました。


「お前も、宇宙人だろう」


 時が止まった、と思いました。トクトクと動いていた心臓が、ツーと音を立て停止してしまう錯覚に陥りました。水嶋は何事もなかったように前を向き、板書を続けました。


 高校生活で声を掛けられたのはこの一回きりで、後にも先にもありません。この言葉が忘れられず、十年近くたった今でも水嶋が強く印象に残っています。


 私は、母親の手で育てられました。父親は分かりません。「大人になればお父さんに会える」と教えられてきました。母親は私が十四歳の時に、私の元から去っていきました。「十八歳になる頃、お父さんと一緒に迎えに来る」と言い残して居なくなりました。そのときの母がどんな顔をしていたのか、覚えていません。


 私は当時の担任の先生に引き取られました。先生の家庭は、結婚して十五年が経っても子供がいませんでした。穏やかで笑顔の似合う、いい夫婦だったと思います。私は、そんな二人に近づくことが出来ませんでした。


 私が宇宙人だったからです。


 実の母に、宇宙人だと教えられて生きてきました。宇宙人は宇宙人であることをバラしてはいけない。もしバラしてしまえば、全ての人間を敵に回すことになる。私は宇宙人だと悟られるのが怖くて、新しい父母に近づけなかったのです。彼らを、酷く傷つけたと思います。


 一度だけ、宇宙人であることをバラしてしまったことがあります。幼稚園の頃、私を執拗に虐めてくる子に対して、「僕は宇宙人だ」と宣言しました。彼はその瞬間から、私に近付かなくなりました。宇宙人だと口にしたことで、先生に怒られるのではないか、とビクビクしていましたが、何かを言われることはありませんでした。


 私の周りには、人が集まってこなくなりました。母にはそのことを話しませんでした。


 実の母は、「地球人に似せた格好をしている」と言っていました。本来の姿を隠して生きていると言うのです。周りとは若干外見が違いましたし、私にも同じことが言えました。聞き慣れない言葉を、母が電話に向って話していたのを覚えています。私たちが宇宙人だと疑われないのは、不自然だと思いました。母は、「宇宙人は人間よりも優れている。絶対に劣ることはない」と何度も口にしました。私は、勉強では常にトップで、運動も上位でした。水嶋も、成績は優秀だったと記憶しています。人間には、私たちに見えているものが見えていないのだと思いました。




「見てくださいよ、表紙の水着グラビア。十四歳ですって」


 十八歳を何年も前に通り過ぎた私は、後輩と電車に乗っています。


「中学生でしょう。学校ではどう思われてるんですかね?」


 満員電車の中で人に潰され、やる気と思考を削がれていきます。


 不意に、座って脚を組んでいる、スーツ姿の男が目に入りました。


「他の生徒からは宇宙人みたいに思われてますよ、きっと。だって別世界ですもん。脚が長くて顔も小さくて、日本人離れって言葉がピッタリですよね。フランスだか、ロシアのハーフって聞いたな」


「宇宙人」という言葉が、私の中で何度も反復されます。男から、目が離せなくなりました。


「あの人、満員電車の中で優雅なもんですよね。脚も長いし、ありゃヨーロッパの血が入ってますよ。きっと」


 記憶のバケツがひっくり返された瞬間でした。私の、決して多くない思い出が撒き散らされました。


「水嶋!」彼の名を強く叫びました。


 水嶋は、驚いたように天井を見上げるだけでした。


 松原 三保

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