scene3 中庭
夕方の訓練が終わり、中庭は閑散としていた。
火売は噴水の中に、その身を浮かべている。
狼牙は刀の手入れをしていた。
責任者ゆえに最後までここに残らねばならない、というのは建前である。
海魔族である火売が副長の任に着いてから、夏の間はここの噴水が火売の住みかである。
狼牙はそのあたり、おおらかな性格をしていたし、火売も誰かに迷惑をかけたということもないので、黙認、ということになっている。
訓練直後は隊員たちに囲まれるので、自分の刀の手入れはどうしても後になる。
しかし狼牙は気にかけることなく、夕涼みを兼ねてゆっくりと刀を磨いていた。
ふと、人の気配に顔を上げる。
二人。桜奈ではない。
現れた姿が目に入ると、狼牙は再び刀に目を落とし、口を開いた。
「おい。客だぞ」
その声に、仰向けで水の中を移動していた火売は体を起こす。
「誰?」
「知らん。でもおまえだろ」
目を上げない狼牙を見やり、火売は噴水の縁に腕をかけた。
こちらにやって来る人影を認め、火売は髪をかきあげる。
「あぁ」
二つの人影は、火売に気づいたようだった。
「火売様!」
二人は海魔族だった。
その二人は、顔立ちのよく似通った男女だった。
しかしその体つきは、対照的である。
そのため、二人がきょうだいであることはすぐに知れても、双児であることを看破できる者は、まずいなかった。
男はひどく腕が長く、女はひどく脚が長かった。それは、体型のバランスを悪くする程に。
「お久しぶりです。火売様」
軽く頭を下げて礼をした女は、白いタンクトップと、その長い脚にぴったりとした黒いズボンを、身につけていた。
ヒレの形をしている耳の、右側に十字架の耳飾り。そして首にも十字架の飾りを下げていた。そして右の上腕部には、コウモリ羽十字の飾りがついた黒い皮布をつけている。
琥珀の瞳は切れ長で、青と緑にゆらめく髪は、頭頂で束ねている。
紋は額と、両頬。貌はりりしく、青い肌。
「せっかく神殿まで来たから、顔を出しておこうと思って」
続けて口を開いた男は、裾が長めの、両脇にスリットの入った白いタンクトップと、同じく白い洗いざらしの、ゆったりした感じのズボンを身につけていた。
左耳と首に、女とおそろいの十字架の飾りをつけている。そしてひどく長い腕の、左上腕部に、女と同じ黒皮を巻いていた。
瞳は琥珀で、青い肌。顔だけ見れば、女とそっくりである。紋も同じく額と両頬。
青と緑にゆらめく髪は、首の後ろで束ねていた。
身長は、二人とも同じくらい。女の方が、女にしては高い部類のせいかもしれない。全体的に男の方が女性的なのではなく、女の方が男性的な外見であるといえた。
「やぁ、小牧と長久手じゃないか。どうしたんだ?」
火売は噴水から出ると二人に近寄り、二人がそれぞれ腕につけているコウモリ羽十字の飾りに気づく。
「あぁ、今年の税徴収係はキミたちだったのか。それでわざわざここまでボクを捜して来てくれたんだ」
「ええ。いつだったか火売様が、神殿に寄ることがあったら顔を出せとおっしゃっていたので」
女の名は小牧といった。
「綾歌が先に挨拶に来てませんか? あいつが今年の監査係なんで、おれたちより先に神殿に着いているはずなんですが」
男の方の名が長久手。
「来てないよ。監査は忙しいからネ。南方海域の税の徴収が全部終わらないと、自由時間なんてないだろう」
「そうなんですか」
火売の言葉に、小牧は口元に水かきのある手を当てて答える。
そういえば自分たちも、綾歌には会っていない。自分たちの仕事内容以外は詳しく聞いていなかった。
「あら。こちらが親衛隊長ですか?」
ふと、目線を下げて、座りこんで刀を磨いている狼牙に目をやり、小牧は尋ねた。
「うん。狼牙だよ。狼牙、こっち、女のコが小牧で男のコが長久手」
「どうも」
狼牙は手を止めて、座ったまま軽く頭を振る。
紹介された二人も、軽く頭を下げただけだった。
「じゃあ今の親衛隊は人狼族のものなんですね」
「まぁネ」
長久手の確認に近い質問に、火売は軽く答える。
狼牙は特に目を上げることもせず、黙々と刀を磨いていた。
親衛隊は、見映えが第一である。
式典への参加が、一番の任務であるともいえるからである。
普段は種々様々に入り乱れ、好きな服に好きな武器を着用して鍛錬に励んでいるが、いざ式典となると、がらりと様相は変わる。
まず、副長以外は皆、隊長の種族に属している者たちだけが、式典参加を許される。
各々制服を着用し、下賜された剣を下げる。
つまり現在は、副長の火売以外は、人狼族にのみ制服と剣が与えられているのである。
しかし実際の親衛隊は、人狼族ばかりというわけではない。確かに親衛隊における占有率は、人狼族、次いで海魔族が多いが、実力主義の親衛隊において、チャンスは誰にでも等しく訪れる。
今は人狼族の時代であると言えるのだろうし、次は副長である火売が隊長になるから、海魔族の時代と言えるものが遠からず来る。だがその次となると、火売が誰かを副長に選ぶまでは、わからないのである。
個人的に気に入られようという手妻は無意味に等しく、隊長、副長は、あくまで全員が認める実力の持ち主が選ばれる。
近衛兵よりも、より実力が重視されているからである。
それは、王の護衛という、言ってみればなくてもいいような部隊であるだけに、余計である。
王を護ると言い切れる程の実力が必要とされている為、式典以外では皆自由にしているのだ。それが、各々が最も効果的に実力を出しきれる武器であり、戦闘スタイルであるといえた。
「キミたちどこに泊まってるの? 神殿? 宿?」
火売がのんびりと訊く。辺りはそろそろ暗くなってきていた。
「ああ、おれたちは今日で仕事終わりなんで。宿です。早く帰らないと」
「もうこんなに暗くなっていたんですね。それではこれで失礼します」
長久手と小牧は、礼をして立ち去る。
「綾歌も顔を出すと思いますよ」
長久手が振り返って手を振った。
「わかった。今日はありがとう。元気でネ」
火売も手を振り返すと、狼牙に視線を落とす。
「思わぬ来客だったネ。ゴメンよ。もう刀の手入れは済んでたんだろう」
「なあに、遅くなるのはいつものことだし、構わねえさ。じゃあな。噴水を住みかにするのはいいけど、風邪なんかひくなよ」
狼牙は立ち上がると大刀をかつぎ、ひらりと手を振って歩み去る。
「海魔が夏風邪なんかひくわけないだろ。そっちこそ飲みすぎないでヨ」
見ていないのは承知で火売は手を振ると、噴水の中へと音もなく消えた。