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scene1 噴水のある中庭


 (キング)に呼ばれた帰り道。

 ふと、そういえばこの付近に親衛隊の練兵場があったことを思い出し、桜奈(さくらな)は逡巡した結果、廊下から足を踏み出す。

(近くまで寄ったのだから、挨拶ぐらいはするべきだろう)

 そう思い、いくつもある中庭の一つに足を向ける。

 桜奈は、化猫(ケットシー)族唯一の生き残り。

 しなやかな黒猫だが、頭頂で束ねている髪の色は、明るい金。

 現在の地位は、大神官付護衛。

 本来なら(キング)との接点はないのだが、急に呼び出されて話を聞いた、その帰りである。

 すぐに主である雷姫(らいき)の元に帰るべきだとは思ったが、自分なりに頭を整理してからの方が、良いように思われた。

 そしてこの道を歩いていてふと思い出した、親衛隊長。

 この夏の始めに剣を合わせ、少し親しくなった。

 時間があったら、少し手合わせを願おうかと考えてみる。

 獣の足で草を踏みしめているうちに、大きな噴水が見えてくる。

 人影はない。

 休憩中だろうか?

 桜奈はさらに歩を進めた。


「暑いなあ~」

 日陰に座りこみ、狼牙(ろうが)は頬杖をついてため息をもらした。

 人狼(ワーウルフ)である狼牙の耳はくたりと倒れこみ、うつろな瞳を噴水に向けている。

「耐えられねえぜ~」

 端から見れば、やけに大きな独り言である。

「こっちに来ればいいじゃないか」

 しかしその独り言に、どこからともなく誘いの返事があった。

 狼牙は相変わらず噴水を眺めたまま、さらに言葉を返す。

「ヤだよ。面倒くせー」

「何? もしかして昼間は暑いから休みなの? 隊長独断?」

「いいじゃねえかよ。朝と夕にきっちりやってんだから。どうせおまえだってそこから出てこれねえんだし」

「こんにちは。ご無沙汰しております」

 少々迷った末、少し距離をおいた場所から、桜奈は声をかけた。

「おお! 久しぶりじゃねえの!」

 狼牙は背筋を伸ばすと、片手を上げてみせる。

「そんなとこいないで、こっち来なよ」

「はあ……」

 桜奈はそろそろと近づいた。

 今は座りこんでいるが、狼牙は堂々たる体躯の持ち主である。

 トレードマークともいえた黒のロングコートは、この炎天下ではさすがに着ていない。

 白いシャツを腕まくりし、足には相変わらず金属のついた黒いブーツを履いている。

 腰よりも長い灰銀の髪は、今は頭頂で束ね、赤いバンダナで巻いていた。

 あの赤いバンダナは、隊長を示す証の品であるはずだが……。

 桜奈は複雑な目で、狼牙の頭のてっぺんを眺めていた。

 確かに目立つけれど、隊長の証をリボン代わりになんて……。

 桜奈はため息を呑みこむが、実はこれはめずらしいことではない。

 ものがバンダナであるだけに、髪にくくるのが一番手っ取り早いのだ。

 ただ不幸なことに、桜奈の知る親衛隊長は狼牙だけであり、もう一方の近衛隊長は短髪だった。

 確かに、ポニーテールにリボンを付けている男は珍しいだろう。

 しかしこれでも狼牙は、常にコウモリ羽十字のペンダントを首から離さない、れっきとしたカソレア教徒であり、人狼(ワーウルフ)の青い紋を、額、左頬、首の三か所に持つ力の持ち主でもあるのだから、力と人格には何の関係もないのだと、まだ若い桜奈はわけもなくがっかりする。

 狼牙の武器である大刀は、座りこんだ腰の後ろに放り出してあった。

「ご休憩中でしたか」

「ああ。暑いからな」

 血赤色の瞳で見返される。

 この瞳がくせものなのだと、桜奈は思う。

 血の色を映すこの瞳が、狼牙の軽い言動を全て裏切っていた。

 見たままの人物ではないのだということを、思い知らされる。

「ところで今日は、わざわざ本神殿から来てくれたのかな?」

「いいえ。陛下に呼ばれた帰りです。ふと思い出しまして」

 狼牙はにやり、と笑んでみせる。

「何? 運動不足?」

「まあ、そうですね」

 それに桜奈は真面目に答える。

「でもだるそうですね」

「うーん。俺、暑いのは苦手だからなあ。でもせっかくの嬢ちゃんの誘いを断るのももったいないし~」

「ウダウダやってないで相手すれば?」

 声は、噴水から聞こえた。


 桜奈は思わずぎょっとした。

 もう一人の気配があることには気がついていたから、先程狼牙が大声で独り言をぼやいていたわけではないことは、知っていた。

 いや、最初は暑さのあまり幻影でも見えているのかと思って、近寄るのを遠慮したのだが、もう一人の気配はすぐに感じられた。

 そこで安心して声をかけたのだが、もう一人の位置はつかめなかった。

 それがふいに噴水から、水の中から、声がしたのである。

火売(ほのめ)。水から出ろ」

 片頬をついたまま、狼牙が噴水に呼びかける。

「顔だけでも出せ。話しにくい」

「ヤだよ。頭が乾く」

 短く拒否しながらも、それは水間から音もなく現れた。

 両腕をだらりと噴水の外に出す。

「やぁ。キミが桜奈ちゃんね。初めまして、ボクは火売」

 そして男はにっこりと微笑む。

 海魔(セイレーン)族だった。

 額と両頬、そして胸の鎖骨辺りに種族を示す紋がある。

 水から出ている上半身は裸で、黒いチョーカー以外は何も身につけてはいない。

 青と緑にゆらめく髪を肩の辺りでふぞろいに揺らし、琥珀色の瞳はけだるげで、男にしては妙な色気があった。

 肌は青く、耳はヒレ、手首から肘にかけてもヒレがあり、指の間には水かきがある。下半身は水に浸かっているが、先にヒレのついた太いしっぽが、ゆらゆらと水面をないでいた。

「初めまして」

 桜奈が礼をすると、青い麗人は、右目にかかる前髪をかき上げて首を揺らす。

「アレでも一応、副長だ」

「エ」

 狼牙の紹介に、桜奈は思わず口を滑らせる。

 慌てて口をおさえ、二人を見比べた。

「あはは。アレはないよねえ。桜奈ちゃんは気にしなくていいよ。狼牙の言い様が悪いだけだから」

「すみません……」

 ほっとしつつ、軽く頭を下げる。

「まったく。全部俺のせいかよ。嬢ちゃんも真面目に取り合わなくていいぞ」

 ため息をつきながらも、口調は楽しげだ。 

「そうだ。嬢ちゃんの相手、今日のところはコイツでどうかな。火売! おまえ出てきて相手しろよ」

「相手って剣の? 隊長と引き分けたような女丈夫に、副長のボクがかなうはずないじゃない。ただでさえ夏は日差しがキツいからイヤなのに」

 桜奈としては異論はなかったが、火売の方から文句が上がる。

「せっかく狼牙を訪ねて来てくれたんだから、狼牙が相手するのが礼儀だよ。ボクはほら、海魔(セイレーン)族だから、水の外じゃ役に立たないし」

「てめえ、それじゃ何のために親衛隊に入ったんだ。隊員どもには裏じゃあ『最恐』呼ばわりされてるくせに」

「いやだなあ。狼牙の方が強いって」

 照れた風に頭に手を回し、もう片方の手をぱたぱたと振る。

「知っててボケるな! あのなあ嬢ちゃん、こいつマジ強いから。俺とはタイプが違うから、面白いと思うんだよ」

「はい……」

 急に話を振られても、桜奈としてはそうとしか返事のしようがない。

「嬢ちゃんの方は、別に火売が相手でも構わねえんだろ?」

「はい。もちろん」

「火売!」

「!」

 狼牙が名を呼んだのと、同時だった。

 いきなりの殺気に、桜奈はとっさに短剣を抜く。

 かざした短剣の向こうで、火売がにやりと笑った。


 それは、瞬間移動かと見まがう疾さだった。

 必殺の一撃を受け止められた火売は、桜奈が気づいたときにはすでに噴水前に佇んでいた。

 細身の体にまとうのは、足にぴったりした黒いズボンのみ。

 その両手には、幅の細い曲刀。

「まったく。相変わらずどこでスイッチが入るかわからねえヤツだな」

 石段に腰かけたまま、片頬をついて狼牙は苦笑する。

 す、と火売が消える。

 次の瞬間、知覚よりも先に動いた桜奈の短剣が、火売の曲刀を受ける。

「!」

 手ごたえが消えると同時に、もう一方の曲刀が襲いかかる。

 火売の腹めがけた蹴りはかわされ、桜奈はその場からとびのいて芝生の上に立つ。

「なるほど。イイスピードだネ」

 瞳を煌めかせると、火売は両の曲刀を逆手に持ち変える。

「でもスピード勝負じゃ、負けないよ」

 また消えた。

 桜奈は体の命じるままに動く。

 先程の一撃でわかったことがある。

 桜奈は襲いくる刃ではなく、その横手から、刀の腹に拳を叩きこんで、曲刀の軌道をずらす。

 火売は目を見開いた。

 曲刀の刃をまともに受けると、そのまま刃に沿っての接近を許してしまうのだ。

 先程火売の一撃を受けたにもかかわらず、すぐさま衝撃が消えたのは、受けた瞬間に、その曲線に沿って火売が刀を滑らせてきたからだ。

 短剣の相手としては、この上なくやっかいな相手といえた。

 しかし桜奈の本領は、体術である。

 容赦なく迫る二つの曲刀を、拳ではじいていた。


「嫌がってた割には楽しそうだな」

 石段に腰をおろし、頬杖をついたまま、狼牙は戦う二人を眺める。

「火売は気まぐれなくせに、勝負となるとまったく手を抜かないからな。……スゲェ殺気。隊員どもが恐がるワケだぜ」

 楽しげに目を細める。

「やっぱり嬢ちゃんは剣より体術なんだな。……また腕を上げたか?」

 二人が聞いていないのは承知で、ぶつぶつとつぶやく。

 二人とも尋常でないスピードの持ち主だが、桜奈の動きは流れるように直線的で、その動きを追うのはさほど困難ではない。

 一方の火売は、点から点への動きで、その軌道を読むことができない。思ってもみない場所に突如出現するのだ。

 特殊な足の運びがそのような動きを可能にしていることを、狼牙は知っているが、知らずに相手をしている桜奈にはとらえにくい、嫌な相手だろう。

 しかし桜奈は、迫り来る二本の曲刀の腹を拳で払いながら、蹴りを繰り出している。

 短剣も手に握ったままだ。

 どうやら勝ちは捨てていないらしい。

 狼牙はにやりと頬を歪めた。


 桜奈は足を上げ、右手から来た刀に足を乗せて無理矢理押さえこむ。

 それでも自然な動きで迫りくる、左手からの刀を拳ではじくと、体が開いて無防備になった体の中心へ、短剣を繰り出す。

「!」

 火売はあっさりと踏まれたままの刀を捨てて、とびすさった。

 着地と同時に、低い姿勢からの攻撃。

 桜奈はこれを短剣ではじく。

 そのまま火売は前進し、地に落ちたままの今一本の刀を拾った。

 そして足元から上にめがけての、流れるような一撃。

 桜奈はこれも短剣ではじくと、跳んで距離をとった。

 ふ、と火売から殺気が消えた。

「いいね。さすが隊長と引き分けただけの実力はあるよ」

「ありがとうございます」

 火売は二本の曲刀を両手に携えたまま、噴水に向かって歩き出す。

 それを見届けてから、桜奈は短剣を腰に収めた。

「ボクは疲れた。乾いたし。今日はお終い」

 手を振って、音もなく水の中へと入っていく。

 そしていったん頭まで潜ると、また上半身だけだらりと出した。

「お疲れさん」

 狼牙の声に、桜奈は振り向いて近づく。

「さすがだな」

「いえ」

 差し出された水を受け取って口にすると、振り返る。

「さすがですね。狼牙どのとは、全く違った強さです」

 桜奈は、噴水から頭だけ出している火売に声をかけた。

「こちらこそ」

 にこりと笑んで、火売はひらりと手を振る。

「良かっただろ?」

 にやりと見上げる狼牙に、

「はい」

 桜奈は静かに肯定の意を示した。

「今日はついでだったみたいだが、いつでも気軽に来いよ」

「……そうですね……」

 水筒を返し、うつむきかげんに答える桜奈に、狼牙はわずかに顔をしかめた。

「陛下からの呼び出しだったんだろう? めずらしいな。何を言われたんだ?」

 はっとして顔を上げ、桜奈は一瞬ためらった後、口を開いた。

「まだ猊下にも報告しておりませんので。後程、必ずお話しします」

「いや、陛下があんたに賜った言葉を俺に報告する義務なんてないんだから、障りのあることなら聞かないし」

「いえ、猊下に報告しましたら、またこちらに寄らせていただきます」

 桜奈は少し微笑んだ。

 狼牙はほっと息をつくと、話題を変える。

「ずっと気になっていたんだが。その首から下げているやつ」

「ああ、そういえば初めてでしたね」

 桜奈は首から下げているコウモリ羽十字のペンダントを指にひっかけ、明るい表情で報告する。

「今までは先代陛下に禁止されていたのですけれども、(わたし)が猊下の護衛となった時にやっと、カソレア教徒として認めてもらえました」

「先代か……。あんた自身はずっとカソレア教徒になりたかったのか?」

「そうですね。姫さまたちが私の全てでしたから。私にとっては、陛下は本当に神様みたいなものなのです」

 強い視線を受けて、狼牙は微笑む。

「引き止めて悪かったな。またいつでも来いよ」

「いえ、こちらこそお休みのところを失礼しました。また伺わせていただきます」

 桜奈は一礼すると、中庭を去っていった。


「ホント、イイ()だね」

「だろ?」

 噴水からの声に、狼牙は我がことのように嬉しそうな返事をする。

「でもキミ、婚約者いるじゃない」

「関係ねーだろ」

「ふぅん?」

 意味ありげな視線を送ると、火売は水の中へと消えた。

 狼牙は呆れたように肩をすくめると、石畳にごろりと横になった。




挿絵(By みてみん)

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