scene4 渡り廊下
「あ、桜奈ちゃん。どうしたの、こんなところで」
「火売どのこそ、どうしたんですか?」
「イヤ……、本来はこっちのセリフのハズなんだけどネ……」
謁見の間に通じる渡り廊下で、桜奈と火売は偶然はち合わせた。
桜奈は大神官付護衛、自分は王付護衛。この場にいて当然なのは自分の方であるはずなのだが、先日のあの様子を見られたのでは仕方ないかと苦笑する。
「ボクらは定時報告。さっき狼牙が入っていったんだけど、会わなかったの?」
「ええ。おそらく別の扉を通ったのでしょう」
桜奈は、以前会った時と同じ格好をしていた。
明るい金の髪を頭頂で束ね、両脇にスリットの入った短めの袖なしの上衣に、膝丈の黒いズボン。腰のベルトの後ろに、横向きに短剣を収めている。そして両手足にさらしを巻いていた。
首には、最近になって許されたという、カソレア教徒の証のコウモリ羽十字のペンダントをかけている。
金の瞳をした黒猫で、紋は額と両頬。
化猫族の生き残りは、もはや彼女だけだと聞いていた。
「また陛下に呼ばれてたの?」
「いえ、私の方から出向いたのです。途中中庭にも寄ってみたのですが、お二人ともおられなかったようなので先にこちらに」
「あぁ、それは悪かったネ。この時間はいつも陛下にお目通りしているんだヨ。まぁ、もう少ししたら帰ってくるから、ちょっと待つ?」
「はい」
火売は欄干にもたれかかると、改めて桜奈を見やる。
まだずいぶんと若いと聞いていたが、落ち着いた物腰である。
強さも申し分ない。
「年はだいたいいくつくらいなのかな?」
「ええと、陛下よりは下ですね」
「そうなの!? 上かと思ってたヨ」
「よく言われます」
そんなたわいない話をしているうちに、奥の階段を降りてくる影があった。
「よう、嬢ちゃん。ん? 俺を待ってたのか?」
「はい。この間の話をしに」
「律儀だねえ」
狼牙は苦笑する。
「道すがらでも構わねえか?」
「はい」
桜奈の返事を聞くと、三人は謁見の間に背を向けた。
「はあ!? なんだそりゃ!」
渡り廊下の途中、桜奈の簡単な話を聞くと、狼牙は呆れた声を出して立ち止まった。
火売はやれやれという風に、桜奈はびっくりして、それぞれ足を止める。
「じゃあ何か? 嬢ちゃんは種族のために、会ったこともなければ好きでもない男と結婚するってのか?」
「まだ会ってもいないのに、好きか嫌いかなどわかりません」
真面目に応えを返す桜奈に、火売は黙ってあさっての方角を向く。
「そうじゃねえだろ? 結婚てのは、まずお互いが好き同士なのが大前提だろ!」
「はあ」
狼牙の熱弁は空回り気味だ。
立っている価値観の場所が違う。火売は冷静に分析する。
「個人の自由を、種族なんかのために犠牲にするなって言ってんだ!」
「犠牲だとは思っていません。私にとっては、義務です!」
「結婚は義務じゃねえだろ!!」
「子孫を残すことは義務でしょう!!」
このままでは平行線である。
火売としては口出しすることは気が乗らなかったが、いつまでもこんなところで口論されるのもはた迷惑だろう。
やれやれ、とため息をつくと、火売はあさっての方角を向いたまま、口だけはさむ。
「狼牙の価値観を桜奈ちゃんに押しつけちゃ悪いヨ。いーじゃないか別に。キミには婚約者がちゃんといるんだから」
「その話は今関係ねえだろ!!」
こころもち顔を赤らめて、狼牙はどなる。
桜奈は突然の話題転換に呆然としていた。
「婚約者がおいでだったのですか……」
それなりの衝撃は受けたらしい。火売は二人の様子を横目で眺めて、にやりとする。
そしてす、と桜奈に近づくと、わざとらしいまでの笑顔で話しかけた。
「そーなんだヨ。それもすっごくカワイイの。それなのにずっと街に置きっぱなしでサ。ニクいヤツだよネー」
「はあ……。お強いのですか?」
「強いよー。ウチに勧誘したいぐらい」
「それはうらやましいですね。なるほど、ご自分に身近な話なので一生懸命なのですね」
「うーん」
火売は笑顔のまま固まる。これは見込みないかな、と狼牙に目をやれば、狼牙の方は、憤懣やるかたない様子でこちらを睨んでいる。
狼牙の婚約者の話を振っても、桜奈には純粋な驚きと、好奇心しかない。
火売はあっさりと見切りをつけると、二人を促して廊下を歩く。
「ま、そーゆーことにしておいてあげてヨ。狼牙にとっては、結婚話は他人事じゃないからサ。決して桜奈ちゃんにケチつけてるワケじゃないから、許してネ」
「いえ、そんな。こちらこそ、そんな事情とは知らず、差し出口を……。すみません」
「いやだからちが…」
「ダマレ」
笑顔のはずの火売から、恐ろしいまでの殺気を吹きつけられ、狼牙は口を閉じる。
「じゃあ、出発の日には見送りに行くからネ。東門だね」
「はい。ありがとうございます」
桜奈は会釈すると、本神殿へと通じる道を歩いていった。
「……火売?」
「さぁさぁキミは、こっちこっち」
「おい!」
火売は大柄な狼牙の腕を取ると、ずんずんと中庭への道を引きずっていった。
「キミ、フラれたんだよ」
途中の欄干に片足をかけて、片肘をついた格好で火売が言う。
「なんだ、そりゃ」
反対側の欄干にもたれかかって、狼牙が呆れた声を出した。
「やっぱね、異種族ってのは恋愛に向かないと思うんだよネ」
狼牙の方は見ないで、火売はため息をつく。
「だったらおまえも嬢ちゃんを止めろよ。おかしいだろ?」
「人間族が相手ならメリットがあるんだよ。だけど人狼族じゃあねえ……」
さらに、わざとらしいまでに大きなため息をつく。
「人狼? 俺は関係ないだろうが」
「ああっ!」
急に火売はおおげさな仕草で天を仰ぐ。
狼牙はびくっと身構えた。
「桜奈ちゃんにはその気がないし、狼牙ときたら自覚もない!」
「だからなんなんだ!」
「いいんだ。いいんだよ。キミには素晴らしい婚約者がいるんだから。だから桜奈ちゃんの決めたことにあれこれ文句は言わないの」
「ワケわかんねえ……」
狼牙はしゃがみこんで頭を抱えた。
火売とは長い付き合いになるが、いまだに理解の範疇を越えた奴である。
「あのね、一言でまとめてあげるヨ」
「ああ、頼む」
「甲斐性なし」
「……………………。なんだっ! そりゃあっっ!!」
狼牙が雄叫びを上げたとき、すでに火売はその場にいなかった。