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ロールキャベツ

作者: 青式部

 雨のぱらつく新宿の街を歩いていた。すると黄色い高層ビルから一人の女性が人形のようにふわりと降ってきた。重々しい音が響いたかと思うと、路上が熟れた柘榴のような血液で染まる。黒い臓物が無残に飛び散り、頭骸骨からは脳味噌が、穴という穴からは濁色の液体が路端の溝へ流れでた。


 新宿は繁華街なので大通りはいつも人でごった返している。すぐに死体を囲むようにして人垣ができたかと思うと、どこからかすすり泣きが聞こえてきた。普段通りひっそりとしている商店からも顔が覗いている。


 救急車がサイレンと共にやってくると、規制が敷かれた現場は更に緊迫した空気に包まれた。白衣を着た看護師は自殺者を白い担架に乗せて運んでいく。虹色に濁った羽をしたハシブト鴉は2,3羽どこかへ飛んでいった。翌日の新聞の社会欄には「雑居ビル投身自殺」「数名の歩行者が巻添え」という見出しと曖昧な写真が掲載された。


 有料制図書館で学芸員をしている23歳のおれはこの日、小学校の同級生だった唐沢と映画を見た帰りであった。図書館は超高層ビルの最上階にあり、蔵書数は1万冊と多くはないが、白い絨毯が敷き詰められたフロアや、真新しい本で一杯の空間は高級感が溢れている。


 また有料制ということもあり、新書や催し物で忙しいということもこの図書館の特色だ。学芸員は目録の製作や、貸し出しと返却の対応をするだけでは十分ではなく、毎日の企画を考え、図書館の最先端をいく場としてのプライドを維持しなければならないのだ。


 休憩時間になり雨が降ってきたので、窓側までいくと、葉脈のように張り巡らされた道路を、ゴマ粒のような人々が行き交うのが目に入った。おれは1分間ほどかけてエレベーターで急降下した。行き先は同じビルに収容されている映画館だ。開演を待っていると肩を叩かれ振り向くと旧友の唐沢だった。


 唐沢は単身赴任の親に連れられ、小学生の頃にクラスの隣席にやってきた。模範的な転校生だった唐沢は優秀だったが、どこか醜悪な印象を拭えない大人しい生徒であった。昼休みにも教室の片隅で読書ばかりし、何人かいた友人とも距離をおいているようであった。


 夏休み前のクラス会で、ネットの掲示板に匿名のHNを維持した誰かが、繰り返し誹謗中傷を書き込んでいることが問題になった。担任はPTAの圧力を受けて、犯人探しを始めたが、名乗りでる者は最後まで現れなかった。

 

 それどころか教師の説教で事態はエスカレートし、和気藹々としていた教室は暴走をはじめた。靴箱に画鋲が入り、机に彫刻刀で落書きが書かれ、生徒は牛乳を頭からかけられた。複数のなりすましが現れたかと思うと掲示板は炎上し、強迫メールや、個人情報の暴露、ハッキングなどの実害にまで及んだのである。

  

 だが本当の問題はそれが特定の生徒にむけられた攻撃だったことだ。生徒は次第に登校拒否に近くなったが、妹に危害が及び始めた頃、自律神経失調症になって自殺した。自宅の2Fの部屋で首をつったのだ。担任はこれをきっかけに退職し、事件はうやむやなまま迷宮入りとなってしまう。そして新学期は何事も無かったかのようにスタートし時間だけが過ぎていった。


 唐沢が犯人であると知っていたおれは唐沢を「ロールキャベツ」と揶揄していた。一見すると草食男子に見えるが、一皮剥けば草食男子であるところがロールキャベツに似ていると思ったのだ。


 そういう訳で内心はギクリとしたが、映画の開演時間もスペースも重なっていたのは不運としか言いようがなかった。舐めるようにおれを眺め回す店員から当日券を受け取ると、先週に封切られたばかりの太宰治の『人間失格』の実写版をやむなく二人で鑑賞した。

 

 「幼少期を嘘で塗り固め、醜い自己愛を育む過程は闇夜に浮かぶベラスケスの巨獣の不気味さ!自己愛は白い黴がふわふわと纏わりついた蜜柑さながら!」、辛口のコメントが映画雑誌に載っていたその映画はそれなりの出来だったが、感情移入できなかったおれには暗い印象しか頭に残らなかった。俳優に若手の売れっ子を起用し、女優にも定番の役者が顔を揃えていたが、それさえも金太郎飴な映像化に思えたのだ。

 

 それからおれとあいつは電車を乗り継いで新宿へと向かった。目的地は落合う時に使っていたバーで扉は乳白色でだらしなく開け放しになっていた。酷く汚れたビルは螺旋状の階段の先にあり、スプレーで相合傘や落書きがかかれている。数年しかたっていないのに、やけに錆びれたなと思ったが、客はそれでもいて、カウンターで会話を楽しんでいた。


 室内は訳の分からないもので満たされ、カラフルな色合いの錠剤が散乱していた。音漏れの酷いスピーカーからはコンドルは飛んでいくが流れていて、溶けたチーズのような椅子がだらりと不自然に曲がっている。天井の青白いブラックライトは中央にあるテーブルを不気味に浮かび上がらせ、マリリン・モンローのような金髪女の描かれた時計が壁にかかっている。


 UNIQLOのノンウォッシュデニムにカジュアルシャツと迷彩ジャケットを着ていたおれは、まるでヒッピーのたまり場のようなここで孤立していただろう。携帯画面を覗き込んだのは、成り行きで散策することになったあいつとの会話を無視する腹づもりだった。ポッケからPEACEを取りだして火をつける。カオス的なこの場所では煙草の靄がかかったような感覚がしっくりくる。


 改めてお互いの近況を報告し終えると、唐沢は驚いたことに大学の助教授になっていた。しかも有名な自殺ビルである13号館の研究棟で寝泊まりしているらしい。おれは唐沢に支持されるアルバイトの学生やゼミ生を考えると憐憫の情を抱いた。


 それから階段を降りて外の通りへ出ると、空はこい灰色になってさっきより重苦しさをましている。強欲というエネルギーで満ちた街にいると、自分が何をして良いのか分からなくない抜け殻のような顔をした人とすれ違う。唐沢との会話も味のないゴムを噛むような感触であったが、人を罠にかけ貶めしめた数をいちいち自慢してくるようで癪にさわった。人間の「欠陥品」というあだ名をつけなければ無意識に殴りかかっていたかもしれない。


 おれは映画のつまらなさと唐沢の劣悪さに鬱屈した感情を抱えながら、立ち並ぶ商業ビルと混雑する道路を押し黙って歩き続けた。遠くにはHMVのピンクのネオンライトを掲げたビルがあったかと思うと、ファッションタワービルの足元では鶏冠かライオンの鬣のような髪型をした男達や、リカちゃん人形のような女性達が待合せをしている。


 女性の裸体は臆することなくタイル貼りのビルの壁面に無造作に描かれ、路上にはラーメン店に行列ができている。バッタ屋には年代物の黒い一眼レフカメラがショーケースに並べられ、映画券や交通券を値下げした金券屋も軒を連ねている。


 「巻添え投身自殺」を目撃したのは日用雑貨を買いにディスカウントビルに寄ろうと歩いていた最中のことであった。街は夜の色に染まり、車線を黒いタクシーが止めどなく流れ、白銀のネオンライトが点滅していた。女性が飛び降り、人だかりが出来ると、横から忍び笑いが聞こえ、背筋に冷たいものが走った。唐沢の表情には悦楽した感情が滲んでいた。


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